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戸根明彦ブログ

ZIDEN.Produce.(自伝・自分史の制作)の運営をしています。HP:www.ziden-produce.jp

第3章 成長(6)

2012-12-12 20:53:00 | 日記
私たち子供はどう捉えていいか判らぬまま、
ただ大人に従うよりほか無かったが、
毎年の行事も出来ない状況で、
新しく体育館が竣工したのは卒業式にやっと間に合う頃だったかと思う。

この小学校時代に出会った人達、友人、先生、
そして様々な思い出や成長の記録や記憶は、
かけがえのない強固で輝かしい、
珠玉の宝である事は間違いない。

それらは誰からの賞賛もなく栄光とも言えない無形のものだが、
誰しもが大事に思い、忘れがたき時間であってほしい。

全ての人が持つ純粋無垢な真水の様な心で過ごした尊い記憶と信じる。

小さな小さな集落で生まれ育った私には、
小学校時代の6年間は小さな社会を学ぶ絶好の機会となり、
同時に自分自身を認識する時間とも言えた。

楽しくおおらかな時間だった小学校時代を過ぎると、
自立や社会性を学ぶ事となる中学校時代となる。

・・・つづく

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第3章 成長(5)

2012-12-11 22:52:11 | 日記
さて、小学校高学年になるとどの子も個性や能力の違いが現れてきて、
私も個性的な一面を持つ少年となっていった。

ベースにあるのは全体との調和であったが譲れないものもあった。
行動範囲も拡がり、休みの日等は男子生徒全員の家に、
一軒一軒遊びに行ったり、クラスの忘年会などを企画したりして、
放課後や休日は考るを形にする事に忙しかった。

これは今もなお私の特徴であり売りともいえよう。
これからはこの特徴を生かし、遠慮なく社会貢献に役立てたいものだ。

話は変わるがこの頃、クラスでも人気のあった女の子に、
恋心のようなものが芽生えていた。
とは言っても彼女として付き合いたいなどとはもうとう考えず、
ただ仲良くなりたくてこの娘を笑わせたり、
楽しませたりする事に喜びを感じていたのは、
紛れもなく意識的だったことを覚えている。

その事は相手には全く伝わってなかった事は、
先にお話した同級会の中の会話でもはっきりした、淡い思い出だ。

いよいよ小学校も最後の一年、6年生になって暫くしたある日、
予想だにしなかった事件が起こる。

これは学校の問題ではなく社会問題だった。
それは放課後だったか、休日だったか何しろ自宅にいて、
わかった事だったのだが、

なんと学校が火事だという事を町の有線放送で知った。
詳しい事は後で知ったが、
小学校の講堂(まだ体育館ではなく)と隣接の建物そして、
裏山が全焼し、理由も事故か事件かも分からぬままだった。

先生も生徒も、町内の大人たちもショックを隠しきれなかった。
ただ巻き込まれた人はいなくて人的被害はなかったことは、
不幸中の幸いと言えよう。

その後数日自宅待機だった気がするが、
火災後初めて学校に登校した時に見た光景は、
事の重大さを痛感し、言葉も無かった。

・・・つづく

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第3章 成長(4)

2012-12-10 22:20:07 | 日記
この頃クラスである事件があった。
小学校3年生の時の給食のあと、食後にそれぞれ容器などの片付けをした筈が、
誰かが片付けしていなかった事が判明し、
先生は誰が片付けなかったのかと問いただされたのだが、
誰ひとり手を上げる者が無かったために、
先生はクラス全員で話し合うよう求められた。

その時の学級委員長をしていた友人は私が今でも信頼できる友人の一人なのだが、
彼は真面目で正義感が強すぎて早速犯人探しを始めたのだが、
一度つかれた嘘はそう易易とは明らかとなるはずもなく、
とうとう刑事ドラマさながらに現場検証や、
それぞれが証人を立てて裏付け捜査まで始まってしまった。

クラスの皆は曖昧な記憶のまま犯人でないことの照明を画策し、
結果的に証人を立てられなかった者を犯人と断定してしまった。

犯人役に仕立てられた友人は無実の罪を着せられたのかもしれない。
当然、本人も認めてはいない。

こんなことでは解決もしないし、スッキリもしないと思った私は、
クラス会後に、学級委員長をしていた友人に、
最後にもう一度みんなに正直に手を挙げてもらえるように話した後、
誰も手を挙げなければ、その時はクラスの全体責任として、
全員で先生のところにお詫びに行けばどうかと提言していた。

