日本のフォークはダメだな。思想抜きにして音楽的に聴くべきところが何もないことを学んだ。
年末ころからちょっとした理由(シド・バレット、サイモン・フィン→アシッド・フォーク的流れ)で興味を持ち、URCだとかヴェルウッドだとかそういったレーベル周辺のアーティストを聴きたいと思っていた。まぁ、フォークではないがはっぴいえんどはよいアーティストだと感じていたことも関係している。
それで昨日、いくつかその辺りのミュージシャンを購入してきた。正直に言おう。レコードを聴くまではどれだけ凄い世界が展開されているのかと期待しており、もしかしたら自分が今後聴き続けるのはこの周辺の日本人アーティストになるかもしれないと思っていた。
そうしてレコードを掛けてみたのだが、結果は冒頭に示したとおり。彼らの思想が現在完全に終わってしまっている。それは当然で、フォークソング自体が時代の空気をかなり明瞭に表すものであり、20年も30年も経ってからその詩を目にしたり耳にしたところで余りにも大きな時代の断層が存在するのだから。思い出したのは大学生の頃、興奮しながら頭脳警察の1stを購入し初めて聴いたとき苦笑いしか出てこなかったこと。
ボブ・ディランでもジョーン・バエズでも誰でもいい。海外のフォーク伝説を作った人の曲は(趣味趣向の違い、感覚のずれはあるにしても)音楽的に聴くべき部分が多分にある。それが青春への懐かしみだけで評価する日本のフォークへの評価との大きな違いであろう。勿論音楽、しかもフォークソングである以上メッセージも大切なのは百も承知。けれど、音楽に普遍性を持たせるためにはメッセージよりも寧ろ、音で表現する力だと感じる。
年末ころからちょっとした理由(シド・バレット、サイモン・フィン→アシッド・フォーク的流れ)で興味を持ち、URCだとかヴェルウッドだとかそういったレーベル周辺のアーティストを聴きたいと思っていた。まぁ、フォークではないがはっぴいえんどはよいアーティストだと感じていたことも関係している。
それで昨日、いくつかその辺りのミュージシャンを購入してきた。正直に言おう。レコードを聴くまではどれだけ凄い世界が展開されているのかと期待しており、もしかしたら自分が今後聴き続けるのはこの周辺の日本人アーティストになるかもしれないと思っていた。
そうしてレコードを掛けてみたのだが、結果は冒頭に示したとおり。彼らの思想が現在完全に終わってしまっている。それは当然で、フォークソング自体が時代の空気をかなり明瞭に表すものであり、20年も30年も経ってからその詩を目にしたり耳にしたところで余りにも大きな時代の断層が存在するのだから。思い出したのは大学生の頃、興奮しながら頭脳警察の1stを購入し初めて聴いたとき苦笑いしか出てこなかったこと。
ボブ・ディランでもジョーン・バエズでも誰でもいい。海外のフォーク伝説を作った人の曲は(趣味趣向の違い、感覚のずれはあるにしても)音楽的に聴くべき部分が多分にある。それが青春への懐かしみだけで評価する日本のフォークへの評価との大きな違いであろう。勿論音楽、しかもフォークソングである以上メッセージも大切なのは百も承知。けれど、音楽に普遍性を持たせるためにはメッセージよりも寧ろ、音で表現する力だと感じる。