cadenza

にっき。

38

2017-12-30 20:14:01 | 日記
2017年は実はとても無理をした年だった。

でも無理をしているくらいが丁度いいのかもしれないということに、気がついた。
なんせ余計なことをあまり考えなかった。
日々は勝手に過ぎていってくれて、道に迷うことも途方に暮れることもなかった。

ただ毎日が単調で、ちょっとつまらないし、なんか不毛だし、どうも無意味だなとは常々思ってはいたのだけれども。
ああこういうことか、と。
少しうんざりして、少し安心した。

もうびっくりするほど自分のための時間が、全然なかった。自分の人生なのにね。なるほど。
今までありすぎていたのかもしれないけど。
突然なくなると、ちょっと……。

多分自分のための時間とはなにか、ということも、そのうち忘れていって。
これが当たり前になっていくのかもしれない。


なんてうじうじ書きましたが。

全体的には、思っていたよりも割り切るということが上手にできた自分を褒めてあげたい一年だった。本当上出来だったと思う。

そしてなんやかんやで恵まれていました。色んなものに。
ありがとう2017年。
3杯めのワインを飲みながら思い返した。

37

2017-03-20 20:17:14 | コンサート
この前新国立劇場ドニゼッティの「ルチア」に行った。
新演出だそうで、どんな演出が採用されたのか気になってたんだけど……いやはや。

前半は素晴らしかった。まずお兄ちゃんのエンリーコの人がうまい。一つの大道具を使い回しながは話を進めていくのも良かったし、場面替えに映像を使いつつ、薄い幕で次の場面を提示するという手法は新しくはないけどきれいだった。

そしてなにより、ヒロインルチアのキャラクター設定が秀逸だった。
ルチアといえばもっとおとなしめの女性で、運命に翻弄されて自我を失う可哀想な悲劇の人という解釈で私はいつもみていたんだけど、この演出は違う。

まずルチアはズボンを履いて出てくるの。
恋人との密会のための変装ととらえることもできるし、頑固で男勝りの強い女性という設定付の強みとしても良い小道具となっていたと思う。

あたりは沈黙に閉ざされってアリア、私はいつもレチタティーヴォの後いきなり明るくなって音が転がっていく意味が全然わからなくて、これだからイタリアオペラは…って半ばうんざりしていたんだけど、このルチアが歌うと妙にしっくりくる。

ルチアは根は強い女性なんだという設定は今まで考えたことなかった。
元々弱々しく大人しい女性だからこそ、狂ってしまうのだと思ってたし、その痛々しさが涙を呼ぶのだと思っていたから。
そういう私のなかのルチア像を見事に破り去ったわけである。
だからエドガルドの誓いは強い意志と情熱をもって歌いあげられるし、お兄ちゃんとのぶつかりあいも激しい。平手打ちまでくらう。
そして絶望に対しての悲しみも強く激しい。

あーたしかになるほどって、今までもやもやしていたところが腑に落ちた感覚もあった。
このルチアならわかる、って感じが面白くてわくわくしたの。

そう一幕…二幕までは素晴らしく新しい演出だなと楽しくみていたわけです。
こういうルチアもありだな、といっときは思った。

でもね、生意気なことをいうけど、私的に三幕が最悪だった。原因ははっきりしている。

首。

ルチアの見どころである狂乱の場。
そう、お兄ちゃんに騙され好きでもない男と政略結婚をさせられた挙句、愛する恋人に責めたてられたルチアは狂って、結婚相手を刺し殺し、幻想の世界に囚われながら狂い死んでいく。
ソプラノの凄まじい超絶技巧がおかしくなった彼女の哀れさをこれでもか、と強調するあそこ。

最悪だった。
いや演奏者は素晴らしかったの。音楽も。
私が最悪だったと何度でもいいたいのが、あの首。

人によって、ちょうど良い加減っていうものは違うと思う。
あのくらい衝撃的でグロテスクな演出がちょうど良いと感じる人が多いのかもしれない。

だけど私はやりすぎだと思ったし、悪趣味だと思いました。だって不必要だもの。
なんでルチアに結婚相手の首が刺さった槍を持たせる必要があったのか、全く理解ができない。
あのルチアのキャラクターであったとしても、あれは成立しないのでは?
ただただ視覚的効果を狙っただけにみえた。
衝撃的な演出は確かに舞台映えするし、人に大きなインパクトを与えるとは思うけど、あれはない。
しかも音楽の邪魔までしている。
なんのためにフルートでなくグラスハーモニカを使ったの?新しくも正しい音楽的挑戦を、自ら台無しにする必要はなかったのではないかと、ただただ残念でならない。
首がきになりすぎて音楽どころじゃないじゃない。むなくそもわるくなるじゃない。

なんで首なの。ほんとうに。

あーあ。オペラの演出色々あるけどらここ数年多い抽象的すぎて意味不明な自己満足の世界みたいな演出は確かにどうかと思う。
でもわかりやすすぎてやりすぎる演出をするのも、違うのではないだろうか。

血まみれってだけでじゅうぶんだと思うんだー……なのにさ。
最早ヒロインに生首を晒させるといった衝撃的なことをしないと、客の関心も話題も得られない時代になってきたってことなのだろうか。
だとしたら悲しいことであるよ。

