透明人間たちのひとりごと

大人の知恵は玉虫色

 尖閣問題 が日中双方ともに抜き差しならない状況と
なっているなかで、竹島問題の諍いはすっかりと影をひそめ
てしまい、ホッと胸を撫で下ろしているだろう某国の大統領の
顔がなんとなく目に浮んできて、ちょっと複雑な心境です。

 日韓両国間で竹島問題(李大統領の上陸や野田首相から
の親書の取り扱いなど … )が熱い火種になっていた時には

 「これじゃ、まるで子供のけんかだ」

 と嘆息していた 1号 さんでしたが、尖閣問題 では
どうも少し勝手が違うようです。

 なにやら 怒り心頭 の様子なのです。

 ただし、それは中国に対してではなく日本の対応に関する
苛立ちのようでもあります。

 中国の反日デモで日系企業などが襲撃され多大な被害が
出たことについて 「その責任は日本が追うべきだ」 とした
うえで、今後、事態が深刻化するかどうかは 「日本の対応
にかかっている
」 と中国外務省の報道官が定例記者会見
で語り、襲撃に関する中国側の責任を認めずに、反日デモ
を容認する姿勢を示しました。

 「こんなことを言われても相変わらず 『厳重に抗議する
とか 「毅然と対応する」 とか、馬鹿のひとつ覚えのような
一言で片付けられちゃうんじゃ、被害にあった日系企業や
在留邦人はたまったもんじゃないよexclamation2

 相も変わらずに熱く語るのは 2号 さんとて同じですが、
1号 さんの苛立ちは 「政府の 中途半端 な対応が
事態の収拾どころか、逆に、火に油を少しずつ注いでいく
ような状況をつくっている」 との推察によるものなのです。

 最悪の場合には 「互いに望んでもいないのに一触即発の
状態が続き、その結果、些細ないざこざが導火線の火種と
なって不幸な戦争が起こりうる」 とボク を脅かすのです。

 「さもない出来事が端緒となって大きな喧嘩に発展すること
は珍しくないと言うよりもむしろ普通のことだ」 と2号さんも
それに追い撃ちを掛けてきます。

 反日デモは、中国にとっての 「国恥の日」 とされる
満州事変の発端となった 柳条湖事件 が起こった9月18日
を境にしてピタッと収まったかの様相を見せています。

 ですが、それは18日に起こった米国の大使の乗った車が
反日デモの暴徒に襲われるという事件の所為で、その影響
を恐れた中国政府が慌てて抑えにかかった結果でしょう。

 ところが、尖閣周辺の東シナ海での緊張は日に日を追って
徐々に高まってきているようなのです。

 14日には6隻だった海洋監視船の領海侵犯は、その回数
こそ減っているものの接続水域における監視船は倍以上に
その数を増やしています。

 18日以降、領海や接続水域に入った監視船は漁業監視船
6隻と海洋監視船10隻の計16隻に上りますが、中国で報道
されていた1000隻の漁船団は、今のところ尖閣付近の海域
では確認されていない模様です。

 おそらくは、情報戦としてのデモンストレーションの一環で
日本側のディフェンスシフトテストする試みがあるのかも
しれませんが、ほとんどは尖閣以外での漁業目的での出港
でしょう。

 但し、その中の何隻かはディフェンスの状況次第で領海を
侵犯するそのタイミング虎視眈々と計っている
のではないかと1号さんは見ているようです。

 ボク は単なる こけおどし だと思ってますが … 

 ところで

 日韓両国が親書の受け取りで揉めているときにアップした
『大人の対応と決着』 という記事の中で …

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/270.html(参照)

 暗黙の了解大人の知恵 とかを働かせて
ワザと 曖昧 にしたままに 決着 をつけさせないことが、
大人の対応 というものらしいとボクは皮肉を込めて
書きました。

 つまり、玉虫色の決着 というやつです。

 なぜなら、

 「阿吽(あうん)の呼吸」や「空気を読む」ことが日本では
必要とされ、口には出さずとも相手を慮(おもんばか)るよう
に対応するのが美徳とされているからです。

 その反面でアイザック・ゴールドバーグ博士の名言とされる
外交とは相手の嫌がることを最も思いやりのある方法
で実行することである
」 とする考え方には弱みを見つけて
イジメをするようなヤクザな外交は是としない」 としました。

 すると …

 「何も分っちゃいない」

 とでも言うかのように首を振っていた1号 さんでしたが、
しばらくして 「宋襄の仁」 という言葉の主人公である
宋の襄公(じょうこう)のエピソードを話してくれたのです。

