いま、そこに、あなたが、あるのは

誰も『苦労』はひとそれぞれ。しかもすべて自分のオリジナル。つまり人間の数だけ誰にもみんな役目と役割りあって生まれてる

一般常識的な推論が利かない場合もある。

2019年05月17日 | 闘病
これは、ある人から聞いた話ですが、

その人の知人である、某男性は、外出をするときに、
服を脱いで、全裸になり、スッポンポンになって出たそうです。
これは、何も事情を知らない人の思いで想像をすれば、
どう考えても、ハレンチ行為をしたがっている人にしか取れませんが。

実は、聞いてみれば本人には真剣な理由がありまして、
この人の場合、周りの人に、危害を加える危険はない事を訴えたい。
それで、裸になって、私は丸腰状態です。
こうして見ての通り、凶器の類は一切所持していません。
それを知って欲しくて、裸で外出をしたのだそうです。
破廉恥どころか、涙ぐましい行為かもですよね。

また、向谷地さんの本で読んだ、ある人の場合は、

その人は、家で、激しく大声を張り上げて、暴れるという人です。
もう家族も、怖いし、どうしたらいいか分からない。
暴れる人に、振り回されて、手を焼くし、ほとほと困りはてました。
家族が口を利いたりすると、ややこしさが増すのではないかと、
その人とは一切話をしないと決めて、何も声は掛けないことにして、
そういう手段を長年に渡り、ずうっと続けて来たんだそうです。

その人の場合も、聞いてみないと分からない理由がありました。
暴れるきっかけは、入浴をする時と関係がありました。
その人にしたら、シャワーの水が皮膚に当たったとき、
肌で感じられる水圧が、何よりも恐ろしい相手だったのです。
怖いから、負けじと戦うために、自分の力を振り絞ろうとして、
大声を張り上げてみたり、暴れてみたりして、対抗していたのです。
きっと、その辛さを聞いてもらう相手がいなかったんでしょう。

家族にしたら、暴れる本人が何より怖い相手にしか思えないが、
実は、その本人自身は、水の音が聞こえようものなら、
肌に感じる恐るべき水圧の恐怖が蘇り、いかに怖いかを訴えんと、
赤ん坊のように、全力を使って、その恐ろしさを表現していたのです。

これらは、本人に確かめるまで、とても想像すらつかない話です。
傍の人から、推量をしてたのでは、そこで何が起きてるのか、
そこのところが、誰にもわからないことです。

であれば、病人が理解できない行動をしているのを、
それを単に、狂ってる人だから、訳のわからない行動をしている。
そんな理解では、本人の困りごととは程遠い対処なのです。

だからといって、尋ねれば、本人が質問に応じるかといえば。
最初の人の例だと、信頼する仲間で友人だから教えたんだろうし。
あの向谷地さんが、関わりながら、突き止めることが出来たろうし。

聞けば、教えてくれる人もあるでしょうが。

聞いても、言うのを躊躇してしまう人もいることです。

それを白状しろみたいに、シツコクすると、貝になる人もいる。

ただ、言えるのは、人が何かをするのは、理由があるということ。

それは、正気の人でも、狂気に見える人でも、

知ることが出来たら、了解可能な事情があったりします。

という、お話でした。




今日も、紫外線が強そうな晴天空です。

昨日より早めに外出してきます。




追記です。蛇足かもしれませんが。これ読んだ人が、「じゃあ、理由があるので、その事実を突き止めればいいんだ」そう読んでいたら、お馬鹿さんです。核心部分はですね。それらの人は、心情を伝えようにも、聞いてもらう、場面や相手が、なかった。←これも、いなかったせいだ、とは言っていませんから。言うなればです。本人の周囲にあるコミュニケーションに、それらをモタラした何かがあるから。
事実というのは、ただの結果なんです。その事実を生んでいる大元であるところの、流れや風通しに何らかの滞りを引き起こす問題が横たわっているせいであり、その関係性から発生している象徴として、これらの「現象」という事実で、われわれの知るところとなる、です。
だから、事実をなくせばいいというのは、愚鈍な対処なんです。自殺対策でも、イジメとか呼んでいる集団リンチ問題でも、事実をなくすんじゃ、後手なんです。


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