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戦争責任を負わない人 その2

「イルミナテイ三百人委員会のエージェントとしての皇室の正体が、日本国民に知られないままであること、つまり、今後ともずっと半永久的に、少なくとも日本民族が完全に滅亡してしまうまでは、日本国民がイルミナテイの仕掛けたこのからくりに気づかないことが条件になる。」

≪吉田祐二 著『天皇財閥―皇室による経済支配の構造』 より一部抜粋、要約(10)≫
テーマ:吉田祐二
(9頁からの続き)

http://ameblo.jp/antibizwog/theme-10044233394.html

■戦後の植民地経営会社の変遷

≪≪植民地経営会社のその後はどうなったのか〔※『持丸長者 国家狂乱篇』より【図10―植民地特殊銀行の変遷図・系図5―植民地金融機関の閨閥】〕。

敗戦後、「台湾銀行」及び「台湾拓殖株式会社」は閉鎖機関に指定され、清算され解散した。「朝鮮銀行(鮮銀)」とその植民地経営会社である「東洋拓殖株式會社(東拓)」も同様に閉鎖となったが、朝鮮にあった鮮銀資産は米ソ両軍政府が接収し、後(のち)にその一部は大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の中央銀行である韓国銀行(1950年設立)・朝鮮中央銀行(1946年設立)に払い下げされた。鮮銀資産の内、日本国内の残余資産により1957年(昭和32年)に、長期信用銀行として設立された銀行が「日本不動産銀行」である。

日本不動産銀行は、1977年(昭和52年)に行名を変更して「日本債権信用銀行(日債銀)」となった。1998年(平成10年)に経営破綻し一時国有化され、2000年(平成12年)に投資グループに売却され、2001年(平成13年)に「あおぞら銀行」に行名変更して、現在に至る。

日本の植民地会社の中で代表的な存在である「南滿洲鐵道株式會社(満鉄)」〔※3頁参照〕もまた敗戦時に解散して消滅したが、その人的資産を受け継いだ会社がある。それが「株式会社電通」である。

日本の戦後国家構造を研究したカレル・ヴァン・ウォルフレン Karel van Wolferen(1941-)の『日本/権力構造の謎〈上・下巻〉』(早川書房 1990年刊行)〔※関連資料(1)〕によれば、日本の支配構造は政治家・官僚・財界の3者によって統治されており、それを大衆に伝達する為のメディア機関の代表が電通である。

電通は日本の広告業界の三割を占めるガリバー企業であり、特にテレビ業界はほぼ電通の独占状態にある。日本のテレビが権力批判も無く面白くないのは、全て電通が情報統制している為である。テレビ業界では視聴率の数字に一喜一憂し、スポンサーである企業はその数字に巨額の金額を払う。しかしその視聴率は、「株式会社ビデオリサーチ」(1962年設立)という調査会社1社が発表する数字であり、客観性が全く無い。このビデオリサーチ社は電通の子会社である。

そうした電通の中興の祖と言えるのが、戦後に社長となった吉田秀雄(1903-1963)である。

吉田は戦時中の「統制会」〔※強制カルテル、『持丸長者 国家狂乱篇』より【図10・11・12-1―侵略・戦争遂行の為の国家総動員体制の組織・人脈相関図Ⅰ・12-2―侵略・戦争遂行の為の国家総動員体制の組織・人脈相関図Ⅱ】、植村甲午郎(1894-1978)と国家総動員法及び日本経団連〕に参画し、上海の特務機関と繋がる元憲兵大佐・塚本 誠(1903-1975)〔※関連資料(1)〕や、満洲政府の宣伝機関の指導者の1人だった森崎 実(-)を取締役や関連会社社長として遇している。

ウォルフレンは『日本/権力構造の謎』の中で、電通と満鉄の結び付きを以下のように書いている。



電通の社屋は第二満鉄ビルというニックネームが付けられた。吉田が多くの元満鉄幹部を雇ったからだ。彼は旧満洲官僚や将校に再教育を施し、電通や新設の民間ラジオ局の職に就けるようにした。

