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練馬の地名について

乗瀦=天沼説にちょっと異議あり!

乗瀦駅について

2013-05-03 21:38:41 | 日記
乗瀦という、馬を乗り継ぐ宿駅が東山道の武蔵府中と下総府中を結ぶ中間点として豊島駅と共に、「続日本紀」に見えるという。豊島駅は現在の北区中里・平塚地域であることは多くの人が推測しているが、そこと府中を結ぶ中間地点の乗瀦駅に関しては、読み方を含め、諸説がある。「アマヌマ」と読んで、杉並区天沼にする説、「ノリヌマ」と読んで、練馬にする説が有力なようだ。いろいろ調べると天沼説がより有力らしい。
私はもとより練馬区民なので、練馬説に与したいが、あくまで個人的な願望による、強引な推理は元より本意ではない。だが、天沼説にはあえて反論したい。問題は乗瀦の読み方である。「乗」の字と「剰」の字の相同性をもって、「剰」すなわち「アマリ」として「乗瀦」を「アマヌマ」としているのが、どうも腑に落ちないのだ。その根拠はというと、杉並区天沼付近に「沓掛」という地名があり、また「神戸」という地名もあった事から「郡戸」という考証をし、馬を休める靴をかける宿があったらしいとして、まず「アマヌマ」ありきで、「乗」を「アマリ」と読ませているとしか思えないのである。なぜ素直に「ノリ」ではいけないのだろうか?そうするとやはり「乗瀦」は「ノリヌマ」で、練馬説かというと、それも単純な我田引水だろう。確かに練馬説には馬に関係しているので宿駅にふさわしいとする説もある。だが、一方で練馬は「根沼」で奥の沼地を表すとする説もある。すなわち練馬の漢字も当て字である可能性もあるのだ。事実、「続日本紀」の頃の地名表記と現在では用いる漢字が違うのはざらである。さらに、「山田」とか「田中」、「山崎」といった明らかに漢字儀と地名が一致するようなものもあるが、多くは地名が最初でそれを官側で記録表記する為に漢字を当てた地名も多いはずである。なにせ、庶民が暮らすのに地名は欠かせなかっただろうが、漢字を知っている人は多くなかったはずだから。ここで一つの飛躍をしてみよう。「乗瀦」の読みが「ノリヌマ」であるとして、これを仮名ではなく、ローマ字表記してみよう。「NORINUMA」である。ちなみに練馬は「NERIMA」である。N、R、(N)、Mが基本になっている事が分かる。何が言いたいのかというと、もったいつけないで言ってみよう。頭にあったのは「NARIMUNE」である。そう杉並区の成田地区(旧名成宗)である。成宗の地名の由来として、江戸期の名主の長十郎氏の先祖に中野左右衛門尉成宗という鎌倉武士の居館がこの地にあったとする説があるが、とってつけたような説に思える。それに成宗地区には古くから鎌倉街道が通っており、源義家伝説もある。天沼とはそれほど離れておらず、「乗瀦」杉並説を唱えるなら、なぜ成宗説が出なかったのであろうか?だが、私の言いたいのは実はそれだけでは無い。無理にローマ字表記したところで、念頭にあったのは、「NARIMUNE」と「NERIMA」だけではない。「NARIMASU」、そう板橋区成増である。この地の地名由来も開墾した人物が田中左京成益というのにちなむという説があるらしい。人名由来というのは成宗と同じである。人名ことに苗字が地名に由来する例は普通に見られる。また名前が地名になる例も例えば目黒の権乃助坂、織田有楽斎にちなむ有楽町など多い事も事実であるが、通称が多く「成宗」「成益」等、所謂諡がそのまま地名になる例はあまり無い様な気がする。それより、成宗(現成田地区)、練馬、成増が南北にほぼ一直線上に並び、それぞれ、善福寺川、石神井川、白子川の中流域で、それらの河川の氾濫後と思われる沼沢が明らかに存在したと思える地形をしている。「根沼」のごとき自然地形を表す地名であれば、これらがすべて「ノリヌマ」である可能性もある。つまり「乗瀦」は成増である可能性もあるというのだ。
 地名の範囲と言うのは時代や状況でかなり変化する。例えば今も昔も「多摩」といえば、かなりの範囲を指す場合がある。世田谷地域では「玉」の字を当てる。ここで思い出して欲しい。「乗瀦駅」と併記された駅に「豊島駅」があった事を。これは一応、北区中里・平塚地区とされる。中世の豊島一族の本拠地もだいたいそのあたりである。だが現在の北区豊島は少し離れた石神井川河口付近を指す。そして豊島郡とは旧武蔵国において、かなり広い地域をも指す。問題の練馬にも「としまえん」があり、北区豊島と別に豊島区がある。このような事を考えるとかつての「ノリヌマ」が南は善福寺川中流域から北は白子川中流域に及ぶ、河川氾濫地域の沼沢地を指す広域地名で、問題の駅がどこであったかを特定することは物的証拠が無いので断言が出来ないし、この南北の地域のどこかとしておく事がずるいようだが無難なような気がする。事実豊島駅と府中の中間地点としてはこの南北地域は適切と思われるからだ。ただ、古代に於いて南北の道は鎌倉道のように特定しやすいが東西の道がわかりにくいのが、実はこの地名論争の核心だとすると、ある推論が頭に浮かんでくる。「ノリヌマ」を流れる川は東西に走っている事だ。古代に於いて集落は当然川沿いに出来る。道も集落同士を結ぶものであるなら、川から余り離れないコースを取った方が効率的で、しかも迷いづらい。ましてや、「水無し」の武蔵野の旅は川沿いである方が絶対快適だ。府中から豊島までのコースを考えると、小金井経由で石神井川沿いが一番合理的のような気がする。結論として「乗瀦」は練馬あたりが一番もっともらしい。なんだかえらくまわりくどく我田引水したみたいで、かえって気恥ずかしい。しかし、「ノリヌマ」が南北の広範囲を指すとすれば、後世、「ノリヌマ」→「ナリムネ」となった様に、漢字表記をする時に逆に「乗」が「剰」となり、「アマヌマ」地名が生まれたとしても、天沼が桃園川の氾濫沼沢であることを考えると可能性がないわけではない気がする。ちなみに、成宗と練馬の間には妙正寺川沿いの鷺宮があるが、これを無理に「ノリヌマ」に関連づけるのはさすがに無理のような気がする。最後に「ノリヌマ」の意味について考証すると、「ノリヌマ」は練馬の起源の説にあったような「根沼」ではなく、藻類で青く濁った沼、「海苔」の沼という意味だと思う。現に「ノリ」は糊にも通じるように、ぬめぬめした形状の物を指す言葉である。「ノリヌマ」地域には、湧水池もあるものの、中小河川が絶えず氾濫し、湿地帯となって沼地化し、結果的に藻類の多い沼が多く点在していたのであろう。
以上定説とは全く事なる自説であるが一考願いたい。