不思議なモラの国のアリス

迷い込んだ結婚生活はモラハラワールドだった。目覚めて今思うこと。そして これから・・

4年たちました

2007-03-22 00:05:37 | つぶやき
ちょうどこの季節。
今年で離婚をしてまる4年になりました。

かすかな春の匂いと共に 苦悩した離婚の騒動の記憶が蘇ってきます。

今から思えば よく脱出できたもんだと思います。

「何もかもを捨ててもいい。 だた一番大切なものだけを守ろう」

確か そう思っていたと思います。

捨てたものはかなり大きかったです。
20年私なりに積み重ねてきた 明日を信じて
生きてきた道のりを ゼロにしなければいけないのですから。


でも これで良かった。
こうしか道はなかった と思います。

離婚してからは加速度的に過去のことになりました。
もうずっと前から今のような暮らしをしてきたような錯覚もします。

今 私は私のままで 誰に責められることもなく
平和に生きています。

家の中に不機嫌な空気はありません。
もう屈辱に耐えることもありません。


家庭を壊すことに 罪悪感を感じていたけれど
それを守ることに努力したけれど
その努力は方向が違っていたということでしょう。

今言えるのは

どんなに頑張っても どんなに耐えても
その辛抱は誰も幸せにできなかったということ。

夫さえも。









おしらせ

2007-03-08 07:44:35 | その他
モラル・ハラスメント被害者同盟さんからのお知らせです。





みなさまへ


TBSの報道番組「イブニングファイブ」で、モラハラ特集第三弾の放送が決定しま
した。

放送日は3月9日(金)、放送時間は前回と変わらず17:30頃から10分~12分程度ですが、
その日のニュース状況により、日にちも含めて大きく変わることがあります。

前回の放送ではさまざまな反響があり、今回の放送は視聴者からの希望も取り入れられて
いるそうです。もし感想などがありましたら局側に投稿してみてください。TBSは
視聴者の
意見を大切に扱ってくれます。ひとりでも多くの方にモラハラを知らせるため、コピ
ペは大歓迎
です。

よろしくご協力をお願いいたします。

外の世界

2007-03-01 23:42:39 | 結婚生活
12年もの間 専業主婦にどっぷりと浸かっていて
私には外に出て働くということに 自信はなくなっていきました。

夫は 家のことや子供のことは全部妻のすること と思っていましたから
子育てに協力することもなく 年末の大掃除だって したことがありません。
全てのことは 私の役目であり 夫は自分のことすらもしませんでしたから
これをやりながら仕事を持つことは不可能に思えました。

「家でできるような仕事をやってみようか」と持ちかけたこともあるけれど
いい顔はしませんでした。
夫は「自分の稼ぎで家族を養っている」という形にこだわっていました。
それが男の価値であるかのように思っているのです。


下の子供が小学3年生になって やっと私は外に働きに出ることになりました。
マイホームを買い ローンが始まったからです。
やっと 夫は私が働くことを認めたのです。
子供が学校に行っている間の時間のアルバイトでしたが。


外の世界に出て 初めて私は自分のままでいられる場所を得たと感じました。
本当の自分のままで 誰からも責められることもなく ありのままの自分でいていい。
それは本当に嬉しいことでした。
仕事をするということは こんなにも楽しいものなんだ。
頑張れば認められ 信頼を得 仲間と協力し 励ましあい 助け合い

理不尽に怒鳴られることもなければ 暴力をうけることもない。
機嫌をうかがって びくびくとすることもない。


仕事をいていくにつれ 私は無くしていた自信を 少しづつとりもどしていきました。
そして 主婦友達と夫のこと子供のこと 色々と話をしたりしていくうち
夫はやっぱり かなりよその旦那さんとは違う と思いました。

私は仕事が楽しくてしかたありませんでした。
「認められる」
私は誰かに認めてもらいたいという思いが強かったのかもしれません。
夫に「認められる」ことはありませんでしたから。

夫はいつも「~がだめだ」「~できていない」
いつも足りないことを責め だめだだめだと責める。
とりあえず 否定から始まる そんな感じだったから。


こうして外に仕事に行き 楽しそうにしている妻を
夫はどう思っていたでしょうか?
うちのバカモラ夫の思っていたこと

それは




「浮気しているんじゃないか?」



アホか!






