管理人は学部4年生につき、卒論に向けて研究書や論文を読んでいる日々だったりします。
それに関連して昨日読んだ論文がこちら↓
尾野比左夫「エドワード4世の史的評価」『プール学院大学研究紀要』第41号(2001年)pp.65-82
日本でリチャード3世の研究者といったらこの人、『リチャードⅢ世研究』の著者・尾野比左夫さんの論文です。
PDF形式ですぐダウンロードできるし、短いし、なにより日本語なので(笑)、さっくり読めちゃいます。
要するに、リチャード3世のお兄ちゃん・エドワード4世が歴史家の間でどう位置づけられているか、という話。
ざっと解説すると、エドワード4世~ヘンリー7世期の年代記作家には、エドワード4世を辛辣に批判する者もいれば賞賛する者もいたそうです。評価がかなり割れていたんですね~。
それがヘンリー8世の時代になると、エドワード4世の英雄伝説が生まれてきます。
いわゆる「三つの太陽」のエピソード。モーティマー・クロスの戦の前に、エドワード軍の前に三つの太陽が出現した(現在では、幻日という気象現象だったと言われる)というあの話を、年代記作家がこぞって書くようになったんだとか。
こうしてテューダー朝時代に、エドワード4世の英雄伝説が固まりました。
(……この時期に英雄化が行われるのは、ヘンリー8世以降はエドワード4世の直系子孫だから、なんでしょうかね?)
ただし「史的評価」という観点からいえば、19世紀後半まで、エドワード4世は低評価。
それまで、イギリス絶対主義の成立はヘンリー7世治世以後ととらえられていたからです。
しかし1874年に、ジョン・リチャード・グリーンが『英国人民小史』にて、「イギリスの絶対主義成立の先駆者はエドワード4世」と主張。
以降、この見解が定着し、エドワード4世が高く評価されるようになっていったそうです。
しかしチャールズ・ロスは『エドワード4世』(1974年)にて、エドワードの政策には先見性も一貫性もなく、そのせいで彼の死後、国内が無秩序状態になったと結論づけました。
論文の筆者はそうしたロスの評価を受けて、「エドワード4世は、絶対主義的性格をもつと同時に、大貴族による支配体制を並存して行った封建的性格も兼ね備えていたと考えられる。」とまとめています(そして大貴族のパワーバランスをうまくとれず、大貴族を御しきれなかった結果、失敗したと)。
……それって、お兄ちゃんの無茶ぶりのせいでリチャードが苦労したってことじゃん!
ていうかエドワード兄ちゃんの方針って、本当によくわからないですよ。
治世の前半、北部統治を‘キングメーカー’ウォリック伯に任せてネヴィル家に力を持たせたせいで、玉座を追われるほど痛い目にあったのに。
治世の後半では弟のリチャードに、やっぱり北部を丸投げしてるんですよね。
そればかりかスコットランドとの国境地域に、パラティン州という王権すら及ばない新州を創ってリチャードに与えている。
(しかもこれ、1代限りじゃなくて、リチャードの相続人が受け継ぐことになってるんです。もしエドワード兄ちゃんがもっと長生きしていたら、リチャードを初代大公とする独立した公国が形成されていたかもしれないんですよね……)
さて、北部を超有力貴族に任せていたせいで苦い経験をしたエドワード兄ちゃん。
どうしてまた一個人に巨大な力を与えて、北部を丸投げしちゃったんでしょうね?
①ウォリック伯や王弟クラレンス公ジョージには裏切られたが、その苦い教訓を勘定に入れても余りあるくらい、末弟のリチャードを信頼しきっていた。
②過去からなにも学んでいなかった。
……個人的には①かなあと思っているんですが、エドワード兄ちゃんの場合②もありえそうなところが怖い……。
どちらにせよ、彼がリチャードを信頼していたことは確かでしょうけど。
それに関連して昨日読んだ論文がこちら↓
尾野比左夫「エドワード4世の史的評価」『プール学院大学研究紀要』第41号(2001年)pp.65-82
日本でリチャード3世の研究者といったらこの人、『リチャードⅢ世研究』の著者・尾野比左夫さんの論文です。
PDF形式ですぐダウンロードできるし、短いし、なにより日本語なので(笑)、さっくり読めちゃいます。
要するに、リチャード3世のお兄ちゃん・エドワード4世が歴史家の間でどう位置づけられているか、という話。
ざっと解説すると、エドワード4世~ヘンリー7世期の年代記作家には、エドワード4世を辛辣に批判する者もいれば賞賛する者もいたそうです。評価がかなり割れていたんですね~。
それがヘンリー8世の時代になると、エドワード4世の英雄伝説が生まれてきます。
いわゆる「三つの太陽」のエピソード。モーティマー・クロスの戦の前に、エドワード軍の前に三つの太陽が出現した(現在では、幻日という気象現象だったと言われる)というあの話を、年代記作家がこぞって書くようになったんだとか。
こうしてテューダー朝時代に、エドワード4世の英雄伝説が固まりました。
(……この時期に英雄化が行われるのは、ヘンリー8世以降はエドワード4世の直系子孫だから、なんでしょうかね?)
