紫電改のパイロットであった本田稔さんの証言が見つかりましたので
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/82eddeeade8593a1b074e185f8719b8b
下に本田稔さんという戦闘機のパイロットだった人が軍の中枢は知っていたと知らされたとの発言がありますが皆さん知っていましたか?軍の中枢は宮様だらけで占められていたのです。英米日とイエズス会のシナリオの茶番劇は明かされることはないでしょう。
沖縄の米軍基地は昭和天皇の要請によるもの~それが横田空域などに広がっていった
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/a91bc7c615d3e72a5d3ec4b01953b17a
夢日記
http://datasea.seesaa.net/article/465501669.html
広島原爆地上起爆説
広島原爆
2016/6/5
「マヤ歴の修正と1260日」
この記事の前にちょっとだけ......。
これは10キロトンによるシュミレーションです。
広島は80キロのウランの10キロが(800グラムという説もあります)核分裂を起こし16~18キロトンの炸裂でした。
こんな小さな炸裂の場合クレーターはほんのわずかです。
翌日数千人の科学者などが広島を訪れたこと自体おかしいとは思いませんか。
大きなクレーターは水爆の地下核実験の場合のみ出現するのです。
http://labaq.com/archives/51067767.html
1946年春頃の広島市。三村明が参加した米軍映画撮影隊による映像
以下はタマちゃんちから
(4)「私、空中から爆弾を落としたとは思ってないんですよ。下から爆発」
元第343海軍航空隊 少尉 本田稔氏の証言!
https://youtu.be/o1dKP3cv9zw
↑動画 「私、空中から爆弾を落としたとは思ってないんですよ。下から爆発」
元第343海軍航空隊 少尉 本田稔氏の証言!
【戦士の証言】元第343海軍航空隊 少尉 本田稔氏に聞く Part3[桜2010/8/13]
https://www.youtube.com/watch?v=07eSQ82V15U&list=PLBF239C1C967DFAD8&index=2
↑動画 【証言シリーズ】元第343海軍航空隊 少尉 本田稔氏に聞く 後編[桜2010/8/5] 15分くらいから原爆証言
肝心な発言は以下にある~地上起爆の決定的な証拠
https://youtu.be/o1dKP3cv9zw?t=233
こんな事、また起きるんじゃないかな、こんな事を許しとったら
長崎原爆投下の5時間前に軍の指導者は知っていた。
66年経って真実を伝えられた本田稔さん
「分かってた!?なんで命令出さんのですか。5時間もあれば十分待機できたはずですよね。
これが日本の姿ですかね。
こんな事、また起きるんじゃないかな、こんな事を許しとったら 」
そして、日本の降伏が決まり、証拠資料は燃やされ、灰は粉々にされた。
本田さんの地上起爆の発言はカットされていますがこのビデオは長崎の原爆。
一応投下5時間前に紫電改に迎撃を準備させB29(ボックスカー)を迎撃していたら原爆投下の大義名分が成り立たなくなるからです。
これが地上起爆させた裏の真実です。
http://www.dailymotion.com/video/xkfcgf_20110808%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%8E%9F%E7%88%86%E6%8A%95%E4%B8%8B%E3%81%AE%EF%BC%95%E6%99%82%E9%96%93%E5%89%8D%E3%81%AB%E8%BB%8D%E3%81%AE%E6%8C%87%E5%B0%8E%E8%80%85%E3%81%AF%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F_news#tab_embed
管理人注;↑本田稔さんの貴重な証言ビデオです
本田さんはもうお亡くなりになっています
関連記事~
http://ameblo.jp/tamaichi2/entry-12166559208.html
http://cosmic-dance.blogspot.jp/2016/03/blog-post_62.html
<転載開始:すべて原文のまま>
幾多の実際の戦闘で、爆弾や爆発状況を見ていた軍事的に専門的知識のある彼が広島原爆の爆発の瞬間に広島城上空を紫電改で単独飛行しており
目撃体験、その生々しい証言では「私は空中から爆弾落としたとは思ってないんですよ。
下から爆発、何で何が爆発したと思って上を気をつけてませんから全然知りませんねB29に対しては・・・」の一言。
彼がウソの証言をしているとは思えません。
この発言後の日本の戦争への取り組み方への疑問も、彼の軍人としてのまじめさ、冷静な判断の持ち主であったことが伺えます。
2つのユーチューブの証言、どちらもインタビュアーがB29からの投下についてとあえてB29を絡めて聞いているのですが、
彼は完全にB29については存在をスルーしています。
