goo blog サービス終了のお知らせ 

るるの日記

なんでも書きます

夢で僧侶に注意されました「お経で縛るぞ」と

2021-09-27 08:55:43 | 日記
夢を視た

■私は以前働いていた会社にいた。私は何をするでもなく、社内をブラブラ歩いていた。何やら全職員で社内を改装中。懐かしい職員と何人もすれ違うが、私に気づくことなく皆さん改装仕事に没頭している。ここにはもう私の居場所がないんだ、、複雑な思いで会社を出て、道を歩き出した

ところで目を覚ます

■再び眠りにつくと、また先程の以前働いていた会社にいた。ついさっき夢から覚めた記憶があったので私は
「あぁ、これは夢の中だ」と気づく
そして「夢の中の肉体を離れてみよう」と思い、意識を移動すると、夢の中の肉体をスッと離れた。そばに鏡があったので意識だけでその鏡を見ると、なんと私の肉体が映っているではないか。しかし確かに夢の中の肉体からは抜けている
【夢の中は本来意識だけ。だから意識だけになると肉体がつくのか、、?】
【♦️夢で鏡に映る自分の顔を初めて視た。これは大丈夫?】

■とりあえず飛んでみた
ある建物の壁を通り抜けると
広間で30人程の僧侶がお経を読んでいた。「僧侶って霊感あるのかな?あるとすれば意識だけで飛び回る私に気づくはずだ。よし実験してみよう」と私はお経を読んでいる30人の僧侶の前を自在に飛んでみた。すると数人の僧侶が私を目で追っている。やはり霊感はあるんだ!私に気づいてるんだ!と嬉しくなる。そして私に気づいてない僧侶にも気づいてほしくて、何度も飛び回る

すると、僧侶たちの長老のような人が、明らかに私に向かって渇を入れた「お経を使って縛るぞ❗️」

私はあわてて逃げた
縛る=夢からさめない
となると察したからだ

そして私は夢から覚めた
危なかった

■私は夢世界を通りすぎ霊界に行ったような気がする。そこは霊界の僧侶養成所で、次にこの世に生まれた時に人々を救うため立派な僧侶になるための修行の場。そこで私は浮遊していて僧侶候補霊の修行を邪魔して、その指導霊を怒らせる行為をしたのだ

■この世の浮遊霊は、この世で死んだ霊。あの世の浮遊霊は、この世の生きている人間がひょんなきっかであの世でさ迷う存在、、
何らかの邪魔をすると、そこに縛られて返って来れない、、ことを知る。つまり興味本位で霊界へ行き霊界の修行を邪魔をすることは、霊界では悪霊と見られる

と、いろいろ想像している

■「お経で縛るぞ」長老のやさしさ

ただ
夢の中の僧侶候補生の修行が進むと
全集中してお経を読むだろうから
浮遊霊に気を散らすこともないのに

私は僧侶候補生の試験に使われたと想像する
しかし、あまりにも私がしつこく飛び回るから、長老が「もういいぞ」という意味で「お経で縛るぞ」と言ったのかもしれない。きつめに言わないと私はいつまでも飛び回り帰らないから、、楽しみに執着、、それは自分自身であの場に縛りつけ、帰れないってことか、、
長老のやさしさだったのかしらねぇ


水の思想を持つ人は、他者に多大な影響を与える

2021-09-25 14:43:48 | 日記

水の思想

水は、円い器に入れれば円くなり
四角な器に入れると四角になる
万物に恩恵を与えながらも
けして相手に逆らうことなく
常に低いところへと位置する
そのあり方たるや、極めて謙虚
それでいて急流ともなれば、硬い岩でも打ち砕いてしまう力を秘めている
つまり、一見、主体性がないように見えながら、強力な主体性を奥に秘め、何も為していないようで実は為している。臨機応変、自由自在の思想のことである
この極致を【無為自然】
自我を克服した【本然の自性】

今までずっと求めていた本然の自性は、自分自身の本心、本性
本然の自性で生きれば
心の中には何の束縛もなくなり
苦しみも怒りもない
つまり無心、無私の境地
あるがままの姿を
あるがままに楽しむ境地

金はあればあったでいいし
無ければ無いでいい
晴れてよし、雨でもよし
という状態

この状態を絵で描くと「○」のみ
「円(まどか)なること無為と同じ。欠けることなく余ることなし」

何の塵も汚れもない清浄無垢な
本然の自性に返ったら
ただニコニコと笑う存在になり
人はその存在だけで心救われる
言葉はいらない
振る舞いに滲み出る水の主体性が
人を救う
何も為していないようで、為している






