カメラといっしょ#2

散歩に旅に、日々カメラとともに……

earthquake disaster experience note/震災体験記・前編

2011-12-09 03:51:54 | 正方形
未曾有の災害被害をもたらした先の東北地方太平洋沖地震。
被災された方々と、そのご家族に対しお見舞い申しあげます。
また1日も早い復興を心よりお祈り申しあげます。


いろいろなことに忙殺され今年もすでに年末となってしまったが、やはり今年起きたことは今年のこととして震災発生からのリアルな顛末記を記しておこうと思う。
東京に住むボクの場合、この地震による被害などないに等しく、影響など微々たるものであった。
それでも起きたこと、聞こえたこと、見えたこと、それに対して自分がどう判断して動いていったのか……そういった「事の顛末」をちゃんと残しておく必要があると感じたから。


「……なんだか停車時間が長い。それとどんだけ乗り降りしてんだ? 揺れすぎだろ!?」
このときはiPodを聞いていて、ことの起こりを理解していなかった。
「なんか揺れてるけど、人が一気に移動するとこんなもん? それにしても揺れすぎだろ……」とか思った程度でしかなかった。
これは地震発生、まさにその時のことだ。
ボクはちょうど、移動のため地下鉄・日比谷線に乗っていた。
ラッキーだったのは駅に着いていて、停車中だったことだろう。
揺れ始めから間をおかずに、耳慣れない警報が鳴りだした。
それを受け、なんとなく周囲がざわめきだす。
そんなざわめきにやっと気づき、ボクはイヤホンを外す。
あたりを見渡すといち早くホームに下りる人、地上に向かうつもりか階段を急いで上がっていく人もいる。
そして「車内は安全です。揺れが収まるまで……」といった車内アナウンスが流れる。
これを聴いて不安にかられたのか、さらにホームへ下りる人もいた。
そんなころ揺れも収まってきたが、すぐさま第2波がきた。
最初のより車内で感じる揺れは少なかったと思うが、サスペンションつきの乗りものが揺れるというのはかなりのものだ。
正直、内心はドキドキだが車内アナウンスを信じて車内に居続けた。
大きな揺れは感じなくなってきたが、余震的な揺れはときどきある。
それまで状況説明ばかりだった駅員たちが動きだした。
日比谷線では、このとき駅に到着していない車両が2つあったようで、それらが極低速で最寄り駅に到達したことが駅員たちの無線のやり取りから聞こえてきた。
すると今度はアナウンスで、点検を始めたこととすぐには復旧できそうにないことが告げられた。
ちょっとの間をおいてから、今度は車両点検のため下車するよう告げられた。
しかたないので下車する。
階段を上がり、改札のある階層に移動。
ホームに残る人はいなかった。
しかし上がってみたところで事態は変わらない。
そこでは地下鉄全線が運転見合わせ中で、どの路線も点検に時間がかかるということしか分からなかった。
今ボクがいる銀座には日比谷線でやって来たが(別に銀座に用があったわけではなく、たまたま銀座駅で足止めをくっているだけだけれど……)、この後のスケジュールはあきらめることにして丸の内線のホームに移動。
最終目的地の新宿に向かうためだった。
しばらく待つと点検を終えた車両が開放され、座って待つようアナウンスされた。
ちょっと腰をおろしたかったということもあり、車内で休みつついっしょに暮らす彼女へメールをした。
でも、このメールが届いていないかもしれないという不安があった。
それは……すでに数回送信したメールへの返信が、こちらにまったく届いていないからだった。