戦闘機乗りならまずは上空をチェックしたり爆撃機を探すはずです。
つまりは、彼が目視できる範囲に爆撃機は見当たらなかったということでしょうね。
爆発前にも、もしB29が上空にいて投下したとしたら飛行気乗りとして目の前の状況を捉えるはずです。
この大和のことも含めて、戦後の敗戦処理のために、とにかく本来の家族を守ろう、故郷を国家を守ろうとしていたクソまじめな優秀な軍人たち(陸軍、海軍それぞれに)を一同に集め
一瞬で大量抹殺する。
殆どが本土決戦派の第二総軍を一か所に集めてピンポイントで皆殺しにしたというのが真実です。学徒たちも含めて。
http://mujaki666.seesaa.net/category/6889291-1.html
「悪魔とはいったいなにか。
ズバリ、申し上げよう。
それは人間そのものである。
人間の中核をなす、精神世界(心)という超々極微の世界に陣どっている意志体そのものが、そのときどきによって悪魔になるのである。
しかも、人間のなかでも、文化人、知識人、有能な人といわれる人たちほど悪魔的傾向も強いのである。
なぜかといえば、人間の心の知恵のなかには、神と悪魔が紙一重の差でもって、裏、表の関係でつねに同居しているからである。したがって、文化人、知識人、有能な人といわれる人たちほど、よい面=神としての能力も高ければ、悪い面=悪魔としての能力も強いのである」
アマガエルくろろのブログ
https://ameblo.jp/kuroro-phoenix/entry-12201966477.html
11は3である~二進算術演算
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/48e1485fe5298dacb115c3902e3a0e8c
11:ピラミッド数秘学
・11:11x11:11=1234321
4
3 3
2 2
1 1
・111x111=12321
・11x11=121
・2進算術演算において、11は「3」にあたる。3は三位一体、または、ピラミッドの基礎である。
二分57秒にBinary(二進法)とDecinal(10進法)の比較が出てきます。その驚くべき数字の一致とは..................3.11と9.11
公開日: 2012/01/15
(訂正)映画「ロサンジェルス決戦」を再確認したところ、宇宙人攻撃時間2011年4月11日14時46分となっていました。まさに、(月を除けば)東日本大震災と同じ時?刻!!!
46
God Is Our Refuge and Strength
To the chief Musician for the sons of Korah, A Song upon Al'amoth.
1God is our refuge and strength,
a very present help in trouble.
2 Therefore will not we fear,
though the earth be removed,
and though the mountains be carried into the midst of the sea;
3though the waters thereof roar and be troubled,
though the mountainsshake with the swelling thereof.
Selah.
4There is a river, the streams whereof shall make glad the city of God,
the holy place of the tabernacles of the Most High.
5God is in the midst of her;
she shall not be moved:
God shall help her, and that right early.
6The heathen raged, the kingdoms were moved:
he uttered his voice, the earth melted.
7The LORD of hosts is with us;
the God of Jacob is our refuge.
Selah.
8Come, behold the works of the LORD,
what desolations he hath made in the earth.
9He maketh wars to cease unto the end of the earth;
he breaketh the bow, and cutteth the spear in sunder;
he burneth the chariot in the fire.
10Be still, and know that I am God:
I will be exalted among the heathen,
I will be exalted in the earth.
11The LORD of hosts is with us;
the God of Jacob is our refuge.
