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初めに言葉ありきは正しくない?

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「はじめに言葉ありき=全ては言葉で認知することから」
ではない。

「はじめに言葉ありき」
これ、聖書で最も有名なフレーズかもしれません。聞いたことがある人も多いのでは?

そして、少し言葉やビジネスについて勉強したことがある人は、合わせて、こんな話を聞いたことがありませんか?

「聖書(ヨハネ福音書)では「はじめに言葉ありき」と言います。
言葉が最初なんですよ。
言葉があるから、人は世界にある全ての物を、認知できるのです。
言葉って、大事ですよねー!」

最初に、結論です。
この解釈は、誤訳の賜物です。聖書さん、こんな話は全く意図していないです。
(※ちなみに、私は特にキリスト教信者ではありません。)

「いやいや!あの有名な先生もその話してたし!」
「あのベストセラーの本でも、それが引用で使われて言葉の重要性が説明されてたよ!」

そんな声が聞こえる聞こえる…かくいう私も、つい最近までそう思っていました。

このページでは、なぜその説明が間違いか、

そして、
「はじめに言葉ありき」から“本当に学ぶべき5つのポイント”
をお話しします。

聖書は、圧倒的大人気ベストセラー&ロングセラー

さあ、気を取り直して、まずは聖書についてサクッとお話しします。

聖書といえば、世界の総人口の30%以上という信者数No.1のキリスト教のバイブル。その発行部数は正確に把握されていませんが、50~80億部と言われています。また、実際には1815年〜の200年ほどの間には4000億部近く発行されたのではないか という説もあります。

他の追随を許さないとはまさにこのこと、圧倒的ベストセラー&ロングセラー本です。日本でも、ふと泊まったホテルの引き出しの中などに置いてあったのを見たことがある人もいるのでは?現在では、なんと世界3200語に翻訳 されて、老若男女様々な人に読まれているそう。

そんな大人気の聖書に、「はじめに言葉ありき」なんてキーフレーズが載っていたら、
「言葉の重要性」について語りたい人は嬉しさのあまり、飛びつきたくなるのは当然かもしれませんね。

しかし、残念。
「はじめに言葉ありき」から、言葉の重要性を説くのは、ものすごい拡大解釈であり、冒頭に書いた通り、誤訳の賜物です。

聖書は、やはり聖書だった

「はじめに言葉ありき」部分の、ギリシャ語による原文はこちらです。

Εν αρχηι ην ο Λόγος
(En arkhēi ēn ho logos、エン・アルケー・エーン・ホ・ロゴス)

簡単に言えば、「アルケーはロゴスなり」。

「アルケー」の意味は、万物の始源・宇宙の根源的原理。

「ロゴス」の意味には、確かに「言葉」もあります。
が、真実、真理、論理、理性、概念、調和・統一のある法則など様々な意味もまた示します。

しかし、ことキリスト教において使われる場合は、ロゴス=キリスト (世界を構成する論理としてのイエス・キリスト、または神の言葉) です。

この意味を、そのまま当てはめましょう。

「アルケーはロゴスなり」
「根源的原理は、キリスト(神の言葉)である。」

 

……キリストだよ!神なんだよ!つまり、神こそが全ての原則ということだよ!

では、どうして現在、日本では全く違う解釈をしょっちゅうされているのでしょうか?
それが、翻訳マジックです。

「アルケーはロゴスなり」は、英語にする時、「アルケー→beginning」「ロゴス→word」とされました。
「In the beginning was the Word」

それが、日本語になった結果、「はじめに言葉ありき」。

翻訳とは、かく難しきものです。ニュアンス・意味は、多言語でそのままそっくり置き換えられるわけではありませんからね。

ということで、冒頭にも書いたように、残念ながら、

「言葉で規定することが、全ての始まり」という言葉の重要性を語る理論のために、
「はじめに言葉ありき」を引用するのは、全くもって的外れ

なのです。

「はじめに言葉ありき」が本当に教えてくれる5つのこと

しかし、だからと言って、この言葉から学びがないわけではありません。
聖書「はじめに言葉ありき」から、私たちは以下5つのことを学べます。

1、言葉は、言った人、時代、背景が違うと、概念、定義、意味が変わる。
2、書き言葉によるバイブルが、キリスト教を世界No.1の宗教にした。
3、言葉は、相手に合わせて使うもの。
4、人は、思った以上に「考えない」。
5、正しさだけが、全てじゃない。

