今日が今回の旅の最終日となる。
奥深い熊野の山奥とお別れを告げるときがやってきた・・・・・
1000m級の峠越えは結局、、高野山、伯母子峠、三浦峠、果無峠、大雲取超えの那智山と、、、5回にわたり、、、その他にも小規模な峠越えはいくつもクリアしてきた。
山の高いところではゴーゴー!と風がうなり、私を地面から引きはがそうとし、容赦なく体温を奪っていった・・・・
激しく揺れる森の木々がきしみ、こすれあってゾッとするような叫び声を轟かせていた。
また、、奈落の底の暗闇は、崖沿いを歩く私を手招きして呼びかけてきた・・・・・・・・・
私のBear Bellは天上から響き/透き通るような音色をチリンチリン!と響かせ続け、、そんな中を、ただ無心になって邁進してきた。そしていま、そんな繰り返しにも、ようやく終わりが見えてきた・・・・・・・・・・
あんなこんなの山や谷の激しいアップダウンを繰り返してきたので、私の下半身にガタがきやしないかと、前夜は湯の峰の温泉につかりながら筋肉をよーくほぐしておいた。何しろまだクリアせねばならない“雲取り越え”~那智大社~補陀落山寺の行程が控えていたから。
昨夜の懸念とは裏腹に、、、今朝目覚めてみると、、実に不思議なもので、見事サッパリと疲労回復していた。
これが、、温泉の効果というやつか?
・・・・・・・・・だとすれば不思議やね~。一見、何の変哲もないお湯なのに、、、我が家の風呂のそれと見た目は一緒だというのに! この肉体復活のメカニズムって、、、一体、どんなやねん? 硫黄をはじめとする、源泉に溶け込んだ様々なイオンが、、一体全体、どのように体に働きかけてるんやろう?
たっぷり食べて、しっかりと睡眠をとったことも、もちろん疲労回復に重要だろうが、、、食事、温泉、睡眠と、結局は三位一体となって体の疲れがすっかりと癒えたワケだが・・・・・・・・・
そうそう、、、今回の熊野詣でもやはり、、神聖なるパワーを全身に受け取り/吸収してきたような気がする。
霊的な何とかを感じるとか云々なんてものは、、、、、私にとっては単なる気持ちのうえの、、、ヘンテコリンな風に精神的な力動が作用して、、、、くらいにしか今までは思ってこなかったし、神様を信じるとか、、そんなことすらも、これまでは全くの無関心だった。。
でもね、、やっぱ、、そういうのもアリだろうね。
今後、私がspiritualな何かに傾倒していくことがあるのかどうかは知る由もないが、、、、少なくとも、、気持ちの上ではたとえ意識的/恣意的/儀式的であろうと、、そういったspiritualな存在に対して敬意を払うように心がける姿勢が、、この年になってようやく自分の中に芽生えてきた気がする。
特に“巡礼”という行為を行うことによって。
どうして古来、、千数百年の長きにわたって多くの人々が熊野詣という苦行に魅せられてきたのか?
ホントにこんなことが大事なのか? 行き倒れのリスクをかけても/命を懸けてまでchallengeする価値があるのか? どうして繰り返して何度も何度も行くようになってしまうのか?
・・・・・・・・・わたしは・・・・・・・・実際にあの参詣道を体験してみて初めて、、その答えを自分なりに見出すことができるものだと考えている。
長い長いアップダウンに疲労困憊して辿り着く聖地、、、、地味なガマンをしていると、、かならず達成できそうな、、比較的“お手軽”な目標・・・・・・・・
まあ、、、他に言えることといったら、、、“脳内麻薬”なんかもあるやろうね。そう、βエンドルフィンなる、、苦しいストレスにさらされた際に分泌されるという、よくいう“幸せホルモン”てやつ。マラソンとか、死の間際なんかに分泌されるとかいうのと同じやつ。これによってtensionは高揚し、、ハイになって、しばし幸せに浸ることになるが、、、それこそ、あの快感に病みつきになってしまう一面はある。。
まあ・・・・・・
要は、、、当然ながらいろんな要素が絡んでの“ハマり要素”なので、こんなことの分析すること自体に意味は感じないが、、
一方で、、巡礼の道中が、まるで一つの人生の縮図のようにも思えてくることを考えてみると、、、教育的/教訓的にはイイかもしれない。
苦しい登りがあれば、聖地到着の喜び(βエンドルフィン)があり、、、、苦楽がつぎつぎと、巡礼の短期間のうちに押し寄せてくる。ガマンして我慢して、、歯を食いしばってして、、時々の“ご褒美”つまり、いい景色だったり、食事だったり、温泉だったり・・・・etc ときには道中、困ることがあって、見知らぬ人に助けられたり/助けたり・・・・・・
これらは全て、巡礼という小さな共通項で括ってしまってもいいけど、、、これってやっぱ、、ヒトの人生と、どこか被るようなところがあるよな? “人生の縮図”と言いきってしまうのは大げさかい??
