とりあえず走れ!!目指すはサンチアゴだ!!

街中を走り、山を走り、そして巡礼をしてから医師になります

紀伊半島縦断3日間の旅(熊野古道を行く) 第四日目(11月25日(土))

2017年11月28日 | 熊野古道 11月末
今日が今回の旅の最終日となる。

奥深い熊野の山奥とお別れを告げるときがやってきた・・・・・
1000m級の峠越えは結局、、高野山、伯母子峠、三浦峠、果無峠、大雲取超えの那智山と、、、5回にわたり、、、その他にも小規模な峠越えはいくつもクリアしてきた。

山の高いところではゴーゴー!と風がうなり、私を地面から引きはがそうとし、容赦なく体温を奪っていった・・・・
激しく揺れる森の木々がきしみ、こすれあってゾッとするような叫び声を轟かせていた。

また、、奈落の底の暗闇は、崖沿いを歩く私を手招きして呼びかけてきた・・・・・・・・・


私のBear Bellは天上から響き/透き通るような音色をチリンチリン!と響かせ続け、、そんな中を、ただ無心になって邁進してきた。そしていま、そんな繰り返しにも、ようやく終わりが見えてきた・・・・・・・・・・

あんなこんなの山や谷の激しいアップダウンを繰り返してきたので、私の下半身にガタがきやしないかと、前夜は湯の峰の温泉につかりながら筋肉をよーくほぐしておいた。何しろまだクリアせねばならない“雲取り越え”~那智大社~補陀落山寺の行程が控えていたから。
昨夜の懸念とは裏腹に、、、今朝目覚めてみると、、実に不思議なもので、見事サッパリと疲労回復していた。
これが、、温泉の効果というやつか? 

・・・・・・・・・だとすれば不思議やね~。一見、何の変哲もないお湯なのに、、、我が家の風呂のそれと見た目は一緒だというのに! この肉体復活のメカニズムって、、、一体、どんなやねん? 硫黄をはじめとする、源泉に溶け込んだ様々なイオンが、、一体全体、どのように体に働きかけてるんやろう?
たっぷり食べて、しっかりと睡眠をとったことも、もちろん疲労回復に重要だろうが、、、食事、温泉、睡眠と、結局は三位一体となって体の疲れがすっかりと癒えたワケだが・・・・・・・・・

そうそう、、、今回の熊野詣でもやはり、、神聖なるパワーを全身に受け取り/吸収してきたような気がする。
霊的な何とかを感じるとか云々なんてものは、、、、、私にとっては単なる気持ちのうえの、、、ヘンテコリンな風に精神的な力動が作用して、、、、くらいにしか今までは思ってこなかったし、神様を信じるとか、、そんなことすらも、これまでは全くの無関心だった。。

でもね、、やっぱ、、そういうのもアリだろうね。

今後、私がspiritualな何かに傾倒していくことがあるのかどうかは知る由もないが、、、、少なくとも、、気持ちの上ではたとえ意識的/恣意的/儀式的であろうと、、そういったspiritualな存在に対して敬意を払うように心がける姿勢が、、この年になってようやく自分の中に芽生えてきた気がする。

特に“巡礼”という行為を行うことによって。

どうして古来、、千数百年の長きにわたって多くの人々が熊野詣という苦行に魅せられてきたのか?
ホントにこんなことが大事なのか? 行き倒れのリスクをかけても/命を懸けてまでchallengeする価値があるのか? どうして繰り返して何度も何度も行くようになってしまうのか?

・・・・・・・・・わたしは・・・・・・・・実際にあの参詣道を体験してみて初めて、、その答えを自分なりに見出すことができるものだと考えている。
長い長いアップダウンに疲労困憊して辿り着く聖地、、、、地味なガマンをしていると、、かならず達成できそうな、、比較的“お手軽”な目標・・・・・・・・
まあ、、、他に言えることといったら、、、“脳内麻薬”なんかもあるやろうね。そう、βエンドルフィンなる、、苦しいストレスにさらされた際に分泌されるという、よくいう“幸せホルモン”てやつ。マラソンとか、死の間際なんかに分泌されるとかいうのと同じやつ。これによってtensionは高揚し、、ハイになって、しばし幸せに浸ることになるが、、、それこそ、あの快感に病みつきになってしまう一面はある。。

まあ・・・・・・
要は、、、当然ながらいろんな要素が絡んでの“ハマり要素”なので、こんなことの分析すること自体に意味は感じないが、、
一方で、、巡礼の道中が、まるで一つの人生の縮図のようにも思えてくることを考えてみると、、、教育的/教訓的にはイイかもしれない。
苦しい登りがあれば、聖地到着の喜び(βエンドルフィン)があり、、、、苦楽がつぎつぎと、巡礼の短期間のうちに押し寄せてくる。ガマンして我慢して、、歯を食いしばってして、、時々の“ご褒美”つまり、いい景色だったり、食事だったり、温泉だったり・・・・etc ときには道中、困ることがあって、見知らぬ人に助けられたり/助けたり・・・・・・
これらは全て、巡礼という小さな共通項で括ってしまってもいいけど、、、これってやっぱ、、ヒトの人生と、どこか被るようなところがあるよな? “人生の縮図”と言いきってしまうのは大げさかい??

