スマホで簡単にいろんなブログを読めるようになっている現代。
5年前に肺癌でなくなった父が
残した幼い日の記録を
私たち家族だけではなく
どこかの誰かにも読んで欲しいと
ふと 思いついて書きます。
父の満州の思い出を。
青酸カリ
開拓団本部の診療所に取りにいった青酸カリを水に溶かして、市村の人だけが集まって次々に飲み始めた。
飲んだ人は口を押さえて表に走って出ていく。
母の隣にいた、高村のおばさんが便所に行ったので、次の番だった母がガラスのコップで飲み、弟の照男に飲ませた。
わたしはそれが何だかわからなかったので、白っぽくて砂糖水のように見え、早く飲みたくてしかたがなかった。
そのコップをわたしが受け取った時に
誰かが叫んで コップを取り上げた。
水の入った鍋もとりあげられた。
母は建物の様子がわからず、みんなが出た方角とは逆の裏へ 照男を抱いて出てしまった。
早く表に出た人たちは、苦しくて、みんなが出てくるのを待ちきれず、円陣をくんで、手榴弾を何発か投げ、自決した。
腕や足や肉片がそこらじゅうに飛び散っているのを、わたしはあとで見た。
裏へ出てしまった母は、随分狂って死んでいったそうで、
それ以上に照男はなかなか死ねず、相当の時間が かかったらしい。
”こんなちいさな子が生きのびてくれたらどうしよう “
と心の中で思った とあとでおばさんは言った。