森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

深谷市本田 春日神社

2016年02月27日 | 空色の休日 2016 

旧川本町(現深谷市)荒川沿いの河岸に広がる「鹿島古墳郡」から熊谷寄居線(県道81号)を南西へ約1Km、武蔵国男衾郡(おぶすまぐん)本田村鎮守「春日神社」へ参拝。

 本田は、古くは上下に分かれていたらしく、教念寺に所蔵されている延文・康暦・応永期の文書には「上本田郷」とある。この、上下の区分は、行政上は江戸時代初めにはなくなったものの、村民の間では存続していたらしく『風土記稿』も「村民は今も私に上村下村と分ち唱ふといえり」と記し、上本田の鎮守は赤城社(現坂上神社)、下本田の鎮守は春日社(当社)であると述べている。
 こうした、氏子区域の区分は、現在にまで継承されており、大字本田のうち平方・宿・根岸・三ツ井・春日丘が当社の氏子、上本田・里の谷・後鷹の巣が赤城神社の氏子である。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)


では、参拝。

 畠山重忠の郎従本田次郎近常がこの地に居住したと伝えられる本田は、荒川右岸に位置する農業地帯である。当社は、『風土記稿』では、天平二十年(七四八)勧請と伝えるが、根拠はないと記している。一方、社記によれば、当社は、河内国(現大阪市)に鎮座する枚岡神社を分祀したもので、創建当時は枚岡神社と称していた。しかし、平城京へ遷都(和銅三年・七一〇)に伴い、藤原氏がその氏神として河内国の枚岡神社を奈良の春日山に奉斎し、春日神社と改称したことから、当社もまた春日神社と改めたという。このように、奈良の春日神社とつながりの深い当社の祭神は、本社と同じ天津児屋根命である。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)



本殿脇に「稲荷社」


参道東側には「鹿島神宮」「稲荷大明神」「社日神社」。


南側手前は「天満天神社」。末社殿は手前から「冨士浅間神社」「山之神社」「雷電神社」「八幡神社」「古峯神社」。その奥には重さ100貫(375Kg)といわれる神輿を安置する「八坂神社」が並びます。


境内西の入口には旧川本町ではおなじみの「かわもと郷土かるた」の看板が置かれています。裏側」に『七月十四日と十五日は、本田、春日神社の天王様です。特に宵宮の十四日が賑わいます。祭りばやしの笛や太鼓が鳴り響き、子供神輿が勇ましく練り歩きます。参道には露店がならび、近隣の人々が参拝に訪れます。』とありますが、その後深谷市との合併等もありどうなっていったのでしょう? 八坂神社の背中(?)がなんだかさみしそうですね。


境内にはヒガンバナの葉でしょうか?いっぱいに広がっています。花の頃に来たらお見事でしょうね。また何れ・・・・。

:ここです→ Google マップ

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