ただし「史的評価」という観点からいえば、19世紀後半まで、エドワード4世は低評価。
それまで、イギリス絶対主義の成立はヘンリー7世治世以後ととらえられていたからです。
しかし1874年に、ジョン・リチャード・グリーンが『英国人民小史』にて、「イギリスの絶対主義成立の先駆者はエドワード4世」と主張。
以降、この見解が定着し、エドワード4世が高く評価されるようになっていったそうです。
しかしチャールズ・ロスは『エドワード4世』(1974年)にて、エドワードの政策には先見性も一貫性もなく、そのせいで彼の死後、国内が無秩序状態になったと結論づけました。
論文の筆者はそうしたロスの評価を受けて、「エドワード4世は、絶対主義的性格をもつと同時に、大貴族による支配体制を並存して行った封建的性格も兼ね備えていたと考えられる。」とまとめています(そして大貴族のパワーバランスをうまくとれず、大貴族を御しきれなかった結果、失敗したと)。
……それって、お兄ちゃんの無茶ぶりのせいでリチャードが苦労したってことじゃん!
ていうかエドワード兄ちゃんの方針って、本当によくわからないですよ。
治世の前半、北部統治を‘キングメーカー’ウォリック伯に任せてネヴィル家に力を持たせたせいで、玉座を追われるほど痛い目にあったのに。
治世の後半では弟のリチャードに、やっぱり北部を丸投げしてるんですよね。
そればかりかスコットランドとの国境地域に、パラティン州という王権すら及ばない新州を創ってリチャードに与えている。
(しかもこれ、1代限りじゃなくて、リチャードの相続人が受け継ぐことになってるんです。もしエドワード兄ちゃんがもっと長生きしていたら、リチャードを初代大公とする独立した公国が形成されていたかもしれないんですよね……)
さて、北部を超有力貴族に任せていたせいで苦い経験をしたエドワード兄ちゃん。
どうしてまた一個人に巨大な力を与えて、北部を丸投げしちゃったんでしょうね?
①ウォリック伯や王弟クラレンス公ジョージには裏切られたが、その苦い教訓を勘定に入れても余りあるくらい、末弟のリチャードを信頼しきっていた。
②過去からなにも学んでいなかった。
……個人的には①かなあと思っているんですが、エドワード兄ちゃんの場合②もありえそうなところが怖い……。
どちらにせよ、彼がリチャードを信頼していたことは確かでしょうけど。
じゅりーさん、卒論の最中なのですね。やはり内容は陛下についてでしょうか?色々な論文&研究書を読みまくっておられるのでしょうね。
パラティン州のことは触れられることが割と少ないような気がするのですが、地味に重要ポイントですよねー
エドワード兄ちゃんの考えは、1番目にビッドしたいですが、2番目ではないと言い切れないのがなんとも(^_^;)
それでは、また。
こちらこそご無沙汰しておりました~。貴ブログは日頃からちょくちょく覗かせていただいております。
そして、さすが秋津羽さん。この論文もチェックされていたのですね!