さて、、最後の一日!書ききるぜ!
朝は特に急ぐ必要もなかったので、7時起きで朝食をいただく。この辺りの郷土食である“茶粥”が必ずついてくる。温泉地なので、温泉の湯で煮てあるが、、紀州産の梅干しとですするこいつがまた絶妙なんや!
そう、出発の朝に頂く茶粥は、、旅のシメであることを匂わせる。最高の充実感を味わい/噛み締めると・・・・・・・・・・さあ・・・・最後の出発や!!
湯の峰荘を出たのが7時半。渡良瀬温泉に川湯温泉と、、三大温泉地を歩いて40分ほどで、熊野川沿いの請川へ。あの、黄色の派手な看板の中華屋“黎明”の近くから“小雲(小雲取超え)”がstart!
歩いてきてウオーミングアップであったまったから、初っ端から急な登りの石階段を駆け上る。下半身の調子は絶好調。見事な快晴にも恵まれたのは超ラッキーだった!当初は雨の予報だったから、それなりの覚悟はしていたが、、、、快晴ならば、、スイスイと歩が進む!
【画像】湯の峰温泉を出て最初に通過する“渡良瀬温泉”
【画像】次に通過した川湯温泉
【画像】いざ、請川から“小雲”こと小雲取超えstart! さらば、本宮よ!
【画像】“小雲”峠のview pointである“百閒ぐら”。切り立った断崖の遥か西方には大塔山脈が連なる
ここが“小雲”のclimaxであり、、あとは駆け下るだけ。
【画像】くだりでは、前方に人影が見えない限り、、、走れるだけ、走る!
【画像】“松畑茶屋跡”道中に散見される茶屋跡は、、多くの“巡礼さん”たちで賑わった往時の熊野古道を想わせる。かつて、ここで多くの人が茶を飲み、団子を食べ、、話に花を咲かせた。
・・・・・・・・いまは、ただの苔むした廃墟の石垣のみが残る・・・・・・
【画像】“賽の河原地蔵” 道中、行き倒れた人々を弔っている。
【画像】“小口集落”に降りてきた。ここで一泊する“巡礼さん”が多い。
【画像】つい最近まで人が生活していたであろう廃墟が、、道沿いにあって、中を覗き込めるようになっていた。囲炉裏が見えたので、思わず近寄ってみた。
この家の主たちであろうか? 恐らく、この家で団らんしている風な“写真の壁掛け”が見えた。古びた写真は色あせていて、笑顔で映る人々を見れば、しんみりした気分になった。道中、、このような廃墟がいたるところにあり、、さびれゆく集落をリアルに目の当たりにできた。
【画像】最後の峠越えだ。“大雲”こと大雲取超えの登山口。
先日、、ニュースで報道されていて気になっていたが、、“大雲”の一部(石倉峠)で、台風による崖の崩落があり、、通行止めとなり、迂回路がつくられている、とのこと。このために『40分ほど余分に時間がかかる』みたいな案内掲示が置かれていた。
以下は、中辺路で一番の難所とされる、“胴切坂”の石畳。カーブがあまりない登りで、、いっきにノンストップで860mの高度を稼ぐ。画像は、上にあるほど山の上の方になるように配置しておいた。
【画像】“大雲”を登り始めると、間もなくして見える“円座石”
この岩には三つの梵字が記してあり、それぞれ熊野の速玉大社、本宮大社、那智大社を意味しているようだ。それぞれの神様たちが、、この岩の上で談笑しているのだとか(笑)
【画像】“胴切坂” 腹が捩れ切れるくらいに、苦しい登りの坂。画像は、上に行くほど高度となるように配置した。
数ある坂道でも、、私はとにかく、ここの登坂が一番のお気に入りなのだ!
