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ダンテものがたり その3

  

地獄の門にたどりついた詩人はそこに掲げられた銘文を読む。門を入ったところに地獄の玄関があって,そこではなんの役にたちそうもない群集が,永遠に走っている。

 「われを過ぎて,汝らは入る 嘆きの都(みやこ)へ,
  われを過ぎて,汝らは入る 永遠の悩みへ,滅びの
  民へ正義   天に召しますわが創造主を動かす
  ......われよりさきに造られしものはなし われは
  永遠とともにあり ここにいる者は,一切の望みを
  捨てよ! 汝ら われをくぐる者なり」
        ダンテ「地獄篇」第三歌より



地獄界の構造(Wikiより)

* 地獄の門 - 「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」の銘が記されている。
* 地獄前域 - 無為に生きて善も悪もなさなかった亡者は、地獄にも天国にも入ることを許されず、ここで蜂や虻に刺される。
* アケローン川 - 冥府の渡し守カロンが亡者を櫂で追いやり、舟に乗せて地獄へと連行していく。
* 第一圏 辺獄(リンボ) - 洗礼を受けなかった者が、呵責こそないが希望もないまま永遠に時を過ごす。
* 地獄の入口では、冥府の裁判官ミーノスが死者の行くべき地獄を割り当てている。
* 第二圏 愛欲者の地獄 - 肉欲に溺れた者が、荒れ狂う暴風に吹き流される。
* 第三圏 貪食者の地獄 - 大食の罪を犯した者が、ケルベロスに引き裂かれて泥濘にのたうち回る。
* 冥府の神プルートの咆哮。「パペ・サタン・パペ・サタン・アレッペ!」
* 第四圏 貪欲者の地獄 - 吝嗇と浪費の悪徳を積んだ者が、重い金貨の袋を転がしつつ互いに罵る。
* 第五圏 憤怒者の地獄 - 怒りに我を忘れた者が、血の色をしたスティージュの沼で互いに責め苛む。
* ディーテの市 - 堕落した天使と重罪人が容れられる、永劫の炎に赤熱した環状の城塞。ここより下の地獄圏はこの内部にある。
* 第六圏 異端者の地獄 - あらゆる宗派の異端の教主と門徒が、火焔の墓孔に葬られている。
* 二人の詩人はミノタウロスとケンタウロスに出会い、半人半馬のケイロンとネッソスの案内を受ける。
* 第七圏 暴力者の地獄 - 他者や自己に対して暴力をふるった者が、暴力の種類に応じて振り分けられる。
o 第一の環 隣人に対する暴力 - 隣人の身体、財産を損なった者が、煮えたぎる血の河フレジェトンタに漬けられる。
o 第二の環 自己に対する暴力 - 自殺者の森。自ら命を絶った者が、奇怪な樹木と化しアルピエに葉を啄ばまれる。
o 第三の環 神と自然と技術に対する暴力 - 神および自然の業を蔑んだ者、男色者に、火の雨が降りかかる(当時のキリスト教徒は同性愛を罪だと考えていた)。
* 第八圏 悪意者の地獄 - 悪意を以て罪を犯した者が、それぞれ十の「マーレボルジェ」(悪の嚢)に振り分けられる。
o 第一の嚢 女衒 - 婦女を誘拐して売った者が、角ある悪鬼から鞭打たれる。
o 第二の嚢 阿諛者 - 阿諛追従の過ぎた者が、糞尿の海に漬けられる。
o 第三の嚢 沽聖者 - 聖物や聖職を売買し、神聖を金で汚した者(シモニア)が、岩孔に入れられて焔に包まれる。
o 第四の嚢 魔術師 - 卜占や邪法による呪術を行った者が、首を反対向きにねじ曲げられて背中に涙を流す。
o 第五の嚢 汚職者 - 職権を悪用して利益を得た汚吏が、煮えたぎる瀝青に漬けられ、悪鬼から鉤手で責められる。
o 第六の嚢 偽善者 - 偽善をなした者が、外面だけ美しい金張りの鉛の外套に身を包み、ひたすら歩く。
o 第七の嚢 盗賊 - 盗みを働いた者が、蛇に噛まれて燃え上がり灰となるが、再びもとの姿にかえる。
o 第八の嚢 謀略者 - 権謀術数をもって他者を欺いた者が、わが身を火焔に包まれて苦悶する。
o 第九の嚢 離間者 - 不和・分裂の種を蒔いた者が、体を裂き切られ内臓を露出する。
o 第十の嚢 詐欺師 - 錬金術など様々な偽造や虚偽を行った者が、悪疫にかかって苦しむ。
* 最下層の地獄、コキュートスの手前には、かつて神に歯向かった巨人が鎖で大穴に封じられている。
* 第九圏 裏切者の地獄 - 「コキュートス」(Cocytus 嘆きの川)と呼ばれる氷地獄。同心の四円に区切られ、最も重い罪、裏切を行った者が永遠に氷漬けとなっている。裏切者は首まで氷に漬かり、涙も凍る寒さに歯を鳴らす。
o 第一の円 カイーナ Caina - 肉親に対する裏切者 (旧約聖書の『創世記』で弟アベルを殺したカインに由来する
o 第二の円 アンテノーラ Antenora - 祖国に対する裏切者 (トロイア戦争でトロイアを裏切ったとされるアンテノールに由来する)
o 第三の円 トロメーア Ptolomea - 客人に対する裏切者 (旧約聖書外典『マカバイ記』上6:11-17に登場し、シモン・マカバイとその息子たちを祝宴に招いて殺害したエリコの長官アブボスの子プトレマイオスの名に由来するか)
o 第四の円 ジュデッカ Judecca - 主人に対する裏切者 (イエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダに由来する)