私のほうはといえば、読みまくっていると言えるほど大した数は読んでおりません(汗)
卒論で陛下についての研究史を扱いたいなと思っているので、とりあえず伝記に特攻開始したのみです~。
Charles Rossの『Richard III』(1981年)以降に出た陛下の伝記ということで、Michael Hicksの『Richard III』(初版1991年、改訂版2003年)を読んでいるところです。
私の読書ペースが上がればもっといろいろ読めるはずなんですが……げふんごほん。
エドワード兄ちゃんは……なんというか、同時代の人たちからも「なにを考えているんだあの王は!」と思われていたんじゃないかという気がします。(秘密結婚のときとか)
きっとリチャードも苦労したことでしょう……。
それでは~。
それよりも私が気になったのは、参考資料として名前の挙げられていたイヴァ・ウィセル・フィッシュ編『エドワード4世のブルゴーニュ公シャルルへの書簡メモ』(1992)です。激しく読みたい!と思ったのですが、Nottingham Mediaeval Studiesという雑誌に掲載された論文なのですね↓ 入手困難じゃないですかorz
Edward IV’s Memoir on Paper to Charles, Duke of Burgundy. The so-called "short Version of the Arrivall" edited by Livia Visser-Fuchs, Nottingham Medieval Studies, vol 36, 1992, 167-227
Livia Visser-Fuchs氏って、"Richard III's Books"や"The Hours of Richard III"の共著者ですよね。興味がうずきます……
全く感想になってません、すみませんー
なんとなく見覚えがあったりなかったりする史料一覧の中で、確かにこれは気になる……!
しかし雑誌論文……orz
一応、国内でも所蔵している大学はちらほらあるようですが↓……やっぱり入手しづらいですよね、雑誌系は。
http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/HolderList?txt_docid=NCID%3AAA0031538X
エドワード兄ちゃん関連で私が個人的に興味あるものといったら、(尾野さんは挙げていませんでしたが)「エドワード4世と錬金術師」↓でしょうか。
'Edward IV and the alchemists'by Jonathan Hughes,History Today, 52:8 (2002), 10-17
エドワード兄ちゃんと錬金術師の関わりがいまいち把握できていないので、いつか読みたいなと思いつつ、まだ取り寄せていない……(汗)
入手しても積読論文が増えるばかりなのですが~。
こちらこそ、コメントのお返事なのか覚書なのかわからない状態ですみません~。
それでは。
エドワードの治世の安定度というのはいつも不思議に思います。封建制度から絶対王政への過渡期と言う構造上の側面のみを見ても、もっと不安定でも不思議ではないのではないかと思うのですが。
ウッドヴィル一族の重用は、もしかしたら古来よりの大領主達の中央での権力を削ぐためのもので、絶対王政への布石かなと思ったりもしていたのですが、
何も考えていなかった。
可能性も否めないところが、お兄ちゃんの凄さですね。それでいて、それなりに安定した治世を敷いていたのは、その美貌で民を誑かしていたためでしょうか?多分、気さくでセレブとしてみた場合、民からしたらリチャードよりも面白かったんだろうなとは思います。娯楽として。
一つだけ確かに、エドワードにはリチャードがいたけれど、リチャードにはリチャードがいなかった、というのも大きいのでしょうね。
秋津羽さんの仰るとおり、パラティン州は地味に重要ポイントですよね。Dickonが終わったら攻めてみたいと思います。本当に、私の元コース・ヘッドが言うように"Reading list is too long, and life is too short."でございますよ。
っと、覚書失礼しました~。
History todayに載っている'Edward IV and the alchemists'はどうやら電子ジャーナルで入手できるらしいと判明したのですが、エドワード兄ちゃんと錬金術の話はそれ以外にもいろいろ書かれているのですね……。奥が深そう。
>ウッドヴィル一族の重用は、もしかしたら古来よりの大領主達の中央での権力を削ぐためのもので、絶対王政への布石かなと思ったりもしていたのですが
これはあると思います。
旧来の大貴族に対抗できる勢力を、王の愛顧によって擁立することで、「王=すべての権力の源たる存在」としたかったのではないでしょうか。
だからこそ、北部に対しては地方分権っぽい方針をとっている(北部をリチャードに委ねている)のが、謎ですよね。
>民からしたらリチャードよりも面白かったんだろうなとは思います。娯楽として。
爆笑しました。
しかも妙に説得力がある……(笑)
民が求めるパンとサーカスの、サーカスのほうですか。美貌のお兄ちゃんは。
>一つだけ確かに、エドワードにはリチャードがいたけれど、リチャードにはリチャードがいなかった、というのも大きいのでしょうね。
エドワードにとってのリチャードのような存在を、リチャードはひょっとしたらバッキンガム公に期待していたのかな……とふと思いました。
それでは~。