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壮大なるCIAのプロパガンダフィルム~原爆の日を前に考えよう



フォロー⑥英国MAUD(ウラン爆発の軍事応用)委員会の会期中1940年4月10日ー1941年7月15日、天皇裕仁は英国の名誉職ではない正規軍のフィールドマーシャル(管理人注:英国陸軍元帥)

https://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/09f47d9b392ae21d2e8c9d1e60822909

原子爆弾の実験!2023年8月5日!

はだしのゲンはなぜ教科書から消されたのか

https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/3a9cc907ca37c483e8563cb8771936bd

中沢さんは最後の方でこういいます。復讐してやろう.................と。

運ばせたのはレプリカで兵隊たちも騙された。投下のフィルムは普通記録に残すものです。世紀の原爆投下の実写映像がどこにもないのは.........落としていないからですよ

犬HKフィルム~実際にトルーマンは何も知らなかったと言われる

アインシュタインがルーズベルトに当てた手紙参照(画像をクリックするときれいに読めます)

はっきりと航空機に搭載は無理と書かれている


https://twitter.com/honest_kuroki
https://twitter.com/honest_kuroki/status/70308778
2483218432

RAAという施設

https://www.youtube.com/shorts/1sPURTrD09s

見捨てられた原爆被害者

https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/b12f817ffdca837f91775cf942ba93f0

https://1tamachan.blog.fc2.com/blog-entry-15368.html


ご丁寧にNHKがちゃんと放送しています。飛んできたのはエノラゲイのみでラジオゾンデを何個かパラシュートで落としています。放射能の記録装置なのですがちゃんと密約で日本軍が回収してくれているのです。エノラゲイを急遽爆弾倉つきの爆撃機にすることなどありえないことでしょう。

B29:エノラゲイ最後の乗組員の証言
広島原爆投下機、B29エノラゲイの乗組員で最後に生き残ったヴァン・カーク氏は、日本の取材AERAに対して気になる意味不明の言葉を残した。

その言葉とは「物事には諸説ある。一部は事実だし、真実でない情報も紛れ込んでいる。実際に何が起こったかの詳細は、あなた方は決してみつけられはしないさ」と・・・・。

これはB29-エノラゲイが広島に原爆を投下したのではない秘密の暗示だった。

管理人注:このヴァン・カーク氏も鬼籍に入り,あの時の紫電改の本田少尉も93歳でなくなった今生き証人はいなくなったが我々でその意思を受け継ごう。

当時の広島上空を飛んでいた紫電改のパイロット本田稔氏は言っています

http://datasea.seesaa.net/article/465501669.html

原爆について~閲覧注意

https://rakusen.exblog.jp/26284880/

 
「戦前、理研の仁科・武谷原爆はウラン10%濃縮で使えた。
これに水を加えると立派な核爆発になる。実際に核爆発したのは800グラム。」
『日米がもっとも隠してきたかった事は負ける役を演じることになった日本が自ら原爆をしかけ、あたかも仮想敵国から落とされたかのごとく装うことである......』
「広島で使われたのは、このウランの大砲爆弾だった」
「五式十三糎高射砲は広島でも長崎でも配置してあったろう。
これに10%濃縮ウランをつめ水をかけて地上起爆に成功したということだろう。別の見方では沈没前の大和の製造段階の46センチ砲が使われた可能性もある。大和が地上起爆の実験台になったとの記述もあるし、あれだけの巨艦船が真二つに割れることは考えづらい。」
 
※私見:ウランの大砲爆弾を使ったとすると、発射場所は江田島あたりが海軍の研究施設もあり戦艦大和の主砲の最大射程離も42Kmより、広島市は十分な射程距離内であり、かつ山のおかげで海軍の呉港にまで影響はないので、候補地として、最適なのかと思った。
 

 
 上記の発言の中の「平和利用の濃縮ウランに水を加えるだけで核爆発を起こす」と言う事実は、まさに核爆発寸前までいった日本史上最悪な臨界事故を起こした東海村JCO臨界事故(バケツ臨界事故)でも実証されてしまった。



映像は1953年5月25日米国での15キロトンの核爆発(広島と同じ規模)

2008/10/24 にアップロード
The Atomic Cannon, at 280 mm, was the largest nuclear capable mobile artillery piece manufactured by the United States. On May 25, 1953, a 280 mm cannon fired an atomic projectile a distance of 7 miles at the Nevada Test Site. Twenty 280 mm cannons were manufactured. None were used in battle. (Sound effects Added.)


