能登の回復発展について一言
能登は古い歴史のある地域だ。古くから住んでいる人たちが一定の地方意識を形作っているようだ。そして独自の文化を形作ってきた。
古くから住んで来た人たちが能登のここが一番いい、地震が来ても津波がきてもここから動きたくない。交通不便でも、ガスが来ない、電気がない、それでも動きたくないという郷土意識が強いのも頷ける。しかし、
私はこの「動きたくない」固執には反対だ。人間は三百万年まえアフリカのオルドバイ渓谷で直立二足歩行を始めて以来、移動に次ぐ移動で進化してきた。アフリカからユーラシア大陸を横断ベーリング海峡渡ってアメリカ大陸南下して南米パタゴニアまで歩いて行った。地球の反対側だ。
ユーラシア大陸横断の途次枝分かれして朝鮮半島から日本に渡ってきた一団がいて、そこから日本中に散らばっていったのだ。移動先で見やすい所を発見すると、底に定住し産業文化が生まれた。
人間は移動する事で進化向上してきた。人間は根っから移動する動物なのである。住みやすい場所を探して移動を続け進化して来たのである。しかし時代が変わり、今回のように災害が続くと、従来のままの意識や慣習では時代の流れについて行けなくなるのである、今そういう時代にさしかかっている。
能登半島の狭い不便な危険な場所に住み続け、固執する生き方では時代について行けなくなっている。時代と共に住民感情も生活環境も変わって行く。そして今回のような災害の場合古い住民感情が桎梏となり、時代の変化について行けなくなるのではないか。
生きやすい住み易いところに移動する方がいい。そうして人間は向上し安定するのである。
私は東京大栗川の流れる村で育った、戦後間もない頃大洪水が村を襲った。しかし、東京都は大英断で抜本的大工事をして曲がりくねった里川は凄い豊かな絶対洪水のない流線型の川に生まれ変わった。それ以来この地域は80年間全く洪水のない安全な地域になった。終戦後物資のないよくもあの大工事を計画し完成したものである。政治とはそういうものではないか。
洪水のあとゴミ拾って通れれば回復ではないのだ。
能登は古い歴史のある地域だ。古くから住んでいる人たちが一定の地方意識を形作っているようだ。そして独自の文化を形作ってきた。
古くから住んで来た人たちが能登のここが一番いい、地震が来ても津波がきてもここから動きたくない。交通不便でも、ガスが来ない、電気がない、それでも動きたくないという郷土意識が強いのも頷ける。しかし、
私はこの「動きたくない」固執には反対だ。人間は三百万年まえアフリカのオルドバイ渓谷で直立二足歩行を始めて以来、移動に次ぐ移動で進化してきた。アフリカからユーラシア大陸を横断ベーリング海峡渡ってアメリカ大陸南下して南米パタゴニアまで歩いて行った。地球の反対側だ。
ユーラシア大陸横断の途次枝分かれして朝鮮半島から日本に渡ってきた一団がいて、そこから日本中に散らばっていったのだ。移動先で見やすい所を発見すると、底に定住し産業文化が生まれた。
人間は移動する事で進化向上してきた。人間は根っから移動する動物なのである。住みやすい場所を探して移動を続け進化して来たのである。しかし時代が変わり、今回のように災害が続くと、従来のままの意識や慣習では時代の流れについて行けなくなるのである、今そういう時代にさしかかっている。
能登半島の狭い不便な危険な場所に住み続け、固執する生き方では時代について行けなくなっている。時代と共に住民感情も生活環境も変わって行く。そして今回のような災害の場合古い住民感情が桎梏となり、時代の変化について行けなくなるのではないか。
生きやすい住み易いところに移動する方がいい。そうして人間は向上し安定するのである。
私は東京大栗川の流れる村で育った、戦後間もない頃大洪水が村を襲った。しかし、東京都は大英断で抜本的大工事をして曲がりくねった里川は凄い豊かな絶対洪水のない流線型の川に生まれ変わった。それ以来この地域は80年間全く洪水のない安全な地域になった。終戦後物資のないよくもあの大工事を計画し完成したものである。政治とはそういうものではないか。
洪水のあとゴミ拾って通れれば回復ではないのだ。