結婚と仕事

2007-02-17 01:48:29 | 結婚生活
ぺんぎんさんのコメントでのやりとりから
モラと仕事について すこし書いておこうと思います。

私が早い段階で 離婚を決断できなかった理由のひとつは
仕事の経験がほとんどないことでした。
元夫と結婚した時 就職をしたばかりでした。
その仕事を辞めるように執拗に言われ 「一年だけでも仕事をさせて」
という 私の願いは聞き入れて貰えず 泣く泣く辞めて 結婚しました。

なぜ そこまで私に仕事をさせるのをいやがったのか?

①私を他の誰かに取られてしまうのではないか という不安。
②広い社会を見ることで 自分の正体がばれてしまうのでは という危惧。
③モラ特有の支配・・・経済力を奪い自分に隷属させる。
             自分の知らない世界を持たせない。
そして
④自分には到底手に入れることのできないものを 相手が持っていることへの
激しい羨望と破壊欲求。

があったのではないかと思っています。
当時から なんとなく感じたことですが モラやDVを知って
はっきりとしてきたことです。

特に④について モラ男の心の歪みが現れていると思うのです。

当時 私は誰もが知っている金融関係に勤めていました。
元夫は それをどうしても取り上げたかったのです。
自分には絶対に無理だと思えるところに勤めていることが
許せなかったのでしょう。

モラは対外的には 誰からも羨ましがられるような人を選びます。
他の被害者の方を見ても 有能な方が多いです。
専門的な職業を持っていたり 皆さん聡明です。 

でもそれは モラ自身にとっては 隠している劣等感を刺激することでもあり
ます。
仕事を奪ってもモラの劣等感が消えるわけではないのですが。

当時 結婚=退職という時代です。
今では結婚しても出産しても仕事を続ける人も多く
社会の制度も 整ってきつつありますが 私が子育てをしていた頃は
仕事を辞めるのが当然という社会でした。
おじいちゃんおばあちゃんがいる人は別ですが 夫婦と子供だけの世帯では
それが普通のことでした。

「仕事より子供の面倒を見るのが当然だろう」
そう言われて 反論はできませんでした。
私は子供は まだ2~3年後でもいいのでは?と思っていたけれど
元夫は子供を強く望んだのでした。


そして 私は12年間専業主婦でした。

この時の「仕事を奪われた」ことは相当私の心に根深く染み付いています。
これは私が夫に「譲った」ことであり
夫の希望を叶えたことであるはずなのに

事あるごとに「誰のおかげでメシが食えるのか」
稼いでないものは発言権もないのだ。
稼いでいるものが偉いのだから それに従え。

そんな 意識をもつ夫に 恨みにも似た感情を持ちながら
ただただ 子育てをする私なのでした。

















おしらせ

2007-02-12 12:45:59 | その他
モラル・ハラスメント被害者同盟さんより お知らせです。



2月12日、13日の二日に渡り、TBSの報道番組「イブニングファイブ」にて
モラハラの特集が放送されます。弁護士の荘司先生、カウンセラーの中尾英司さん、
そして被害者の方たちの生証言により構成されています。

時間は17:30頃から10分~12分程度ですが、その日のニュース状況により、日にちも含めて
大きく変わることがあります。残念ながら一部の地域では放送していません。