【画像】“胴切坂”をクリアして、越前峠に到達。非常に寒かったが、歩きながらオニギリを食べた。ここまでくれば、、気持ち的には大分ラクチン。まだまだ峠越えは続くけどね・・・・・・・
【画像】台風による土砂崩落で、石倉峠への立ち入りが禁止され、、、迂回路を示す案内板
【画像】迂回路を経て、、地蔵茶屋へ向かう。寒い寒い!
その後もアップダウン繰り返して、、色川辻を越えると、、いよいよ最後の峠へと向かう!そう、船見峠だ。いよいよ、、いよいよ太平洋を遠くに拝む瞬間がやってきた!
【画像】船見峠の見晴らし台。
ここで初めて遠方に太平洋を拝むことが出来る。海を拝めるのは、この一瞬だけだが、、そのときのコーフンはたいそうなものだ!
九度山から山中に入り、、、高野山からの小辺路、中辺路、、云々と、、いままでの行程が、まるで走馬燈でも見るかのようにパラパラと脳裏を駆け巡るなか、あとは那智大社に向けてひたすら下り坂!
【画像】“那智高原” 那智大社からの石階段でさらに上がったところにある。
ここでは那智の滝の轟音が響き始める。広々としていて大変美しい公園だが、遊んでる人を目撃したことはない。
【画像】もうすぐソコに那智大社が!青岸渡寺の屋根が見える!
【画像】那智大社に到着!得意になってスタンプを押した!
【画像】那智大社を下ったところの参拝道。ここまでは観光客でにぎわっているが、、わたしのゴール地点は、まだまだここから8Km先の“補陀落山寺”および、すぐ近くのJR那智駅(浜辺の近く;海際)だ。。
【画像】熊野古道(中辺路)の出発起点の碑。あとはずっと、なだらかな下りのアスファルト道を歩くだけ!
【画像】“補陀落山寺”
かつて、、ここから“補陀落浄土”を目指して、、わが身を犠牲にして世を救済すべく、、お坊さんたちが“補陀落船”で太平洋へと最後の旅立ちで乗り出した。
もう何年も前に、テレビの番組で見かけたのでウラ覚えだが、、、この“補陀落船”は中に一人のお坊さんが乗り込み、一心に念仏を唱え続けて末法の世を救済しようとするものだ。。
少しの水と食料をもって入り、船の外から釘を打って、出れないようにしたという・・・・・・
あとは、、死ぬまで念仏を唱え続けたらしい。“補陀落浄土”を夢見て。
いよいよこれで私の今回の旅のゴールとなったワケだが、、
生憎、、わたしはここまで来たが、、ここから先へはお付き合いできない。。
つまり、、補陀落船のように、太平洋へと乗り出して、浄土へいくワケにはいかない。まだまだ現世でやるべきことがいろいろあるもので・・・・・・・・
下半身の疲労がとても心地よく、、今までの三日間の旅を振り返る。
【画像】JR那智駅から、ローカル線で、紀伊勝浦駅へ。
【画像】紀伊勝浦駅周辺の中華定食屋を二軒ハシゴした。“竜飯店”はよく行くところで、、チャーマヨ丼と肉すきラーメン(?)、、別の中華店では、中華定食を一人前食べた。
これだけ体を動かしてきたので、、また、昼は歩きながら食べた梅オニギリとチョコバーとアンパンと、消費カロリーにしては量が少なかったので腹ペコだったのだ。夢中でかき込んだ中華定食のウマかったこと!
