2011年7月2日
先日、大震災と大津波の被災者の皆さんに支援と激励に行きましたが、かえって被災者の皆さんから生きる勇気と元気をもらって、無事に帰りました。
東北自動車道や東北新幹線沿いや山間地の遠野市辺りでは、山々はどっしり聳え、水田は青々としていましたが、三陸沿岸に入ると、その惨状は3.11のままで、復興どころか復旧も未だできていませんでした。堪えても堪えても流れる涙を止めることはできませんでした。
そんな壊滅的打撃を受けている被災者の皆さんの多くは、未来への明るい希望を失わず、私たちボランティア優しく温かく迎えてくれました。66歳の老兵の私は、わずかしかお手伝いできないのに、涙を流して感謝してくださいました。1か月後に再び訪れることを約束して、製鉄の町・釜石を後にしました。
報道機関の一員でない私は、被災地ではほとんど写真は撮りませんでしたが、数枚撮った写真を添付いたします。
遠野市付近の青々とした水田(車窓より)
釜石港で、陸に打ち上げられた巨大タンカー
壊滅的打撃を受けた釜石港
心配しておりました。
お元気そうでなによりです。
私の甥っ子も役所の仕事で、被災地に行っていましたが
そこで、何枚か写真を撮ってきました。
私には、写真を見ることしか出来ませんが
思うことは、皆さんと同じです。
今度も、行かれるそうですが、くれぐれも
お体を気にする事をわすれないでくださいね。
お疲れ様でした!
被災地の復興が進まないもどかしさは、日本中の人達の共通の思いですね。何故?
多分、今の政治家が無能だからでしょうね。
TVで政治のニュースを見るたび、なんて愚かな人達なのか?と溜息です。選んだ私達にも責任は有りますが、非常時にこの有様は.....残念な極みです。ご本人達は気付いていない事が、悲劇でも有ります。
被災地の支援は今やボランテイアの方達や地方の行政単位でやっているようなものですね。
嘆かわしい現実に......言葉も無い心境です。
ぎふちょうさんの行動力に敬意を表します。先に陸前高田市の田んぼの瓦礫撤去に行ったJAのボランテイアの方のお話によると、50代では無理との事でした。暑さや色々と難題が有って、若い人でもだいぶ堪えたとか.....。
ぎふちょうさん、お疲れになったでしょう。
充分、休養して下さいね。
一ヵ月後、ぎふちょうさんらしいボランテイア、で被災地の皆様を元気付けてくださいね。
本当にお疲れ様でした。
私もその後、二回目のお取り寄せ、笹かまぼこを美味しく頂きました。
ご無理、されませんように..........。
私なんぞ、病気のせいにして?気怠い身体を持て余しているのに、ぎふちょうさんのボランティア活動に頭が下がります。
こんなに大きなタンカーまでもが津波で打ち上げられていたのですか、自然の脅威を改めて思います。
被災された地域の方達の生活を思うと、甘えていてはいけないんだと気付かされました。ありがとうございます。