 

この一つ一つについて、詳しく見ていきましょう。

1、言葉は、言った人、時代、背景が違うと、
概念、定義、意味が変わる。

上に書いたように、「ロゴス」という言葉には、様々な意味があります。そして、言葉の意味は、誰が言うか、どこで言うか、何に対して言うか、いつ言うかなどで変わります。

聖書で使えば、ロゴスの意味は「キリスト」あるいは「神の言葉」。
古代ギリシャ、ヘラクレイトスが「万物はロゴスに従って流転する」と言う時、ロゴスは「法則・真理」。
ストア派のは、禁欲主義で「ロゴスによって、感情(パトス)に打ち勝て」という哲学を持ちますが、この際のロゴスは「論理」です。

これは、日本語でも同じです。例えば、政治家が使う「遺憾」という言葉の本来の意味は、「残念」です。しかし、「今回の過失について、心からの遺憾の意を表します。(遺憾→謝罪、申し訳ない)」「本件については、非常に遺憾に感じます。(怒り)」などの使われ方もしています。これらは、誤った使い方ですが、この誤った使い方がいつの間にか浸透していく現象は、言語ではよくあることです。

同じ言葉でも、「誰が言うか」「いつ言うか」「何に関して言うか」で言葉の意味は変わるのです。

2、書き言葉によるバイブルが、
キリスト教を世界No.1の宗教にした。

キリスト教がここまで普及した1番の理由は、宗教を言葉で書き言葉で定義した「聖書」というバイブルがあったため と言われます。

聖書が、他の宗教と比べて一気に普及した理由は2つあります。1つ目は、バイブルを取りまとめる機関があったこと、2つ目が活版印刷技術です。

1つ目、聖書には「唯一絶対」とされるものがあります。他の宗教でもそうですが、聖書も最初は、際限なく新しいものが生み出され色々な派生してものができていました。が、ある時、公議会で「これが聖書」というのを決め、聖書をよりどころにすることを決定。一方、仏教などは、そのような動きがなく、様々な経典が生まれ、取りまとめられることもありませんでした。また、仏教は「相手に合わせて説法をする」という性質があったため、経典を一つにすること自体も難しかったのです。

2つ目は、15世紀に発明された活版印刷です。ルネサンスの3大発明は、火薬、羅針盤、活版印刷と言われます。ヨハネス・グーテンベルクが発明した活版印刷技術のおかげで、以前は一文字一文字写す写本しかなかったヨーロッパの本文化は劇的に変わり、聖書は大量に複製され、一気に広まったのです。

人から人へと伝えることを考えた時、音声、映像など様々な形式は取れますようが、記録、伝達において、「書く」を超える利便性のあるものはまだ生まれていません。特に、当時は音声や映像を記録する媒体はありませんでしたし、現在は、インターネットが発達しましたが、情報を発信する、情報を受け取るには「書く」が最もオーソドックスな手段であることは変わりません。

3、言葉は、相手に合わせて使うもの。

聖書は、ギリシャ語で書かれています。しかし、実際にイエス・キリストや弟子たちが母語として普段使っていた言葉は「アラム語」でした。

なぜ、アラム語ではなくギリシャ語で書かれたのか?その理由は簡単で、「ギリシャ語を使っている人が多かったから」です。

紀元前50~120年、ローマ帝国の公用語は元々ラテン語でしたが、当時はアレキサンダー大王による東方遠征で、様々な文化が融合、異言語の人々使用される外国語(リンガ・フランカ)はギリシャ語とされていました。