SHAKE+SPEAR=Shakesp
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/643.html
シェークスピアの二つ折り本が出てきます。これは、1623年発行の初版本だそうです。「テンペスト」の頭字Bの装飾の中にFrancis Baconの文字が隠されています。おそらくシェークスピアのゴーストライターはフランシス・ベーコンだったのでしょう。
KJVには仕掛けがしてあります。フリーメイソンの数字46が鍵です。
創世記1:1から数えて46番目の単語がlightです。
ジュネーブ聖書ではGod。つまり、神から光になった。
ルシファーは、「光を携える者」ですから、神からサタンに強調点が変わった。
詩篇46篇の1節から数えて46番目がShake、後ろから数えて46番目がSpearだ(セラを除く)。
完全に自分の名前を刻んでいる。
管理人注:46番目の単語という意味(上記PSALMS参照)
そして、シェークスピアという名前も奇妙だ。
「槍をふるう」。
欧米の絵では、サタンは槍を持っている。シェークスピアとは「槍をふるう者」=サタンということなのか。
フランシス・ベーコンが、薔薇十字団の教祖的存在であり、フリーメイソンの第一代グランドマスターだったことから考えると、これも可能性として否定できない。
KJV全体が、実はサタンの暗号が隠されているのではないかと思えてきた。』
総司令部政治顧問シーボルトから国務長官宛の書簡
主題:琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解
国務長官殿 在ワシントン
拝啓
天皇の顧問、寺崎英成氏が同氏自身の要請で当事務所を訪れたさいの同氏との会話の要旨を内容とする1947年9月20日付けのマッカーサー元帥あての自明の覚え書きのコピーを同封する光栄を有します。
米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望していること、疑いもなく私利に大きくもとづいている希望が注目されましょう。また天 皇は、長期租借による、これら諸島の米国軍事占領の継続をめざしています。その見解によれば、日本国民はそれによって米国に下心がないことを納得し、軍事 目的のための米国による占領を歓迎するだろうということです。
敬具
合衆国対日政治顧問 代表部顧問
W.J.シーボルト
東京 1947年9月22日
「琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解」を主題とする在東京・合衆国対日政治顧問から1947年9月22日付通信第1293号への同封文書
連合国最高司令官総司令部外交部
1947年9月20日
マッカーサー元帥のための覚え書
天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来に関する天皇の考えを私に伝える目的で、時日を約束して訪問した。
寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。天皇の見解では、そのような占領は、米国に役立ち、ま た、日本に保護をあたえることになる。天皇は、そのような措置は、ロシアの脅威ばかりでなく、占領終結後に、右翼及び左翼勢力が増大して、ロシアが日本に 内政干渉する根拠に利用できるような事件をひきおこすことをもおそれている日本国民の間で広く賛同を得るだろうと思っている。
さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の島じま)に たいする米国の軍事占領は、日本の主権を残したままでの長期租借――25年ないし50年あるいはそれ以上――の擬制にもとづくべきであると考えている。天 皇によると、このような占領方法は、米国が琉球諸島に対して永続的野心を持たないことを日本国民に納得させ、また、これによる他の諸国、とくにソ連と中国 が同様の権利を要求するのを阻止するだろう。