さて、、最後の一日!書ききるぜ!
朝は特に急ぐ必要もなかったので、7時起きで朝食をいただく。この辺りの郷土食である“茶粥”が必ずついてくる。温泉地なので、温泉の湯で煮てあるが、、紀州産の梅干しとですするこいつがまた絶妙なんや!
そう、出発の朝に頂く茶粥は、、旅のシメであることを匂わせる。最高の充実感を味わい/噛み締めると・・・・・・・・・・さあ・・・・最後の出発や!!
湯の峰荘を出たのが7時半。渡良瀬温泉に川湯温泉と、、三大温泉地を歩いて40分ほどで、熊野川沿いの請川へ。あの、黄色の派手な看板の中華屋“黎明”の近くから“小雲(小雲取超え)”がstart!
歩いてきてウオーミングアップであったまったから、初っ端から急な登りの石階段を駆け上る。下半身の調子は絶好調。見事な快晴にも恵まれたのは超ラッキーだった!当初は雨の予報だったから、それなりの覚悟はしていたが、、、、快晴ならば、、スイスイと歩が進む!

【画像】湯の峰温泉を出て最初に通過する“渡良瀬温泉”

【画像】次に通過した川湯温泉

【画像】いざ、請川から“小雲”こと小雲取超えstart! さらば、本宮よ!

【画像】“小雲”峠のview pointである“百閒ぐら”。切り立った断崖の遥か西方には大塔山脈が連なる
ここが“小雲”のclimaxであり、、あとは駆け下るだけ。
【画像】くだりでは、前方に人影が見えない限り、、、走れるだけ、走る!

【画像】“松畑茶屋跡”道中に散見される茶屋跡は、、多くの“巡礼さん”たちで賑わった往時の熊野古道を想わせる。かつて、ここで多くの人が茶を飲み、団子を食べ、、話に花を咲かせた。
        ・・・・・・・・いまは、ただの苔むした廃墟の石垣のみが残る・・・・・・

【画像】“賽の河原地蔵” 道中、行き倒れた人々を弔っている。

【画像】“小口集落”に降りてきた。ここで一泊する“巡礼さん”が多い。

【画像】つい最近まで人が生活していたであろう廃墟が、、道沿いにあって、中を覗き込めるようになっていた。囲炉裏が見えたので、思わず近寄ってみた。
この家の主たちであろうか? 恐らく、この家で団らんしている風な“写真の壁掛け”が見えた。古びた写真は色あせていて、笑顔で映る人々を見れば、しんみりした気分になった。道中、、このような廃墟がいたるところにあり、、さびれゆく集落をリアルに目の当たりにできた。

【画像】最後の峠越えだ。“大雲”こと大雲取超えの登山口。
先日、、ニュースで報道されていて気になっていたが、、“大雲”の一部(石倉峠)で、台風による崖の崩落があり、、通行止めとなり、迂回路がつくられている、とのこと。このために『40分ほど余分に時間がかかる』みたいな案内掲示が置かれていた。

以下は、中辺路で一番の難所とされる、“胴切坂”の石畳。カーブがあまりない登りで、、いっきにノンストップで860mの高度を稼ぐ。画像は、上にあるほど山の上の方になるように配置しておいた。












【画像】“大雲”を登り始めると、間もなくして見える“円座石”
この岩には三つの梵字が記してあり、それぞれ熊野の速玉大社、本宮大社、那智大社を意味しているようだ。それぞれの神様たちが、、この岩の上で談笑しているのだとか(笑)




【画像】“胴切坂” 腹が捩れ切れるくらいに、苦しい登りの坂。画像は、上に行くほど高度となるように配置した。
数ある坂道でも、、私はとにかく、ここの登坂が一番のお気に入りなのだ!

【画像】“胴切坂”をクリアして、越前峠に到達。非常に寒かったが、歩きながらオニギリを食べた。ここまでくれば、、気持ち的には大分ラクチン。まだまだ峠越えは続くけどね・・・・・・・

【画像】台風による土砂崩落で、石倉峠への立ち入りが禁止され、、、迂回路を示す案内板

【画像】迂回路を経て、、地蔵茶屋へ向かう。寒い寒い!
その後もアップダウン繰り返して、、色川辻を越えると、、いよいよ最後の峠へと向かう!そう、船見峠だ。いよいよ、、いよいよ太平洋を遠くに拝む瞬間がやってきた!

【画像】船見峠の見晴らし台。
ここで初めて遠方に太平洋を拝むことが出来る。海を拝めるのは、この一瞬だけだが、、そのときのコーフンはたいそうなものだ!
九度山から山中に入り、、、高野山からの小辺路、中辺路、、云々と、、いままでの行程が、まるで走馬燈でも見るかのようにパラパラと脳裏を駆け巡るなか、あとは那智大社に向けてひたすら下り坂!

【画像】“那智高原” 那智大社からの石階段でさらに上がったところにある。
ここでは那智の滝の轟音が響き始める。広々としていて大変美しい公園だが、遊んでる人を目撃したことはない。

【画像】もうすぐソコに那智大社が!青岸渡寺の屋根が見える!

【画像】那智大社に到着!得意になってスタンプを押した!

【画像】那智大社を下ったところの参拝道。ここまでは観光客でにぎわっているが、、わたしのゴール地点は、まだまだここから8Km先の“補陀落山寺”および、すぐ近くのJR那智駅(浜辺の近く;海際)だ。。

【画像】熊野古道(中辺路)の出発起点の碑。あとはずっと、なだらかな下りのアスファルト道を歩くだけ!