(『日本/権力構造の謎』下巻285ページ)



このように、会社としての引継ぎ先ではないがその人的資産を受け継いだ企業は、目に見えない形で戦前の天皇財閥系企業を引き継いでいるのである。そのもう一つの例がソニーである。

〔資料〕『日本/権力構造の謎』:要約1~11 目次一覧 - aw7k-mk ※重要
http://www.asahi-net.or.jp/~aw7k-mk/books.htm

〔資料〕電通@『日本/権力構造の謎』 - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記 2005年9月13日 ※満鉄関係者の採用、他
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20050913

〔資料〕「どうする?マスコミ支配」6:「電通」関連投稿纏め - 日本を守るのに右も左もない 2007年12月30日
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2007/12/000578.html

〔資料〕「どうする?マスコミ支配」7:満洲国と日本におけるマスメディア創成期年表 - 日本を守るのに右も左もない 2008年1月10日
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2008/01/000590.html

〔資料〕「どうする?マスコミ支配」8:何故満洲から始めるのか - 日本を守るのに右も左もない 2008年1月12日
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2008/01/000589.html

〔資料〕「どうする?マスコミ支配」9:日本の諜報戦~プロパガンダと情報統制から戦後PRへ - 日本を守るのに右も左もない 2008年1月16日
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2008/01/000594.html

〔資料〕「どうする?マスコミ支配」10:アメリカによる電通支配?満洲人脈を大量に吸収したのは何故か? - 日本を守るのに右も左もない 2008年1月18日
http://www.sayuu.net/blog/2008/01/000587.html

〔資料〕「どうする?マスコミ支配」11:アメリカによる電通支配?「満洲は私の作品」~全てを売り飛ばした岸 信介(安倍晋三の祖父) - 日本を守るのに右も左もない 2008年1月19日
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2008/01/000598.html

〔資料〕≪苫米地英人 著『利権の亡者を黙らせろ―日本連邦誕生論』 より抜粋(4)≫|MelancholiaⅠ ※談合マスコミの電波利権の実態、“絆=談合”の裏側
http://ameblo.jp/antibizwog/entry-11255176418.html

※2009年9月9日、第45回衆議院議員総選挙の結果を受け民主・社民・国民新党は党首会談を行い、3党による連立政権を組むことで合意。総務省は地上波テレビ・ラジオ放送局195社のうち107社(前年比43社増)において2008年度の収支で純損失を計上。記録が残っている1975年度以降の業界全体の計でも初めて赤字に転落したと纏めた。

〔動画〕自分の金は出さない芸能人の募金活動 - YouTube [1分43秒] ※「人気者」の利用価値(権威付け)、“絆=談合”にも利用
http://www.youtube.com/watch?v=h-hKMPZNDLA

〔資料〕恐るべき電通の歴史 1~2 - ブログ de なんで屋@東京
http://blog.goo.ne.jp/nande_ya/e/97eb215734bf1795ad54f27da77267c2

http://blog.goo.ne.jp/nande_ya/e/efaf6c4fa9c64880684b4423f94d753b

〔資料〕税金で政党CM 自民・民主とも 100億円超 電通・博報堂が受注トップ - しんぶん赤旗 2007年6月2日
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-06-02/2007060215_01_0.html

〔資料〕毎年税金60億円 電通・博報堂・産経新聞社など事業請け負い 「安全神話」刷り込み - しんぶん赤旗 2011年7月16日
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-07-16/2011071603_02_1.html

〔資料〕四大新聞社の裏側と実態!(まとめ) - ニュースの真相 2012年1月17日
http://d.hatena.ne.jp/rebel00/20120117/1326761770

〔資料〕≪中田安彦 著『ヨーロッパ超富豪 権力者図鑑―世界を支配する欧州の覇者たち』 より抜粋(4)≫|MelancholiaⅠ ※【日本の談合マスコミの歴史(1926~1935)】
http://ameblo.jp/antibizwog/entry-10916151432.html

