ベトナムの旅

ベトナムのホーチミン~中部~ハノイを旅する

チョロン:ビンタイ市場

2015年07月31日 | 2009.11VNの旅

 チョロンは中国人の街だという。
怖いから近づかないというベトナム人がいた。
中国人嫌いのお国柄かもしれないが、ベトナム経済を牛耳ってきたのはこのチョロン街
の人々だと、どこかの本で読んだことがある。
美味しい中華料理店もあるようだ。

チョロンのビンタイ市場とその周囲にあるお店は最高にエネルギッシュだ。
衣料なら衣料、生地なら生地。おもちゃならおもちゃなど専門店街が各々通りにずらっと
並び、ひとつずつみて行ったら、いくら日にちがあっても足らない。
お店の数、量とその品数といったら、半端ではない街である。
人々が大挙して集まっている。買出しにきたお店の人たちが、荷物をあふれんばかりに
積んで行き来していた。








ベトナムの人はハンモックが好きだ。
赤ん坊たちは心地良いお昼寝場所として揺れている。
南国の清涼の知恵なのだろう。



ハンモック屋さん。(後ろで色とりどりにぶら下がっているのがハンモック)

 

 

 

 


ホーチミン 統一会堂とその周辺

2015年07月28日 | 2009.11VNの旅

  統一会堂にいった。
ここは、南ベトナムの大統領府があったところ、1975年4月30日に北ベトナム
正規軍の戦車がフェンスを破って突入し、ベトナム戦争が終結した、歴史的出来
事のあった場所だ。


大統領官邸に突入した戦車


戦争が終結してから34年後(2009年)の風景。
奥に見えるのが統一会堂。手前のフェンス(門)は開かれて車が行き来している。

道路を隔てた公園には強い日差しを避けて、木陰で休む人々の姿があった。


夜は恋人たちのデートスポットだろうか?

ベトナムは約100年ほどフランスの支配を受けていたので、フランス文化が入
り込んでいる。
建築物もそのひとつ。
統一会堂の周辺には、そんな建築物が多くあった。

聖マリア大聖堂。1863年から1880年にかけて建設された。


サイゴン中央郵便局
ホーおじさんが奥に高々と飾られていたのが印象的。



 



 

 


マングローブを見に行く2

2015年07月25日 | 2009.11VNの旅

 カンザーはマングローブの広大な森だが、ベトナム戦争ではベトコン(南ベ
トナム解放戦線)の基地があったところである。
このため、枯葉剤が大量に散布され、壊滅状態になった。
しかし、その後、再生の努力がされ、いまでは多くが回復されている、そうだ。

森の中でベトコンの基地を見た。
武器の再生、治療施設などがあって、大きな基地であったことがうかがえた。
道すがら若いガイドの男性に「戦争をしていたアメリカは嫌な国?」と聞いて
みると、「アメリカより中国の方が嫌いな国ですよ」と意外な答えが返ってきた。
この国の人たちは中国が嫌い?
アメリカとの戦争より、フランスの支配より、中国に支配されていた時代のトラ
ウマが多いからなのだろう。


ボートの乗るまでの道路には、サルがいっぱいいた。

引き潮の時だったので、マングローブのしっかり張った根っこが印象的だった。
海水は淀んでいて、泥の川だった。







遠浅の海岸。


海では、20~30人ほどの人たちが、(たぶん)貝取りをしていた。
ベトナムは自然の恵みの多い国だ。


マングローブを見に行く1

2015年07月22日 | 2009.11VNの旅

 翌日、カンザー(Can Gio)へマングローブを見に行った。
1日ツアーだ。
タクシーチャーターで、日本語ガイドさんが付きだったので、100ドルぐらい
のツアーだったろう。

ホテルから、南へ60Kmほどらしいのだが、長い時間かかったと感じられた。
街から離れると、道は工事中の箇所が多く、舗装されていないでこぼこ道を
車は疾走した。
しかし、途中に港あり、フェリーあり、田園ありの変化ある風景があった。


土砂運搬船?
舳先に目が描かれている。魔除けなのだという。


ベトナムは果物の宝庫だ。
種類が多く安く、そして美味しい。
サトウキビジュースも美味しかった。



フェリー乗り場。
黄色の国なのに、緑色の風景が印象的だった。


ホーチミンはエネルギッシュな街

2015年07月19日 | 2009.11VNの旅

 ホイアン→ダナン→LCCの飛行機(遅れあり)→ホーチミンへ。
ホテルはベンタイン市場の近く、レロイ通りにあった。
ホーチミンの街はバイクと人であふれて、エネルギッシュな街だった。


道路を横断するのは「止まらないでゆっくりと歩く。そうすれば相手がよけ
てくれるから」と教わった。
最初はなかなか怖いものだった。


レロイ通り。奥に見えるのはチャン・グエン・ハイ像。

ホーチミン、初めての食事は「THE SUSHI BAR」だった。
サイゴン川のほとりにあったと思う。
そこは日本料理店だった。にぎりの寿司があり、カツ丼があり、刺身があった。
日本のお店そのものだった。
日本人客が多いのだろうが、他にも何店かあるとのことだったので、ベトナム
の人たちにも支持されているのだろう。


シクロのおじさん。誰も愛嬌がある。
「ぼったくられるから乗るな!」と言われていたので、乗りませんでした。

 