【画像】“補陀落山寺” 
かつて、、ここから“補陀落浄土”を目指して、、わが身を犠牲にして世を救済すべく、、お坊さんたちが“補陀落船”で太平洋へと最後の旅立ちで乗り出した。
もう何年も前に、テレビの番組で見かけたのでウラ覚えだが、、、この“補陀落船”は中に一人のお坊さんが乗り込み、一心に念仏を唱え続けて末法の世を救済しようとするものだ。。
少しの水と食料をもって入り、船の外から釘を打って、出れないようにしたという・・・・・・
あとは、、死ぬまで念仏を唱え続けたらしい。“補陀落浄土”を夢見て。

いよいよこれで私の今回の旅のゴールとなったワケだが、、
生憎、、わたしはここまで来たが、、ここから先へはお付き合いできない。。
つまり、、補陀落船のように、太平洋へと乗り出して、浄土へいくワケにはいかない。まだまだ現世でやるべきことがいろいろあるもので・・・・・・・・
下半身の疲労がとても心地よく、、今までの三日間の旅を振り返る。

【画像】JR那智駅から、ローカル線で、紀伊勝浦駅へ。

【画像】紀伊勝浦駅周辺の中華定食屋を二軒ハシゴした。“竜飯店”はよく行くところで、、チャーマヨ丼と肉すきラーメン(?)、、別の中華店では、中華定食を一人前食べた。
これだけ体を動かしてきたので、、また、昼は歩きながら食べた梅オニギリとチョコバーとアンパンと、消費カロリーにしては量が少なかったので腹ペコだったのだ。夢中でかき込んだ中華定食のウマかったこと!
今回は終電が近くて時間がなかったので、JR那智駅に併設の温泉には入らず、中華定食を優先したワケ。
あとは、紀伊勝浦駅を18時10分出発の、新大阪いき最終に乗り込み、、ぐっすりと泥のようになって眠りこけた。


こうして今回予定していた熊野行は、、、すべてがいい具合に進み、、、、うまく完結してまとまった。

・・・・・・・・・・・お陰様で・・・・・・・・・最高に幸せな眠りを味わえたヨ・・・・・・・

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紀伊半島縦断3日間の旅(熊野古道を行く) 第三日目(11月24日(木))

2017年11月28日 | 熊野古道 11月末
昨夜の三浦峠越えは、、振り返ってみれば、早くも既にひと時のスリリングな思い出と化してしまった。
真っ暗闇の山道を、、私は小走りに駆け続け、、そう、、、まるで闇夜を切り裂く天狗になったかのような気分を味わえた・・・・・・
軽快にステップ踏むたびに、私の背中のザックからチリンチリン!と闇夜に響き渡るBear Bellの音は、、この世のものとは思えぬような美しい幻想を漂わせて、、まるで黄泉の国から響きわたる音色のように聞こえ続けた。。
こうして完璧な時間配分でもって完成した昨夜の行程は、まるで一つの芸術作品のような出来栄えで、、おそらく、今後はもう二度とないような体験であったかもしれなかった・・・・・・・・

【画像】昨夜に宿泊した、十津川温泉の“大和屋”をAM8時に出発
今日の行程は、当初から敢えて“詰め詰め”にはしないようにしていた。初日に高野山、伯母子峠、三浦峠と、、1000m級の3つの峠をクリアしているので、激しいアップダウンでの消耗を加味し、、中日となる本日は比較的ゆったりとした行程を予定していた。。
朝はゆったりと起きて朝食をとり、、遅めの8時に宿をチェックアウト。いよいよ、、熊野の神々がおわす本宮大社に詣でるときがやってきた。
本宮大社に対する気持ちは、はやって仕方がなかったが、、、出発時刻が少し遅めであったことが裏目に出てしまい、、、先を越して出発して果無峠へと向かうハイカーたちのあとを追う形になってしまった。。

とくに果無集落には高齢者のツアー集団が陣取っており、素通りするしかなかった。ここのいい雰囲気こそ今風に言う“インスタ映え”に値するので『撮影しておくべし・・・・』と思っていたが、、、残念ながら独り占めできるカットを撮影できそうにもなくて、諦めざるを得なかった。。

【画像】十津川温泉から、果無峠へと向かう柳本橋。ゆっさゆっさと揺れる吊り橋は、、いつも怖い!

【画像】いま出てきたばかりの十津川温泉を見下ろす


【画像】果無(はてなし)集落へと向かう“石畳の上り坂”が美しい!苦しい登りが続くが、石畳の美しさに癒される

さすが、、、“果無(はてなし)”と命名されているとおり、、行けども行けども登り道が途切れない。。足のおぼつかない、あるご高齢ハイカーを横から追い抜かそうとしたときに、『果無、、、果無、、、、か、、、、』なんてつぶやき続けていたのが笑えた。しかし、、あの険しさでは、膝を傷めないように気を付けなきゃあね・・・・・

かなり標高の高い方まで石畳を造成した古の人たちの苦労をしのんでいるうちに、やがて水田跡から普通の山道へとかわり、、この険しい登りをヒーヒー言いながらがんばると、間もなくして“果無観音堂”が現れる。
ハイカーたちはここで一息入れることになるが、、勢いよく蛇口からダバダバと出続ける湧き水の、美味しいこと!
以前に訪れた際は真夏の強烈なムシ暑さの中であったが、、この冷たい湧き水をゴクゴクと飲みながら全身に浴びることで、火照りまくって干からびた身体を一気に潤し、冷ますことができた。