今回は終電が近くて時間がなかったので、JR那智駅に併設の温泉には入らず、中華定食を優先したワケ。
あとは、紀伊勝浦駅を18時10分出発の、新大阪いき最終に乗り込み、、ぐっすりと泥のようになって眠りこけた。
こうして今回予定していた熊野行は、、、すべてがいい具合に進み、、、、うまく完結してまとまった。
・・・・・・・・・・・お陰様で・・・・・・・・・最高に幸せな眠りを味わえたヨ・・・・・・・
奥深い熊野の山奥とお別れを告げるときがやってきた・・・・・
1000m級の峠越えは結局、、高野山、伯母子峠、三浦峠、果無峠、大雲取超えの那智山と、、、5回にわたり、、、その他にも小規模な峠越えはいくつもクリアしてきた。
山の高いところではゴーゴー!と風がうなり、私を地面から引きはがそうとし、容赦なく体温を奪っていった・・・・
激しく揺れる森の木々がきしみ、こすれあってゾッとするような叫び声を轟かせていた。
また、、奈落の底の暗闇は、崖沿いを歩く私を手招きして呼びかけてきた・・・・・・・・・
私のBear Bellは天上から響き/透き通るような音色をチリンチリン!と響かせ続け、、そんな中を、ただ無心になって邁進してきた。そしていま、そんな繰り返しにも、ようやく終わりが見えてきた・・・・・・・・・・
あんなこんなの山や谷の激しいアップダウンを繰り返してきたので、私の下半身にガタがきやしないかと、前夜は湯の峰の温泉につかりながら筋肉をよーくほぐしておいた。何しろまだクリアせねばならない“雲取り越え”~那智大社~補陀落山寺の行程が控えていたから。
昨夜の懸念とは裏腹に、、、今朝目覚めてみると、、実に不思議なもので、見事サッパリと疲労回復していた。
これが、、温泉の効果というやつか?
・・・・・・・・・だとすれば不思議やね~。一見、何の変哲もないお湯なのに、、、我が家の風呂のそれと見た目は一緒だというのに! この肉体復活のメカニズムって、、、一体、どんなやねん? 硫黄をはじめとする、源泉に溶け込んだ様々なイオンが、、一体全体、どのように体に働きかけてるんやろう?
たっぷり食べて、しっかりと睡眠をとったことも、もちろん疲労回復に重要だろうが、、、食事、温泉、睡眠と、結局は三位一体となって体の疲れがすっかりと癒えたワケだが・・・・・・・・・
そうそう、、、今回の熊野詣でもやはり、、神聖なるパワーを全身に受け取り/吸収してきたような気がする。
霊的な何とかを感じるとか云々なんてものは、、、、、私にとっては単なる気持ちのうえの、、、ヘンテコリンな風に精神的な力動が作用して、、、、くらいにしか今までは思ってこなかったし、神様を信じるとか、、そんなことすらも、これまでは全くの無関心だった。。
でもね、、やっぱ、、そういうのもアリだろうね。
今後、私がspiritualな何かに傾倒していくことがあるのかどうかは知る由もないが、、、、少なくとも、、気持ちの上ではたとえ意識的/恣意的/儀式的であろうと、、そういったspiritualな存在に対して敬意を払うように心がける姿勢が、、この年になってようやく自分の中に芽生えてきた気がする。
特に“巡礼”という行為を行うことによって。
どうして古来、、千数百年の長きにわたって多くの人々が熊野詣という苦行に魅せられてきたのか?
ホントにこんなことが大事なのか? 行き倒れのリスクをかけても/命を懸けてまでchallengeする価値があるのか? どうして繰り返して何度も何度も行くようになってしまうのか?
・・・・・・・・・わたしは・・・・・・・・実際にあの参詣道を体験してみて初めて、、その答えを自分なりに見出すことができるものだと考えている。
長い長いアップダウンに疲労困憊して辿り着く聖地、、、、地味なガマンをしていると、、かならず達成できそうな、、比較的“お手軽”な目標・・・・・・・・
まあ、、、他に言えることといったら、、、“脳内麻薬”なんかもあるやろうね。そう、βエンドルフィンなる、、苦しいストレスにさらされた際に分泌されるという、よくいう“幸せホルモン”てやつ。マラソンとか、死の間際なんかに分泌されるとかいうのと同じやつ。これによってtensionは高揚し、、ハイになって、しばし幸せに浸ることになるが、、、それこそ、あの快感に病みつきになってしまう一面はある。。
まあ・・・・・・
要は、、、当然ながらいろんな要素が絡んでの“ハマり要素”なので、こんなことの分析すること自体に意味は感じないが、、
一方で、、巡礼の道中が、まるで一つの人生の縮図のようにも思えてくることを考えてみると、、、教育的/教訓的にはイイかもしれない。
苦しい登りがあれば、聖地到着の喜び(βエンドルフィン)があり、、、、苦楽がつぎつぎと、巡礼の短期間のうちに押し寄せてくる。ガマンして我慢して、、歯を食いしばってして、、時々の“ご褒美”つまり、いい景色だったり、食事だったり、温泉だったり・・・・etc ときには道中、困ることがあって、見知らぬ人に助けられたり/助けたり・・・・・・
これらは全て、巡礼という小さな共通項で括ってしまってもいいけど、、、これってやっぱ、、ヒトの人生と、どこか被るようなところがあるよな? “人生の縮図”と言いきってしまうのは大げさかい??