まあ首が出てきたところで、人が何にも感じないような時代に突入したってだけかもしれないけど。
それはそれでどうなんだろう。

それはそれ、これはこれって受け入れる姿勢が整いすぎている気がする。
とにかくサロメじゃないんだし、ルチアに首は無いと私は思いました。
サロメの首には意味があるでしょう。

でもあの首の意味は本当によくわからない。
あれがただインパクトだけを狙った演出だとしたら、悲しみだけにとどまらず怒りすら感じる。

私はあんなの一回でいい。
二回目はたくさん。


36

2017-02-18 10:50:23 | 映画
『オーケストラ!』をみた。

押さえつけられて踏みつけられて虐げられてきたものが、音楽で一気に解放される。
その瞬間なんかもう涙が止まらなかった。

でも難しい映画だった。いろいろ。

ボリショイ交響楽団の元指揮者のアンドレイは、今は劇場の掃除夫をやらされている……。
全てはそんな彼がとあるファックスを手にするところからはじまるのね。

パリの劇場からの公演依頼。
これを勝手に拝借したアンドレイは、ロシアの共産主義時代の政策のせいで散り散りになったユダヤ系音楽家たちを再び呼び集めて、パリ公演実現のため動き出すの。
つまりボリショイ交響楽団に成りすまして、パリに行っちゃうの。いやはや。

で、ここで肝になるのがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。
アンドレイはずっとこの曲に囚われ続けていたの。指揮者を降ろされて30年間ずっと。30年間。

だからもっと悔しさ、悲しみ、憤りみたいなものがもっと全面に出てくるのかと思ってたんだけど、それよりも、深い罪の意識がアンドレイにはあったわけだ。

それがヴァイオリン奏者のアンヌ=マリー・ジャケって女の人の出生のなぞに繋がってくる。

なぞは最後の最後で全てが明らかになる。チャイコフスキーの音楽にのせて。

まあそれがメインなんだけどサブにも目を向けてほしい。
なんかもう、ボリショイ交響楽団を追い出されたユダヤ系音楽家たち一人一人の人生について考えてしまって、私は泣いた。

30年間のブランク。経済的に困窮して楽器を売り払ってしまった人もいる。でも、演奏できるの。

つまり頭の中には常に音楽があった。どんな仕事をしていても、どんな環境にいても。
これってものすごいことだよ。

いやーもうほんと最後だけでもいいからみてほしいけど、最後だけじゃ感動できないので、最初から最後までじっくりみて、最後の音と想いの高まりにテッシュの箱を空にしてほしい。

良い映画だった。。。

35

2017-02-15 22:35:15 | 日記
一時期夕暮れ時をさまよい続けていた頃があった。
家に帰るのも嫌だったし、どこかに行くのも嫌だった。
毎日のスケジュールを架空の説明会という予定で埋めて、夕方、家族が帰ってくるくらいに家を出る。スーツをきて。
それで長いことさまよっていた。
外からみる家のあかりが、どれも優しくて、あたたかそうで、よその家の夕ご飯のにおいを嗅ぎながらどこまでも川沿いを歩き続けた。
川沿いって引き換えさなければいくらでもどこまででもいけるから、2時間とか3時間とかそのくらいを歩き続けられた。

いま考えると頭がおかしいけど、あの頃はあの時間が必要だった。どうしても歩かなければならなかった。わかんないけど。毎日毎日。

なぜか大抵財布を忘れていて、缶の飲み物ひとつ買えなかった。黒い鞄のなかに、ぬいぐるみをひとつ入れていた。

どこにいこうとしていたのかわからない。夜の川は静かで、てらてらと輝いていた。オイルのように、てらてらてらてら。
ほんとうに、だからなんだという話だけど。

でもいまおもうと、どうもあれは絶望だった。たぶんだけど。絶望。暗くて苦しくてでも泣くことも許されなかった。そういうものを大きく育ててしまった夕暮れ時。

まあ結局どこにもいかなかったし、いけなかった。だけどあれはなんだったのだろうと思うと、たしかに絶望だった、と思う。
なにに絶望したのか、なにが絶望的だったのかは未だに謎なのだけれども。謎でありたい。
わかっちゃいけないような気がする。

そんなことがあった。たまに思い出す。

34

2017-02-14 19:02:07 | 映画
『読書する女』をみた。

これはどういう位置付けの映画なんだろうなと困惑しつつ、いや、位置なんか誰かのつけたものだしそんなものに囚われてはならないなんて生真面目なことも思いながら、みた映画。
いやそんな難しい内容じゃないんだけれども。
声がきれいな女の人が読書する女という仕事をする話。新聞に広告をのせて、依頼者の家に行って本を読みきかせる。
ただそれだけなんたけど、それだけでもなく。

なんかよくわかんないんだけど、主人公のマリーがとても綺麗な人だからか、お客さんとたまにそういう仲になってしまうのだ。

でもマリーはあくまで読書する女だから、自分で本を読めない人や寂しい人に本を読みきかせることにプライドを持っているの。
そんな話。

フランス語の言葉の響きの美しさを改めて感じた。あとえろい。なんだろう、擦れてる感じ。掠れてる感じ。吐息で喋る感じ。

それで結局なんなの?といったらそこまでのんだけど、私は好きな映画だった。

色もお洒落で、みていて楽しい。

読みたい本がたくさんできた。

あと音楽。
ベートーベンがそこらじゅうできらきらと効果的に(効果的ってこういうときに使うんだなと思いながらみた。)使われていて素敵だった。
すき。