八百屋さんでお買い物してたらガタイの立派な金髪の兄ちゃんに
「わっちゃんのお母さん!こんにちは!」
と声をかけられました。
マスクを外してくれたけどピンときません。
すると「○○です」と。
ご近所で子供会が一緒だった子でした。
タケルより3つ4つ上だったか。
すっかり大人になってて分かりませんでした~
「たけちゃんも何年生になりましたか?」って。わっちゃんは中学校の通学路にその子の家があるので時々顔をあわせていたようです。
結婚したころ、自分が長年当たり前のように思っていた苗字が消えたことがすごく嫌だった。
子どもが産まれてからは○○ママとか。
晃の奥さん、とか。
そう呼ばれるだけでイラっとすることもあったけど、最近変わってきました。
たけちゃん、わっちゃんのオカン!お母さん!ママ!山本さん!!
そんな風に呼ばれるのはお母さん、そして山本典子としてしっかり根付いてるなぁ、と嬉しくなるのです。
最近45歳になりましたが、本当に年の功。その歳にならないと分からないことが沢山あります。
前に日記書いてから状況はどんどん悪化してますね。
わっちゃんの誕生日に非常事態宣言が出ていよいよ不要不急の外出制限。
実はわっちゃんの誕生日、馴染みのお店の焼肉屋さんに行きました。
10周年のお祝いもかねて。。。
お店もコロナで大打撃らしいです。今でもお店は開けてますが大変でしょうね。。。
実は時々飲みに行ってた私ですがこの焼き肉屋からは自粛しております。
志村けんが死んで、大学時代の友達まで感染して、近所からも感染者が出たとのことでいよいよ身近に感じざるをえない感じです。
遅いですけど。。。
あと半月、とりあえずの目標で頑張りたいです。
子供ら、ただただゲームする毎日が続きます。もーしゃあない!一生分のゲームやっちゃえ!そんな気分です。
ええかげんにしとけよ~!
コォウラァ~~~!
ぼけー
なす~~~
かぼちゃぁ~
お前の母ちゃん、でべそ!
と言いたくなりますね。
学校も部活も塾も休み。外出も控えろって。。。。。
人それぞれ捉え方、考え方があります。
どれも間違いではないと思います。
ちなみに私はいつもと変わりない生活をしております。
子どもたちが家にずっといるからアレですが、ランチに出かけたり、行きたいときに友人らと酒を飲みに行ったりしています。
春休みは晃が忙しい時期で休みがないので旅行までは行けなかったけど。(そういやコロナはしりのころにタケルと京都2人旅したなぁ)
とにかく全く気にしていません。
そんな私もさすがに帰省は少しだけためらいました。ウィルス持ってて透析患者の母に移ったらどうしよ、って。
まぁ少しだけ考えました。
明日、おばあちゃんの1周忌があります。
家族で帰ります。
コロナだけの問題でもないと思うけど、父方の兄弟は来ません。
母方の兄弟は全員集合です。最高齢の母の兄はもう80も後半だと思うけど自分で運転してやってきます。
アリとキリギリス。ちょっと違うか。
とにかく楽天的な血の違いでしょう。
私は完全にキリギリス寄りだと思います。
いや、キリギリスに憧れるアリといったところでしょうか。
とにかく、1周忌は不要でも不急でもありません。
私を育ててくれたおばあちゃんの1周忌です。
しっかり拝んでこようとおもいます
2、3歳まではとにかくかわいい。遺伝子、我が子というのはこんなにも愛情がわくのか、と驚きさえする。
笑った、立った、歩いた、喋った。それだけで世界一だった。
幼稚園に入ると、同じ年のかわいい友達の中にいても自分の子は輝いていた。
絵が下手でも、走るのが遅くても、他にこれは天才じゃないのか、ってとこがあった。
小学校では自立していく。
自分で友達を作って、勝手に遊びに行って、勉強して宿題して。
うんうん、うちの子頑張ってる。
中学校。カッコつけても私からは子供のままだ。
体も私より大きく、力もかなわない。目に見える成長が嬉しい。
私と晃のいる家の中で2人が日々育っていく。
赤ちゃんから確実に大きくなっていった。
苦労と幸せ、どちらもあるから面白いのかな、とも思った。
子供を育ててると、
2.3歳まではとにかく精いっぱい。初めてのことだらけで初めての感情、初めての疲労と戦う日々。
幼稚園に入ると、子供と社会のはざまで疲れる。
小学校、楽にはなってきた。楽にはなってきたが我が子が幼いころは無限の可能性も秘めていてやりがいも感じていたが、この頃より急に現実味、日常感になる。
中学校、もっと子供を信用出来なくなってやたら口うるさいオカンと化す。そのタイミングで子供は反抗期を迎える。
高校、未知数
大学、行けるのか。。。
就職、できるのか。。。。。
結婚、せんかったらどうしよう。。。。。。。
タケルが中学校になって、なんだか本格的に「親として」の指針が問われてる気がするが、そこがまだ定まってない。
正念場だな。