〔資料〕電通の正体とマスコミ支配の実態 - ニュースの真相 2012年2月1日 ※電通―満洲通信社、満鉄調査部、及び財閥を中心とする閨閥
http://d.hatena.ne.jp/rebel00/20120201/1328055834

〔資料〕≪斎藤貴男 著『消費税のカラクリ』 第3章 消費者が知らない消費税の仕組み、他 より抜粋(9~11)≫|MelancholiaⅠ ※小泉純一郎・竹中平蔵らによる「構造改革」の正体、竹中平蔵の正体、(対日)年次改革要望書、松下政経塾の正体、MRA、郵政民営化研究会、郵政選挙と広告代理店(BBDOとFleishman-HillardはロックフェラーのOmnicom Group Inc.傘下企業)、他
http://arsmagna2.jimdo.com/melancholiaⅠ-roentgenium-資料保管庫-目次/

〔資料〕郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案) By 有限会社スリード・株式会社オフィスサンサーラ 2004年12月15日(PDF、全15頁)
http://tetsu-chan.com/05-0622yuusei_rijikai2.pdf

〔資料〕広告代理店というのは、「国民洗脳産業」である。 - ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報 2006年3月26日
http://amesei.exblog.jp/2879210/

〔資料〕≪苫米地英人 著『利権の亡者を黙らせろ―日本連邦誕生論』 より抜粋(3)≫|MelancholiaⅠ ※小泉劇場と地デジ利権、他
http://ameblo.jp/antibizwog/entry-11253445914.html

〔資料〕≪苫米地英人 著『洗脳支配―日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』 より抜粋(1)≫|MelancholiaⅠ ※添付資料全般
http://ameblo.jp/antibizwog/entry-11291791209.html

〔資料〕≪苫米地英人 著『現代版 魔女の鉄槌』 より抜粋(9~10)≫|MelancholiaⅠ ※インターネット及びSNSの本来の目的、他
http://ameblo.jp/antibizwog/entry-11276978203.html

http://ameblo.jp/antibizwog/entry-11279468141.html

〔資料〕≪苫米地英人 著『利権の亡者を黙らせろ―日本連邦誕生論』 より抜粋(2)≫|MelancholiaⅠ ※「電通を手なずけたフェイスブック」「電通のダークサイド」
http://ameblo.jp/antibizwog/entry-11252702341.html

〔資料〕≪苫米地英人 著『洗脳支配―日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』 より抜粋(9)≫|MelancholiaⅠ ※両建て主義、及び二層化された世界の下層部分に対する分断統治について、本文及び添付資料全般を参照
http://ameblo.jp/antibizwog/entry-11313557343.html

〔動画〕NHKスペシャル「ユーロ危機 そのとき日本は」(2011年11月23日放送) - ?酷 [49分26秒] ※分断化された被支配層(借金奴隷牧場としての国家) 対 国際談合や閨閥による支配層(グローバル企業群・国際金融資本)、新自由主義の名の下に財産と権利を搾取する仕組み
http://v.youku.com/v_show/id_XMzI2NTg3NDUy.html

〔資料〕≪苫米地英人 著『現代版 魔女の鉄槌』 より抜粋(8)≫|MelancholiaⅠ ※ヘーゲルの弁証法(正・反・合)、Shock Doctrine(惨事利用型資本主義)、認知的不協和などについて本文及び添付資料全般を参照
http://ameblo.jp/antibizwog/entry-11273446031.html


■天皇財閥系企業の人的資産の行き先

「ソニー株式会社(Sony Corporation)」と言えば、創業者の井深 大(いぶか まさる 1908-1997)と盛田昭夫(1921-1999)による夢に満ち溢れた若い技術者達が創った会社というイメージがあるが、創業期には後見役として戦前からの財界人が関与している。それが田島道治(たじま みちじ 1885-1968)という人物である。

