いま、そこに、あなたが、あるのは

誰も『苦労』はひとそれぞれ。しかもすべて自分のオリジナル。つまり人間の数だけ誰にもみんな役目と役割りあって生まれてる

コ・メディカルよ、白衣を脱いで街に出よ、大勢が待っている

2019年06月07日 | 闘病


 今朝、うちの奥さんが出勤前に視ているテレビで、言語聴覚士で「ことばの教室そらまめキッズ」の代表である久保田空(くぼた はるか)さんが紹介されていました。もともと病院勤務をされていた方です。その現場で、言葉の発達で悩みを抱える若い人・幼い子供たちに接しながら感じたのだそうです。その人たちが、困ってから病院まで来ましたでは、それだけ時間を要してしまう。もっと早期に、少しでも早い時期から関わりを持つことができていたらと思ったそうです。それなら、病院で待っているよりも、街に出るかたちで、障害児への支援事業という取り組みを始められたのだそうです。



 私は聞いていて、ああ、これだと思いました。日本の精神科の置かれている困難さが、どこにあるかご存じでしょうか。それは端的に言って、まだまだ精神科を利用するというのは、非常に敷居が高いのです。よく言われる話なのですが、偏見や差別とか、間違った固定観念に囚われていない国々では。例えば近親者を亡くして気分が沈んでいる人があったとします。その人は気軽に相談して話を聴いてもらう感覚で、精神科医のところへ行ったりするのです。もちろん薬を出さないと保険点数が稼げない事情だとか、医者に行ったら薬をもらわないと気が済まないような国民性にしても、また皆保険の都合によって自己負担の上では薬を安価に入手するのが容易いという状況も、さらには専門家が話を聴き届けて受け応えをすることを仕事として評価している医療経済上の仕組みとかも。何にしろ状況が違うのですが。結果として、どうなるかお気づきでしょうか。ちょっと悩んでいる程度の状態であれば、キチンと専門家に聴いてもらえるだけでも、それなりに解消・解決へ至る場合は多いのです。でも誰にも言えず、自分の辛さを抱え込んでいれば、ますます苦しさも高じてきます。そうなってくれば、より一層の重い状態へと、だんだんに移行していく可能性も高くなりますから。当然ですよね。悩みの段階で対応して、早期なら簡単に済んでることも、こじれさせて重症化すると病気という姿をして現れて来たりするのです。



 この問題は、精神障害者の家庭で起きてる暴力の件でも同様です。家族も外の人には打ち明けて話そうとしません。周りの人も、その問題に触れるのは気の毒だという判断で、避けていたりします。結果として、非常に問題が大きくなって、すでに長期化もしていて、一番それを重症化させていくような対応を、わざわざ一生懸命に仕向けているみたいな環境だ。というのが、現在この日本で行われている取り組み方なのです。



 最近、ある講演会で聞いてきました。精神障害者の家庭で起きる暴力の問題を研究されている専門家の方の話です。そういう暴力になるのは、別に日本だけの話じゃないんですよ。本人にしたら、辛くて苦しいから、結果として暴れてみたり大声を張り上げたりという訴え方や表現になることは、この問題では世界共通なんですよ。ありがちな出来事の一つです。ただ、その事情をいち早く聞きつけたら、そこへ危機介入というかたちで、専門家である医師や看護職、また心理職などコ・メディカルたちが、そこで対応を図ってくれるチームとして訪問に来て、それらの家族の相談に乗ってくれるという仕組みがあります。常識的にそういう応じ方を、そこでは制度としてキチンと持っている訳ですよ。当然、そうやって非常に早い時期から取り組みが行われるのですから、その場合に当の本人にしても最悪の状態未満で、そういう苦境からは救い出してもらえるかっこうですよね。かたや日本でどうなるかといえば、なかなか対応しない、どんどん時間が経っていく、長期化・重症化していく。これは別の観点から言えばですよ、表現方法としては不適切ではありますが、本人なりに一生懸命、どれだけ辛いか、どれほど困っているかを、長い間いつまでも訴え続けているのに対して、誰も相手をしてあげようとしない。というのと同じ意味なのではないかと思います。



 これは何も暴力の問題に限らないだろうと思うのです。引きこもりが大勢いて、かなり長期化してるケースが多数ある。これも本来的に、専門性のある人間が、そこへ早くに関わるような取り組みがなされていたら。今の状況は、こうではなかったはずです。そういう事態があるのに、何で見てみないふりをしてきたのか。単純な人は、国の責任だ式に考える方は多いです。でも、そうでしょうか。



 確かに、こうまで精神科へ悪いイメージを感じがちなのは、隔離政策と繋がってる部分はあると思う。でも、本来的に専門性のある教育を受けてきた方々ならば、日々その現場で感じているであろう疑問や気付きがあるだろうし。それをご自身のお仕事の中へ、その都度ちゃんと反映されてきていたことだろうかと。これは何もこの分野に限らないです。あらゆる職種で、これが当てはまると考えますが。周りがそうしているから、自分もそれに倣うという選択。そこへ納得ができないことがあっても、深くは考えないで。同じことを引き続きしているという生き方。私は、それでは専門家として資格を持っている立場の人間としては、ある部分で、もしかして、いくらか責任において、少し不十分なんじゃないか。そんな気もしないではないのです。ただ、それは私の問題でも課題でもないことで。それは、その人たちご自身の事柄なので、端にいるような立場の私が、あれこれアゲツラウような話でもないから、これ以上は申しません。私は自分にできること。自分が果たすべき責任の部分で、いくらかはそういう状況についても知りうる立場にある一人として、今の事態は放っておくには問題が多すぎるから、こういうこともあるという報告で、この話は閉じようと思います。



 もし例えば、精神科の病院や診療所ではない形態で、危機的な局面に関しても、そこへ早い時期から出向いてきて、何らかの相談に応じてくれるようなステーションが街々にあったら、それこそ学校の保健室じゃないけど、そこで助かる人は多いだろうと思いました。そうでないと金儲け目的の悪質な連中が蔓延ってくるという事態も改善はされていかないことですよね。


追記 日本の事情をお話します。家庭で具合が悪くなった人を、そのまま続けさせておきます。ますます苦しんで、重症化していきます。それから、とうとう通報なりで、警察官が来ます。彼らも仕事です。だが、こういう問題に関しては、専門性を期待する相手ではないんで、当然ですが、常識的に本人を叱ったりします。これは本人が非常に傷付きます。本人だって、やむにやまれず行ってる意味なんです。何もいい事でやってるつもりはない。でも、そこまでの気持ちは汲み取りようがないのです。警察の立場としては。しかも最悪、警察官が登場しても興奮状態が終わらない人があります。これは、もう滅茶苦茶に具合が悪くなってしまってる証拠です。ほぼ入院は避けられないとしても、それは最大限に回復までの道のりが極めて遠いことになるんです。何十年かかる場合もおきます。今どきは入院に際しては退院後のことも念頭においた計画をたてながら考えていくのですが、そんな用意をするどころの話じゃなくて、およそ無理な状態です。これまでの日本の長期入院者の件でも、これら後手後手な対応が作り出してたところはあると思います。






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