 

 

 

 

 

 


ホイアン(ベトナム語はむつかしい)

2015年07月16日 | 2009.11VNの旅

 ホイアンに着いたのは夕方だった。

ホテルのチェックインでのできごと。
フロント嬢は英語が充分でなかったようで、ベトナム語での会話となった。
手続きしてくれた彼(日本人:ベトナム語を勉強中)の言葉が通じない。
何度も言い直すが、わかってもらえなかった。
あとで、彼が言うのには、最後のアクセントを上げるか下げるかによって、
意味が変わってしまうのだそうだ。
ベトナムは夫々の地方で方言があって、しゃべると北部、南部、中部の人かな
ど直ぐにわかるらしい。日本でいう、関西弁、福岡弁、東北弁などと一緒なの
だろう。
彼のベトナム語は南部では通じたのかもしれないが、ホイアンの中部では違っ
た意味だったのかもしれない。

お天気は最高に良かった。
奥に見えるのが日本橋(来遠橋)。
ホイアンは貿易港として栄えたところで17世紀には日本人が多く住んでいた。
この橋は日本人が造ったとされている。





ホイアンは黄色い街だった。
ただ、何度も洪水に見舞われているらしく、その色がくすんでいる建物も多かった。
絵になる街である。



 

 


フエからダナンを経てホイアンへ

2015年07月13日 | 2009.11VNの旅

 フエからホイアンへは、タクシーで移動した。
フエの街を出るとまっすぐな道路が続く。国道1号線だ。
両側は田園地帯。田舎の風景が続いた。
ダナンに入る手前にハイファン峠はあった。
日本の援助で作られたというトンネルで短時間で通過することができるのだが、
ハイファン峠をのぼった。
峠にあるお茶屋さんでは呼び込み合戦がとてもうるさかったのが印象だ。


ハイファン峠から南シナ海を望む。
残念ながら曇っていて、きれに見渡すことはできなかった。

ダナンまでは3時間ほどだったと思う。
ベトナム戦争でアメリカ軍の大きな基地があったところである。ベトナムでは3番目に
大きい都市と言われているが、それほど大きな都市とは感じなかった。
リゾート地としての開発が進んでいて、海岸はホテル建設ラッシュだった。(6年後の
ダナンではそのホテル群が営業していた)
ここで「ホビロン」で成功をおさめた方の家を訪問した。ホビロンとは孵化直前のアヒ
ルの卵。出荷時のタイミングを見分けるのがノウハウだそうだ。
実際には見ていないので、想像する限りではグロテククな恰好をしているらしい。
ベトナムの人は美味しいと食するらしいが、あまりお近づきにならなくて良いと思って
いる。

昼食に生春巻きを食べホイアンのホテルに。
1日かけての移動だった。


ホイアンの町並み。黄色が印象的。

 


フエの市場にいく

2015年07月10日 | 2009.11VNの旅

 朝、フエの市場に行った。
新市街から歩いて川を渡った記憶があるので、ドンバ市場だったと思う。
東京の築地市場はお店の人たちの買い出しの市場だが、ベトナムの市場は生活
している人たちの市場だ。
決してきれいとは言えないけど、そこには生活しているエネルギーがあった。

 

食糧品から雑貨・衣料品等、生活用品のすべての物がそろっている。

 


 驚かされたのは、肉が保冷されずに、常温状態でかたまりで並べられていたことだ。
どういう状態でここまで運ばれてきた?(冷凍庫に保存されていたの?)
売れ残ったらどうするの?
と疑問がわく。
そう言えば、バイクで走っていた時にも、道路脇で売られていた肉があった。
あれはイノシシの肉だったろうか。
獲れたてなんだろうな。

 
ホーチミンのある市場(中規模の市場)で
どこの市場でも肉、魚はこんな状態で売られている。

 


ミンマン帝廟(ベトナムのトイレを体験する)

2015年07月07日 | 2009.11VNの旅

 ミンマン帝廟はカイディン帝廟から遠くないところにあった。
阮朝2代目の皇帝のお墓だ。



ここで、トイレに行った。
トイレの建屋があって、そばに小川が流れていた。
そこは灯りがなくて、薄暗かった。
水で満たされた槽があり柄杓が置いてある。
用をたしたあと、この柄杓で水をくんで流すのだ。
水洗トイレだった。

そうえば、ベトナムの住宅のトイレでは便器の近くにシャワーが完備されて
いて、これを使ってお尻などをきれいにする。
受け継がれた風俗習慣なのだろう。





敷地は広かった。
こちらは中国風である。
2代目なので勢いのあった時代でもあったことだろう。

 

 


カイディン帝廟をみる

2015年07月04日 | 2009.11VNの旅

   カイディン帝廟は新市街から10km弱、バイクで30分~40分ぐらいだった
ろうか。
お墓は丘の上にあった。
それは「これがベトナムの皇帝のお墓?」と思わせる作りだった。
ベトナムは中国文化の影響の強いところだから、中国様式と思いきや西洋
風のお墓だった。





カイディン帝はベトナム阮朝第13代最後の皇帝バオ・ダイの1代前の
第12代の皇帝。
フランスに支配されていた時代の皇帝なので、フランスの建築様式にも影響を
受けていたからだろう。