さて、、最後の一日!書ききるぜ!
朝は特に急ぐ必要もなかったので、7時起きで朝食をいただく。この辺りの郷土食である“茶粥”が必ずついてくる。温泉地なので、温泉の湯で煮てあるが、、紀州産の梅干しとですするこいつがまた絶妙なんや!
そう、出発の朝に頂く茶粥は、、旅のシメであることを匂わせる。最高の充実感を味わい/噛み締めると・・・・・・・・・・さあ・・・・最後の出発や!!
湯の峰荘を出たのが7時半。渡良瀬温泉に川湯温泉と、、三大温泉地を歩いて40分ほどで、熊野川沿いの請川へ。あの、黄色の派手な看板の中華屋“黎明”の近くから“小雲(小雲取超え)”がstart!
歩いてきてウオーミングアップであったまったから、初っ端から急な登りの石階段を駆け上る。下半身の調子は絶好調。見事な快晴にも恵まれたのは超ラッキーだった!当初は雨の予報だったから、それなりの覚悟はしていたが、、、、快晴ならば、、スイスイと歩が進む!
【画像】湯の峰温泉を出て最初に通過する“渡良瀬温泉”
【画像】次に通過した川湯温泉
【画像】いざ、請川から“小雲”こと小雲取超えstart! さらば、本宮よ!
【画像】“小雲”峠のview pointである“百閒ぐら”。切り立った断崖の遥か西方には大塔山脈が連なる
ここが“小雲”のclimaxであり、、あとは駆け下るだけ。
【画像】くだりでは、前方に人影が見えない限り、、、走れるだけ、走る!
【画像】“松畑茶屋跡”道中に散見される茶屋跡は、、多くの“巡礼さん”たちで賑わった往時の熊野古道を想わせる。かつて、ここで多くの人が茶を飲み、団子を食べ、、話に花を咲かせた。
・・・・・・・・いまは、ただの苔むした廃墟の石垣のみが残る・・・・・・
【画像】“賽の河原地蔵” 道中、行き倒れた人々を弔っている。
【画像】“小口集落”に降りてきた。ここで一泊する“巡礼さん”が多い。
【画像】つい最近まで人が生活していたであろう廃墟が、、道沿いにあって、中を覗き込めるようになっていた。囲炉裏が見えたので、思わず近寄ってみた。
この家の主たちであろうか? 恐らく、この家で団らんしている風な“写真の壁掛け”が見えた。古びた写真は色あせていて、笑顔で映る人々を見れば、しんみりした気分になった。道中、、このような廃墟がいたるところにあり、、さびれゆく集落をリアルに目の当たりにできた。
【画像】最後の峠越えだ。“大雲”こと大雲取超えの登山口。
先日、、ニュースで報道されていて気になっていたが、、“大雲”の一部(石倉峠)で、台風による崖の崩落があり、、通行止めとなり、迂回路がつくられている、とのこと。このために『40分ほど余分に時間がかかる』みたいな案内掲示が置かれていた。
以下は、中辺路で一番の難所とされる、“胴切坂”の石畳。カーブがあまりない登りで、、いっきにノンストップで860mの高度を稼ぐ。画像は、上にあるほど山の上の方になるように配置しておいた。
【画像】“大雲”を登り始めると、間もなくして見える“円座石”
この岩には三つの梵字が記してあり、それぞれ熊野の速玉大社、本宮大社、那智大社を意味しているようだ。それぞれの神様たちが、、この岩の上で談笑しているのだとか(笑)
【画像】“胴切坂” 腹が捩れ切れるくらいに、苦しい登りの坂。画像は、上に行くほど高度となるように配置した。
数ある坂道でも、、私はとにかく、ここの登坂が一番のお気に入りなのだ!