さて、観音堂で一息入れると、もう峠はあと少し。
“あと少し”という、かつて登った時の記憶を頼りに歩を進めてみれば、、、しかしながら結構キツくて、果無峠(標高1070m)にたどり着くころにはすっかり息もあがってしまっていた。
白人のハイカーが一人、先にここで休んでいたので、記念写真を撮ってもらって少し話もしてみた。日ごろは英語を話す機会も限られるので、、いい機会だった。
そして、、、今度はいよいよ本宮大社に向けて、、下りをひたすら駆け下りるときだ。ここの下りは、途中で多くのお地蔵さんが旅の無事を祈ってくれているので、、気が付いて“ゆとり”がある時には、なるべく手を合わせて拝むように心がけた。。

【画像】果無峠からの下り道、、ここでようやく初めて、遥か遠方に、本宮大社のある大斎原(おおゆのはら)を臨むことになる。
九度山を出て、高野山を経て、何十キロという道程を遥々ここまでやってきて、、はじめて遠くに大斎原を目視したときの嬉しかったこと!
もう有難い気持ちが満ち溢れてきて、たまらない気分になった・・・・・・・・
残りの下り坂は、実に足取りも軽く、、、ぴょんぴょんと石から石へとステップを踏んで、天気も最高で赤く色ずく紅葉の中、、最高の気分で下りきった。。

【画像】熊野古道で当初びっくりしたことは、、、普通に民家の軒先を通過していることだったっけ・・・・・

【画像】果無越えをクリア!正午12時。ここから程近くにある、道の駅“ほんぐう”に立ち寄ると、梅ジュースと清美ジュース、じゃばらジュースを一気に飲み干した。ついでに菓子パンと柏餅も入手して、、、さあて、、、、次はもうすぐソコ、、本宮大社へお参りだ!
三軒茶屋跡にある九鬼ヶ口関所を越えて、、、もうすっかりお馴染みの、本宮大社に至るきれいな石畳道をいく。この辺りには参拝客らもチラホラ見え始めるから、歩くスピードもゆったりと周りに合わせて・・・・・・・

【画像】一年ぶりにやってきた本宮大社(13時)! しっかりと柏手を打って、祀ってある素戔嗚尊、速玉大神、夫須美大神、天照大御神、八百萬の神に順番に参拝した。

【画像】本宮大社で、小辺路で最後のスタンプを押印。小辺路のスタンプ箇所は、中辺路と比べて随分と少ないので、、スタンプ台帳で余った空欄個所には、のちに、雲取り越え、那智大社なんかの、中辺路でのスタンプも加えることにした・・・・・・・・・
さて、、本宮近くの“一休みカフェ”で昼食。うどん二杯に、めはりずしを三つ頂いた。いつもお気に入りの定食屋が生憎の閉店日で、、、、恒例にしている、“大好きなカツ丼”は諦めるしかなかった。。

【画像】世界遺産センターのバスロータリーに設置してある、、サンチアゴ巡礼での道しるべ。いつの日か、今度はこの道しるべに従って、サンチアゴを目指すことになる・・・・・・・・・

【画像】Dual Pirgrim達成者たちの表彰がされてあった。羨ましや・・・・・

【画像】大斎原で、、先ほど下ってきた果無山脈を遠く背にして

本宮で一息ついて元気になると、、14時に、今度は中辺路の発心門王子から、、湯の峰温泉を目指しての“赤木越え”だ。
この区間は何故だか、私の中では、どうしても“チョット”の距離、、というイメージが強くて、いつもいつも、ついぞナメて取り掛かってしまうが、、、実は2時間半もかかる、意外にハードなアップダウンであると毎回思い知らされてしまう・・・・・・・
遠く北方には東西18Kmにわたって横たわる、果無山脈を横目に見ながら、、美しい農村風景の中を進み、、のどかな雰囲気にトロけそうになる。
赤木超えをする頃には、日はかなり傾いてきており、、あたりも影を帯び始めていた。西日に照らし出された周囲の山々の、赤黄入り混じったモザイク模様がこれまた絶景を演出していた。

【画像】“赤木超え”(16時ころ)では、すでに周囲は夕日の色に染まっていた
そして、、本日の宿泊予定地の“湯の峰温泉”へ。16時半に到着してすぐに、、温泉卵用の卵を入手すべく、売店に立ち寄ると、、丁度店員さんが“Closed”の札を掛けようとしているところで、、かろうじて卵を3個譲っていただけた。早速この卵3個を、、湯筒(90℃の源泉)に浸け、、、13分待って、、、、ハイ、、、温泉卵の出来上がり!!

