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中国古代 ~春秋時代前期~

 史記を元に中国古代について書いています。初めての方はまず目次からご覧ください。

燕文公 豚沢の蜀鶏

2012-06-13 19:45:12 | 
 漢文問題集「燕書」より。燕文公・魏恵王などの時代だと思われます。



 燕と斉は友好関係にあったが、斉の方はひそかに燕のことを狙っていた。武安君蘇秦はそれを聞くと、燕文公に告げた。

蘇秦「斉、まさに我に利せざらんとす。公、よろしく之を謀るべし」

文公「寡人のおもふ所、晋(魏のこと?魏恵王初期は勢力がまだ大きかった)楚大国なるのみ。斉何ぞよく爲さんや(今は晋と楚のみが大国で、斉に燕の侵略なんて無理だ)」

蘇秦「然らざるなり。臣かつて豚沢(地名)に至る。豚沢の人、蜀鶏を養ふ。文(模様)有りて赤翁(首のところが赤い)、群雛(原文では余鳥という字でひなの意)周周として鳴く。たちまち晨風過ぐれば、鶏にわかに諸雛をたすけ、風捕え去るを得ず(朝の風が吹いてくると、鶏はひなたちを助けたので風にさらわれずに済んだ)。

 已にして(後に)鳥(からす)有り、来たりて雛とともに(えさを)啄ばむ。鶏之を見ること兄弟(のごとき)なり。(雛たちが)これ(鳥)と下となり上となり甚だ馴る。(鳥がすっかりひなになじむと)鳥たちまち雛を(口に)ふくみ飛び去る。鶏仰ぎみること悵然として(悲しそうに)、その売るところと為る(だまされたこと)を悔ゆるに似たり。

 それ巫峡の険(長江上流の急流)、船を覆す能はざれども、平流に覆る。羊腸の曲(羊の腸のように曲がりくねった道)、車をたおす能はざれども、劇驂(平地)にたおる。これ他無し(他でも有りません)、福は畏るる所に生じ、禍はゆるがせにする所に起こるなり」
(要約すると油断大敵だから斉に気をつけよ、ということ)

文公「子、誠に慮るに過ぎたるかな(考えすぎだ)」

 そののちすぐに斉は燕を攻め、十城を奪った。君子人は曰く「蜂蠆すらかつ毒有り」と。蜂や蠆すら毒があるのに、大国であればなおさらである。