今日ラジオで子供電話相談室みたいなのが、夏休み企画でやっていまして、
いやー、子供の質問って理屈じゃないんですよね。
自由で聞いてるととっても面白いです。
そんな中に、動物の寿命はどれくらい?
っていう質問がありまして、私なんかはそんなこと聞かれても、
あまりにも漠然としていて答えられないって思いますが、
さすが先生ですね、きちんと答えていましたよ。
動物の寿命って、大きさにもよるし、その種類に応じてそれぞれ当然寿命は違うわけですが、
おおよその数字として、
鼓動の数が15億回から20億回が寿命だそうです。
そして心拍数っていうのは大体からだの大きさに比例していて、
ねずみは400回や500回、象だと20回や30回程度
だから体の小さな動物ほど短命というのが普通なんだそうですね。
でも人はそうすると40年や50年しか生きられない計算になるのですが、
食や生活の改善により、人の場合は30億回もの心拍数が寿命という人が増えてきていますね。
昔の人は早死にだったような気がしますが、
この動物の心拍数の計算からいくと、
40歳から50歳位で死を迎えるほうが自然により近いのかも知れません。
ですが人の場合は捕食される心配もなく、朝、昼、晩と定期的に食事が出来、
動物のように偏りがない。
そういうのが長生きにつながっているように思います。
ですが、毎日のように食に困り、貧困に喘いでいる生活を送っていると、
やはり寿命は短いのです。
寿命が長い国っていうのは、困難が少ないということです。
運動もそうですね。
動物は運動しようと思って運動しません。
健康のために運動するのは、地球上の生物の中で唯一人間だけです。
でもこれも貧困の中で生活している人にはありえません。
運動しようと思えるということも、生ぬるい生活の中でこそ考えられることです。
動物は運動しているのではなく、動くことで生きているのです。
人間の生活、長寿命
私はなんとなくそこに違和感を感じてしまう。
私のように
プールを日課って
実に生ぬるい生活
本当
もう寿命は過ぎたわ
地球上に
寿命まで生きられない子どもが
たくさんいること
改めて思いました
健康のために人が動くのも、生ぬるい中での生活も、平穏に生きられているという事ですから、それはそれでいいことです。
要は私自身がそこに違和を感じることが問題なのでしょうから。
一方では生きること自体が困難な国があり、私はそれをただ知っているだけで、恵まれた生活をしている。
そう思うと、なんかやりきれない気持ちになるのです。
病気のせいで、頻脈だから、早死にしそうだなんて思った記憶があります。
ある患者さんが、「生きることと、死なないことは違う。わたしは生きたい。」と話していたのを思い出します。
きっと、どこであれ、「生きる」ということなのかも。
かくて、人間、ひとりびとり、こころで感じて、顔見合わせれば、につこり笑ふといふほどのことして、一生、過ぎるんですねぇ
って、詩は中原中也でしたっけ?
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
なまあつたかい、風が吹く。
なんだか、深い、溜息が、
なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、掴めない。
誰にも、それは、語れない。
誰にも、それは、語れない。
ことだけれども、それこそが、
いのちだらうぢやないですか、
けれども、それは、示(あ)かせない……
かくて、人間、ひとりびとり、
こころで感じて、顔見合せれば
につこり笑ふといふほどの
ことして、一生、過ぎるんですねえ
雨が、あがつて、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
なまあつたかい、風が吹く。
今日食べるのにも困る人にも、お金を払ってダイエットする人にも、春の風がふわっと吹くような詩かなと思って。
だからって、全部、書かなくてよかったですね・・・(^^;)
世の中、いろんな人がいろんな生活を送っていて、中には動いているだけで、生きているとは思えない人もいるでしょう。
自分の意思でそうなるわけではないでしょうけれど、そういう人たちに生きてほしいと、例え本人が望んではいなくても思います。
動物はどんなに傷ついても、死んだほうがマシと思えるような状況でも、死ぬまで生きようとしますからね。
その辺、人も見習わなければ。