【画像】あっちの方に、名物“壺湯”が見える場所に“湯筒”がある。ここで13分間待って、、酷使した下半身に栄養を与える気持ちで、出来立てアツアツの温泉卵を頬張る。。

【画像】いい具合にしなびた感じの“湯の峰温泉街”あちらこちらの旅館に、、いろんな思いでが詰まっている。
今回は、、紅葉シーズンで予約いっぱいで、、かろうじて取れた部屋が“湯の峰荘”という、ひとつだけポツンと離れた場所に位置する旅館だった。初日の激しさ極めた行程につづき、、何だかんだで、本日も結構激しかったので、下半身は疲労がたまっていた。
旅館に18時にチェックインすると、、まずは食事をいただき、、、そのあとにゆったりと温泉に浸かって癒した。

【画像】下半身に栄養を与えるつもりで、、さらに一人前のしゃぶしゃぶ肉を追加してみたが、、、そんなものも、実にあっという間にペロリと平らげてしまい、、、、少し物足りないくらいで部屋へと引き上げ、、、しばらくしてから布団に入った。
また明日の行程が結構ハード。今度は大小の雲取り越えをクリアして那智大社を経て、、、いよいよ、今回の旅の終着地点である“補陀落山寺”を目指すことになる。あとはその近くのJR那智駅から電車で紀伊勝浦へ移動し、、、そこから新大阪行きの特急“黒潮”で4時間かけて帰阪することになる・・・・・・・・・

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紀伊半島縦断3日間の旅(熊野古道を行く) 第二日目(11月23日(木))

2017年11月27日 | 熊野古道 11月末
朝4時半起床。梅田大丸の地下で購入して持参していた聖庵の“クリーム餡パン”と塩バターパンとを食べてから、ルートイン橋本をチェックアウト。
真っ暗で雨がサーサー降る中、、Gore-Texの上下に身を包み、、、傘さして駅へと急ぎ足。1.5Kmあって汗をかいてしまい、5時22分の始発に間に合ったものの、濡れた衣服が冷たくて寒かった。。

九度山駅を下車するも、、、
真っ暗な中で駅前のマップを見たせいで、、少し勘違いしてしまい、、あらぬ方向へ進んでしまった。ただでさえタイトな予定の日程だったので、、このときにロスした40分はshockinだった。紀の川の支流を進んだこのときに、台風21号、22号による道路の崩落を目の当たりにして少しビビってしまった・・・・・・・・
          『・・・・・・・この先の長い長い山道・・・・・・ホントに大丈夫か?・・・・・・・・』

一度間違えた道を戻り、、改めて、“町石道(ちょういしみち)”の出発点である“慈尊院”を目指した。
真田幸村ゆかりの地、、ということで、街をあげて盛り上げる様子が“いい味”を出していた。真田庵を横目に過ぎるころから辺りが明るくなってきたので、難なく慈尊院にたどり着いた。
慈尊院は、、“おっぱい絵馬”で有名なようだが、、残念ながらそちらに気を回しているゆとりもなく、、Gore-Texを脱いでから、、気を引き締めなおして、境内の登りの階段を踏み出した。いつの間にか雨も小降りとなっていたので
、傘もしまって・・・・・・・・

【画像】慈尊院・・・・・弘法大師のお母さまがいらっしゃった所。女性は高野山に立ち入れなかったのでここに滞在していた模様。。弘法大使は月に9度、ここと高野山とを往復したので、、このあたりの地名が“九度山”となったらしい・・・・・・

振り返ってみると、、、、、
ここからスタートした“町石道”であるが、、、
高野山の大門までの20Kmチョイ、、なだらかに続く登りをひたすら行くことになるので、、、じわじわと疲労がたまるようなコースだった。自分的には、急な登りを一気に登り通してしまう方がいいので、真綿で首を絞めるかの如く、下半身に疲労が蓄積していく感じは少し苦手だった・・・・・・・・・

何はともあれ、、“町石卒塔婆”という石塔が一定間隔でずーっと続いているから、まず道に不安を感じることもなかった。

【画像】町石道(ちょういしみち)に沿って、一町おきに“町石卒塔婆”の石柱が立つ。街道は柿やミカンの畑を横切り、、やがて山道に入っていく

本日の工程は、今回の旅程のなかで最もハードであったので、、『十津川温泉に少しでも早く到着すること』だけを考えながら、、急ぎ足で登り続けた。

【画像】“二ッ鳥居”・・・・・このヘンテコリンな鳥居は、高野山建立当初からあるらしい。江戸期に石造にしたとか。単調な山道の中に、こういうのがたまにあると、気分転換にイイね!

【画像】朝が早かったので、、歩きながらバナナやパンを食べる。トレラン専用につくられたザックなので、、肩口のポケットにこうした簡易食をいつも入れておいては、道中、パクパクとやってEnergy補給だ。喉がつまりそうで辛いけど、時間がないので仕方ない・・・・・
そうこうしているうちに、、10時に大門に到着。町石道とは別れを告げ、ホッとした。

【画像】高野山の“大門” ( ここで気温5℃ )
高野山は今回の目的地点ではなく、通過地点に過ぎないので素通りだ。街で目についた“梅干し店”に入り、、handyなパック入り梅干しと、ゼリー飲料とを入手。。
もうね、、山道で疲労でクタクタのときに、梅干しを口に含んだり、、または梅ジュースを飲んだ時のウマさは別格でね!疲労回復にすごくイイ!
とくに和歌山県だと“みなべ特産”の南高梅がいたるところで販売されているから有難く、、、熊野古道をいくときに土産物屋で必ず買い求める“梅製品”がとてつもなく嬉しいのだ・・・・・・・・・

さてさて、、、、
いよいよ小辺路に入ることになる! 金剛三昧院の横ての、非常にわかりにくいところからのスタートだ。
10時半を過ぎており、、こりゃあ、、、マジでいまから十津川温泉まで、“1000m級の峠越え”を二つとか、、、無理そう、、、、、とマジで焦り始める・・・・・・・
高野山までケーブルで登り、、ここをスタートとするなら余裕だが、、、今回は“町石道20Km”で予想以上に時間を食ってもーた。体力も想定以上に消耗して不安になってきた・・・・・・・・

高野山からも、、まだ緩い登りが続き、、、一部、スカイラインの脇を通りつつ、、、再び山道に入って“水が峰”へ登る。ここでようやく下り道に差し掛かったが、、ようやくスピード出して走れたので最高の気分だった。いつの間にやら霧モヤも晴れて、、見渡す限り遠くまで連なる山々が美しい!!