紫電改の出撃命令はなし

【証言シリーズ】元第343海軍航空隊 少尉 本田稔氏に聞く 後編[桜2010/8/5] 15分くらいから原爆証言
肝心な発言は以下にある~地上起爆の決定的な証拠
https://youtu.be/o1dKP3cv9zw?t=233
こんな事、また起きるんじゃないかな、こんな事を許しとったら
長崎原爆投下の5時間前に軍の指導者は知っていた。
66年経って真実を伝えられた本田稔さん
「分かってた!?なんで命令出さんのですか。5時間もあれば十分待機できたはずですよね。
これが日本の姿ですかね。
こんな事、また起きるんじゃないかな、こんな事を許しとったら 」
そして、日本の降伏が決まり、証拠資料は燃やされ、灰は粉々にされた。
本田さんの地上起爆の発言はカットされていますがこのビデオは長崎の原爆。
一応投下5時間前に紫電改に迎撃を準備させB29(ボックスカー)を迎撃していたら原爆投下の大義名分が成り立たなくなるからです。
これが地上起爆させた裏の真実です。
http://www.dailymotion.com/video/xkfcgf_20110808%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%8E%9F%E7%88%86%E6%8A%95%E4%B8%8B%E3%81%AE%EF%BC%95%E6%99%82%E9%96%93%E5%89%8D%E3%81%AB%E8%BB%8D%E3%81%AE%E6%8C%87%E5%B0%8E%E8%80%85%E3%81%AF%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F_news#tab_embed

オバマさんの広島演説で翻訳捏造がされたようです

http://reptilianbuster.blogspot.com/2016/05/blog-post_29.html



上記記事に『「ある女性が、原子爆弾を投下した爆撃機を見たと言います」という天皇家側のサブリミナルが、オバマ大統領スピーチの日本語訳にワザと入れてある。オバマ大統領は、そんな事は、全く言っていない!それは下のビデオの4:00から始まる』~私も演説文を読みましたがそんな表現はないですね。『原子爆弾を投下した爆撃機』にこだわる理由は広島・長崎とも地上起爆でありそれが公になれば(もうなってますが)天皇制崩壊につながるからです。

『日本では元首として国を代表する地位にある者は「国体」と呼ばれた。国体とは権威であり、それは「三種の神器」を有する一人の皇統である。これに対して、政治を行う体制は「政体」であり、現在の皇室がこれに当たる。近代国家としての日本国の不幸の原因―それはすべて、国体と政体を正しく判別せず、偽りをもって政体を国体のごとくなしたことによる』~明治以来の天皇家は国体ではないのです

★『日本人のための戦略的思考入門』 孫崎亨(うける)祥伝社新書2010年9月

・・・ロックフェラーの番頭(とも言われる)キッシンジャーは、かつて日本の外交担当者等をこう嘆いたという。「日本人は論理的でなく、長期的視野もなく、彼らと関係を持つのは難しい。日本人は単調で、頭が鈍く、自分が関心を払うに値する連中ではない。ソニーのセールスマンのようなものだ」と。

以下は抜粋です

 この『ヒロシマの嘘』の中に、アメリカが広島と長崎につくったABCC(原爆傷害調査委員会)のことが書かれている。
 週刊朝日編集部編『1945~1971 アメリカとの26年』(1971年)から引用する。