地獄の中心ジュデッカのさらに中心、地球の重力がすべて向かうところには、神に叛逆した堕天使のなれの果てである魔王ルチフェロ(サタン)が氷の中に永遠に幽閉されている。魔王はかつて光輝はなはだしく最も美しい天使であったが、今は醜悪な三面の顔を持った姿となり、半身をコキュートスの氷の中に埋めていた。魔王は、イエス・キリストを裏切ったイスカリオテのユダ、カエサルを裏切ったブルートゥスとカッシウスの三人をそれぞれの口で噛み締めていた。

2人の詩人は、魔王の体を足台としてそのまま真っ直ぐに反対側の地表に向けて登り、岩穴を抜けて地球の裏側に達する。そこは煉獄山の麓であった
 

5-6.神の全能が・・・かつ最高の知恵が・・・主なる愛と・・・:これら三つの特質は、それぞれに、三位一体の神を表現する、すなわち、父と、子と、精霊である。このように地獄の門は正義により提案された三位一体で創造されたのである。

 17.知性の善を失った魂:すなわち、「最高善」(Summum Bonum)または神の視野を失っている魂である。

 22-30. ここには地獄の星なき空を通して:地獄の前庭に入り、巡礼者はその前庭にいる亡霊の悲鳴によりすぐにびっくりさせられ、恐ろしい嵐のような状況に身を支えるのであった。絶え間のない刑罰とのこの最初の遭遇で、彼は、いわば、地獄の音響効果をそっくりそのまま受け入れるのである。心の中でこれに耐えることを、読者は、地獄すなわち、ここに含まれる叙述的要素の循環を通して巡礼者の推移に付き添いながら、気づくべきである。

 35-42. 一生を生きたがとがめもせずほめもせずにそれを生きた:巡礼者が出会う最初の苦痛を与えられた魂は地獄自体に居るのではなくそこに通じる前庭に居るのである。ある意味で彼らは人生で賞賛に値することも非難されることもない行いをしてきたのであらゆるもののなかで最も忌避される罪人である。彼らに混じって、ルシフェルLuciferが反乱を起こした時に味方をしなかった天使達が居る。正しくは、これらの魂は全て無名で、なぜならいかなる種類の行為の不足もその時記すに値しないままにされてきているのである。天は彼らを咎めてきた(地獄に落とした)が地獄は彼らを受け入れないであろう。

 [神、天使、悪魔、堕落に関しては(我々には)なかなか分かりにくいものがある。「古英語の創世記によれば、神は天使たちを最初に、物質的宇宙を創るより前に創造した。天使たちの一部が妬みと高慢から反抗し、自分の欲望に従って、神の栄光をわずかでも奪おうと考えた。ルシフェルは天の北方の空高くに自分の玉座をしつらえた。神は怒って罪深い天使のために地獄を設け、一方、忠実な天使たちの善を強めた。さらに神は堕天使たちの占めていた位置を、道徳的自由をもつ新しい被造物によって満たそうと考えて物質世界を創造し続け、すべてが整ったのちにアダムとエバを創造した。エデンの園における神の言葉の途中から天使たちの堕落に話が戻る。ルシフェルは自分が神に仕えなくてもよいことを自慢していた。彼は自分の顔の輝くばかりの美しさにうっとりし、神のことを思うのをやめて自分自身に思念を向けた。かれは反抗心を抱き、家臣としてあさはかにも、自分の力に頼って天に自分の主権をうちたてることができると考えた。・・・神はルシフェルを、天の高い地位から地獄の暗い谷へ投げ落とした。悪い主とかれに仕える天使たちは三日三晩穴の中へ落ち続け、そこで天使として威厳を失ってデーモンになった(LUCIFER、p.159)」]

