■昭和12年首相4人交代
昭和11年日本政府も華北5省を日本の影響下に置く方針を明確にした
しかし軍備拡張による国内収支の悪化などから政党勢力が広田内閣に不満を抱き、これに対して高度国防国家をめざす軍部は、国内改革が不徹底だとし、
★広田内閣は両者の攻撃にあって昭和12年内閣を退陣
★宇垣一成が首相となるが、陸軍がこれに強く反発。陸相候補を推薦しないことで宇垣内閣は流れた
★林銑十郎内閣が成立
既成政党から強力を得られず退陣
★昭和12年6月、近衛文麿内閣誕生
■戦争の始まりは小さな衝突から
7月7日夜半から8日早朝にかけて
北京校外盧溝橋付近で、日本軍と中国軍が衝突
近衛内閣は【事件不拡大】の方針をとるが、陸軍や政府強硬派の意見に押されて【強硬方針に転換】
陸軍は華北での軍事行動を拡大
■中国人による日本軍人の殺害を機に全面戦争へ
8月、上海で中国側による大山大尉殺害事件が起きた。これを機に日本海軍も強硬姿勢をとり、海軍航空部隊が、南京を爆撃
日本は中国と全面戦争に突入した
■日本軍による中国人虐殺
12月南京占領
敗残兵の掃蕩(敵をすっかり撃ち払う)を行ったが、この際に日本軍は、多数の中国人非戦闘員や捕虜を殺害したため、国際的に激しい非難をあび、中国人の抗日意識を奮い立たせた
■近衛内閣和平の機会を切る
近衛内閣はドイツを仲介とし、中国と和平工作を進めたが、中国側は和平条件が過酷なため難色を示すと
近衛内閣は昭和13年1月、「中国国民政府を相手にせず」との声明を発し和平の機会を断ちきった
昭和13年10月
日本軍は、広東・武漢を占領したが
中国国民政府は、中国共産党の協力のもと抗日戦を展開
■近衛内閣の戦争目的声明
近衛内閣は、この戦争の目的は【東亜新秩序の建設】にあることを声明し、中国国民政府から同調者が出ることを期待
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これに応じた国民政府の汪兆銘に、南京政府を樹立させた
■日本円による経済地域形成
日本は満州、中国の日本占領地域を、日本円による経済地域に形成した
中国国民政府はアメリカ、イギリス、ソ連などの援助を受け抗戦を続けた