地震発生から、すでに1時間以上が経過している。
……しかし復旧の気配はまったくない。
外にいるということもあって、いま何が起き、世間がどうなっているかなんてまったく分かっていなかった。
だから17時に新宿で打ち合わせの約束をしていたのだが、これを如何に守れるかが今のボクにとっての命題であり、そのことが自分を突き動かす。
自分の導き出した結論は電車移動をあきらめ、徒歩で新宿を目指すことだった。
運転再開の見通しを確認しているのか、駅員に群がる人たちがいる。
それをかき分け改札を抜けると、地上に向かう階段に腰かけて途方にくれる人たちが大勢いた。
その光景を横目に見ながら階段を上がっていくと、厚い雲におおわれ、どんよりした空が視界に入ってきた。
「え!? 今日ってこんな天気だっけか?」……そんなことを思いつつ地上に立つと、銀座の街は、人の多さは相変わらずなのに、いつもの活気が感じられない不思議な空気感だった。
目の前を見上げると、高架上に停車中の電車が見えた。
地下鉄だけではなく、本当に全線止まってるっぽいな……などと思いながら新宿に向けて歩きはじめることにする。
銀座上空は、今にも降り出しそうな曇り空だったが、日比谷交差点までさしかかると皇居の向こう、新宿方面には晴れ間が見えた。
「とにかくあそこ(新宿)を目指そう」、あそこに行きさえすればなんとかなる……このときはそんな風に思っていた。
滅入りそうな薄暗いこの日の銀座から、地震にあったこの場所から、急いで離れよう……そんな思いが頭の中を支配していたようにも思う。


歩きだしてすぐの日比谷交差点には、交通整理のためか警官の多さが目についた。
それと信号待ちのおびただしい人の数も。
警官が交差点内に立ち止まらないようにとかなんとか、マイクでがなり立てている。
地下鉄ほか、電車が動かないということはこれほど交通に影響がでてしまうものなのか? ……などということが頭に浮かぶものの、この段階になっても外にいる自分には一向に状況を理解できていないままだった。
皇居のお堀に沿って歩きはじめたが、とにかく人が多い。
同じ方向へと歩く人ばかりではなく、逆方向にもかなりの人たちが移動していく。
ふと携帯を見ると、彼女からの着信とメッセージが残されていた。
「メール届いてないかもだけど、こっちは大丈夫です。また電話します……」
第1波の大揺れでまだ地下鉄の車内にいたとき、自宅で待つ彼女に真っ先に電話を入れ安否の確認だけは済ませていた。
グラス類が割れたり、本が崩れたりしてはいるが、大惨事という事態にはなっていないとのこと。
だからその後、揺れるたびに「大丈夫か? がんばれ!」といった内容のメールを送り続けたがリターンがなく、かなり不安にかられていたのだ。
メッセージから察するに、どうやらこちらからのメールが届いていないのではなく、こちらでメールを受け取れていない状態だと理解した。
携帯メールが使いものにならないとわかったので、そこからは電話をしまくる。
自宅と彼女の携帯とを交互にかけまくるが、つながり難い状態とのアナウンスが流れるばかりでまったく通じる気配がない。
電話は続けながら歩は先へ進めることにする。
桜田門を過ぎ、国会議事堂を左手に見ながら三宅坂まで着た。
国道20号を横断し、ここからはお堀の側とは反対の歩道を歩く。
そういえば桜田門の辺りから防災ヘルメットを被っている人、ファーストエイドキットとプリントされたウエストバッグやナップサックを所持する人が目につくようになった気がする。
なんだかさっきの地震は物凄い事態を引き起こしているんじゃないだろうか?
そう思うととても不安にかられてきた。
国道20号を渡り、左手に並ぶ最高裁判所&国立劇場を過ぎて半蔵門の交差点を左折。
ここからは新宿通りとなるので、目標の新宿までは一本道だ。
しかし道は激しい渋滞となっており、歩行者の数もかなり多い。
最初は「電車が止まるんだから道は混むはずだよ」くらいにしか考えていなかったが、どう考えても事態は想像しているより凄いことになっているようだ。
……そう思い始めたのがこの辺りからだったように思う。
「ひとまず飲み物を確保しよう」、そう思い目についたコンビニに入る。
すでにおにぎりやパンなどは品薄だが、この時点で食料調達に苦労するとは考えもしなかったので500mLペットボトルのお茶だけ買って店をでた。