 52-69.それでわたしは目を向けて旗印みたいなものに気づきました:「地獄編」では神の報復は「応報」(contrapasso)のかたちを装っている、すなわち、罪の正しい罰であり、罪それ自体と似てもいないし対照もしない手順により果たされるのである。この章では「応報」ははっきりしない、ないしは不活動な罪に対比している:その魂たちは、彼らのまだ若い人生において、どんな(紋章を配した)旗印も、従者となる指導者をも持たなく、いまだに誰かを絶えず追いかけているのである。
 そのうえ、これらの亡霊たちは、全くいかなる心配にも触れられまた動かされることなく、ここで「スズメバチとハチとによって剥き出しにされ、刺され傷つけられ」るのである。

 60.それ(亡霊)は激しく拒絶してきたのでした:この人影(人物)を見分ける難しさは批評家と注釈者を700年間悩まさせてきている。連想された候補者の中にディオクレティアヌス(Diocretian、Caius Aurelius Varerius Diocletianus、245-313、ローマ皇帝、キリスト教徒を迫害した)がいる。彼は晩年王位を退いた.。他にエサウ(Esau)、彼は(1わんのあつものと引き替えに弟の)ヤコブ(Jacob)に長子相続権を売った;ベラのヤヌス(Giano della Bella);シシリアのフリードリヒ(Frederick)Ⅱ世。しかし多くの批評家たちはチェレスティーネ(Celestine)Ⅴ世であると言う、彼は1294年、選ばれて後5ヶ月で教皇職を放棄した。しかしながら、チェレスティーネは、その任務を自身に不適当とし、公職を謙遜から辞職した、決して臆病からではない。そして無教皇が1313年に(教会の権威で)認可されたという事実は彼の拒絶が敬虔な行為として十分に了解されてきたかも知れないと指摘している。
 たぶんこの亡霊がポンティウス・ピラトゥス(Pontius Pilate、西暦26-36、ユダヤを統轄したローマの総督)が最もふさわしく、彼はキリスト(Jesuus Christ)の処刑を許可した。彼の役割は、その時、「あいまいな天使」のそれと類似するだろう。すなわち、彼らが、ルシフェルが神に反逆した時支持したように、キリストの裁判に対するピラトゥスのあいまいな態度はキリストのはりつけの結果になったのである。また一方では、ピラトゥスが(もし提案された同一であることの確認が正しければ)巡礼者が地獄の門に入った後に私たちに示される最初の個人となるであろうことが重要である。「地獄編」は反逆者ルシフェルとしての精神風土的な人物で(話を)終えている。このように、類似なものは天における神への最高の反逆者とその優柔不断さがこの世で結局キリストの裏切りとなった臆病なピラトゥスとの間に暗示されているであろう。

 76.アケローンの悲しむ岸に:アケローン(Acheron)は地獄の川の一つでその源は第14章112-20で説明されている。それは厳密な意味での地獄の外側の境界として役に立っている。

 83.(髪が白い古代の)老人が:これはカローン(Charon)、すなわち死者の魂をアケローンを越えて地獄へと運ぶ古代神話の舵手(船頭)である。 

 91-93.別の道だ、他の港からだ、ここではないぞ:カローンは、彼の船が地獄に落とされた魂だけを担うので、巡礼者を生きている人間と認め彼が通り過ぎるの拒否するのである。この三連音はダンテの救済の予言能力を含んでいる:「他の港から」彼は(テベレ川の)「他の岸へ到達する」ために通り過ぎるだろうし、煉獄へないしは天国さえへも行くであろう。 

 100.しかしそこらの魂の全ては、裸にされ、絶望の縁にあり:私たちは地獄で、全ての地獄に落とされたものたちが裸にされていることを推定せねばならないが(偽善者を除く:第23章)、時々だけこの事実が指摘される。

 112-17.秋に枯れ葉が散り始める時のように:ダンテのベルギリウスのアイネイアースに対する大きな恩義はこの直喩(アイネイアースⅥ、309-10を比較せよ【資料3-1参照】)のような言語形式に含まれる。ダンテは、もちろん、常にその比喩的表現を彼自身の仕様向きに改造ししばしばそれをもっと活き活きしたものに創るのである。 

 124-26.彼らはその川を渡らんと欲し、彼らは渇望せり:地獄に落とされた魂がしきりに処罰を始めたがるのはたぶん一部の処罰である;一体喜んで罪にあるべき者が喜んで彼らの正義の応報にいくことで地獄の中で責め苦にあうのである。

 132.たったいま記憶の中で私に汗をかかせるのである:巡礼者の旅の現実感は記憶の直接性を通して強められ詩人ダンテに効果をもたらすのである。「神曲」の進行の中には多くのこのような著者の注釈が在ろう。

 136.そしてわたしは人が疲れて眠りに陥るように倒れました:推移(経過)の仕掛けとしての気絶(ないしは眠り)は第5章の終わりで再び使われる。第1章での始まりの行もまた参照のこと、そこでは巡礼者の目覚めが導入目的をかなえているのである。
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