【画像】“胴切坂”をクリアして、越前峠に到達。非常に寒かったが、歩きながらオニギリを食べた。ここまでくれば、、気持ち的には大分ラクチン。まだまだ峠越えは続くけどね・・・・・・・
【画像】台風による土砂崩落で、石倉峠への立ち入りが禁止され、、、迂回路を示す案内板
【画像】迂回路を経て、、地蔵茶屋へ向かう。寒い寒い!
その後もアップダウン繰り返して、、色川辻を越えると、、いよいよ最後の峠へと向かう!そう、船見峠だ。いよいよ、、いよいよ太平洋を遠くに拝む瞬間がやってきた!
【画像】船見峠の見晴らし台。
ここで初めて遠方に太平洋を拝むことが出来る。海を拝めるのは、この一瞬だけだが、、そのときのコーフンはたいそうなものだ!
九度山から山中に入り、、、高野山からの小辺路、中辺路、、云々と、、いままでの行程が、まるで走馬燈でも見るかのようにパラパラと脳裏を駆け巡るなか、あとは那智大社に向けてひたすら下り坂!
【画像】“那智高原” 那智大社からの石階段でさらに上がったところにある。
ここでは那智の滝の轟音が響き始める。広々としていて大変美しい公園だが、遊んでる人を目撃したことはない。
【画像】もうすぐソコに那智大社が!青岸渡寺の屋根が見える!
【画像】那智大社に到着!得意になってスタンプを押した!
【画像】那智大社を下ったところの参拝道。ここまでは観光客でにぎわっているが、、わたしのゴール地点は、まだまだここから8Km先の“補陀落山寺”および、すぐ近くのJR那智駅(浜辺の近く;海際)だ。。
【画像】熊野古道(中辺路)の出発起点の碑。あとはずっと、なだらかな下りのアスファルト道を歩くだけ!
【画像】“補陀落山寺”
かつて、、ここから“補陀落浄土”を目指して、、わが身を犠牲にして世を救済すべく、、お坊さんたちが“補陀落船”で太平洋へと最後の旅立ちで乗り出した。
もう何年も前に、テレビの番組で見かけたのでウラ覚えだが、、、この“補陀落船”は中に一人のお坊さんが乗り込み、一心に念仏を唱え続けて末法の世を救済しようとするものだ。。
少しの水と食料をもって入り、船の外から釘を打って、出れないようにしたという・・・・・・
あとは、、死ぬまで念仏を唱え続けたらしい。“補陀落浄土”を夢見て。
いよいよこれで私の今回の旅のゴールとなったワケだが、、
生憎、、わたしはここまで来たが、、ここから先へはお付き合いできない。。
つまり、、補陀落船のように、太平洋へと乗り出して、浄土へいくワケにはいかない。まだまだ現世でやるべきことがいろいろあるもので・・・・・・・・
下半身の疲労がとても心地よく、、今までの三日間の旅を振り返る。
【画像】JR那智駅から、ローカル線で、紀伊勝浦駅へ。
【画像】紀伊勝浦駅周辺の中華定食屋を二軒ハシゴした。“竜飯店”はよく行くところで、、チャーマヨ丼と肉すきラーメン(?)、、別の中華店では、中華定食を一人前食べた。
これだけ体を動かしてきたので、、また、昼は歩きながら食べた梅オニギリとチョコバーとアンパンと、消費カロリーにしては量が少なかったので腹ペコだったのだ。夢中でかき込んだ中華定食のウマかったこと!
今回は終電が近くて時間がなかったので、JR那智駅に併設の温泉には入らず、中華定食を優先したワケ。
あとは、紀伊勝浦駅を18時10分出発の、新大阪いき最終に乗り込み、、ぐっすりと泥のようになって眠りこけた。
こうして今回予定していた熊野行は、、、すべてがいい具合に進み、、、、うまく完結してまとまった。
・・・・・・・・・・・お陰様で・・・・・・・・・最高に幸せな眠りを味わえたヨ・・・・・・・