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鋼の錬金術師 スカー考 by 1819

原作鋼の私的スカー考察?がメイン。
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神様は救わない。

2008-06-05 02:08:35 | Weblog
いやあ、書こう書こうとは思ってたんだけど、ヘビィになりそうなんで後回しにしてた。反省!
歌猫様の記事「もしも私がインタビュアーだったら」(この記事未読の方は、うちのブクマから飛んで下さい)を読んだら、すごく語りたくなってしまった。

鋼の中の宗教と言えば、レト教もイシュバラ教もきつい描かれ方をしている。
はなっから胡散臭いレト教はともかく、殲滅戦での大僧正の嘆願を蹴るブラッドレイの神否定発言と、おそらくイシュバラ教徒の悲惨さに同情したヒューズがもらした皮肉な感想は、ショッキングだった。
で、私も15巻を読んだ当時は、荒川弘はものすごい宗教嫌いで逆に哲学とかは好きなんだろうな、けど漫画でこれはまずいんじゃないか?とか思ってた。
実際、知り合いの中学生はここ読んで、真顔で「やっぱり神様なんていないんだ、ただの偶像なんだよ」と妙に納得してたし。

神様に頼りきって自分の足で歩こうとしない人間を否定してるということは、エドの発言とかではっきり出ていると思う。
また、ブラッドレイの過激な発言も、言い換えれば人の思いを実現するのは神様ではなく人間だということだよね?
けど、荒川弘は宗教や神様の否定をいいたかったわけじゃないと今、私は思っている。

作中「一は全、全は一」という言葉がよくでてくる。
個人と世界との関係かつ自我と真理との関係を表す言葉だよなあと解釈した。
で、荒川弘は世界=真理=神みたいに考えていて、それは全部個人とつながっているから、強い願いがあるなら、まず己の内に祈り行動せよ!その一の行動が全を動かして正しい流れが生まれると、言いたいんじゃないかな?とか私は考えている。

じゃあ、荒川弘が神を世界や真理と等しく考えているなら、それに人間が勝手に名をつけて人格を与えた宗教はやはり否定しているのでは?と、おっしゃる方もいるだろう。

それについては、私は作品中のイシュバールの生き残りの人達の描き方に着目してる。
あんな惨い殲滅戦を経たのに、イシュバラはその民の危機を救ってくれなかったのに、彼らは神を愛してるんだよね。
それは、神に逆らったと自覚しているスカーも同じ。
ただ、他のイシュバール人が逆境にいても幸せそうなのにスカーが不幸なのは、皆は神と自分のつながりを感じて明るく生きているのに、スカーは神とつながることを自分の罪悪感のせいで拒否してるからなんだと思う。
これについては、また後で書きたいなあ。

本筋に戻るけど、救ってくれない神、ただ見守ってくれ、いつかは帰る場所。それって、ほとんど世界と同義じゃないかな?
15巻でスカー兄も地神イシュバラの存在と「一は全、全は一」という考えの類似性を語ってたし。
確かに世界の偉大さや真理の深さにイシュバラと名づけ、いろんな戒律を生み出したのは、イシュバール人という人間だろう。
だが、昔はわからないが今の彼らは、苦しい生活の中でも神にご利益を望むのではなく自分達で健気にがんばり、神との一体感を感じて生きている。
これはまさしく、「一は全、全は一」の境地では?
私の勘違いじゃなかったら、そんな生き残りのイシュバールの民を描く荒川弘の筆致は優しいと思う。

荒川弘は、ユリイカのインタビューで、
>神社仏閣に行っても、いつも元気、健康しか祈ったことがない。
と発言していた。
私はこれを読んで、彼女は無神論者ではなかったんだなあと、単純に思った。
そして、世界や真理に~神と名づけたことで生じた宗教を、そのこと自体では蔑視しないと感じた。
ようは、神に頼りきりで思考や行動を欠く人間の愚かさが嫌いなだけなんじゃないかな?
本当のところは、歌猫様の記事内のようなつっこんだインタビューでもなきゃわからないけど。

1 コメント

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Unknown ()
2019-03-19 07:28:58
荒川弘がそう考えているのではなくて、科学的思考をする錬金術師と根拠なく形なきものを崇拝する宗教は相容れない、ということだと思う
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