父は持病の糖尿病が悪化し、母は55歳から年金を受け取り、姉達の孫の祝い事などへの費用捻出のため必死でアルバイト、同時に自分の老後費用を貯めていた。
還暦の頃の写真を見ると二人とも若い。つうか年相応。まだまだ活気も体力もあった。
毎日車で仕事と称した外出に出かけていた父が免許を返納し、マイカーを廃車したのは72歳。緑内障も進み、視力や視野を失ってからも低速度で運転をしていた。
とても無謀で危険だが、社会不安症であり、発達、強迫障害もある父にとっては、
車の中が一番心安らぐ場所だったのかもしれない。
父は透析を7年続け、最終的には心不全で亡くなった。
若い頃には病院嫌いで健康アピールの強かった父と真逆に、母は病を宝にするような人だった。
少しでも不調を感じると病院へ駆け込み、自分が不治の病ではないかと疑った。
常に自分の健康が一番。しかし、過去の大病を勲章にしていた。
60代って、本当にその後の健康の分かれ目が著しい年齢だと思う。
母は病院を味方にすることで90を過ぎても生きている。認知症となり娘の名前や顔は忘れても、多分自分の過去の手術については記憶している事だろう。
父は病院を怖がった。不調でも自分が不死鳥だと信じていた.痛々しいほどの恐怖症。人生が辛かっただろうなと今は共感できる。
予期不安の強い母と現実否認の強い父。
二人は混ざる事のない水と油。それでも何故か互いを求めていたから夫婦って不思議だよなあ。