物事の視点・価値観の違い【暗さを歌う石川啄木・楽しみを歌う橘曙覧】性分

2021-09-25 13:30:23 | 日記
貧しい生活の中で
石川啄木はその暗さを歌う

「はたらけどはたらけど、
猶わが暮らし楽にならざり
ぢっと手を見る」

「友がみな、我よりえらく、見ゆる日よ、花を買い来て、妻としたしむ」

「わが心、けふもひそかに、泣かむとす、友みな己が、道をあゆめり

この悲哀にみちた心情こそ石川啄木の真骨頂である
「どうして、自分だけが不幸なのか?」と、常に友と比較して自分の不遇を嘆いている

だが、橘曙覧はけしてこのような歌は歌わない。その貧しい生活のなかでも楽しみを発見し、ユーモアを見いだしている。生活苦や、たわいのない日常の何事でも楽しみに変えてしまう。

他人と比べず
あるがままの状態を、あるがままに歌い楽しむ。その視点に感嘆する



息をするのも楽しみになるような生き方

2021-09-25 12:57:58 | 日記
私は楽しく生きたい
だが、、、
「もっと楽しい生活がしたい」
「私の人生これでいいのか」
「無意味、つまらない」
と思いながら暮らしていることが多い
そのような思いになる時
歌人・橘曙覧(たちばなあけみ)の生き方を書いた本「『たのしみ』な生き方」を読み返す

橘曙覧は幕末に福井で生まれた
ただの歌詠み。名利を求めず、ひたすら歌だけを歌い、人生を過ごした人
だが歌詠みの才能は天才で
福井藩主・松平春嶽が、仕官することを再三要請したが、そのたびに断り
巷でひっそりと、自然を愛し、家族を慈しみ、孤高に生きた人だった
人柄は普通の穏やかな人

橘曙覧が何より素晴らしいのは
生活のすべてを「楽しみ」に変えてしまう心を持ち、人生を楽しく充足して生きたということだ
その生き方はまさに「人生の達人」と呼ぶにふさわしい

橘曙覧の歌【独楽吟】の中から、、
★たのしみは、つねに好める、焼豆腐、うまく煮たてて、食わせけるとき

★たのしみは、雪ふるよさり、酒の粕、あぶりて食いて、火にあたる時

たのしみは、門売りあるく、魚買いて、煮るなべの香を、鼻にかぐ時

★たのしみは、昼寝目ざむる、枕辺に、ことことと湯の、煮えてある時

★たのしみは、昼寝せしまに、庭ぬらし、ふりたる雨を、さめて知る時

★たのしみは、世に解きがたく、する書の、心をひとり、さとり得し時

★たのしみは、空暖かに、うち晴れし、春秋の日に、出でありく時

★たのしみは、朝おきいでて、昨日まで、無かりし花の、咲ける見る時

★たのしみは、心にうかぶ、はかなごと、思いつづけて、煙草すふ時

★たのしみは、こころにかなふ、山水の、あたりしづかに、見てあるく時

★たのしみは、庭にうえたる、春秋の、花のさかりに、あえる時時

★たのしみは、物知り人に、稀にあいて、いにしえ今を、語りあう時

★たのしみは、珍しき書、人にかり、始め一ひら、ひろげたる時

★たのしみは、そぞろ読みゆく、書の中に、我とひとしき、人を見し時

★たのしみは、草のいほりの、むしろ敷き、独り心を、静めおる時

★たのしみは、人もといこず、事もなく、心をいれて、書を見る時

★たのしみは、いやなる人の、来たりしが、長くもおらで、かえりける時

★たのしみは、田づらに行きし、わらわ等が、すき鍬とりて、帰りくる時


ひらめきを待つのは時間の無駄

2021-09-25 07:59:31 | 日記
「アイデアが一瞬にしてひらめく」
という考えは危険な嘘

その嘘を信じてしまうと
アイデアが浮かばないうちは
何も身動きができなくなってしまう

取り組んでみて初めて明確な形が見えてくるものです。だからとりあえず始めてみる必要があります

頭の中で考えているだけでは完成形にたどり着くことはできない。ひらめきを待つのは貴重な時間の無駄にしかならない。重要なのは行動すること