手続きについては、寺崎氏は、(沖縄および他の琉球諸島の)「軍事基地権」の取得は、連合国の対日平和条約の一部をなすよりも、むしろ、米国と日本の二国間条約によるべきだと、考えていた。寺崎氏によれば、前者の方法は、押しつけられた講和という感じがあまり強すぎて、将来、日本国民の同情的な理解を危うくする可能性がある。
W.J.シーボルト
管理人注:米軍基地や今でもある横田の空域は何を隠そう天皇を守る為にある。万一中国が日本に侵攻した場合,、基地がなければたちまち天皇が処刑されるという危惧があったと推察出来る。オバマさんの広島演説で翻訳捏造がされたようです
http://reptilianbuster.blogspot.com/2016/05/blog-post_29.html
上記記事に『「ある女性が、原子爆弾を投下した爆撃機を見たと言います」という天皇家側のサブリミナルが、オバマ大統領スピーチの日本語訳にワザと入れてある。オバマ大統領は、そんな事は、全く言っていない!それは下のビデオの4:00から始まる』~私も演説文を読みましたがそんな表現はないですね。『原子爆弾を投下した爆撃機』にこだわる理由は広島・長崎とも地上起爆でありそれが公になれば(もうなってますが)天皇制崩壊につながるからです。
『日本では元首として国を代表する地位にある者は「国体」と呼ばれた。国体とは権威であり、それは「三種の神器」を有する一人の皇統である。これに対して、政治を行う体制は「政体」であり、現在の皇室がこれに当たる。近代国家としての日本国の不幸の原因―それはすべて、国体と政体を正しく判別せず、偽りをもって政体を国体のごとくなしたことによる』~明治以来の天皇家は国体ではないのです
★『日本人のための戦略的思考入門』 孫崎亨(うける)祥伝社新書2010年9月
・・・ロックフェラーの番頭(とも言われる)キッシンジャーは、かつて日本の外交担当者等をこう嘆いたという。「日本人は論理的でなく、長期的視野もなく、彼らと関係を持つのは難しい。日本人は単調で、頭が鈍く、自分が関心を払うに値する連中ではない。ソニーのセールスマンのようなものだ」と。
以下は抜粋です
この『ヒロシマの嘘』の中に、アメリカが広島と長崎につくったABCC(原爆傷害調査委員会)のことが書かれている。
週刊朝日編集部編『1945~1971 アメリカとの26年』(1971年)から引用する。
・・・
ABCC〈原爆傷害調査委員会〉
Atomic Bomb Casualty Commission 原爆傷害調査委員会。いうまでもなく、沖縄、本土の米軍基地とならぶ占領軍の遣産のひとつだ。広島市民の批判、非難の風当たりをさけて、最近では「日米対等のパートナーシップ」をいいだすなど微笑をふりまいているが、加害者による被害者の調査というその性格に変わりはない。
ABCCさし回しの車がすっと玄間につくと、看護婦が「いらっしゃいませ」と最敬礼をする。白衣に着替えて血液検査、検便、レントゲン、聴診・・。精密検査の合間には弁当がでるし、帰りには救急箱のおみやげまでつく。
こういう特別な接待をうけるのは、2年に1回、ABCCで「成人健康調査」を受ける人たち。市民たちは、ある種の感情をこめて、お山(つまり、市内比治山にあるABCC)の。〔クイーン〕とよんでいる。…
米国科学アカデミーでの証拠文書
以下は本文参照
この『ヒロシマの嘘』の中に、アメリカが広島と長崎につくったABCC(原爆傷害調査委員会)のことが書かれている。
週刊朝日編集部編『1945~1971 アメリカとの26年』(1971年)から引用する。
・・・
ABCC〈原爆傷害調査委員会〉
Atomic Bomb Casualty Commission 原爆傷害調査委員会。いうまでもなく、沖縄、本土の米軍基地とならぶ占領軍の遣産のひとつだ。広島市民の批判、非難の風当たりをさけて、最近では「日米対等のパートナーシップ」をいいだすなど微笑をふりまいているが、加害者による被害者の調査というその性格に変わりはない。