【画像】ところどころ、クマ出没注意を促す看板を見かけた。昨年度は高野山で二回クマが目撃されたのこと。ただし、今年は一軒も目撃情報はなく、、そもそもクマは基本的に人間を見れば逃げていくハズなので、、いまさら私にとっては臆することでもなかった・・・・・・・一応“熊鈴Bear Bell”はつけてるけれど、、実は山道で、前方を行くハイカーに、私の存在を知らせるという目的の方が大きい。。
山中にときおりこだました、、バーンッという銃声のような凄い音は、、きっと獣が高野山に寄り付かないようにしていた“威嚇音”だったろうが、、、、私にとっては、あの音こそが怖かった。。
基本的にクマが人を襲う時とは、、、餌場に人が侵入したときで、、、とくに、タケノコの新芽が大好物らしいので、春先には注意が必要かもしれない。

さて、、続きを行くが、、水が峰から大股まで駆け足で下りきるとホッとしたのも束の間、、、すぐに今度は“伯母子峠(1300m)”の急な登りがstartする。
すでに下半身は疲労がたまっていたが、、、とにかく、、一刻を争って、本日の宿泊地である十津川温泉を目指さねばならない!以前に登った時の苦しみはすっかり忘れてしまっていて、いつまでも登りがつづく九十九折にいい加減ウンザリもした。
伯母子峠ですれ違ったハイカーは、、外人の2カップルのみだった。よくもまあ、、、、外人であんなハードな小辺路にチャレンジするもんや・・・・・・標識を見落としたりして道に迷うのとか、怖くないんかな??・・・・・と感心するが、、、他人のことを心配する場合ではなかった・・・・・

ようやくたどり着いた伯母子峠(標高1300m)では、風が恐ろしく吹き荒れていて、、ゴーゴー!とまるで電車がすぐ近くで通り過ぎるような轟音がなり続けていて、、寒くもあったし、14時ともなると早くも、山の中の冬の日差しは弱まり、傾きかけてくるので不安になってきた。。
伯母子峠では今冬初めて、積雪も見れて良かったが・・・・・・・
先を急ぐべく、今度は得意な下り坂を走り出す!
途中、、大好きな“上西家跡”で一息休む。歩きながら、聖庵のアンパンを喉に詰めないよう、、一口づつゆっくりと頬張る。“聖庵のパン”はハードとソフトの中間の堅さなので、、少々ならザックのポッケに入れていても型崩れしない。今回はパンツのポッケにも入れたりして少しあっためてから食べたりしたが、、、、聖庵のアンパンは、ぎっしりと餡が詰まっていて、疲れた体にはあの濃厚な餡の香りがとてつもなく有難かった・・・・・・・・・


【画像】“上西家跡”
かつて、、熊野古道が参詣者でにぎわっていたその昔々、、、、ここでは宿を営んでいて、、大勢の“巡礼さん”が宿泊したようだ。宴会なんかで盛り上がり、、周囲には牛を飼い、畑で採れるナンキンやカボチャが絶妙にウマかったのだという・・・・・・・
いまとなっては石垣だけを残す、まったく人気のない寂しさこの上ないこの遺跡で、、何百年前には賑わいが繰り広げられていたなんて・・・・・・・
ここを通り過ぎるときはいつも、、暫しの間、歩を止めて、古の人々のどんちゃん騒ぎに耳を澄ませてみて、脳裏で想像してみる。
ここはもしかしたら、、、小辺路の道中で、もっとも好きなシーンかもしれない・・・・・・・・・

“上西家跡”を過ぎれば、、あとはただ急ぐだけだ。
そのすぐ先には、、山姥(ヤマンバ)がいたという遺跡(水ヶ元茶屋跡)が残るが、、、スルーして先を急ぐ。

【画像】急な斜面の山道、、、足元に集中しまくっていなければ、、石や木の根っこにつまずいて、、トンデモない事故につながりうる。アドレナリン噴き出してるのを実感しながら、、駆け足で下山する。次は三田谷橋だ。

【画像】伯母子峠から三田谷橋まで下ってきた。ここで少しホッとするが、、、、、時刻はもう16時過ぎ!
画像ではカメラ技術の都合で明るめに映っているが、、、もうこのころは結構日も傾き、辺りは薄暗くなり始めていた。そんな時に限って、、、、ナメていたせいで、少し道を間違えてしまい、、、、30分ロス。いよいよマズい。

なにしろ、、、いま、陽が沈もうとする薄暗い頃から、『六甲山を登頂して反対側へと下山するイメージ』やからね・・・・・・
ここ三田谷橋には宿泊施設があったが、、私は先を急ぐことにした。
山奥で電波がまるで入らなくて、スマホがつながらなくて、今夜の十津川温泉の民宿“太和屋”に連絡のしようがなくて、、チェックイン予定の18時を大幅にこしてしまうことを伝える術もなかった。

・・・・・・・・こうなりゃあ、、、意地だ! いまからの真っ暗闇の山道、、、いったろうやんけ! 過去、何度も真っ暗な山道を急いだ経験があるから、たぶん大丈夫やろう・・・・・!!

