1948年5月7日から10日にかけてのハーグ会議は1942年のNAZIによるマーストリヒト条約のたたき台によるものである。
欧州連合はDVD(Deutsche Verteidigungs Dienst=German Black Intelligence)にとって長期展望に立ったものである。DVDはAbwehr とGehlen organisationから生まれたものでナチの超ウルトラ諜報機関である。(アイクもジョーンズもこのDVDに触れることはない。触れたら即処刑が待っている)1943年マドリッドに本部が置かれたが現在はミュンヘン郊外の Dachauにあるが地図にはない。ナチス・ドイツの「The Thousand-Year Reich=千年王国」は変わらず,実はこの欧州統合のためのMaastricht Treaty(マーストリヒト条約)の元は1941年ベルリンでのNAZIによるセミナーがたたき台になっていることが判明した。"European Economic Community"<原文はドイツ語>と題する591ページの本が1942年ベルリンで発刊された。EDWARDHALE氏((クリストファー・ストーリー)は英国図書館の Reading Roomで発見した。恐ろしいことである。古い記事で3極委員会とゴルバチョフの密約で書きましたが,当時フランスの大蔵大臣であったジスカール・デスタンのみが3年後にこの条約が締結されることを知っていた。ゴルバチョフにソ連邦を解体しEU設立に協力する見返りが話し合われた。今のEUはナチの千年王国(New World Order)の実現のために英国を除くEU加盟国を破壊させるための過程なのです。ユーロ通貨が大暴落の最中(さなか)米国ドルも仕掛けられる。問題は新ドル発行のタイミングであるが旧ドルとの交換レートは悪魔的なものになるであろう。日本の持っている米国債の価値は9割減り日本ではペイ・オフと預金封鎖が行われ愚かな政府は帳尻を合わせにくる。何回も記事にしましたが日本にはワン・ワールドを阻止できるだけの「伝家の宝刀」があるのです。(それは天皇カンパニーのマネーです。)
Behind the MYTH その1参照
時近ければなり その4参照
バチカンとイルミナティ その1~
フリーメーソンの操心術(阿修羅投稿から)
日本人の故人もいて古いですが300人委員会のメンバー(ジョン・コールマンの著書より)
「イルミナテイ三百人委員会のエージェントとしての皇室の正体が、日本国民に知られないままであること、つまり、今後ともずっと半永久的に、少なくとも日本民族が完全に滅亡してしまうまでは、日本国民がイルミナテイの仕掛けたこのからくりに気づかないことが条件になる。」
ヒトラーの祖父は本家のソロモン・ロスチャイルドの非嫡出子
スターリンはエドモンド・ロスチャイルドの非嫡出子。写真はCHEKAの創始者を公開処刑場へと連れまわすスターリン。この二人がロスチャイルド直系であることが分かればすべて繋がってくる。おそらくこの写真のスターリンは万一の暗殺を警戒したダブル(影武者)であろう。ヒトラーにもダブルはいたしレーガン・ナンシーなどもダブルはいた。
(以下は2011年12月29日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
原文
今回の金融危機では過去の歴史との比較がいくつか行われている。特に引き合いに出されるのは1930年代の大恐慌だ。筆者はユーロ圏危機について、別の比較をしてみたい。1618年から1648年にかけて欧州の中央部を荒廃させた三十年戦争である。
ユーロ圏危機もあのおぞましい戦争も、パワーシフト(勢力の転移)が突然生じる中で起こった。どちらも一見大したことのない事件が引き金となり、信じられないほど複雑な状況に発展した。
地域内のパワーシフトが突然生じたことも共通している。1618年以前の神聖ローマ帝国は、新教派(プロテスタント)の選帝侯と旧教派(カトリック)の選帝侯によってほぼ2等分されていた。ところが1617年、7人の選帝侯の一角を占めたボヘミア王にカトリック教徒のフェルディナント2世が即位すると、勢力のバランスが崩れた。
実際の戦争はその1年後、反乱者たちが国王の弁務官数人を窓から放り出した時に始まった。プラハの弁務官窓外放出事件というこの有名な出来事をきっかけにプロテスタントとカトリックの戦いの火ぶたが切って落とされ、完全に収拾がつかなくなってしまった。
三十年戦争は4つの段階に分けられ、途中からはデンマーク人やスウェーデン人、ついにはフランス人も戦いに加わることとなった。
再び恐ろしく複雑な地域となった欧州
ユーロ圏15か国が景気後退入り、ユーロ導入以来初めて
今のユーロ圏の危機も、小国ギリシャの財政危機が発端だった〔AFPBB News〕
