SF映画やドラマでは、人間が、広い宇宙で大活躍。
この地球でいう、大航海時代のような話ばかり。
しかし、地球と宇宙とでは、余りにスケールが違い過ぎる。
1977年に打ち上げられた、NASAの無人宇宙探査機ボイジャー1号。
既に、太陽系の8個の惑星の外には出たものの、太陽系の外に出るには、3万年以上かかる。
3万年前と言えば、旧石器時代。この日本列島に人間が渡って来た頃。時間のスケールも桁違い。
人生100年時代と言っても、100年では、どうしようもない。
人間に可能な、宇宙旅行なんて、太陽系の中の、ごくごく近場だけということか。
そもそも、人間は、つくづく生産性の悪い生き物。
80年以上もかけて蓄積した、知識やノウハウも、その死とともに消えてしまう。
新しい命も、裸で、まさに「初期化」状態で生まれてくる。
数十年にも及ぶ試行錯誤と学習を経て、ようやく使い物になる。
しかも、20歳を過ぎたころが、ようやくスタートライン。
しかし、それも、先人が積み上げた情報が、増えれば増えるほど、そのスタートラインに到る時間は、伸びる一方。
スタートラインが、30歳とか40歳になったら、もう、普通の人間は、お払い箱。
ただ、心配しなくても、その頃には、AIのおかげで、生身の人間が、これ以上、無理をして、情報を覚え込む必要はなくなっているだろう。
何もしなくても、AIが、万事つつがなく、こなしてくれる世界。素晴らしくもあり、虚しくもある。
いずれにしても、人間は、「生まれては、死ぬ」という繰り返しをしながら、尺取り虫のように、少しずつ進化していくだけの、しがない生物。
AIに道を譲るというのも、自然の摂理ということか。