とうとう最終地点サラエボへ。サラエボ行きのバスは橋の南側から出発でした。
「地球の歩き方」や行かれた方のブログによると、セルビア・ヴィシェグラード方面からのバスはサラエボ市内には行かず、セルビア共和国側に停まって、降りたら103番のトロリーバスに乗り換えて市内に行くとのことだったので、ホテルまで大変だなと想像していました。
ところが運転手さんにサラエボの地図を見せてどこに停まるのかと聞いてみると、何と、まず「ここ」と、私が泊まるバシチャルシャアのホテルの場所を指し、次に「ここ」とリュブリャナ橋を指し、次に「ここ」と、地図に無い、おそらくセルビア人共和国側のターミナルを指したのでした。私はここに行きたいとホテルの場所を指すと、教えてあげると言ってくれ、すごく安心して乗ることができました。これでもう最終地点です。
バシチャルシャアは小さいお店が軒を連ね、こじんまりとした中に色々とひしめき合っている楽しい雰囲気の場所です。スリが多いと「地球の歩き方」にも行かれた方のブログにもありましたが、私が行った時は所々に警官がいたせいか、盗られそうになったことも、そういう場面も見たことはなく、普通に歩けました。
私が気に入ったのはghazi husrev-bey’s mosqueの向かいにある、ghazi husre-bey’s madrassaという、昔の学校です(3KM)。中に入るとフィルムを見せてくれ、ghazi husre-beyの生い立ちとボスニアの歴史、バシチャルシャアの建設に関して知ることができます。ghazi husre-beyはバシチャルシャアを造った人で、学校、水飲み場、貧しい人の宿泊施設、商取引場等、宗教を超えて人々が豊かに暮らすための理想の町を建設したとのことでした。
「地球の歩き方」や行かれた方のブログによると、セルビア・ヴィシェグラード方面からのバスはサラエボ市内には行かず、セルビア共和国側に停まって、降りたら103番のトロリーバスに乗り換えて市内に行くとのことだったので、ホテルまで大変だなと想像していました。
ところが運転手さんにサラエボの地図を見せてどこに停まるのかと聞いてみると、何と、まず「ここ」と、私が泊まるバシチャルシャアのホテルの場所を指し、次に「ここ」とリュブリャナ橋を指し、次に「ここ」と、地図に無い、おそらくセルビア人共和国側のターミナルを指したのでした。私はここに行きたいとホテルの場所を指すと、教えてあげると言ってくれ、すごく安心して乗ることができました。これでもう最終地点です。
バシチャルシャアは小さいお店が軒を連ね、こじんまりとした中に色々とひしめき合っている楽しい雰囲気の場所です。スリが多いと「地球の歩き方」にも行かれた方のブログにもありましたが、私が行った時は所々に警官がいたせいか、盗られそうになったことも、そういう場面も見たことはなく、普通に歩けました。
私が気に入ったのはghazi husrev-bey’s mosqueの向かいにある、ghazi husre-bey’s madrassaという、昔の学校です(3KM)。中に入るとフィルムを見せてくれ、ghazi husre-beyの生い立ちとボスニアの歴史、バシチャルシャアの建設に関して知ることができます。ghazi husre-beyはバシチャルシャアを造った人で、学校、水飲み場、貧しい人の宿泊施設、商取引場等、宗教を超えて人々が豊かに暮らすための理想の町を建設したとのことでした。
