■東条英機内閣成立
昭和16年10月半ば★近衛首相は開戦をためらい
「中国から日本軍を撤兵させ、日米交渉を継続」しようとした
★陸軍大臣・東条英機は「撤兵反対、日米交渉打ち切り」を主張
↓
近衛内閣総辞職
↓
東条英機が重臣会議の推薦により
首相に任命され、陸軍大臣を兼任
■大本営・大政府連絡会議
11月1~2日
東条英機内閣のもと最高首脳を集めて【大本営・大政府連絡会議】が開かれた
〈決定事項〉
★開戦準備と日米交渉を並行して進める
★12月1日までに日米交渉が結ばれなければ、アメリカ・イギリスと開戦する
■アメリカの最後通牒ハル・ノート
11月26日
★日本軍の中国・フランス領インドからの全面撤兵
★3国同盟の空文化
★中国国民政府以外の政権の不承認
(満州事変以来の日本の対外政策全面否定で、アメリカの対日提案の中で最も強硬なものである)
■ハル・ノートによって開戦決定
★12月1日御前会議
日本は、アメリカ・イギリス両国との開戦を決定した
★12月8日、日本は東南アジア・太平洋地域で軍事行動開始し、アメリカ・イギリスに宣戦布告した
★3日後、ドイツ・イタリアもアメリカに宣戦布告した
★第二次世界大戦は、アジア・太平洋地域・ヨーロッパ地域を戦場とする空前の大戦争に発展した
★日本陸軍はイギリス領マレー半島に
(一部の日本軍はタイに)
上陸
★日本海軍はアメリカ海軍の重要基地であるハワイの真珠湾を攻撃