田島は新渡戸稲造(にとべ いなぞう 1862-1933)〔※関連資料(1)〕の書生として学んだ後(のち)、旧愛知銀行(後の東海銀行、現在の三菱東京UFJ銀行)に入行して銀行家としてのキャリアをスタートさせた。後藤新平(1857-1929)に引き抜かれて鉄道院で総裁秘書となり官僚としても務めた後、旧愛知銀行に戻っている。1927年(昭和2年)の金融恐慌を収拾する為、当時日銀総裁だった井上準之助(1869-1932)らの肝煎りで昭和銀行が設立されると、田島は同銀行の頭取に就任した。

昭和銀行退職後は、商工省の外郭団体の社長や日銀の参与、戦後は文部科学省所管の日本育英会(現在の日本学生支援機構)の会長を務め、1948年(昭和23年)に宮内省改め宮内庁の初代長官に就任している。加藤恭子(1929-)『昭和天皇と美智子妃その危機に―「田島道治日記」を読む』(文藝春秋 2010年刊行)によれば、宮内庁長官としての田島は、戦後の天皇退位問題にも関わっており、彼は昭和天皇(迪宮裕仁 1901-1989)の謝罪文の草稿も準備したが、結局それは使われないままとなったと言う。外部から宮中に入った者として、宮中には評判は悪かったようである。河原敏明(1921-)『昭和天皇とその時代』(文藝春秋 2003年刊行)には、次のように書かれている。



銀行時代から辣腕家(らつわんか)で聞こえた田島は長官就任早々、“奥”(天皇近侍の部門)が強く握り締める宮廷の実権を、それはおかしいではないかと“表”(長官、次長以下の管理部門)に奪回(明治初期に次いで)したことで、奥の反田島感情は抜けなかった。

(『昭和天皇とその時代』316ページ)



1953年(昭和28年)に宮内庁長官を辞任した後、70歳近くになって東京通信工業株式会社の会長となる。この会社が後(のち)のソニーである。

田島が残した詳細な日記である「田島日記」に基づいて伝記を書いた加藤恭子(1929-)『田島道治―昭和に「奉公」した生涯』(阪急コミュニケーションズ 2002年刊行)によれば、田島は新渡戸(にとべ)門下の支配階級として、国政の中枢に関与していたことが分かる。特に宮内庁長官時代には、天皇とマッカーサー間の調整などを行っていたようである。

田島とソニーとの縁は、人的なものである。井深 大の岳父が前田多門(まえだ たもん 1884-1962)であり、前田は新渡戸門下で田島と同窓であった。それで宮内庁を退職した田島が「目付け役」として、井深ら若い技術者を監視することになったのである。元々田島は人の面倒見が良く、明協学寮という学生寮を主宰して後進を指導するなどしていた〔※関連資料(1加藤恭子)〕。30代の井深らと、時にぶつかり合いながらも創業期のソニーを支えたのである。

1948年(昭和23年)の会社概要には、主な株主として石橋湛山(いしばし たんざん 1884-1973)〔※関連資料(1)〕や、東芝社長として長年経団連会長を務めた石坂泰三(いしざか たいぞう 1886-1975)、そして田島の名前が見える。ソニーは天皇家との関係をアピールして、天皇夫妻や皇太子を半導体工場に招くなどイメージ戦略に務めた。それが田島の尽力によるものであったことは言うまでも無い。『田島道治―昭和に「奉公」した生涯』には、井深・盛田対談の一節が引用されている。



田島さんのお蔭で、昭和天皇はソニーに興味をお持ち下さって。葉山の御用邸に行かれる時、前をお通りになると、うちの工場が段々大きくなるのを見ていらっしゃって、「田島の会社は、また大きくなったね」って、いつでもお話しになったそうです。

(『田島道治―昭和に「奉公」した生涯』386ページ)



〔資料〕クエーカー Quaker/友会徒 Friends - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC

〔資料〕トモダチ作戦 Operation Tomodachi - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%81%E4%BD%9C%E6%88%A6

