花好き老人の休日

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0058 あんぽんたんの出来事

2024-06-30 22:39:30 | 日記

  いつも見ていただき感謝です🙇



   ヤブカンゾウ(忘れ草)


      本校で


1954年いよいよ本校に通学
少し遠く4k少し有る道を役1時間かけて毎日通った❕

一学期は良かったが、2月期から理由の分からない事で先生に怒られ、殆ど毎日廊下に立たされた🤢
左手に30cm有る線香を持たされ、右手には10リットル入りのバケツに水を八分目ぐらい入れたのを持って立たされた🥶
これが、6年の二学期迄続いた🥶
だから、殆ど授業を受けてない、それでも、俺は学校を休まなかった、それどころか、試験ではいつも満点をとってやった✌️
何故立たされたかというと、村一の金持の家の子が同級生で、その子のいたずらが全部俺がやったことになっていた、先生も警察官も役所の人達も逆らえない事になっていたから•••

俺は、朝早く起きてラジオで学習し、弟2人にご飯を食べさせ、弁当を持たせてから学校に、そして、立たされた🤢

でも、分教場の時の女先生のご主人が本校におられて、帰りにその先生の家で、毎回勉強をさせてくれた🤓

優しい先生に恵まれて、最優秀賞を戴いて卒業出来た🤗

優しかった先生夫婦に感謝しか有りません🙏




     でわまた👋








0057 あんぽんたんの出来事

2024-06-29 22:07:12 | 日記


  いつも見ていただき感謝です🙇



    庭で咲いた山百合です


      父の死


はじめに昨日の記事で西暦が間違っていました🤢
正解は1952年でした🙇

1953年11月24日午前4時過ぎ

23日に父よりお小遣い
〈明日祭りだから行ってきなさい〉
言って100円を兄弟3人にくれた
こんな事は今までなかったから、兄弟で大喜び🤗

24日朝まだ暗いうちに、いきなり母に頭を蹴られて目が覚めた
隣に母の姉が嫁いだ家があったので、そこえ行くように強く言われた
何があったのか分からないままに隣に駆け込んだ❕
おばさんは何も言わずに寝させてくれた。
それが父の最期だった🥶

父は肺癌で、治療費が払えないから鳥取医大の検体として治療をされていたが手術が嫌いで切らずに治療していた
そして長くない事がわかり、家に帰って養生していた。
癌が進行して、肺のところの皮膚が破れて穴が空き、ガーゼで押さえていたが、呼吸をするたびにヒューヒューと気持ちの悪い音がしていた🤢

昼頃になりやっと父の死を知らされた、
そして、大きな車が来て父の亡骸を乗せて行った❕
その時は何故か分からなかった❔

祭りにも行けず、何故か母とも話をせず、一日が過ぎてしまった



       でわまた👋




0056 あんぽんたんの出来事

2024-06-28 23:01:14 | 日記

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  トケイソウ


      
       お花畑

1953年(9歳)
6月はじめに麻疹にかかり、やっと治ったと思ったら、腹が痛くなりだした
当時は田舎だったのもあって、病気の知識もあまり無い時代だった❕
祖父によりお腹に膏薬を貼って様子をみたが、2週間過ぎても痛みが減るどころか身体が海老のように折れ曲ってしまうほど痛みがひどくなった🥶

たまたま虫垂炎を患った人が来て、盲腸かもしれないとの話になり祖父は
俺を父の入院している病院へ運んだ

緊急手術をした、局部麻酔だったから何をしているかわかっていた
医者が半分になった盲腸を見せてくれた、また、虫垂炎になった原因が回虫であったことも手術中にわかった

途中で麻酔が切れて、痛みが走った
意識を失ってしまって、気がついたら手術から1週間も過ぎていた🤢
母からの話では、熱が高かったから水枕をしていたから、その水を飲んだそうな❔
そこで水枕をやめたら、病室の端に置いてあったヤカンから水を飲んだそうな、当時は大きな手術をした時には水を飲んだら死ぬといわれていた❕

俺はずっと夢を見ていた、黄色の花がいっぱい咲いた広い原っぱだった。
それが、ぱっと消えて目が覚めた✌️

熱のためか一時心臓が止まったらしく
父が【俺より先に死ぬな❕】
と、言って頬を叩いたら目を明けたらしい😀

虫垂炎の手術をして、腹膜炎、急性肺炎、猩紅熱と3つの病名をつけられ3ヶ月も入院した🥵




      でわまた👋






0055 あんぽんたんの出来事

2024-06-27 22:30:33 | 日記

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  ミッキー・マウスの木の花    


      村八分

 1950年の初冬
いつもの様に、兄弟で学校に行っていたら、
通学路に大人が鎌を振りながら
〈肺病は家の前を通るな〉
行って道を塞がれた🤢
仕方なく田んぼの畔を通った、そこで弟が滑って転び目の上を切ってしまった。
集落の大人たちは見てみないふり
誰も治療をしてくれなかった
弟の傷口をタオルで押さえて
分教場(小学校)まで行き、女先生に治療してもらった❕
分教場には、男先生【3年生と4年生】と女先生【1年生と2年生】と
二人しかいなかった

その日から、村の人達は誰も相手にはしてくれず、逆にいじめにかかった

親がするからその子ども達も下校時に散々に虐めにられた。
ムチで叩かれたり、小水を飲まされたり、石を投げられたりした🥶
そこで、男先生が気を使ってくれたんだと思います❕
女先生が、最後の授業の時教室で騒ぎなさいと言われたので騒いだら
 【職員室で立つときなさい】
他の生徒が帰るまで職員室に居たら
女先生が果物やお菓子を持ってきて
食べさせてくれた🤓
他の生徒と分けてくれたんだ🤓
この女先生とは、小学校を卒業するまでお世話に成りました💕

そんないじめを受けても学校を休んだ事は無かった🤗






      でわまた👋






0054 あんぽんたんの出来事

2024-06-26 22:26:32 | 日記

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  ムラサキシキブの花



      悪戯

 疎開した母の実家に住みついて
3年、1947年3月31日末弟が
誕生✌️
 その頃父は、義祖父の山を借りて
炭焼きをして生活費を稼いでいた
その間に父は家を一人でボチボチ建てていた
俺は、やんちゃ坊主で悪戯ばかりしては祖父に捕まり、背中にお灸
今でも、背中にお灸の跡が3つ有る
それでも、悪戯はおさまるどころか
ますます大胆になっていた
 ある時、日通のトラックが炭俵を積みに来た、イタズラでタイヤの空気をぬいてしまった、トラックは折角積んだ炭俵を下ろして帰っていった🤢
幸いに俺は疑われなかったが、なんか後味が悪くなってしまった🥶
でも、ずっと隠し通してしまった☹️

そんな俺だったけど、1949年3月
小学校の入学前に、母が米子市の親戚に連れて行ってくれて、初めて映画を見た。
その映画は鞍馬天狗という映画だった
、その時に出ていた松島トモ子さんのファンになってしまった。
4月から小学生
でも、その年に父の肺がんが見つかり入院
母は末弟を連れて病院で父の付き添い
俺と弟は、屋根と壁が出来た家に残された、食事は祖母が通って来て食べさせてくれた🤢
それでも、1年間無欠席で学校に通った、何も分からなかったけど通えた❕


 その頃から悪戯は、影をひそめた✌️





      でわまた👋