アドレナリンが出まくっているのか、、こんなときはいつも、なぜか恐怖はさほど感じることはない。
冷静にあとで考えてみると、無謀なことであっても、なぜか恐怖感とかは薄れていて前へと突き進む気になるってもんや・・・・

【画像】十津川温泉に向かうために越えねばならない、最後の“三浦峠(標高1080m、高低差680m)”へと向かう吊り橋“船渡橋”
ここの手前で、、今しがた、三浦峠から下山してきた、遍路傘に白衣のオッサンとすれ違ったが、、、オッサンは、自分が日没の今から三浦超えをするというと、、すごい心配してくれた。
山頂付近では強風が吹き荒れており、、台風による崖の崩落が二か所ある、、とのこと。ここはマジで危険だから要注意で!とのアドバイスをいただき、、さらに、チョコレートまで幾つか頂いてしまった。
お陰様で、心あったまる気持ちで、今からの三浦峠に立ち向かう気力が湧いてきた!


【画像】“吉村家跡の巨杉群”
登りの途中で、、このあたりが17時過ぎ。間もなく、完全なる暗闇になろうとしている。この辺りで自慢のFlash Lightをオン!Flash Lightは、こんな時に備えて二本用意している。予備の乾電池とともに。アドレナリンも出てるおかげで、最早、心細さは全くなかった!兎に角、、山頂へ急げ!


【画像】18時半ころに三浦峠(標高1080m)登頂で、、ホッとした。
このすぐ手前に、、先の遍路傘のオッサンがアドバイスしてくれていた通り、、凄い崖の崩落個所があり、、、そこはガチンコでヤバかった!
山道が完全に崩落していたので足の踏み場が崖の斜面となっていて、、、、すぐ右手は、遥か下方まで続く“奈落の底”だった。左手の、、崖の斜面に飛び出している木の根っこを、、、それはそれはビクビクしながらしっかりと全力で握りしめ、、、一歩一歩足元を確認しながら、恐る恐る渡った。
まあ、、、幸か不幸か、真っ暗で“奈落の底”は目には見えてこなかったので、“高所の恐怖”は感じずに済んだ。ただし、、次から次へとガラガラと足元から転げ落ちていく石の音が、、もうチビリそうなくらいに怖かった!!いや、、実際にはちょっとくらいチビッていたかもしれなかった・・・・・・・

ここでは、、一瞬の気のゆるみが、、、まさに“終わり”につながる・・・・・・・
・・・・・・・・・・・そう!・・・・・・私にとってはまさに、“生死の境目”を渡る心境だった!!・・・・・・・・

二か所もこんな恐怖を克服して、無事に三浦峠を越えたときの安堵感といったら!!
あとは得意の下り坂だ。たしかにFlash Lightの照らし出す範囲だけに集中して下りを急ぐのは少し怖かったが、、、たとえすぐ隣が崖のようになっていても、しっかりとした山道である限り、、、周囲が木々で囲まれている限り、可能な限り、小走りで下山した。
途中にある遺跡としては、、旅人を殺害して資金を貯めて、、“大阪の夏の陣”に出向いていった主人がいたという茶屋跡(古矢倉)なんかがあったが、、、もうそんなのはどうでもよくて、、、夢中で下山を急いで駆け下りた。

たとえ完全な暗闇の中でも、、Flash Lightの強烈な光のお陰で、、また、、、きちんと台風跡の荒れた山道を整備してくださっている地元の方々の努力のおかげで、、、、、私は殆ど石や根っこに躓くこともなく、、無事に下山できた。

【画像】三浦峠から下山して真っ先に見える“文明の産物”自販機。
自販機なんてものはまったく目にすることのない“小辺路”だが、、、ようやく、、久しぶりにここで、、、峠から下山したタイミングで出会える。これほどに頼もしい自販機なんて、、他にしらない・・・・・・・
いつも、これをみると『ああ、、、、無事に降りてこれた・・・・・』と安堵し、、、ここで2~3杯のジュースを飲んで、暫しくつろぐ。まったりして、たった今しがたの“三浦峠”を振り返ってから、次の最終目的地である、十津川温泉を目指すのだ。。
ここからの8Kmは、、正直、最もつまらない道のりで、、車道に沿って車の通り過ぎる横を行かねばならない。
ガマンして、、、ようやく“昴の郷”を越えて、十津川温泉に入ったときの感激はヤバかったね!

予約していた“大和屋”の女将さんらは、たいそう心配してくださっていたようだが、、ホント、無事に辿り着けて何より!すぐに夕食の用意をしてくださり、、無我夢中でむさぼり食べた。
食事の後は、温泉でゆっくり心行くまでリラックスして温まり、下半身をいたわった。ここの温泉は、臭いが強烈で独特だが、、なんでも、全国で泉質No.2の受賞をしたからぜひとも、コップに注いで飲んでも見て!、、、というから飲んでみたが、、、、
ウ、ウーン、、強烈!硫黄の臭いが凄かったが、、、そんなこともこんなこともすべて、、、何事もなく無事に、、本日の予定通りに宿屋にたどり着けた幸せを、私はしみじみと噛み締めるのだった・・・・・・・・・・