 ・・・
 ABCC〈原爆傷害調査委員会〉
 Atomic Bomb Casualty Commission 原爆傷害調査委員会。いうまでもなく、沖縄、本土の米軍基地とならぶ占領軍の遣産のひとつだ。広島市民の批判、非難の風当たりをさけて、最近では「日米対等のパートナーシップ」をいいだすなど微笑をふりまいているが、加害者による被害者の調査というその性格に変わりはない。
 ABCCさし回しの車がすっと玄間につくと、看護婦が「いらっしゃいませ」と最敬礼をする。白衣に着替えて血液検査、検便、レントゲン、聴診・・。精密検査の合間には弁当がでるし、帰りには救急箱のおみやげまでつく。
 こういう特別な接待をうけるのは、2年に1回、ABCCで「成人健康調査」を受ける人たち。市民たちは、ある種の感情をこめて、お山(つまり、市内比治山にあるABCC)の。〔クイーン〕とよんでいる。・・・

 この本にはABCCの歴史が書かれている。

 ・・・
 太平洋米軍総司令部の軍医などの主張によって、終戦後アメリカはいちはやく広島に学術調査団を送り込んだが、その調査団が継続調査の必要から広島と長崎に研究所を設立、その後1948年に、厚生省の国立予防研究所が協力して出来たのが現在のABCCである。だから、ABCCはいまも広島と長崎に2つあるが、調査研究の主体は広島で、規模の上からもABCCといえば広島というのが常識になっている。
 このABCCの調査については、「最初のころは被爆者の心理や感情をよく考えずにトラブルを起したことがありました。しかし、だれかがやらなければならなかったことを、終戦直後の混乱期にあれだけの規模でやったということはやはり意味があるでしょう」=原爆病院・重藤文夫院長(67歳)
「ABCCがあったからこそ終戦直後の医学の暗黒時代にも貴重な資料が保たれた。もし、その資料が日本に渡されていたとしても、その当時の日本の状態では、すぐに散逸してしまったことでしょう。また、ABCCは過去の統計調査資料なども要望に応じて快く提供してくれる」=1970年春ABCCに移った元広島大原医研究所の志水清博士(63)・・・

 この本の中にはABCCのことが詳しく書かれている。広島に住む詩人深川宗俊さんの主張が、この本に載っている。「占領軍が駐留していたころは被爆者をもてあそんでいたくせに、今になって手のひらを返したように『世界人類のため』などとゴタクを並べて協力を要請する。そもそも原爆を落とした国が被害を受けた国に乗り込んで調査研究をやるというのは、人道上許されないことではないでしょうか」
 かのときの占領軍は被爆者にピストルを突きつけ、「アナタ、軍法会議ニカカッテモイイデスカ」とおどし、少女を全裸にして、体のすみずみまでライトで照らし出す。あげくの果てに恥毛の発育状態まで検査する。そのため少女は気が変になってしまった、という例も報告されている。
 吉川清は『「原爆一号」といわれて』(1981年)の中で、ABCCの横暴に触れている。

 ・・・
 ABCCの活動については、被爆者の不満や不安、疑惑と非難の声が絶えなかった。健康の不安におびえながらも、日傭いに出なければ、その日を暮らせない被爆者にとって、ABCCの検査に1日つぶすことは深刻な生活問題であった。しかも、治療は一切しないばかりでなく、検査の結果も何一つ知らせはしなかった。それではモルモットではないか、というのであった。おまけに検査の結果、身体に異常をきたす者まであったのである。そして、被爆者が死んだと聞きつけると、ABCCは必ずといってよいほどにやって来ては、遺体を解剖させてくれというのだ。それは、死骸にむらがるハゲタカを思わせた。実は、その上にABCCの調査の手は、被爆していない人たちの上にまでのびていた。ある婦人は子宮組織を切り取られたといい、またある嬢さんは強引な検査のために、気が狂ったというような話まで伝えられた。そのABCCは、1951年になると、規模を拡大し、設備を充実して、比治山の上に幾棟かのかまぼこ型の施設を作って移転したのであった。・・・

 吉川清は被爆者組織の「原爆傷害者厚生会」を1951年8月27日につくった。この組織が被爆者の結束をうながすことになった。
 原爆投下からそれまでの6年間、被爆者は沈黙を強いられ、差別を受けて生きてきた。国家は彼らを見殺しにしていた。吉川は「原爆乙女」とともに東京に行く。なにゆえか、彼らは巣鴨拘置所を訪問することになる。彼は怒りを込めて書いている。