TBS報道部スタッフの方々は、本当に真剣に取り組んでくださいました。
まだモラハラを知らず苦しんでいる方たちが、言葉を知ることで救われますように。



これを見て 一人でも多くの人が 自分が置かれている状況を知り
苦しみから解放されますように・・・

蘇る恐怖

2007-02-07 01:23:15 | つぶやき
ニュースをたまたま見ていた。

大阪で38歳の女性が殺されたという。
犯人は元夫だった。
理由は「復縁を頼みに行ったが 断られたので カッとなった」

こんな事件が後をたたない。
こんな人間が 世の中にはたくさんいる。
犯人の外の顔は「おとなしそうな人」だ。

人にはわからない。
誰にも理解してもらえない。
こんな人と別れることの難しさ。

どんなに辛かっただろう。悔しかっただろう。
やっと別れたのに。
こんなことになるなんて。

悔しい。

悲しい。






もうひとつ 職場での出来事。

その日 体調が悪いからと休んでいた彼が 事務所にやってきた。
奥の部屋で上司と話していた。
突然 隠し持ってきた包丁を 自分の首にあて
「死んで 潔白を証明する」とわめきだした。

数人の男たちで何とか 押さえつけて包丁は取り上げた。
緊張の走る 大騒動。

彼は 常軌を逸している。
言動が病的に見えた。

そのときは そうでもなかったが 家に帰って
一人でいると なんとも言えない 重苦しさでいっぱいになった。

私はその彼のことは 怖くない。
私が怖いのは 離婚直後の元夫のこと。
あのときの恐怖が まざまざと蘇ったのだ。

悪い想像が 頭をよぎる。
もしかしたら 元夫は 私の居場所を突き止めていて
どこからか 監視しているのではないか?
突然 ガラスを破って 襲ってくるのではないか?


ここ数日 心がずっしりと重い。

私はまだ 解放されていないのか?

どこまで逃げれば 平穏にたどり着けるのだろう? 

「調停委員に対する不満アンケート調査」

2007-02-03 12:31:34 | その他
モラル・ハラスメント被害者同盟さんから お知らせです。



この度、北海道新聞より依頼を受けて、「調停委員に対する不満アンケート調査」を
行うことになりました。

調停の時に感じたあの怒り、あの憤り、あのむなしさ。

調停委員の無理解に対する不満をお持ちの方は、ぜひご意見ご感想をお願いします。
みなさまの声は2月下旬北海道新聞に掲載される予定になっています。

書き込みフォームはこちらから。


http://www.efeel.to/survey/hokkaido/



ご協力 お願いいたします。

迷い

2007-01-31 22:20:34 | つぶやき
ご無沙汰しました。
とりあえず 離婚への過程を大雑把ですが書き終えて
ほっとしました。

結局 最後の最後まで 元夫とは冷静な話し合いはできないまま
それっきり 私は音信不通になりました。
いったいあの結婚生活はなんだったのか?
夢か幻想かと思えるほどに 今は平和な毎日です。

でも 確かに私はあの人を夫として 家庭を持ち 子供を育て
生きてきたのです。それが このままだと 
すーっと消えてなくなりそうな気がします。
私の中でこの20年の記憶が 消えてぽっかりと空白になりそうなのです。

人間の記憶のしくみは 詳しく分からないけれど
辛い記憶は忘れようとする機能があるそうです。
確かに 辛かった 嫌だったことは 無意識に心の奥底に沈めて
ふたをしてしまっています。

