ー 食料難 ー
「戦争中の暮しの記録」 暮しの手帳編所収 写真は読売新聞提供とある。
「ある晩、仕事から帰ると、膳の皿の上にコッペがある。珍しいな、どこからもらったのだい、というと、いまどき、どこでくれるものですか。主食代わりの配給ですと細君が答えた。・・・しかし、これ一つが一食じゃ、ちょっと足りないな、というと妻君が、無知な良人を憐れむ目つきで、それ一つが一食じゃない、それが二つで一日分なのですよ。もう一つあげときますから、それで明日の晩までがまんなすって下さい。と、も一つ、コッペを置いた。」
ー 山や川に入って、ワラビ、ゼンマイ、フキ、イナゴ・・・、食べられるものはなんでも取って回った。農家へ買い出しに行くにも汽車の切符がない。寒い駅の外で毛布をかぶって朝まで並び、やっと切符を手に入れた。
農家に行って乞食のように頭を下げ、イモを売ってもらったが、駅に向かう途中で警官に追われ、寺の墓地に隠れているところを見つかった。苦労して買ったイモはその多くを取り上げられた。帰りの列車もひどい混みようで、客車はすし詰め、貨車にも乗れず石炭車に乗って帰った。 ー
昭和44年に暮らしの手帖社から、「戦争中の暮しの記録」という本が出ている。戦争中の体験を集めたものである。上段は寄稿されたものをそのまま抜粋したもの、次段は買い出しに行った、当時44,5歳の母親が寄稿した体験談を要約したものである。
あれは終戦間もないころだったと思うが、私も田舎の駅に止まっている汽車に、人が鈴なりになっているのを見たことがある。客席や通路に入りきれない人がデッキの手すりにつかまっており、石炭車の上も人で埋まっていた。
食えなくなる原因は戦争だけではない。現在のレバノンを報じたTV番組があった。スーパーの棚には食料品があふれているのに、家庭では子供が3人、それぞれ母親が出してくれた皿をつついている。中には穀物と野菜が少し。週に何回も外食をしていた家族である。原因の一つは激しいインフレ。肉や牛乳の値段は2年前の3倍になったという。(4月5日BS1スペシャル「2030 未来への分岐点」)
食料不足になる原因のひとつに人口増加もある。現在70億の世界の人口は2050年には100億になる。食料生産はそれに追いつかない。(同)そうなると当然食料の取り合い、喧嘩が始まる。
だから私は田舎暮らしをしているのです、などと言うつもりはない。それほど利口ではない。田舎に家を建てたのはたまたまである。小さな畑が手に入ったのもたまたまである。
ただ、今はどうやったら食べ続けることができるかを考えるいいチャンスかもしれない。
( 次回は ー 年寄りの冷や水 ー )