 「賀屋興宣と畑俊六が登場して、あいさつをのべた。戦争責任者としての反省も、悔恨の言葉も2人の口から聞くことができなかった」

 吉川清は1947年、アメリカの通信社のカメラマンの要望に応じ、広島日赤病院の屋上で自らの被爆写真を撮らせた。アメリカの各紙は彼を「原爆患者第1号 ヨシカワ」として報道した。吉川は「原爆第1号」と自ら名のり、被爆者の先頭に立ち、彼爆者更生法のために尽力した。私はこの彼の本を読み、「よし、原爆を書こう」と思ったのである。

 このABCCを告発し続けた男こそは、原爆写真家、否、日本最高の勇気ある写真家・福島菊次郎であった。彼は次のように書いている。

 ・・・
政府は原子爆弾の被害に驚き、被爆直後に広島、長崎両市に「臨時戦災救助法」を適用した。しかし現地の惨状を無視して、わずか3ヵ月後の11月には同法を解除して30万被爆者を焦土のなかに野晒しにした。国家は戦争でボロ布のように国民を使い捨て、奇跡的に生き残った国民の命さえ守ってはくれなかったのである。・・・

 天皇の皇弟高松宮を総裁とあおぐ日本赤十字社がすすんで原爆被爆者を見捨てたことが、はっきりとここに書かれている。

 福島菊次郎は、多くの原爆患者と接し、彼らの写真を撮り続け、この不条理の中からABCCが誕生してきたことを知る。そして彼はABCCの内部に潜入する。

 「ABCCは、1948年からの2年間だけでも5592体の人体解剖を実施した。休日なしに稼動しても2台の解剖台で1日7体解剖したことになる。驚くべき数字ではないか」と指摘している。続けて彼は書いている。

 ・・・
 この時期は被爆後5年間に5万人近くの人々が何の手当てを受けることなく放射能障害で次々に死亡していった時期である。戦後の荒廃とインフレのなかで葬式を出す金にも困った遺族の苦境に乗じ、謝礼程度の金で遺体を収奪し、死亡者の約半数を半強制的に解剖したのである。原爆を投下して20数万人を惨殺したうえに、生き残って貧苦と病苦に喘いで亡くなった被爆者まで仮借なく軍事研究の生け貧にした行為は、ナチスのアウシュビッツの残虐行為を超えるものである。・・・

 福島菊次郎は大手出版社の編集部からアメリカ大使館を通して交渉してもらい、簡単な取材許可が下りたのでABCCに行きダーリング所長に面談し内部を視察し、写真を撮る。彼は解剖台まで見る。彼は書いている。

 ・・・
 被爆者が亡くなると黒い喪服を着て花束を持って現れ、「日米友好のために」と慇懃無礼に遺体の提供を強要するABCCの日本人職員の姿がその解剖台の背後に見え隠れして、やり場のない怒りがこみ上げてきた。解剖台に運ばれて毎日流れ作業的に行われている人体実験を想像し、独立国家とは名ばかりで、アメリカの属国であり続ける国民の悲哀と屈辱を噛みしめながら、シャッターを切り続けた。〔中略〕

 しかも、ペンタゴンは放射能障害の死に至る克明なデータを収集研究するために、ABCCに「原爆の徹底的な研究のために被爆者の治療をしてはならない」と禁止した内部通達まで出していたことが2002年に公表され、現在なお約1万8000人が追跡調査対象になっていることもわかった。

 この報道をより衝撃なものにしたのは、ABCCの実態が初めて明らかになったのに、国も反核団体も被爆者も一切反応せず、抗議する姿勢も示さなかったことである。アメリカに生殺与奪の権を委ね切った国は、もはや「医療行為」でもない、被爆者の遺体を切り刻まれる非人道的行為に抗議する勇気すら失ってしまったのだろうか。・・・

