昭和一桁の勇気と情熱

身近な生活の中に隠れた真実をみつける、残りの人生短いので誰にも遠慮はいらない

能登半島の抜本的回復に、

2024-09-28 10:01:55 | 能登地震
能登の回復発展について一言
能登は古い歴史のある地域だ。古くから住んでいる人たちが一定の地方意識を形作っているようだ。そして独自の文化を形作ってきた。
古くから住んで来た人たちが能登のここが一番いい、地震が来ても津波がきてもここから動きたくない。交通不便でも、ガスが来ない、電気がない、それでも動きたくないという郷土意識が強いのも頷ける。しかし、
私はこの「動きたくない」固執には反対だ。人間は三百万年まえアフリカのオルドバイ渓谷で直立二足歩行を始めて以来、移動に次ぐ移動で進化してきた。アフリカからユーラシア大陸を横断ベーリング海峡渡ってアメリカ大陸南下して南米パタゴニアまで歩いて行った。地球の反対側だ。
ユーラシア大陸横断の途次枝分かれして朝鮮半島から日本に渡ってきた一団がいて、そこから日本中に散らばっていったのだ。移動先で見やすい所を発見すると、底に定住し産業文化が生まれた。
人間は移動する事で進化向上してきた。人間は根っから移動する動物なのである。住みやすい場所を探して移動を続け進化して来たのである。しかし時代が変わり、今回のように災害が続くと、従来のままの意識や慣習では時代の流れについて行けなくなるのである、今そういう時代にさしかかっている。
能登半島の狭い不便な危険な場所に住み続け、固執する生き方では時代について行けなくなっている。時代と共に住民感情も生活環境も変わって行く。そして今回のような災害の場合古い住民感情が桎梏となり、時代の変化について行けなくなるのではないか。
生きやすい住み易いところに移動する方がいい。そうして人間は向上し安定するのである。  


私は東京大栗川の流れる村で育った、戦後間もない頃大洪水が村を襲った。しかし、東京都は大英断で抜本的大工事をして曲がりくねった里川は凄い豊かな絶対洪水のない流線型の川に生まれ変わった。それ以来この地域は80年間全く洪水のない安全な地域になった。終戦後物資のないよくもあの大工事を計画し完成したものである。政治とはそういうものではないか。
洪水のあとゴミ拾って通れれば回復ではないのだ。


作られるゴミ屋敷

2024-09-19 09:49:49 | ゴミ屋敷
老人が残して行ったゴミ屋敷、行政が市内の物件一括して処分すると何億円もかかるとか、
老人が生きているうち自分で粗大ゴミとして整理すれば、行政としては収入源なのだ。それが年寄りにはできない。難聴で電話できない、メールはどうにもエラーばっかりで使えない、それで心残りでも家財道具、庭の立木植木など残して逝くしかない。
私の場合デンワできないので、メールで粗大ゴミ処分の手続きするのだが、エラーばっかりで手続きできない、こうしてゴミ屋敷が作られていく。残された剪定枝の山はシロ蟻の巣になっていく。
バカな話だ、メールで粗大ゴミの回収依頼をするのは初めてじゃない、過去十年かそれ以上やってきたのが、近頃画面が変わって申し込みができなくなったのだ。手続き分かり難い方に深化している。
手続き分かりにくくするのが担当者の自慢なのではないかと疑ってしまう、
死んでしまえば何もないのだから、死に行くものが後のこと心配してもしょうがないのだが、それが性分なのだ。



来なくていいと医者に言われて、

2024-09-12 10:38:17 | 社会問題
もう来なくていいと医者に宣告されて、行くところがなくなった。
二三年前脊柱管狭窄症で苦しみ抜いていたとき神経ブロック注射やっていた整形外科から「うちに来て貰ってもこれ以上やることないからもう来ないでくれ」と宣告されてしまった。
今年5月痛風にかかり、尿酸値下げるクスリ飲んでたが、今回医者に最後の一回分クスリ出されて、もう来なくていいと宣告されて、行くところがなくなった、
私はどうも医者と閻魔の使いには人気がないようなのだ。
「あいつが来ると何かとうるさくなるから地獄には入れるな、いつまでも現世に釘付けにしとけ」などと閻魔様が言っているのではないか。
年寄りで目が悪い耳聞こえない、足わるく外出大変、ネットワークゼロ、
知り合いなどいるわけない、 何もやることないから終日ねている、
年寄りとはなんとすてきな立場か、
六十七十で痴呆とか寝たきりとかどんな人生行路経てきたのか不思議だ。


町内会廃止せよ、

2024-09-07 10:13:16 | 町内会
どこかのPTAが解散したとか、
私は町内会も止めたほうがいいと思う、町内会の仕事といえば年会費集め…他に思いつかない、せめてお祭りか盆踊りぐらい、なくて困るものじゃない、
災害の時近所の年寄りが助け合って避難すると、エライ人の作り話、足が悪くて家から出られない寝たきりが助け合う訳がない。
うちも昔から入ってるが、うちで関係するのは、今の時期になると庭木がはびこって邪魔だから伐れと文句が来る。
若いうちは問題なかったが、年とれば肢体不自由老人、庭木の枝キリも大変なのだ、
「町内会で知り合い」などというのは、知り合いに文句つける口実だよ、数十年間進化しない文句つけるだけの町内会廃止せよ、
解散したって誰も困らない。



92歳の日常

2024-09-02 08:30:32 | 超高齢者
家族はいるが昼間は仕事に行っていないので、日中は一人。何の用事もないので、終日ボウと庭をみて過ごしている。難聴で無音、緑内障で視力悪い、
晴れた秋空も鉛色、草木の茂った手入れの悪い庭は日中も日暮れ時の様にどんよりとしている。最近読んだ怪奇小説の主人公の気分だ、薄明の中からボウと何か出てきそうだ。
天気がよければ、シルバーカーに掴まって自炊の食材買いにスーパーに行くが、天気が悪い日は外出しない、薄暗い部屋に一人でいると、生きていても死んでても大差ない。図書館から借りて来た本を5分読んで10分目を休める。
自分のことは自分でやる主義なので、もう50年自炊している、自炊が最高の痴呆予防だと思う、大事にされてだるま様では痴呆の最短ではないか。
普通の年寄りは終日テレビみて笑ってるらしいが、私の場合テレビは画面だけでは意味の分らない番組が多い、音声なしで分るのは天気予報とニュースだけである。娯楽、エンタメ快適なにもなく、音楽で高尚な人格涵養がない野人である、用もなく座っていると眠くなり、昼間おおよそ寝ている様なものだが、夜もよく眠れる。
難聴で話できないから知り合いいない、(だいたいオレぐらいの年になると、出歩いている人いない)
新聞だけが情報源、世間の情報も娯楽もなく、世間と隔絶してる。
生きる意味も必要も全くないが、生活習慣病がないから、検査しないから病気はない。
あっちもこっちもバリアだらけで、生きてる以上しょうがないから何かやってるので、うまくいかなけりゃ工夫する、それが痴呆予防になってるにちがいない、緑内障のボヤけた目で針に糸通して繕いものするし障子貼りもする。
福祉とか面倒見がいいのが痴呆の始まりだ、
なにごとも苦労して努力、工夫してりゃボケない。
生きてる意味は全くないのだが、お迎えの来る様子はない、あと何年こんな飼い殺しが続くのか分らないが、生きてる限りやれる事は自分でやる。