思い起こせば、今から20年前、21世紀を迎えたばかりの頃は、イーターネットなんて、ほとんど馴染みが無かった。
AmazonやNetflixやYouTubeで、好きな時に、好きな映画やドラマや動画を見ることができるようになるなんて、想像もできなかった。
会社では、パソコンが、使われ始めたばかり。
データの保存だって、フロッピーディスク。
容量が小さ過ぎて、管理が大変だった。
それどころか、パソコンを使いこなせない人が多かったので、まだワープロが活躍していたくらいだ。
電子メールも、まともに使いこなせる人は僅か。
受信メールの一覧が、未読メールで埋め尽くされていたり、メールを送ってから電話で受信確認する人までいた。
携帯電話だって、持っているだけでステイタス。
初めの頃は、携帯と言っても、大きくて重かったので、肩からショルダーだった。
テレビは、まだブラウン管。
ビデオはテープ、録画時間が短くて苦労したものだ。
タッチパネルなんて、一部では使われていたが、世間的には、SFの世界。
いずれにしても、20年前は、超アナログな世界だった。
長々と書いてきたが、言いたいことは、デジタル化が進むと、社会の変化は、とても早くなるということだ。
その昔、数百年もかかっていた変化が、数十年どころか、数年になってしまうかもしれない。
だから、今から20年後の社会が、どうなっているかなんて、想像できない。
現在ですら、デジタル化についていけない人間がたくさんいるのに、この先、一体どうするつもりなのだろう。
「人生100年時代」なんて、ノンキに喜んでいる場合ではない。
デジタル化による、急速な社会の変化についていけない人間が増えれば、地獄のような「人生100年時代」になるかもしれないからだ。
デジタルを使いこなす人間と、使いこなせないデジタル難民。
デジタル化が、新しい格差を生み出すのだ。