 読者よ、この福島菊次郎の「アメリカに生殺与奪の権を委ね切った国」という怒りの言葉を、私は書き続けてきたのだ。誰がどのように国家の生殺与奪の権を、誰に委ねたのか。その点に焦点を続って私は書いてきた。
 原爆はどうして、広島と長崎に落ちたのか? その問いもこの点にあるのである。日本という国はスキャンダラスな国である。そのスキャンダラスな体制を隠蔽し続ける限り、福島菊次郎が絶叫してやまぬ真実が私たちの心に突き刺さるのである。

「君、スリーマイル(TMI)原発事故のことを知っているか?」
 福島菌次郎は突然、私に問いかけた。

 「君、あのとき(1967年)、アメリカ政府が放射能予防薬5万人分を急遽現地に急送した、という臨時ニュースが流れた。私はそのニュースを聞いてピンときたんだ。広島・長崎で10万人のモルモットから抽出した放射能障害の予防薬と分かったんだ。

 俺は厚生省の役人に言ったんだ。『至急米国政府と交渉しろ。予防薬をとりよせろ』。そいつは何と言ったと思うか。『国立予防医学研究所だ』というんだ。
 俺はな、被核団体、被爆者団体、そしてマスコミまで回って説いたんだ。
 『てめえら命がおしくねえのか』と怒鳴ったんだ。

 いいか、君、ABCCで抽出された薬はガンや発育障害を予防する薬として広くアメリカで売られているんだ。チェルノブイリ原発事故のときにも使われたんだ・・」

 福島は現在86歳。ガンの手術を3回もして痩せ細っている。体重36キロ。アパートの1室で、広島で被爆した朝鮮人の悲劇を書き続けている。視力もおとろえている。
 「君、俺は1日1日を生きている。この本を書き終えるまでは死ねないんだ。・・また来い。ドアは開けて待っているからな」

 日本人には、たまには、ごくたまには、福島菊次郎のように、会いたくてたまらない人物がいる。狭いアパートの一隅に自らが制作したという棺桶が立てられていた。

 ★迫りくる恐怖、生き抜いた原爆患者たち    <了>

日本の四分割協議

https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/34df22b2f48d3ea02edb16069f59d306

これでは腰巾着どころかポチ

https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/c79c736959c1cdc0423c88b7905af1bc

みんなが知るべき情報ブログ

https://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/c53a44228bb67641037a3f19b73d7cc0

闇天皇家に【癌】で1人死亡すると1千5百万円の生命保険金が入る、掛け金は【税金】から国民一人一人に自動的に掛けられる!ワクチンが人口削減に結びついていたり、癌産業が合法的な殺人であることは、陰謀論でもなんでもなく、単なる事実なんです!

https://www.nicovideo.jp/watch/sm40998892

コメント一覧

0345525onodera
知らない人もいると思いますので

>カルトロン

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%B3
nanacy
ウラン原爆の起爆方法は2つある
1 低濃縮ウランで、水を中性子の減速材に使う、アインシュタイン・仁科方式
2 高濃縮ウランで、ウランを複数に分けておき、それを合わせると核爆発するガンバレル式起爆

リトルボーイは後者の高濃縮ウランを使うガンバレル式だが
ウランを高濃縮するのは当時の技術では不可能だ
現在の技術でもできるのかも疑わしい

アメリカはカルトロンという名の電磁分離機で、ウランを高濃縮したとしている
そんなたいそうな装置を開発して高濃縮に挑む必要があったのは
大量の低濃縮ウラン+水では重くてB29に載らないからに他ならない

ここで問題は、カルトロンで本当に高濃縮できたのか?の一点に絞られる
これが「カルトロン」だと言う巨大な装置の写真は存在する
しかし、すぐに解体してしまったという

実に不可解なことだ
ウランを高濃縮できる凄い装置なら、その後も色々と研究を重ねる価値があったのだ

カルトロンという電磁分離機は、原理は質量分析器と同じもので、技術的には当時からあった
しかし、試料をイオン化するため、電磁場中を飛ばす六フッ化ウランが密だと反発し合って、あらぬ方向に飛んで行ってしまう

だから入射するフッ化ウランは微量でなければならない
微量すぎて、原爆の必要量を得るには宇宙が終了するまで待っても全然足りない
カロトロンを1万台用意しても、その絶望さは微塵も変わらない
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