枕崎台風の豪雨によって、急斜面の呉市では山津波や山崩れや河川の決壊が無数に発生し、二千戸近い住宅が全半壊または流出。1154人が犠牲になった。広島県の死者行方不明2012人のうち半数以上は呉市の犠牲者であった。
災害の後、呉市民の間には「戦争で火攻めにあい、今度は水攻めにあった。正月頃には食攻めにあって餓死するだろう。なぜ天はこうまで我々を苦しめ抜かねばならぬのか」という悲痛な叫びが聞かれた
呉市における枕崎台風災害を大きくした人為的な誘因がある
※戦時中の山林の伐採、松根の採取、軍用道路の建設、防空壕の掘削、爆弾の投下、などによって山が荒廃していた
※呉市は軍港都市として、特異な発展をしたため、山腹や渓谷沿いに無計画に家屋が建てられ、渓流がゆがめられて、河川としての取り扱いがなされていなかった
※終戦直後のことで、気象予報がなかったために市民はこのような大災害が起きることを予知できなかった。また人心が不安定で弛緩しており、災害に対して備える心構えなど全くなかった
あの災害は自然災害ではなかった。戦争、敗戦という時代に広島という場所におこった枕崎台風は、広島県だけで二千人を越える犠牲者を出さなければならなかった必然性を持っていた
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