私は問題を正面から見つめずに 何度も何度もなかったことにして
記憶の奥の奥へと追いやってきました。

それを掘り起こして 解放するのがいいのか
もう このままそっとしておくのがいいのか
実は迷っています。

掘り起こして さらけ出すのは 自分自身が
相当エネルギーがいるだろうと思います。
もう一度 深く深く傷つくのは 避けられません。

でも 足踏みしてるより前へ進んだほうがいいでしょうね。
そのためには 封印している記憶を 空へ飛ばしてやるほうがいいのかな。
 


勇気をもって

2007-01-20 22:20:37 | つぶやき
あの夏の暴力からおよそ10ヶ月。
きっかけから離婚までの軌跡を 書いてきました。

一緒に何とか 平和に暮らしてきたときには 見えなかったものが
次々に姿を現し 翻弄されました。

「辛抱は美徳だ」とされる価値観も
当てはまらないものもあるのだと知りました。

「努力すれば報われる」
それも モラを相手では 永遠にその日が来ないと思いました。


元夫の本性を この離婚騒動で見せ付けられました。
こんな人となぜ こんなにも永く一緒に生きたのか 愚かな自分を責めました。
努力も辛抱も モラにとっては逆効果ですね。




裸足で走って逃げる私の コートの裾を掴んでいるから
そのコートを脱ぎ捨てて また逃げる。
今度は 長年かけて伸ばした後ろ髪を また掴んで放さないから
髪の毛をばっさり切って 振り落とし また走る。
ある時は石を投げつけられ 矢を撃たれ 傷だらけになりました。

元夫との離婚は そんなイメージです。

永い結婚生活で 自信を失い 飼いならされ 自分の意思もわからなくなって
いました。自尊心も消えかけていました。
ただ その消えかかる自尊心のともし火だけは 守りたい。
最後の最後 その火が消える前に 脱出できて本当に良かったと 思っています。

DVやモラハラで苦しんでいる多くの方々に
私の離婚劇が 少しでもお役に立つことができるならと思います。

逃げられないと 思っている方に
いいえ きっとあなたにもできますよ。と伝えたい。

自尊心のともし火が 消える前に


ほんの少し


勇気をもって。


















第二回調停②

2007-01-17 21:30:29 | 離婚
私はまた 待合室のようなところで 元夫と調停員の話の間待機する。
頭の中は 何もない。
とりあえず もしも向こうが子供のために何をしてくれるのか聞こう。
それが たとえ望むほどでもなくても それでいい。


元夫の番が終わり 私が今度は呼ばれた。

元夫は驚くことに 相も変わらず 「復縁するしかない」と主張したらしい。

調停員がかわるがわる 説得を繰り返すが
聞く耳を持たず 何も話しにならないらしいのだ。
いくら 「もう離婚は成立していて 奥さんにはやり直す気持ちは全くないのだ」
と言っても 受け付けないのだそうだ。

私は 何も期待してないと言ったが
「子供の学費のために積み立ててきた学資保険だけは子供にやってほしい」と
調停員に頼んだ。

家を出るとき 元夫はこの学資保険を私が持っていくことに納得していた。
それが後日 おそらく弁護士相談か何かで 知恵を付けたのか
それを返せと言ってきた経緯があった。

毎月毎月 郵便局に足を運んで こつこつと積み立ててきたものだった。
子供の進学に役に立つようにと かれこれ15年は通っただろう。

それは 夫名義だ。名目は学資保険だが 受取人も夫だった。

「受取人がお子さんだったら まだ良かったんですがね~」
「ご主人が受取人になってるので 強制はできないんですよ~」

なんとも 頼りにならない男性調停員。

「他に 土地とか 財産はないの~?」

と いかにも苦労知らずの 世間知らずの年配の女性調停員が言う。

なんだか 元夫に押されて こっちを説得にかかっているみたいだ。
というか こんなわけ分からん 話にならん調停を半ば嫌がっているようにも
見えた。

しまいには 調停員もさじを投げたのだろう。

「もう 話になりませんわ。離婚だけでもしといて よかったですね~
これが 離婚の調停だったら 話がつきませんわ~」

「次 これ以上しても 無理でしょう」
「不調ということで・・・」

あの 「頭のキレルひとですね~」とにこにこ感心していた男性調停員が
しまいには あきれ顔で そう言った。

調停すらもできない人。
さっさと離婚届を出しておいて正解といわれるほどの人。
子供への責任を見せることのない人。



それが 20年も夫婦として生きてきた 私の元夫だった。