歩き始めた時間を正確には覚えていなかったが、16時を回ったことで17時に新宿という約束のために行動開始したことから、16時10分くらいだったように思われる……。
四谷見附の駅ビル・アトレが見えて「あと少しだな」と思ったころ、約束の時間まで10分程度しかないことに気づく。
慌てて約束の相手にも電話をかけるが、これまたつながる気配すらない。
自宅にいる彼女への連絡も、固定電話、携帯ともに相変わらずつながらない。
約束の時間には間違いなく間に合わないと思えたが、連絡できないのでどうしようもない。
とにかく急いで行くしかない。
それに新宿まで行けば、地下鉄とJRが動いていなくても自宅へ向かう小田急電鉄は動いているだろうという期待もあった。
四谷見附を過ぎるとき、JRがまだ動いていないことが確認できた。
ここまで歩いてきたオフィスばかりの景観とはガラッと変わり、この辺りからはコンビニ、スーパーマーケット、ファーストフード、それにカフェなどの飲食店も立ち並ぶ。
しかし閉店していたり、今まさに閉店準備をしていたりと、街のようすもどこか変だ。
四谷三丁目を過ぎ、新宿御苑トンネルを避けて新宿通りを進むが、すぐに左折して新宿御苑に沿って歩くことにする。
マルイアネックスを過ぎて明治通りを渡る。
ここまで来るともうちょっとという気になるが、約束の場所は新宿京王の地下のファーストフードなので、今居る場所からは新宿駅を挟んだ逆サイドとなる。
そうこうしていると新宿駅・東南口にさしかかる。
ここには駅前のフラッグスにオーロラビジョン(巨大モニター)があるのだが、先を急いでいるため、ろくに見もしないで歩を進める。
それでも通過する際にちらっと見えた映像からは、地震被害もかなりの状況であることが直感的に感じられた。
フラッグス周辺ではかなりの人が、それこそ食い入るようなという表現がぴったりなほどオーロラビジョンに目を向けていた。
しかし新宿駅・南口にさしかかると、さらに大勢の人たちで溢れかえっていた。
きっとJRが動いていないことで足止めされてしまっている人たちだろうという想像はできたが、それにしても多い。
その南口を通り過ぎるとき、念のため小田急線の改札のほうに目をやるが、あまりの人の多さで状況はつかめなかった。
すぐに西新宿1丁目の交差点にさしかかるが、なぜだか嫌な予感がした。


