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標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

恒例のドラフト会議が終わったけれど、私の野球熱は冷めている。

2018-10-26 20:46:15 | 日記
昨日はプロ野球のドラフト会議であった。今や、報道各社の年次行事の一つのようだ。そして、この報道は各社とも内容が同じで、個性がないように感ずる。
改めて調べると、ドラフト会議は1965年から始まったとのこと。すでに半世紀が過ぎている。私は"ドラフト会議"と聞くと、思い出すフレーズがある。「巨人・大鵬・卵焼き」だ。巨人が日本シリーズ9連覇を成したのは、1965年(昭和40年)から1973年(昭和48年)にかけてであった。ドラフト会議が始まった年と9連覇に走った年が同じだが、このころまだ長島・王など主軸はドラフト会議で獲得した選手ではなかった。当時、ドラフト制度も、逆指名など定着するには時間がかかった。

やがてドラフト会議で獲得した選手が活躍するようになるにつれ、巨人が弱くなってきたように思う。私は父譲りの巨人ファンだった。今では野球中継を最初から最後までテレビ観戦することは殆どない。野球そのものへの関心も薄れてしまった。しかし、何故か新聞のスポーツ欄を見るとセリーグの巨人の勝率や順位に目が向く。心の奥底には巨人ファンのようだ。

かつて、神戸に転勤していたときがあった。会社ではほぼ全員が、阪神フアンであった。その年、阪神がリーグ優勝した。職場で阪神の優勝を記念して、記念品を買うということになり、募金が始まった。しぶしぶ寄附をした覚えがある。記念品を貰ったが、今は、どこに行ってしまったか見当たらない。

ヨーロッパでは「契約の自由」に反するということで、ドラフトはほとんど行われていないとのこと。わが国では半世紀行われている。高校野球があるから、定着しているのだろう。だが、高校生もそれぞれひいきの球団はあるだろう。
あらゆる側面で成人年齢が18歳以上になったら、プロ野球界もドラフトではなく「自由契約」になるのだろうか。そうなったら、私も現役の巨人フアンに戻るかもしれない。
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