翻って今日のユーロ圏では、ここ5年間でドイツの経済力が相対的に向上するというパワーシフトが域内で観察されている。
またユーロ圏危機は、周縁の小国における財政メルトダウンという比較的小さな出来事をきっかけに始まり、概ねプロテスタントで占められる北部とカトリック・正教会の南部との経済紛争に発展した。
さらに、ユーロ圏の支配者たちが今月、講和条約の現代版を締結しようとブリュッセルに集まった時は、英国対そのほかの欧州諸国というさらに古い歴史を持つ対立によって妨げられた。
このため講和条約は締結されず、互いに重なり合って影響し合う2つの対立が続くことになってしまった。欧州は再び、恐ろしく複雑な地域になりつつあるのだ。
類似点をことさら強調したいわけではない。三十年戦争の直接的および間接的な結果として、ドイツ人が住む地域では1618年から1648年にかけて人口が20~45%も減少したという。今日のユーロ圏で起こっているのは戦争ではないし、戦争に発展する可能性もまずない。また、筆者はユーロ圏危機が30年間続くと予言しているわけでもない。
ただ、経済が同程度の壊滅状態に陥る可能性はある。特に、ドイツが主張する緊縮財政政策がすべての国々で完全実施された場合には、その恐れがあるだろう。
三十年戦争とユーロ圏危機の間には、このほかにも明らかな違いがある。まず、今日の争いは領土の拡張を目指したものではない。かつての領土を巡る戦いは、首脳同士が深夜のサミットで繰り広げる芝居じみた口論へと変貌し、今日ではそれがブリュッセルでの政治生活の中心になっている。
この変化は、欧州統合プロセスで得られた成果の1つと見て間違いない。当然ながら、我々は進歩しているのだ。
17世紀から続く文化的な対立と不信感
しかし、17世紀から変わらずに残っているものもある。プロテスタントとカトリック、北部と南部、英国と欧州大陸の間にそれぞれ存在する文化的な対立がそれだ。もう何十年も進められてきた欧州統合も、この基本的な不信感を払拭するには至っていない。
このことは、欧州が不合理なほどバランスを欠いた通貨同盟を作り出した理由の1つにもなっている。通貨同盟のルールは合理的な経済学的議論の結果ではなく、非常に古い歴史を持つドイツへの疑念を和らげることを目指して作られたものなのである。
筆者から見た最も憂慮すべき類似点は、三十年戦争の終わり方と、欧州の政治的指導者たちが今の危機を解決しようとしているやり方だ。スペインとオランダは1648年に、2国間で戦われた八十年戦争を終えた。オランダは独立した。
その後の平和条約で、ドイツのプロテスタントは影響力を取り戻した。その代わり、バイエルンとブランデンブルクは独立した州となり、ブランデンブルクは半世紀後にプロイセン王国の勃興につながった。
神聖ローマ帝国はおよそ150年後に正式に解消されるまで、抜け殻として存続した。この戦争は大陸欧州の分裂を招き、その後、300年間にわたるひどい大虐殺が続くことになった。
3つのシナリオ
ユーロ圏における危機管理も、分裂に終わるかもしれない。筆者は以下の3つのシナリオが最もありそうな結果だと考えている。連帯債務の枠組みを備えた政治同盟、延々と続く緊縮財政がもたらす現状維持、そしてユーロ圏の解体だ。
どれが選ばれたとしても、不安定な均衡状態を招く可能性がある。政治同盟は確実に狭義の危機を解決するが、民主的な正当性を弱めることになりかねず、ひいては同盟が不安定になる恐れがある。
政治的な過激主義と暴力の引き金を引く可能性が最も高い解決策は、ドイツが主張する緊縮財政だろう。また、これは一国の経済原則を他国に押し付けることになるため、本質的に不安定だ。
ユーロ圏の解体は、最悪の場合、欧州連合(EU)そのものを破壊する。よくても、欧州を1970年代初頭の状況に戻すだけだ。
ウェストファリア(ヴェストファーレン)条約は1648年に三十年戦争に終止符を打った。この条約は、今では欧州理事会のヘルマン・ファンロンパイ議長が「包括的な解決策」と呼ぶものの近世版だった。どちらも根本的な対立に対処するものではない。
三十年戦争は、我々ヨーロッパ人が長い間、下さねばならない厳しい決断を先送りしてきたことを教えてくれている。
By Wolfgang Münchau
日本の正月,ゴールデンウイーク,お盆なんとまあ農耕民族の休みは多いことか。そういう隙間に乗じて為替相場に激震か?
そうですか,そうですか。日銀の介入を支持しないというなら一ドル一円で勝負しましょうか。米国を買い占めるとか?従来の輸出中心から内需主導に切り替えればいいのです。このメリットは計り知れない。
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teru
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