終戦記念日が近づくと、亡き父の事を思い出す。
父は戦地に行っていない。詳細はわからないが、あまりに気が弱く徴兵を拒んだという説がある。
あの時代それが可能だったのか疑問だが、戦死した兄の話は一切した事がなく、徴兵を拒んだという父の黒伝説は、親戚の叔母からチラチラ聞かされた。
しかし、父は時々、私達子どもを集めては自分の脛の傷見せ、「これはな、兵隊で戦っていた時、鉄砲で撃たれた跡だ」と男にしては色白でムダ毛の少ないふくらはぎを自慢した。
末娘の私は父があぐらを組んだひざの中に入れられ、父の鉄砲の跡を不思議な感覚で眺めていた思い出かある。
あれは父の出まかせ?戦争に行けなかった言い訳?
軍歌を好み大音量でかけていた父。歌いながら自分も戦った気持ちになれたのだろうか。
先日、イタリアの映画「ひまわり」を鑑賞した。
戦争によって引き裂かれた愛。妻と別れたくなくて、アントニオは気の狂ったふりをして、精神科へ運ばれるが、あえなく詐病とバレて召集される。
終戦となり、妻ジョパンナは夫が帰るのを待ち侘びるが、戦地ソ連から帰らぬ人となる。
しかし、夫は絶対生きていると信じてソ連へ渡り探し続け、やっと見つけた夫には既に家庭があり、小さな娘をもうけていた。
戦争が引き裂いた二人の悲恋。諦めてイタリアへ帰るが、その後また夫は彼女を探しにイタリアへ。
皮肉なもので、その時には彼女にも家庭があった。
二人は束の間の愛の時間を過ごしまた別れ
る。もう切な過ぎる物語。悲しげなサントラが場面場面流れ、心を揺さぶられる。
戦争を逃れたかったアントニオと父が重なった。
男は常に勇敢で国のためなら命を懸ける。
それは美談で、本当は皆怖くてたまらないはずなのに。
歴史の中でも人は狂い愚かな戦争を繰り返して来た。
時代はまた暗黒に向かっているのか?でも、戦争は絶対ごめんだよ。命は尊い。