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1996年11月3日のこと

1996年から天皇杯サッカーは現在の1県1代表制になりました。

で、その初年度に地域リーグマニア、高名な仙台サポはどうしたのか。
仙台サポとしては古株のK氏、この人が盛岡ゼブラVS富士通(川崎)を見ていました。
彼のT大の先輩であるY氏は何と青森県五戸で五戸町役場(のちアステール青森)VS三洋電機東京(群馬)を観戦したそうです。盛岡でもよかったそうですが…

では僕はどうしたか?
11/2 柏で柏VS広島を観戦し1泊。翌朝一旦帰宅してからみたけの県陸へ。
すでに富士通のサポーターも来ていた。すでに顔なじみであったから一応ごあいさつ。
試合については今更多くを語らないが、前半に富士通が6点を取る暴れぶり。しかし後半は盛岡ゼブラがムタイルらを零封。

しかし盛岡で勝利の歓喜を聞いたのはそれから12年後になるとは。もし当時のゼブラを僕が本気で応援していたら、今のゼブラと斉藤晃はどうなっていたんでしょうか?

この大会後、鳥栖のことや仙台サポーターミーティングなどいろいろありました。そうしていく中で自分は仙台で得たものを盛岡に持ち込もうと盛岡ゼブラのサポーターを始め、それとともに当時あった「スポーツボイス」というフリーペーパーに連載を持つこととなります。

本格的にゼブラサポーターを始めたのが高校を出てすぐ、だから1997年でした。今年で13年目、グルージャなんてない時代からそんなことを考え、行動していたと言うと果たして県外の皆様は驚くでしょうか?
もっとも吉田暢、中村学の両氏ともブランメル仙台時代からの顔なじみなのですが。だから岩手サッカーの話ならこの人、みたいに言われてもおかしくはないんですが。


そういう意味で1996.11.3という日はターニングポイントでしたね。

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