〔資料〕萬晩報|園田義明のコラム
http://www.yorozubp.com/sonoda.htm

〔資料〕ビッグ・リンカー達の宴2-最新日本政財界地図(10) By 園田義明 ※Quaker―新渡戸稲造―正田美智子、田中眞紀子
http://www.yorozubp.com/0407/040731.htm

〔資料〕ビッグ・リンカー達の宴2-最新日本政財界地図 By 園田義明(PDF、全61頁)
http://homepage3.nifty.com/m-miyazaki/PDF-F/biglinnker2.pdf

〔資料〕『言葉でたたかう技術』の著者、加藤恭子さんに聞く(前編)「日本が戦争に巻き込まれる日が、残念だけれどきっと来ます」 - 日経BPネット 2011年2月18日
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110217/260553/

〔資料〕『言葉でたたかう技術』の著者、加藤恭子さんに聞く(後編)「戦争中も少女達で集まって、こっそり英語の勉強会を開いていました」 - 日経BPネット 2011年2月25日
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110223/261202/

〔資料〕ソニー創業期の人脈 - ぴゅあ☆ぴゅあ1949 2008年7月21日
http://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/50646530.html

〔資料〕井深対談(ゲスト:盛田昭夫)「因縁に導かれるように」1~4(PDF、全35頁)
http://www.sony-ef.or.jp/library/ibuka/pdf/taidan_no62_1.pdf

http://www.sony-ef.or.jp/library/ibuka/pdf/taidan_no62_2.pdf

http://www.sony-ef.or.jp/library/ibuka/pdf/taidan_no63_1.pdf

http://www.sony-ef.or.jp/library/ibuka/pdf/taidan_no63_2.pdf


■もう一つの天皇財閥系企業

皇族が入社していたり取締役を務める企業もあり、これらも天皇財閥系企業として見なせるだろう。

皇族や旧華族の家系を纏(まと)めた本に『昭和新修華族家系大成〈上・下巻・別巻〉』(霞会館華族家系大成編輯委員会 監修、霞会館 1982年刊行)がある。最新版は『平成新修旧華族家系大成〈上・下巻〉』(霞会館華族家系大成編輯委員会 監修、霞会館 1996年刊行)で、刊行元は「社団法人霞会館」〔※関連資料(1・2)〕である。霞会館は、戦前の「華族会館」であり、宮内省管轄の法人団体であった。現在は総務省所管の特例民法法人である〔※→公益法人制度改革〕。

1884年(明治17年)に制定された華族令により、各名家は公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の五階の爵位に叙された。創設から廃止までの間に存在した華族の総数は、推計によると1000家を超えると言う。

『平成新修旧華族家系大成〈上・下巻〉』の中でも、現当主の肩書は多様である。例えば、伊藤公爵家の現当主、伊藤博雅(1929-)は明治乳業に勤めており、岩倉公爵家の現当主、岩倉具忠(1933-)はイタリア公使を務めた。また、旧華族ばかりでなく旧皇族についての家系も記されている。旧皇族、北白川家の現当主、北白川道久(1937-)は大学卒業後に東芝に入社、40年間定年まで勤務し、伊勢神宮の大宮司に就任している。

「株式会社東芝(TOSHIBA Corporation)」は、「芝浦製作所」として明治に設立された三井財閥系の企業である。戦後、東芝社長として活躍した石坂泰三(いしざか たいぞう 1886-1975)は、元逓信省(ていしんしょう)官僚であった。逓信省は、現在の総務省及び日本郵政、日本電信電話(NTT)を合わせた組織である。石坂は逓信省を退官後に第一生命に入社、社長になっている。戦後に吉田 茂(1878-1967)〔※『持丸長者 戦後復興篇』より【図1・系図1-1】『私物国家』より【系図2-1・図5・系図10-1・10-2・14-1】〕から大蔵大臣就任を打診されたが拒否している。

