いま、そこに、あなたが、あるのは

誰も『苦労』はひとそれぞれ。しかもすべて自分のオリジナル。つまり人間の数だけ誰にもみんな役目と役割りあって生まれてる

夜宮公園(北九州市)の花菖蒲(ハナショウブ)

2021年06月05日 | 日記
どうも!ご無沙汰しておりました。60日超の復帰です。

今日の外出で、夜宮公園に行って参りました。

この状況です。明日予定の市のイベントも中止、当然ですけど。







今日の目的は、二人の間で最近恒例にしている夫婦で行く休日散歩。

広い夜宮公園を歩いて来ようかとドライブがてらで出て来ました。








私は園内は初めてで、旧・安川邸も来てみて、知りましたが。

それにしても何とも広大な敷地ですよね。

北九州市の工業都市を生んだ財閥系の強大さを示す象徴ですもの。








公園内の慰霊塔がある広場では、持参のオニギリを頂きました。

子供連れのグループや、犬を散歩させているカップルも、

運動をする年配者も、皆さんご一緒しましたよ。








街路樹の「なんじゃもんじゃ」の木も初めてでした。

天然記念物の大珪化木というものが、何であるかも見て知りました。








自宅からは午前中に出発しましたので、だんだん人手が増えだし、

少し気温も蒸し暑くなりだす前に、引き上げてこられました。








梅雨時ではあるけど、帰りは青空も見えたりして、

まだ6月並みの身体には背中で汗を感じるような気候でした。








自家焙煎の珈琲を淹れてる喫茶店にも寄りました。

かき氷については、季節がまだでした。

あとコーヒーゼリーも某都合でしていません。

だけどアイスのダッチコーヒーは、口当たりに美味でした。








この頃、二人で外出しているときに思うんです。

私個人は、ずうっと長い間、さまざまな厄介事に見舞われてきて、

これまでの半生は、その真っ只中で暮らす身にいましたけどね。








まず世の中というものが、標準で。ズレてたり、間違ってるのは、

常に私の側でした。「お前オカシイだろ、普通じゃないんだよ」

そういう御叱りを受けるのは、いつも自分の方でしたが。








でもね。皆さん御案内のように、今は世の中の側が、

どう考えても「ふつー」じゃあなくなっていますでしょ。

もはや、何が当たり前か、これを誰にも言えなくなってる。

「ふつー」の人が、「ふつー」の世界に暮らしちゃいませんもの。








そうなんですよ。基準というのは自分で持っているもんだ。

とは錯覚なんです。周りから宛がわれるのが実は「基準の正体」、

たまたま、それを共有しあう側で、自分を基準と見做していただけ。

一種、相対的「値」に過ぎない、そうした「基準」ですからね。

そこに絶対的な妥当値というのが、端から存在をしていない。








尤もらしく、コレコレだからシカジカなんだよ。

その「コレコレ」も「シカジカ」も融通無下にネジ変え可能。

ある時代は、「ナニナニ」だったり、

別の地域では、「アレコレ」だったり。

そういう中身を、たまたま当てはまらない相手に対して、

押し付け式が罷り通る、そういう内容で、中身なんですね。








変な話だけど。世の中、訳分らんし、意味不明な様相ではあるけど。

こと自分個人に関し、私たち夫婦としての今現在の暮らし向きに、

これまでなかった穏やかさや安らぎを味わえてることが、

どうも近頃とても極まってきた感すら覚えるぐらいなんです。

確かに、いま世間は世間だけど、

つくづく自分は今の時代で助かったと、そう思わずにいられない

そんな境地なのですよ。








つまり、世の中が、どうだから、自分がこうなんだとか、

自分が、こんな風にしているから、世の中は、こうなるのだとか。

これ、案外そこに連携や関連があるようでいて、

本当は並行に、そこにあったから、同一平面に見てた気もする。

そのことを、今まで多くの人が思い違いしたんじゃなかったのか。







そんな気持ちもしてくるんです。








ある意味、これはこれ、それはそれ、というもので。

そうした別個の要素を、勘違いにも因果関係だと思っていないか。

そうでなければ、今なぜ社会現象として、この出来事の展開があるか、

これを見誤るような、そんな危惧も。。。








ある時代の何かは、別の時代の何かに代わっていく。

あの40メートルを超える巨木だって、時代を経ると今では、

セルロースが珪化物に置き換わり、植物から岩石に入れ替わるのです。

それでは永遠に植物が植物であり続ける場合とは、

それが命として代替わりして、引き継がれる場合だけです。

姿を変じて次代に生まれ代わり得るから、植物は植物であり続ける。

これが命の真正であり、これが花が咲くという真意です。











1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
紫好き。 (うーたん)
2021-06-06 09:01:48
4番めと6番目の写真が大好きです。4番目の写真は、みていると『紫』に満たされる感じがします。6番目の写真は、しろっぽい蕾が綺麗な鳥さんのようです。いのちは穏やかに流れていくんですね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。