透明人間たちのひとりごと

オオカミ少年の物語 <8>

 遅々として進まない復旧への長い道程(みちのり) …

 ビジョンなき復興計画にどうにも道筋が見えないままに
ただただ時間だけがダラダラと流れているように感じます。

 困窮する被災者への義援金の大半は、未だ銀行の金庫に
静かに眠ったままの状態だとか …

 伝えられる震災のニュースは、極々あたりまえに平々凡々
と生活することが出来る普通の暮らしが如何に有難く幸せな
ことなのか、をあらためて教示してくれているようです。

 さて

 東日本大震災と連動して起こった福島第一原発の大事故
以来、「オオカミ少年」 という言葉や文字(活字)など
が巷に氾濫してしているようですが原発事故に限って言えば
、その使われ方は、概(おおむ)ね、<嘘をつく> こと
代名詞 とされているようです。

 その福島第一原発での1号機への海水注入の問題では、
政府と斑目(まだらめ)春樹原子力安全委員長とのあいだで
「言った」「言わない」 の助言に関するアホらしい
騒動が繰り広げられたわけで、もう、いい加減にうんざりを
通り越して悲しい限りのお粗末さに言葉もありません。

 「再臨界の危険性がある」 との原子力委員長の意見は
可能性はゼロではない」 であったと訂正されて … 

 結局は、双方の顔を立てるかたちでの手打ち となった
わけだけど、それじゃ、一体、被災者たちの顔はどう立てて
くれるというのでしょうかeq

 同じ 手打ち でも被災者は、平手打ち を食らった
ままの熱く痛い頬にそっと手をあてることさえも出来ないで
いるというのにexclamation2


 ところで、最近、よく目や耳にする

 SPEEDI (緊急時迅速放射能影響予測ネットワーク
システム)
の試算結果は、なな、何と、「発表するとかえって
社会的混乱を引き起こすのでは … という躊躇(ためら)いが
あった」 との理由から事故発生後から2週間近くも経過した
3月23日になってやっと公表されることになったのです。

 そもそも SPEEDI は、今回のような事態を 想定 して
総額128億円もの巨費(公費)を投じて 開発 したシステム
のはずだったのに非常時の住民避難の際の判断材料には
終(つい)ぞ活用されることはなかったのです。

 このシステムの開発そのものが、原子力発電の安全神話
とは矛盾するリスク管理(避難及び安全防護回避策)だけど
これじゃあ、せっかくのネーミングも、ちっともスピーディでは
ありません。


 こうした、「パニックを防ぐため」 との大義名分に毒されて
<情報操作> している事実が次々に暴露されている
現状は、うわべだけを飾り繕った誠意の無い美辞麗句よりも
はるかに 醜く かつ劣るもので 事実 であるとする
意味での 「オオカミ少年の物語」 をそれこそ地で
ゆくことになってしまうでしょう。

 政府や原発関連の組織・団体、東京電力あるいは一部の
報道機関(マスメディア)は明らかに情報を操作しています。

 操作(コントロール)とは、この場合、情報の隠蔽に始まり、
公式発表や発言の自粛に制限、意図的な遅延策や矮小化、
不明確を盾にした否認・否定的見解、そして、地すべり的な
容認・要請のすべてと恣意的な捏造までを包含しています。

 耳障りのいい情報だけが心を安らかにするものではない
ように、耳障りの悪い情報が必ずしも深刻で重大なパニック
を引き起こすというものでもないのです。

 むしろ危険であるということを認識することの方がパニック
を起こさないための動機付けになるでしょう。

 パニックの発生には、いくつかの条件が必要です。

 まずは、1 絶対的な危険状態(危機意識)の認識

      2 危機回避不能(逃げ道の不足)の認識

      3 不確実情報の氾濫あるいは情報の不足


 123、のそれぞれは 必要条件 ではあるけれど
十分条件 であるとは言えず、単独では 絶対的
意味での 必要十分条件 にはなりえません。

 つまりは、この3つの条件のすべてが揃わないとパニック
は発生しないのです。

 逆に、この中のひとつでも欠ければパニックは未然のうち
に防げるのです。

 今回で言えば、危機的状況として 1 は当然のことですが、
2 も放射線という目に見えない恐怖においては当然のこと
に逃げ道がわかりません。

 しかしながら

 必要な情報を迅速かつ的確に伝えることで 3 に対応する
発生条件である「情報不足」の解消と「不確実情報の氾濫
を抑えられれば、心配されるパニックは起こりえません。

 情報操作の弊害は、明々白々 です。

 情報不足は被災住民のみならず我々、国民に不安や疑心
を植え付けて混乱させます。

 根も葉もないさまざまな噂の発生を招き、噂が噂を読んで
乱立・氾濫して不足した情報の穴埋めを始めます。

 こうして、いかにも尤(もっと)もらしい フィクション
危険にも創作されていくというわけです。

 ましてや、情報操作の事実が次から次へと公然と明るみに
出てきてしまったのでは、情報の信憑性は皆無に等しくなり、
発信者と受け手との信頼関係は大きく崩れて、もはや、誰も
国家・政府・行政の担当者などの出す情報を俄(にわ)かに
は信用できなくなってしまいます。

 いたずらに安心安全を強調する政府関係者や行政担当官
に専門家たちの言質、そして、それを無批判に伝えるだけの
マスメディアには、失望を禁じえません。

 しかるに、いま、日本では …

 「オオカミ少年」 の住む村で起こった出来事と同じ
ようなことが起ころうとしているのです

 本当のことを言っても嘘になり、嘘をついても事実として
公表されるというわけなのです。

 早速にも、

 本日の午後なって、事故翌日の初期段階での海水注入が
55分間に渡って、中断していたという事態から、首相の関与
が問題となっていたこの出来事の新事実として、実のところ
は、<福島第一原発の所長の自主判断で海水の注入は
継続していた
> との修正報告がなされたのです。

 一体全体

 この国の 真実 とやらはどうなっているのでしょうか

 たとえ、不完全なデータや希薄な根拠に基づく情報であれ
現時点での具体的なリスクを包み隠さず公表して、それらを
誠実に解説するのが本筋であり、希望的観測からの勝手な
解釈や辻褄合わせを押しつけられたのではたまりません。

 被災住民の方々も国民のひとりひとりも正しい情報のもと
に安全か否かを判断し、果たしてどこまでのリスクの範囲
なら許容出来るのかを決めるのは、あくまでも各個人個人
の最終的な判断にあるです。

 グローバル化により、複雑で多岐に渡る目配せや配慮が
必要となった社会では秘匿性や隠蔽体質が蔓延(はびこ)る
のかもしれませんが、いまは人の命に関わる非常事態です。


 現代社会における処世の複雑さに加えて、相互依存から
派生する「新たな脆弱性」としての隠蔽社会は、
『オオカミ少年』 の物語につながる悲しい 結末
連想 させてしまいます。

 オオカミ(放射能)が襲って来たという(危機的な事実)
を知らせても、相当数の被害が出ますが、知らせなければ
経済的な被害と犠牲者の数ははかりしれないものになるで
しょう。

 広範囲に撒き散らされた放射性物質が現実に残っている
だけではなく、いまもなお、放射性物質を放出しつづけている
という厳然たる事実のまえには、ただ空しくコダマするだけの
「オオカミ少年」 の叫び声は聞こえないのも同然の
憐れな警告でしかないのでしょうかeq nose3ase

 こうして …、

 「オオカミ少年」 はさらに深まり、推理
いつまでも尽きることがないのです
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