ABCCさし回しの車がすっと玄間につくと、看護婦が「いらっしゃいませ」と最敬礼をする。白衣に着替えて血液検査、検便、レントゲン、聴診・・。精密検査の合間には弁当がでるし、帰りには救急箱のおみやげまでつく。
こういう特別な接待をうけるのは、2年に1回、ABCCで「成人健康調査」を受ける人たち。市民たちは、ある種の感情をこめて、お山(つまり、市内比治山にあるABCC)の。〔クイーン〕とよんでいる。・・・
この本にはABCCの歴史が書かれている。
・・・
太平洋米軍総司令部の軍医などの主張によって、終戦後アメリカはいちはやく広島に学術調査団を送り込んだが、その調査団が継続調査の必要から広島と長崎に研究所を設立、その後1948年に、厚生省の国立予防研究所が協力して出来たのが現在のABCCである。だから、ABCCはいまも広島と長崎に2つあるが、調査研究の主体は広島で、規模の上からもABCCといえば広島というのが常識になっている。
このABCCの調査については、「最初のころは被爆者の心理や感情をよく考えずにトラブルを起したことがありました。しかし、だれかがやらなければならなかったことを、終戦直後の混乱期にあれだけの規模でやったということはやはり意味があるでしょう」=原爆病院・重藤文夫院長(67歳)
「ABCCがあったからこそ終戦直後の医学の暗黒時代にも貴重な資料が保たれた。もし、その資料が日本に渡されていたとしても、その当時の日本の状態では、すぐに散逸してしまったことでしょう。また、ABCCは過去の統計調査資料なども要望に応じて快く提供してくれる」=1970年春ABCCに移った元広島大原医研究所の志水清博士(63)・・・
この本の中にはABCCのことが詳しく書かれている。広島に住む詩人深川宗俊さんの主張が、この本に載っている。「占領軍が駐留していたころは被爆者をもてあそんでいたくせに、今になって手のひらを返したように『世界人類のため』などとゴタクを並べて協力を要請する。そもそも原爆を落とした国が被害を受けた国に乗り込んで調査研究をやるというのは、人道上許されないことではないでしょうか」
かのときの占領軍は被爆者にピストルを突きつけ、「アナタ、軍法会議ニカカッテモイイデスカ」とおどし、少女を全裸にして、体のすみずみまでライトで照らし出す。あげくの果てに恥毛の発育状態まで検査する。そのため少女は気が変になってしまった、という例も報告されている。
吉川清は『「原爆一号」といわれて』(1981年)の中で、ABCCの横暴に触れている。
・・・
ABCCの活動については、被爆者の不満や不安、疑惑と非難の声が絶えなかった。健康の不安におびえながらも、日傭いに出なければ、その日を暮らせない被爆者にとって、ABCCの検査に1日つぶすことは深刻な生活問題であった。しかも、治療は一切しないばかりでなく、検査の結果も何一つ知らせはしなかった。それではモルモットではないか、というのであった。おまけに検査の結果、身体に異常をきたす者まであったのである。そして、被爆者が死んだと聞きつけると、ABCCは必ずといってよいほどにやって来ては、遺体を解剖させてくれというのだ。それは、死骸にむらがるハゲタカを思わせた。実は、その上にABCCの調査の手は、被爆していない人たちの上にまでのびていた。ある婦人は子宮組織を切り取られたといい、またある嬢さんは強引な検査のために、気が狂ったというような話まで伝えられた。そのABCCは、1951年になると、規模を拡大し、設備を充実して、比治山の上に幾棟かのかまぼこ型の施設を作って移転したのであった。・・・
吉川清は被爆者組織の「原爆傷害者厚生会」を1951年8月27日につくった。この組織が被爆者の結束をうながすことになった。
原爆投下からそれまでの6年間、被爆者は沈黙を強いられ、差別を受けて生きてきた。国家は彼らを見殺しにしていた。吉川は「原爆乙女」とともに東京に行く。なにゆえか、彼らは巣鴨拘置所を訪問することになる。彼は怒りを込めて書いている。