弟子たちは、聖書を作る際、「読み手が理解できる言葉」で書くことを優先し、「ギリシャ語」で書いたのです。

言葉を発する時、多くの場合、そこには相手がいます。つまり、「言葉は、相手に合わせて、相手が理解できるものを選ぶ」 ことが重要なのです。

4、人は、思った以上に「考えない」。

「はじめに言葉ありき」が「言葉の重要性を語る」際に、引用される常套句になったきっかけはわかりません。しかし、今なお、誤訳のままに引用され、人々に浸透していることは事実です。

ここから、考えて欲しいことがあります。

特に、弊社は出版社なので、きっとこれを読んでいる中にも、著者になりたいと思っている、何か発信をしていきたい、または、単なる受け身ではなく本を読むことで何かを学び、思考する自分でありたいと思っている方もいることでしょう。だからこそ、「人は、考えない」ということを意識して欲しいのです。

これは、読者について言っているのではなく、「自戒」として覚えておいて欲しいことです。これだけの情報がある今、間違っているもの、適当なもの、誤訳どころか、完全なデマや意図して騙そうとしている人もいるでしょう。

大切なのは、「自分で考える」ということを、常に意識することです

5、正しさだけが、全てじゃない。

「言葉が重要」というのは、真実です。言葉がなければ物事をしっかりと認識できず、複雑な思考はできず、こうしてあなたに何かを伝えることもできません。

しかし、「言葉の重要性」について語るのに、「はじめに言葉ありき」という引用を例に用いるのは間違いです。ですが、言葉が重要なことは正しく、何か人々が耳を傾けてくれるきっかけになる内容として「聖書」を引用したという選択は、実は大当たりかもしれません。

つまり、上と矛盾するようですが、正しさだけが全てじゃない、ということも一つの教訓になると思います。

あらゆる事実を知った上で、「どうするか」を自分で判断、決断すること も、とても重要なのです。

「はじめに言葉ありき」の学びを、
人生に生かそう。

今回は、「はじめに言葉ありき」について考察しました。今回の記事を読んで、「そうなんだー!」「知らなかったー!」「えー違うと思う!」などきっと色々な感想を持ったと思います。

弊社は、書いても書かなくても良い出版社です。つまり、文字なのか何なのかは別にして、「発信」をする側の方をサポートすることが多いです。

そして、読者の方に対していつも思うのは、「大切なのは、その上であなた自身がどう行動するか?」 ということです。

知識を得た、新しいことを知ったら、それをあなたの”行動”にアウトプットしてみてください。「学びを行動に反映する」と言われても、何をすれば良いかわからないという方は、「一言感想をSNSで書いてみる」「とりあえず、この記事をシェアする」などでも良いです。頭の中だけでなく、あなたの行動に変化が表れた時、あなたの人生は変わりはじめます。
(ノーベル書店は「人生を変える出版社」というのをいつも掲げています。)

長くなりましたが、今後も、「言葉について」「書籍について」「発信について」など様々な記事を書いていきますので、ぜひ楽しみにしていてくださいね。

https://note.com/ikiru_chikara/

fukko(シンガーソングライター・編集者・インタビュアー)|note

fukko(シンガーソングライター・編集者・インタビュアー)|note

京都在住。聴く・書く・描く・縫う・歌う・踊る。封印された感情をほどき螺旋に生きる。某R社編集者を経て、日経BP社、小学館、NHK出版などでインタビュー実績約1900人。All...

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https://note.com/ikiru_chikara/n/n9e8f6d818f1f

「はじめに言葉ありき」への違和感を払拭してくれた記事|fukko(シンガーソングライター・編集者・インタビュアー)|note

「はじめに言葉ありき」への違和感を払拭してくれた記事|fukko(シンガーソングライター・編集者・インタビュアー)|note

「はじめに言葉ありき」との聖書の言葉に、ずっと、違和感を覚えていた。 それをしっかり払拭しつつ、優しく書かれた記事を見つけたので、紹介したい。 ・「はじめに言葉...