石坂も田島と同じく新渡戸稲造門下生であった。前出の加藤恭子(1929-)『田島道治―昭和に「奉公」した生涯』(阪急コミュニケーションズ 2002年刊行)には、宮内庁長官時代の田島が石坂に、高松宮(たかまつのみや)と三笠宮(みかさのみや)に東芝の株を譲ってほしいと依頼しており、皇族とは縁深いのである。石坂自身、宮内省参与に就任している。石坂泰三は、天皇家の投資アドバイザーを務めたことでも知られている。森 暢平(もり ようへい 1964-)『天皇家の財布』(新潮社 2003年刊行)には、次のように書かれている。



天皇家には「経済顧問」という私的な投資アドバイザーがいる。1965年(昭和40年)2月の衆議院予算委員会第一分科会での答弁によると、当時の経済顧問は経団連会長の石坂泰三で、その前は三菱銀行頭取を務めた財界の重鎮、加藤武男(1877-1963)氏だったと言う。89年(昭和64年/平成元年)頃には元日銀総裁の森永貞一郎(1910-1986)が務めていた。

(『天皇家の財布』103ページ)



旧朝香宮家の現当主、朝香誠彦(あさか ともひこ 1943-)は『平成新修旧華族家系大成〈上・下巻〉』によれば、元「CBSソニー」勤務とある。CBSソニーはアメリカの3大ネットワークの1つであるCBSがソニーと合弁で創った会社で、現在は「株式会社ソニー・ミュージックエンタテイメント」となっている。勿論ソニー関連企業であり、ソニーと天皇家の関係は既に記した通りである。

旧伏見宮家の現当主、伏見博明(1932-)は、米国留学後、帰国しモービル石油に勤務、現在も同社顧問を務めていると言う。モービル石油は言うまでも無くロックフェラーのスタンダード石油会社の後裔(こうえい)である。日本においてはエクソンモービル有限会社が日本での事業を行っている。

ちなみに、会社法の改正〔※関連資料(1・2)〕により、現在の日本では有限会社はもう設立出来ないが、改正会社法が施行される前に設立された有限会社については「特例有限会社」としてその存在が認められている。エクソンモービル有限会社〔※撤退に関する関連資料(1)〕は、日本における最大の有限会社である。有限会社のメリットとして、取締役の任期制限が無い(株式会社は最大10年)、決算公告が義務付けられない、会計監査の義務が無い、などがある。

日本におけるスタンダード石油会社の窓口を長年務めたのが八城政基(やしろ まさもと 1929-)で、外資系の経営者の代表的人物である。エッソ石油の社長を退いた後は米銀シティバンクの在日代表を務め、更に日本長期信用銀行(長銀)が破綻した後の「新生銀行」の取締役会長を務めている〔※関連資料(1・2・3)〕。

他にも、旧東久邇宮家の現当主、東久邇信彦(ひがしくに のぶひこ 1945-)はさくら銀行(旧名:株式会社太陽神戸三井銀行)に務めていた。太陽神戸三井銀行は2001年に住友銀行と合併し、三井住友銀行となった。旧竹田宮家の現当主、竹田恒正(1940-)の肩書には元「三菱商事・ダイムラーベンツ部長」とある。三井・三菱の中核企業にも、旧皇族ネットワークが及んでいるのである。

現代の元皇族達の身分は、我々一般国民と変わりがない。しかし、彼らは旧皇族として、日本の名家として依然、影響力を持っていると考えられる。

〔資料〕≪苫米地英人 著『洗脳支配―日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』 より抜粋(2)≫|MelancholiaⅠ ※「支配の為の装置と道具」「親から子へ存続され続ける莫大な権益」他
http://ameblo.jp/antibizwog/entry-11293732247.html

〔資料〕秋月種樹 著『華族会館創設事略』(河鰭実文 1889年刊行) - 近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/798431/6

〔資料〕Reichsarchiv ~世界帝王事典~:検索ページ
http://reichsarchiv.jp/

〔資料〕Reichsarchiv ~世界帝王事典~:家系リスト
http://reichsarchiv.jp/家系リスト

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