「賀屋興宣と畑俊六が登場して、あいさつをのべた。戦争責任者としての反省も、悔恨の言葉も2人の口から聞くことができなかった」
吉川清は1947年、アメリカの通信社のカメラマンの要望に応じ、広島日赤病院の屋上で自らの被爆写真を撮らせた。アメリカの各紙は彼を「原爆患者第1号 ヨシカワ」として報道した。吉川は「原爆第1号」と自ら名のり、被爆者の先頭に立ち、彼爆者更生法のために尽力した。私はこの彼の本を読み、「よし、原爆を書こう」と思ったのである。
このABCCを告発し続けた男こそは、原爆写真家、否、日本最高の勇気ある写真家・福島菊次郎であった。彼は次のように書いている。
・・・
政府は原子爆弾の被害に驚き、被爆直後に広島、長崎両市に「臨時戦災救助法」を適用した。しかし現地の惨状を無視して、わずか3ヵ月後の11月には同法を解除して30万被爆者を焦土のなかに野晒しにした。国家は戦争でボロ布のように国民を使い捨て、奇跡的に生き残った国民の命さえ守ってはくれなかったのである。・・・
天皇の皇弟高松宮を総裁とあおぐ日本赤十字社がすすんで原爆被爆者を見捨てたことが、はっきりとここに書かれている。
福島菊次郎は、多くの原爆患者と接し、彼らの写真を撮り続け、この不条理の中からABCCが誕生してきたことを知る。そして彼はABCCの内部に潜入する。
「ABCCは、1948年からの2年間だけでも5592体の人体解剖を実施した。休日なしに稼動しても2台の解剖台で1日7体解剖したことになる。驚くべき数字ではないか」と指摘している。続けて彼は書いている。
・・・
この時期は被爆後5年間に5万人近くの人々が何の手当てを受けることなく放射能障害で次々に死亡していった時期である。戦後の荒廃とインフレのなかで葬式を出す金にも困った遺族の苦境に乗じ、謝礼程度の金で遺体を収奪し、死亡者の約半数を半強制的に解剖したのである。原爆を投下して20数万人を惨殺したうえに、生き残って貧苦と病苦に喘いで亡くなった被爆者まで仮借なく軍事研究の生け貧にした行為は、ナチスのアウシュビッツの残虐行為を超えるものである。・・・
福島菊次郎は大手出版社の編集部からアメリカ大使館を通して交渉してもらい、簡単な取材許可が下りたのでABCCに行きダーリング所長に面談し内部を視察し、写真を撮る。彼は解剖台まで見る。彼は書いている。
・・・
被爆者が亡くなると黒い喪服を着て花束を持って現れ、「日米友好のために」と慇懃無礼に遺体の提供を強要するABCCの日本人職員の姿がその解剖台の背後に見え隠れして、やり場のない怒りがこみ上げてきた。解剖台に運ばれて毎日流れ作業的に行われている人体実験を想像し、独立国家とは名ばかりで、アメリカの属国であり続ける国民の悲哀と屈辱を噛みしめながら、シャッターを切り続けた。〔中略〕
しかも、ペンタゴンは放射能障害の死に至る克明なデータを収集研究するために、ABCCに「原爆の徹底的な研究のために被爆者の治療をしてはならない」と禁止した内部通達まで出していたことが2002年に公表され、現在なお約1万8000人が追跡調査対象になっていることもわかった。
この報道をより衝撃なものにしたのは、ABCCの実態が初めて明らかになったのに、国も反核団体も被爆者も一切反応せず、抗議する姿勢も示さなかったことである。アメリカに生殺与奪の権を委ね切った国は、もはや「医療行為」でもない、被爆者の遺体を切り刻まれる非人道的行為に抗議する勇気すら失ってしまったのだろうか。・・・
読者よ、この福島菊次郎の「アメリカに生殺与奪の権を委ね切った国」という怒りの言葉を、私は書き続けてきたのだ。誰がどのように国家の生殺与奪の権を、誰に委ねたのか。その点に焦点を続って私は書いてきた。
原爆はどうして、広島と長崎に落ちたのか? その問いもこの点にあるのである。日本という国はスキャンダラスな国である。そのスキャンダラスな体制を隠蔽し続ける限り、福島菊次郎が絶叫してやまぬ真実が私たちの心に突き刺さるのである。