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復讐は私のすること

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  復讐は神の御手にゆだねるべきです。 聖書の、ローマ人への手紙第12章19節に記されてあります。「自分で復讐しないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである」。

  わたしたちは、愛を支持して、復讐に抵抗すべきです。 聖書の、マタイによる福音書第5章38-39節に記されてあります。「「目には目を、歯には歯を」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」。

  あなたの敵がつまずいた時に、喜んではなりません。 聖書の、箴言第24章17-18節に記されてあります。「あなたのあだが倒れるとき楽しんではならない、彼のつまずくとき心に喜んではならない。主はそれを見て悪いこととし、その怒りを彼から転じられる」。

箴言第24章から

https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%AE%E3%80%81%E7%AE%B4%E8%A8%80%E7%AC%AC%EF%BC%92%EF%BC%94%E7%AB%A0%EF%BC%91%EF%BC%97%EF%BC%8D%EF%BC%91%EF%BC%98%E7%AF%80%E3%81%AB%E8%A8%98%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82&fr=top_ga1_sa&ei=UTF-8&ts=2576&aq=-1&oq=&at=&ai=60095993-d684-4d0a-bb2f-56706cf8e202

聖書ものがたり~詩編・箴言より

http://web.archive.org/web/20170502083314/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/138.html

2010/7/20

「聖書ものがたり・Psalms・Proverbs(詩篇・箴言)」  
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旧約聖書成立史表

詩篇:ダビデの祈り

箴言(しんげん)・処世訓の倉庫

箴言:箴言の謎

 「箴言」のような知恵文学は旧約聖書だけのものではなく,古代文化の中でバビロニヤとかエジプトにおいても早くから存在したことが知られている。バビロニヤにおいては前1400年頃にすでにそのような文書が存在したことが明らかにされており,エジプトでは「プタハ・ホテプ大臣のための教え」という文書がほぼ前2450年には存在した.またアッシリヤの「アヒカルの言葉」という文書(前7世紀)には,「箴言」と関連のある言葉が含まれている。
 これらの箴言は,主として古代における王や祭司や学者たちが,自分の経験によって生み出した格言やことわざによって形成されている.これらは王の後継者や王宮に仕える者たちを教育するために生み出されたと考えられている。
影響個所としては、エルマン(1924年)により,箴22:17‐23:11がエジプト『アメン・エム・オペ」の教えと著しく類似していることが明らかにされてから,箴1‐9章,25:2‐27などもエジプトの型にならっていることが指摘されるようになった.
しかし、他のオリエント世界のもっと古い知恵文学の資料を取り入れたり,その影響を受け入れていたとしても,箴言自体としては独自の思想内容を形成しているとする神学的主張が見られるのです(新聖書辞典(いのちのことば社)より)。


 THE ONLY OTHER INSTANCE OF THE WORD 'FRAUD' IN SCRIPTURE IS TO BE FOUND IN PSALM 10, VERSE 7,(注:詩篇) DESCRIBING THE WICKED, WHICH READS AS FOLLOWS:

'His mouth is full of cursing and deceit and FRAUD: under his tongue is mischief and vanity'.(口に呪い,詐欺,詐取を満たし,舌に災いと悪を隠す)

闇は真の光に対抗するために、光を偽装して戦力を集めようとする。しかし、見極める目を養えば、真の光と、光を偽装する闇とを区別することは可能である。
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 Please bear all this in mind, if you will, in the momentous days which lie close at hand.
 よく憶えておいてほしい,我々の目の前に大きな出来事が差し迫っているということを。

(クリストファー・ストーリー&管理人共同声明)


Listen,for I have worthy things to say;I open my lips to speak what is right. My mouth speaks what is true,for my lips detect wickedness. All the words of my mouth are just:none of them is crooked or perverse. To the discerning all of them are right;They are faultless to those who have knowledge. Choose my instruction instead of silver,knowledge rather than choice gold,for wisdom is more precious than rubies,and nothing you desire can compare with her.