 後日、その逸話を史記や韓非子で詳しく調べたところ …

 泓水(おうすい)を挟んで宋と楚が対峙した時のことです。

 楚の軍が川を渡り始めたのを確認した宋の将軍が 「敵は
大軍で、味方は小勢、渡りきらないうちに攻撃をしましょう」
と襄公に提案しましたが、「そんな 卑怯 な真似はしない」
と言って取り合いません。

 楚軍は渡河を終えましたが陣形がまだ整わないのを見て
「今、攻撃するべきです」 と言っても 「陣形が整うのを待つ」
として耳を貸しません。

 楚軍の陣形が整ってから漸く、突撃の太鼓を打ち鳴らして
戦闘が開始されましたが、あっと言う間に大敗し宋の襄公も
太ももを負傷して、三日後には死んでしまったそうなのです。

 襄公は 「君子たるものは、傷ついたものを討とうとはせず、
人を窮地に追い込もうとせず、陣列を整えていない敵方には
攻撃しようとはしないものだ。 だから楚軍の陣形が整わない
うちは正義に反するので攻撃の太鼓を鳴らさなかったのだ」
と言っていますが、正義をたてにして馬鹿げた情けをかける
ことを 「宋襄の仁」 と言うのだそうです。

 紀元前637年の 悲劇、否、喜劇 でしょうか

 史記によると司馬遷は襄公に対し 「礼儀の失われた時代
に襄公の礼譲(れいじょう)の心は賞賛に価(あたい)する」
と書いていますが、韓非ならずとも、どう考えても、時と場合
によるでしょうと思いますよね

 ちなみに、宋の襄公は 「春秋の五覇」 のひとりに
挙げられているようですが、数え方はまちまちで誰を五覇と
するかについては、いくつかの説があるようです。

 斉の桓公、晋の文公、宋の襄公、秦の穆公(ぼくこう)、
楚の荘王
が一般的ですが、呉王夫差(ふさ)、越王勾践
(こうせん)
をいれる場合もあります。 

 その呉王夫差と越王勾践がそれぞれ主役を演じた故事に
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)があります。

 春秋戦国時代、呉と越は険悪で戦争ばかりしていました。

 呉王闔閭(こうりょ right 闔廬とも書く)は、越王勾践に敗れて
戦死しました。

 呉王闔閭の子である夫差は毎晩、薪(たきぎ)の上に寝て
は父の恨みを思い、三年の後に会稽山(かいけいざん)で
越を破り、ついには父の無念を晴らしたのです。

 一方の越王勾践は、降伏して帰国しましたが無念やる方も
なく、毎日苦い獣の肝を嘗(な)めて、会稽山の恥を忘れない
ようにしました。

 そして遺恨十年と言いますが、実に苦節二十二年を経て、
ついに呉王夫差を滅ぼしたという有名な故事です。

 曰く、固く堅い薪(まき)の上に寝て、苦い肝を嘗める。

 目的を果たすために、あらゆる苦難に耐えることや仇を
討つために苦労することの喩えとして使われる言葉です。

 もちろん、ただ薪の上に寝て苦い肝を嘗めていただけでは
ありません。

 そこには実に遠大にして計算され尽くした謀略(深謀遠慮)
が張り巡らされていたわけですが、それは別の機会に譲ると
して、尖閣に関する日本の外交に話を戻します。

 昨日から接続水域内でも中国漁船が操業を始めましたが
、それに伴って東シナ海で漁業をする漁民とそれを監視する
名目の漁業監視船が通常の業務(任務)を粛々と行っている
という事実を示すように、水域内の漁船の立入り検査が開始
されました。

 つまり尖閣周辺の海は中国の漁場であるということを内外
に印象付ける為と、この海域には中国の主権が及んでいる
ことを知らしめる戦術のひとつで戦略に沿ったシナリオ通り
に物事が着々と進んでいる様子が伺えるのだそうです。

 おそらく、中国海軍の艦船が周辺海域に姿を見せるのも、
そう遠くないことだろうと1号さんは予想します。

 そうした戦略の中には、もっと遠大で精緻に練られた謀略
もどきの長期的な戦略があるのだと1号 さんは言いますが
ボクにはなんのことやら皆目見当も想像もつきません。

 何も分らずに 1号 さんに言われるままに、ただこうして
キーボードを叩いている ボクの様子が後手後手
その場しのぎに終始する日本の外交の姿なのだそうです。


 これで、いいですよね。

 もう勘弁してください ase2

 透明人間1号さん ase

コメント一覧

HB
中途半端な対応がいけなというなら
もっと中国に強硬に対応した方がいいということでしょうか
呉越同舟
なんだかちょっとかわいそうな5号さんです。
バカボンのパパのパパ
1号の憂いも、5号の嘆きにも、わしの心は痛むのだ。
わしも「我心生嘆(がしんしょうたん)」なのだ!
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