介護の日々

あのとき このとき ・・・

大往生とは・・・

2010-03-28 08:04:11 | 在宅介護
               京都タワーからの展望

外来受診のある検査で、帯状疱疹時を含めて母が2度ほど入院でお世話になったドクターにお会いする機会がありました。母が逝ったことをお伝えし生前のお礼の言葉を伝えると、「おいくつでしたか?」の後に言われた言葉は「大往生だったんじゃないですか」でした。

最後の入院は別のドクターの担当でしたので、そのドクターに母が最後にお世話になったのは、2年以上前になります。多くの患者を日々診ている医者が即座に誰かを覚えているはずもないのですが、母の全身状態を診た他のドクターからも、その都度、いつ何があるか予断は許されないという意味のことを伝えられていました。

ベッド生活になって長い90歳になろうとする母は、平常でも健康体とは言い難い状態でした。時々の炎症やそれに伴う苦痛等への対処はできるが、それ以外の治療は、やったとしてもそこから派生する打撃が大きく、本人のためにはならないという意味でした。「病院は治療してくれるところ」と信じているような私の様子から、そうではないこと、寿命というものを私に教える意味もあったように思います。

予期しつつも、その時は最後までわかりません。家族のみで静かに母を送り出して1月半。悔いが残らないわけではありませんが比較的穏やかな気持ちでいられるのは、自分にできることはしたという思いからでしょうか。でも「大往生」とは思ってもいませんでした。

ウィキペディアによると、大往生とは:
「老衰やそれに伴う多臓器不全などの自然死による他界を大往生と呼ぶことが多い」

多臓器不全はまさに母に当てはまります。最後に、母は呼吸を止めました。心臓のモニター音はまだ続いていて、波形もモニター画面に読みとれました。でも、口をしっかり閉じ鼻呼吸もしていませんでした。そして、診察に当たって下さった医師から「モニターを切らせていただきます」と伝えられました。

臨終は、心音が途絶えモニター画面の波形が一直線になった時と、どこかで思っていました。それはどうもテレビ番組の影響だったようです。後に看護師さんにお聞きすると、実際は母のような場面が多いとのこと。

人それぞれに様々なかたちの「大往生」があるようですが、まだよくわかりません。

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