いま、そこに、あなたが、あるのは

誰も『苦労』はひとそれぞれ。しかもすべて自分のオリジナル。つまり人間の数だけ誰にもみんな役目と役割りあって生まれてる

結局、お薬というのは補助なんですからね

2019年03月13日 | 闘病
昨日は、どうもありがとうございました。

今お天気がいいので、洗濯を干してきました。
昨夜の雷雨のカミナリを耳にして、季節が変わったか、冬が終わったのか。と思いました。

昨日までの、ご覧になって下さった方に、続けて言葉を足しておこうと思い、こうして書いています。

私の言うこと聞いてると、『お前は病気じゃなくて、障害(=障碍)だなんて主張してるけど、
病気じゃないのに、なんでクスリがあるんだよ』そう感じてる方もあると思いますので。
そこをこれから一つ申し上げますが。

病気にクスリを使うとしても、病気と言い切れない相手にだって投薬する場合もあります。
シャックリが止まらなくて、それに対して、薬を用いる場合もあります。

あと、根本的な部分なんですが。クスリは特効薬のように特異的に効果を発揮しているものと、
直接には根治をしないけれど症状の緩和をさせる目的で使うものみたいに、
同じように薬と言いながら、それぞれで意味合いは一つではありませんからね。

よく薬だけで治せると勘違いをしてしまっている人を見掛けるから、これを書いているのですが。
例えば、自分がイライラして困るから、それを薬で対処しようとしている、
そんな場面を、ちょっと思い浮かべてみて下さい。

薬は、それなりに効くことはあると思います。でも、薬だけでは無理があるのです。
自分の身の回りの状況が元でイライラが生じているなら。
薬を使うとしても、同時に今の環境についても考えないと上手く行かないと思います。

つまり、薬だけが全てを支配したり、左右をしてるというのは、とてもじゃないけど言い切れない話で。
状況を変えられる様々いろんな要素のうちの一つではあるけれど。
万能なものではなくて、使えるけど、他の要素も、かなり大きいんだという点です。

薬にも種類があって、どれが自分に向いてるかは、一人ひとりで効き方が違うから、
それを上手に選ぶことは大切なことですし。
あんまり何種類も数が多いと、どれが効いてて、何が邪魔をしているか、
見分けが付かないから、何を増やす減らすも分からなくなります。

極力、単純に絞っておくのは、その観点で大事なんです。
しかも、身体は体で、何かが入ってくると、その状態に自然自然に順応していってますから。
本来は向いてない薬であっても、それがある状態で全体を保つという仕組みも働いているのです。

しかも生きている生身の体というのは、常に調節機能がややこしく動いて働いてる、
そういう状態にあるのですから。使ってるのは同じ薬であるのに、
そこで起こってる副作用は、出たり出なかったり、時々で違うことも起きることです。

体の中で状況は変化し続けているのに、常に同じ量と種類の薬だけでマカナエているはずがない。
それなのに、いつもの薬を、下手に変えたら、その状態を維持できなくなるというのは、
さっき書いた、薬がある状態で身体が機能を調節している部分があるからなのです。

分かりやすい話でいうと、具合が悪くなって増量したとします。
増量分が必要なくなっても使い続けてれば、それがあって当然みたいに体は振る舞います。
クスリに慣れる訳です。そして再び具合が悪くて、薬を増やしたりする。
これの繰り返しで、ますます薬を盛り続けてしまう。

これも結局、薬の種類や量の増減だけで、今の調子に対処しようとするから起きる話です。
薬だけじゃなくて、生活環境や、身の回りとの関係でも、自分を取り巻くすべてが、
自分の中で反応を引き出すみたいに巻き起こしてるんだと気が付かないと、
薬だけしか見えなくなるんです。

だから、薬だけで治ると考えているのは、もっと違うことを見落としていますから。
薬は使っても、薬は、それ以上でも、それ以下でもなく、
もっと他に左右をしている重要な要素があることを認め、
それを変えていく工夫もしていかないと、とても付き合いきれない相手なんです。

つまり、あたかも病気かのように見えるのは、このことの一側面だけであって。
もっと大きな全体を含めて考えるならば、
これが障害(=障碍)の状態で、そのことで私たちの生活が左右をされているんだ。と、
そういう話です。それが、「クスリは補助ですよ」という言い方の中身。

では、お天気の良い春めいた陽気が、
盛んにオイデオイデをしているんで。オヨバレしてきます。
では、また今度です。


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