それでも彼は強い正義感から真実は一つとばかりに、
最終的にその犯人役の友人を伴って先生のところに行ってしまった。

その後先生は、教室に戻りクラスの導き出した答えは最善ではない事を諭し、
私が学級委員長の友人に提言したような事をなぜ考えられないのかと指導されていた。

私は友人のプライドを思い、その後それについては何も言わなかった。
私はその時自らの考え方や人心掌握に少し自信を持った気がする。

その後の小学校生活の中での私の確固たる態度や、
精神力が表現された場面に居合わせたこの友人は、
私に一目置いていたことを後々別の友人から聞いたことがあった。

残念ながら私はその誇るべき精神性を十分に発揮できぬまま今まで生きている。

・・・つづく

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第3章 成長(3)

2012-12-09 18:56:30 | 日記
学校での勉強はともかく、遊びについては同年代の子供が周りに増えて、
遊びの内容も人数も増えて様々な楽しみと思い出を遊びの中から創っていった。

昔からあった遊びも、自分たちで編み出していった遊びも楽しいものだった。
無論お金など殆どかかっていない。
遊び場所も道具もあるものを使い、
時には山や川にある木や石を自分たちで加工して道具を作ることもあった。

そんな四国の山奥でも冬には雪が降った。
雪が積もると雪合戦やソリで遊び、夏には川で泳ぎ魚を捕り、
山に入ってカブトムシやクワガタ獲りに夢中だった。

あの頃の記憶はどの子供にも鮮明に残っていることだろう。
とにかく楽しい時間だった。

小学校3年生位になると学校生活にもすっかり慣れて、
精神的な成長も見え始めた。
周りの人間の中での自分の立ち位置や他の人間の性格、能力もわかるようになり、
それぞれの個性や意義も芽生えていった。

私は基本的には積極的に前に出るタイプではなく、
特別優れた能力も無かったので、
決して目立つ子供ではなかった訳だが、
どの子供とも絶妙な距離感を持っていて、
このころから少しづつでき始めていた幾つかの仲良しグループ的なものには、

どのグループにも関わりを持ちながらも
出入りが困難にならない程度のしたり具合でバランスをとっていた。
このバランス感覚はその後の人生の歩み方にも現れている。

・・・続く

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第3章 成長(2)

2012-12-07 21:04:33 | 日記
友人を引き込み接触を図っていた。
基本的には特定の人間関係のみに執着することなく、
交友の幅をどんどん拡げていったいた。

私の通った小学校は田舎の子供の集まりなので、
特別に飛び抜けて裕福だったり、優秀だったりする子供もいなくて、
本当に同じ目線で平等な立ち位置に皆がいたような気がする。
先生も周りの大人も誰ひとりとして特別扱いは無く、
仲良く過ごしていた時空間だった。

その後行動範囲も拡がり、少し大きな街や都市の人間と接していく中で、
この小学校時代の仲間が如何に貴重で思い出を共有する
仲間であったかと今思い知る。

そんな中でも特に仲良く付き合っていた友達は、
今でも気の許せる友人と言える。
恐らくみんな姿かたちはその時の面影はおぼろげとなっていて、
どこかですれ違っていても気がつかないのかと思うが、
お互いを認識すれば急激に時間をタイムスリップして、
懐かしい空気をその場に醸し出す事かと思う。

その証拠に、数年前に集まった同窓会がその空気感を物語っていた。
(因みに私もこの会を発起し企画、運営に携わった一人だった。)

それでは小学校時代の思い出やエピソードを時系列にお話したいと思う。
小学校入学当初のことは実はよく覚えていない。
緊張感でそわそわしていて、何となくガラリと環境の変わった印象だった筈だ。

1年生、2年生の頃は体も小さく体力もないので、
周りについていくのに必死だったような気がする。
学校で学ぶ勉強も基本中の基本で、
知識を積み上げるのに非常に大切な時間だった訳だが、
その頃どう習い勉強していたかも殆ど覚えていない。

何より環境や人に慣れるのに神経はフル稼働していたかと思われる。
1年生、2年生の時の担任の先生(坂本先生、松本先生)には、
私と幼馴染の家が遠かったこともあり、
細かく心を砕いて頂いていたのを子供心にも感じていた。

今でも大好きな先生というイメージが残っている。
今時は先生を尊敬したりする子供も少ないと思うが、
私にとって小学校時代の先生方には尊敬の念を今でも抱いている。

・・・つづく

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