BrainDead Worldさんのサイトより
https://nofia.net/?p=17901
 
イエメンのフーシ派とは何者か
 
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/92e442ecefb2a99fddcc4943356be478
 
https://forbesjapan.com/articles/detail/67885
「抵抗の枢軸」の一翼、紅海で暴れまわるフーシ派とは何者か | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

「抵抗の枢軸」の一翼、紅海で暴れまわるフーシ派とは何者か | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

米政府は先週、イエメンの反政府武装組織フーシ派を金銭面で支援しているとして、個人と企業からなるネットワークに新たな制裁を科した。フーシ派はここ数週間、紅海で商船...

 

 

ISLAMIC“FUNDAMENTALISM”

http://web.archive.org/web/20200803012607/http://www.aa.tufs.ac.jp/%7Emasato/keyword.html

-----『朝日キーワード別冊・国際(新版)』朝日新聞社、 1999年、所収原稿-----
《解説》
1979年のイラン・イスラーム革命以来、イスラーム圏の各地で顕在化した「イスラーム国家」「イスラーム社会」の建設運動を報じるためにマス・メディアが用いてきた用語。定義が明確でないうえ、テロリズム・イメージが強すぎるとして、学界では評判が悪い。

20世紀には世俗化・脱宗教化が地球規模で一挙に進んだが、それは一方で、伝統的な道徳観念が崩壊することへの人々の危機感を激しく煽り立てる結果となった。1970年代以降世界各所で同時並行的に発生した宗教の復興現象・政治化現象は、基本的にこの危機感から生まれたものだと言っていい。むろんイスラームの場合も例外ではなかった。

しかし、イスラム「原理主義」が突出した高揚を見せた背景には、イスラームに特有の思考法も関係していた。イスラーム復興の直接の契機となったのは、1967年の第三次中東戦争におけるアラブ諸国の大敗である。もともとイスラームはユダヤ教の誤りを正す完璧な宗教として自己規定をしており、神はイスラーム教徒にこそ栄光をもたらすと信じられてきた。しかるにいま、ユダヤ教徒の国イスラエルにアラブが敗れたのはなぜなのか。この問いに対し、多くの信徒は「自分たちが世俗化し、イスラーム法を捨てたがために、神の怒りを買った」と考えたのである。イスラーム復興はこのような自己批判、反省から始まった。

1970年代に入ると、民衆の間に広まったイスラーム復興の気運を受け、多くの国の政権も自ら「イスラーム政府」を名乗るようになる。イスラーム法に従う「イスラーム国家」「イスラーム社会」の建設・維持は、ここに、誰も批判できない国是となったのである。報道に現れる用語もかつての「反帝国主義闘争」が「聖戦」に代わるなど、イスラーム化が進み、政治をイスラームの文脈で語ることが一般化した。

とはいえ、すべての国でイスラーム政治が国是となったわけではない。たとえばイランの場合、イスラーム復興の気運は無視され、強力な西洋化が推進された。だがその結果、イラン王政はやがて「反イスラーム」のそしりを受け、79年のイスラーム革命で滅ぶことになる。

一方、イスラーム政治を国是とした国々でも、イスラームを掲げた多くの反政府運動が生まれた。各国政府の実態は、「イスラーム政府」を隠れ蓑にした一種の世俗的な軍事独裁にほかならず、活動家たちの理想とはかけ離れていたからである。1960年代以降間断なく続いた人口爆発の結果、就職難に直面した高学歴青年層と、住宅難に苦しむ大都市周辺のスラム住民が、自己の不満を表現すべくここに参入した。かくてイスラーム運動は飛躍的にその勢力を拡大し、国境を越え、世界の注目を集めて、今日に至っているのである。

《問題点・展望》

反政府イスラーム運動の隆盛を支えているのは、経済的な苦境にある高学歴青年層と都市周辺のスラム住民である。議会制とは名ばかりの独裁のもと、彼らの不満はイスラーム運動以外の代弁者をいまだ見出せずにいる。各国政府が深刻な就職難・住宅難を解決するか、自由な政治活動を認めていかないかぎり、イスラーム運動への広範な支持は続くだろう。