いまここを右に曲がり、新宿京王の地下に向かえば約束のファーストフード店があるので10分ほどの遅れで到着できるにも関わらず、それをためらい即座に携帯の充電器を買いに行く決断をした。
一応エクスキューズしておくが、約束の相手は仕事の依頼人……つまり某誌の編集長だったため、普段なら絶対に約束のほうが最優先だ。
しかしこのときばかりはえもいわれぬ不安に包まれていたことと、ここまで一向につながらないながら、それでも電話をかけ続けたこととで携帯の充電器の必要性を強く感じていた。
ここからなら家電量販店がすぐだ。
道を渡り、ファーストフード店の横の路地を入る。
そこにはいつもの見慣れた西新宿の街の活気はなく、シャッターが下ろされた街並みと足早にこの街を去ろうとする人影ばかりといった様相だ。
サンドイッチマンやティッシュ配りのバイトなども極端に少ないように感じる。
お目当ての家電量販店もすでに閉まっており、その向かいにあるコンビニがまだ開いていたのでともかく飛び込んだ。
携帯用の充電器はすぐに見つかったのでこれでなんとかなると思い、広くはない店内をぐるりと見渡した。
おにぎりやパンなどはなく、菓子類をのぞいて棚はガランとしている。
いったいどうした?
なにが起きている!?
まだ飲料は買える状況だが、さっき買ったお茶がまだ残っているので充電器だけを手に入れてこの店をあとにした。
日本生命新宿西口ビルの脇を抜け、新宿京王の真向かいにでたが、目的地(約束のファーストフード)は地下なので道路を横断するより早いとの判断から地下道へと下りることにした。
階段を下り、地下街に一歩足を踏み入れた瞬間、その目を疑った。
店はほぼ閉まっており、通路の両端には人々が片寄せうずくまるように腰を下ろしている。
ここって東京だろ?
ここって新宿のはずだよな!?
ショッピングを楽しんでいたであろう主婦たち、学校帰りの学生たち、仕事を終えたサラリーマン、おそらく観光でやってきたであろう外国人などの姿も見える。
みんなが途方に暮れており、こんなよどんだような新宿はいままでに見たこともなかった。
なにかのセールのため「前の晩から並んでます」的なものとは明らかに異なったものだということは、居あわす人たちの表情から見てとれる。
約束の相手とはここまでまったく連絡がとれないままだったが、この段階でまず居るはずがないし、ファーストフードは間違いなく閉まっているだろうと思え、ともかく小田急の改札を目指すことにした。
新宿京王の地下街からはすぐに新宿西口地下ロータリーがあり、その正面にJRの改札がある。
そしてJRの改札に向かって右を見ると、そこが小田急の改札ということになる。
しかし西口地下ロータリーにはバスとタクシーを待つ人々が、それこそ見たこともないほどの長蛇の列をなしている。
嫌な予感がした。
幾重にもおよぶ、バスとタクシー待ちの人々の列をかき分け、小田急の改札を目指すと嫌な予感が的中していた。
なんと改札よりもはるか手前、券売機すら見えなくなる位置でシャッターが閉ざされ、ここでも大勢の人たちが座り込み、そして途方に暮れている。
ときおり「地震の影響で……、安全確認を急いで……、復旧にはまだまだ時間が……」といったアナウンスが繰り返されている。
ずっと外にいてニュースを目にしていなかったため、いったい何が起きているのか本当のところは理解できていなかったが、あの地震が想像以上の大災害を引き起こしているだろうことがようやく分かった瞬間だ。
そして同時に新宿までたどり着けばなんとかなるなどと思っていた自分の考えが浅はかだったと気づかされもした。
あとになって事態の深刻さを知ってからは自分の状況などさほど重大なことではないと言えるが、この段階では「まさか自分が帰宅難民になるなんて!?」といった被害者心理みたいなものを感じていたように思う。
ともかく自宅で待つ彼女に連絡をとらなければならない。
しかし一向に電話はつながらず、携帯メールではこちらが受信できないと分かっていた。
なにか手はないものかと考えを巡らせる。
そこで気づいたのはGメールを使うことだった。
じつは地震発生直後に「みなさんへいきですか?」というタイトルてブログ更新をしており、その後は移動しながらなのでAmebaなうによる発信、それに仕事用に特化させたTwitterからも発信していたので、これらのコミュニケーション・サービスが機能していることは分かっていた。
Gメールとはいわゆるフリーメールと呼ばれるサービスで、通常はPCでの使用が基本となるが、設定さえしておけば携帯からでも使うことができるものなのだ。
余談だがGメールをメインにしていることで、携帯用の設定はとうに済ませてあった。
なので、なにも手間はかからない。
Gメールを思いついた直後には、彼女宛てのメールを送信していた。
彼女との連絡手段として機能するかは「かけ」だった。
……着信がきた!
しかもリターンが早い。
彼女のほうは情報収集のためPCにかぶりついていたことから、メール着信を見逃さずに気づいてくれたようだ。
こちらからは電車が動いていないこと、復旧の見込みが見えていないこと、新宿駅のようすなどを伝え、最悪は歩いてでも帰るといった内容で送信。
しかし歩いて帰るのだけは絶対にやめるようにということ、JRは当日中の復帰をあきらめたらしいこと、分かっていないだろうけど世の中は今とんでもないことになっているということなどがメールとして届いた。
つづく……


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