【画像】大和屋での夕食。正直言って、、朝夕の食事ついて7500円ということから、、世間的には味に期待できない(?)レベルだが、、私にとっては十分満足のいく、ボリューミーなもので、満ち足りた気分を味わえた。。

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紀伊半島縦断3日間の旅(熊野古道を行く) 第一日目(11月22日(水))

2017年11月27日 | 熊野古道 11月末
熊野古道を経て、紀伊半島を縦断してきた。
まずは何事もなく、無事に帰宅できたことを大変有難く思う。
             ・・・・・そして・・・・・
たとえ人の姿をほとんど見かけることのない山奥深くであっても、、しっかりと山道を管理して日々、整備してくださっている地元の方々に対しては、、その惜しみのない地味な努力に対して、心の底から敬意と感謝の気持ちを述べさせて頂きたい・・・・・・・・_(._.)_
初日こそ雨に降られたが、、そのあとはずっと快晴続きで見事な紅葉のなか、綺麗に整備された山道を邁進することができた。。
台風21号、22号による荒れた山道の整備は大変だろうが、、おかげさまで道中、何の不安もなくenjoyできた!!


さて・・・・・・
表題に『3日間の旅』としているが、、前泊しているので、正味3日とチョイの行程となった。

サンチアゴ巡礼と熊野古道との“共通巡礼”を証明するためには、、スタンプ台帳に、通過した“ポイントとなる場所”のスタンプ押印がなければいけないワケだが、、、、
事前にこのスタンプ台帳を入手しておくのを忘れていたので、、わざわざ高野山の観光案内センターまで一度、前日に出向いて入手しておく必要に気付いたのだ。。

梅田から環状線に乗り継いで、新今宮駅で南海電車に乗り換えてゴトゴトと田舎道を行き、橋本駅で下車。
・・・・・・あ・・・・・そうそう、今回の旅の宿泊先については、、あらかじめ随分と前に予約しておいた。“紅葉シーズンの混雑ぶり”をナメちゃいけない。宿がなかったら、今回の旅の実行も危ぶまれてしまうからだ。しっかりと宿を確保できているからこそ、安心して道中の激しい行程計画も立てることが出来たってワケ。。

さて話は戻るが、、、、、
台風で一部、土砂崩落があり、、このために高野山ケーブルが運休となっていた。代行運転で高野山への観光客をピストンで運んでいたのがバスであり、これが南海橋本駅を基地としていたので、丁度、私の宿泊地と重なっていたのでラッキーだった。

とかく、橋本駅に到着するとすぐにバスに乗り、高野山の観光案内センターを目指した。
高野山へと向かう片側一車線の道路は、幅が狭いにもかかわらず、対向車が途絶えることなく、、大型バスの運転が大変そうだった。途中、何度も何度も一時停車してはエンジンをかけなおしており、、運転手さんにとってもさぞかし、神経をすり減らして骨の折れる運転だったことだろう・・・・・

このバスが約70分かけてケーブル高野山駅まで届けてくれるのだが、、そこからさらに、高野山バスに乗り換えて行かねばならず、、想定以上に時間がかかってしまった。結局、観光案内センター(宿坊案内所)到着は16時45分であり、、、、
『もしかしたら、、、今日中にスタンプ台帳を入手できんかも、、、、』とヒヤヒヤしつつ、、案内所が閉まる直前ギリギリに何とか間に合った。そして、、念願の新品のスタンプ台帳を無料で入手。ついでに、このスタンプ台帳を貰えるところで早速、“一発目のスタンプ”ということで、高野山/水ヶ峰の分を、、気合い入れて押してきた。。
昨年の熊野詣(中辺路で田辺~本宮~湯の峰~那智)のときのスタンプ台帳とは別に、、今回新たに作り直した新品の台帳にワクワクしながら、、、スグに折り返して今来たのと同じ手順で再びバスに乗り、、大勢の観光客とともに山道のヘアピンカーブに揺られながら、、南海の橋本駅まで戻った。。

18時過ぎに駅をあとにして、、しばらく歩いて本日の宿泊地の“ルートイン橋本”へ。
チェックインして荷物を部屋に置くと、、冷たい雨がサーサーと降る中、ホテルを出て、道路向かいの“餃子の王将”へ。翌日が休日のせいか、、家族連れで結構賑やかな中、一人カウンターで天津飯とラーメンのセットに餃子と野菜炒めとを追加して、、腹ペコだったし、久々の王将が美味しくて、、いそいそと夢中でかき込んだ。。

明日からの激しい行程に備えて、、たっぷりとEnergy Chargeする気持ちで、、さらにコンビニで菓子パンも買うなど、、カロリー度外視の幸せな夕食だった。。

翌朝の橋本駅の始発が5時22分ということで、22時頃に早寝。
当初は、ここから高野山目指していく予定だったが、、、急きょ変更して、九度山駅を出発地点とすることにした。。
今回は、私にとって初めてとなる“町石道”という、20Kmチョイの新たに世界遺産登録された道を行くので、、、
慣れない道でイメージつかめないし、、、翌日に予定しているルートはキツくて、、、、、高野山から十津川温泉までの小辺路と合わせると、、十津川温泉に到着する時刻が大幅に遅くなるリスクがあったので、、敢えて橋本駅から3駅ほど高野山よりの九度山駅を出発地点にすることにした。。

予報では、翌日の午前いっぱいで雨があがる様子だった・・・・・・
これはこれは・・・・・・楽シイ旅ガ始マルゾ!!

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