しかし各国の経済が好転し、政治活動が自由化されたとしても、イスラーム運動の勢力が大きく後退するとは思われない。大半のイスラーム教徒にとって、イスラーム政治こそ理想だからである。政教分離を否定するイスラーム思想の伝統が崩れないかぎり、イスラーム政治を求める運動は終息しない。各国政府がイスラーム政治を国是としている現状では、イスラーム運動の隆盛がまだまだ続くだろう。

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2024-02-02/S88ZI4T0G1KW00

米軍がシリアとイラクで空爆、米兵3人が死亡した無人機攻撃への報復

米軍がシリアとイラクで空爆、米兵3人が死亡した無人機攻撃への報復

米英軍は3日、イエメンにある親イラン武装組織フーシ派の拠点数十カ所を攻撃した。米兵3人が死亡した無人機攻撃への報復としてイラン革命防衛隊と親イラン武装組織を標的...

Bloomberg.com

 

 

 
 
シーア派の成立(フーシ派はシーア派の分派)
 
http://web.archive.org/web/20200813054446/http://www.aa.tufs.ac.jp/~masato/shiisms.html
 
☆もともとはShia Ali(アリーの党派:Shia Muawiyaの対立概念)
     ・ムハンマド家の人々こそ、ウンマの指導者になる“聖なる権利”を持つ、と考える
     ―――→ アリー以前の3人のカリフを認めない(「簒奪者」として非難)
     ・ガディール・ホムの「伝説」(預言者はアリーを後継者に指名した、とされる)

661 ハワーリジュ派によるアリーの暗殺、ウマイヤ朝成立

680 ウマイヤ朝初代カリフ、ムアーウィヤ没
     ―――→ Kufaのアリー派、メッカのHusaynに決起を促す
     そして、ムハッラム月10日(アーシューラー)
     Karbalaの悲劇(預言者の愛孫、第3代イマーム・フセインの殉教)
684 タウワーブーン(懺悔者たち)の反乱
685~687 ムフタールの反乱:アリーとファーティマの子ではないイマームを擁立
     → イマームの死をめぐって、ガイバ(お隠れ)思想登場
740 ザイドの反乱
     (ガディール・ホム「伝説」を否定、ガイバ思想否定―――ザイド派の成立)
     → シーア派の多数派はザイドに従わず、Jafar al-Sadiqを支持
     さらに、ジャアファル後のイマーム位をめぐってイスマーイール派が分離
750 アッバース朝革命(シーア派を利用してウマイヤ朝を打倒した新王朝)
     12イマーム派第8代イマームAli Rida(エマーム・レザー)の殉教
     → 以後、イマームたちはアッバース朝により厳しく監視される
874 第12代Muhammad al-Muntazar(待たれる者)が小ガイバに入る
     (941 ムハンマド、大ガイバに入る)
     → Mahdi(救世主)としての再臨説、12イマーム派信仰の根幹に
932~1056 ブワイフ朝
     シーア派の教義・儀礼確立(不可謬のイマーム論、ガイバ論など)
10世紀初め~12世紀後半 ファーティマ朝(イスマーイール派の王朝)
     → 「山の老人」伝説:アサシン(暗殺者)の語源に
16世紀初め サファヴィー朝による12イマーム派の国教化(イランのシーア派化進む)
20世紀後半 ホメイニー、「法学者の統治」論を発明
1979 イラン・イスラーム革命
“毎日がアーシューラー!すべての場所がカルバラー!”

―――→ サッダーム・フセインの介入により、イラン・イラク戦争勃発(~1988)

   
4月25日 古代イスラエルの宗教(後のユダヤ教)の「歴史」
5月9日 キリスト教の発生と中東に残った宗派
5月16日 イスラームの預言者ムハンマドの生涯Ⅰ
5月23日 イスラームの預言者ムハンマドの生涯Ⅱ
5月30日 コーランの思想(六信五行とイスラーム法の基礎)
6月6日 イスラームにおける現世/政治の意味(他宗教・思想との比較)
6月13日 イスラーム世界の拡大とハワーリジュ派の出現
6月20日 シーア派の成立
6月27日 シーア派の発展とイランにおける展開
7月4日 スンナ派カリフ論とイブン・タイミーヤの思想
7月11日 古典イスラーム法学におけるジハード(聖戦)論
9月19日

スーフィズム(イスラーム神秘主義)とスーフィー教団

関連記事~イスラムスーフィズム

https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/acbdd9e998764af3f33d341e2c19f32a