聞け,わたしは指導者として語る。わたしは唇を開き,公平について述べ わたしの口はまことを唱える。わたしの唇は背信を忌むべきこととし わたしの口の言葉はすべて正しく よこしまなことも曲がったことも含んでいない。理解力のある人にはそれがすべて正しいと分かる。知識に到達した人には それがすべてまっすぐであると分かる。銀よりもむしろ,わたしの諭しを受け入れ 精選された金よりも,知識を受け入れよ。知恵は真珠にまさり どのような財宝も比べることはできない。(箴言第8章6~11節)

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バビロンの流れのほとりにて。コーカサスを源流にユーフラテスはシリア,メソポタミアと支流を増し,バビロン近くの運河にも流れ込む。「バビロンの流れのほとりに座り シオンを思って,わたしたちは泣いた。竪琴は,ほとりの柳の木々に掛けた。わたしたちを捕囚にした民が,歌を歌えと言うから わたしたちを嘲る民が<楽しもうとして「歌って聞かせよ,シオンの歌を」と言うから。どうして歌うことができようか 主のための歌を異教の地で.........主よ,覚えておいてください エドムの子らを エルサレムのあの日を かれらがこう言ったのを「裸にせよ,裸にせよ,この都の基まで」娘バビロンよ,破壊者よ いかに幸いなことか お前がわたしたちにした仕打ちを お前に仕返す者 お前の幼子を捕らえて岩にたたきつける者は。(詩篇137)

 (管理人注)聖書のような文学は創作され,読まれて精神の糧になるものであり,Theologian(神学者)が科学のように研究することは一体どういう意味があるのかを考えるべきであろう。結局Luciferも悪魔化されてしまった。しかし日本と言う風土は各人がその創意を発揮できる場所であるかというとそうではない。

 毎日があちゃらかで浮き足立っている反面「何かが壊れるというヒステリー状態で突然死を選んでくるのはこの国の民の特徴でもある。パリで客死した哲学者の森有正氏はその著「木々は光を浴びて」の<パリ その相貌>の中でこう書いている。『一人の限りなく複雑な人格をもつ人間のように,パリもその相貌をもっている。リルケは,「人は死ぬためにパリへやってくる」と「マルテの手記」に書いた。それは色々な意味にとれるかも知れない。しかしリルケはただ一つの意味をこめてこの言葉を書いたのだと思う。ジードは「絶望して死にたい」と言った。一人の愛する魂の傍で人が絶望して死ぬように,人はパリで絶望し,そして死ぬ』,と。
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 子どもを学校へ迎えに来た嬉しそうな(joyful)母親。イスラエル建国前のパレスティナでは人種別の教育をしていた。一つはアラビア語を話す子どもたち用,もう一つはユダヤ人の子どもたち用であったがその多くはシオニスト団体より援助を受けていた。政府の教育担当のヘッドクオーターはエルサレムにありアラブ・ユダヤ人以外にもクリスチャンのための学校もあった。
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 多くのパレスチナの農村部の女性は「箴言31章22~24節」にあるように針での織物などが得意であった。「敷物を自分のために織り,麻と紫の衣を着ている。......彼女は亜麻布を織って売り,帯を商人に渡す。力と気品をまとい,未来にほほえみかける。(箴言31節)
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 雌山羊の乳はあなたのパン,一家のパンとなり あなたに仕える少女らを養う。(箴言第27章27節)
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 しばらく眠り,しばらくまどろみ しばらく手をこまねいて,また横になる。貧乏は盗賊のように 欠乏は盾を持つ者のように襲う。(箴言第6章10~11節)

「怠惰は人を深い眠りに陥らせ、なまけ者は飢える」(第19章15節)
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古い時代のBeershebaの商人たち買う方は「ただ,ただにしろ」というのが一般的。
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 この地上に小さなものが四つある。それは知恵者中の知恵者だ。蟻の一族は力は無いが,夏の間にパンを備える。岩狸の一族は強大ではないが,その住みかを岸壁に構えている。いなごには王はいないが,隊を組んで一斉に出動する。やもりは手で捕まえられるが,王の宮殿に住んでいる。(箴言第30章24~28節)
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 心に喜びを抱けば顔は明るくなり 心に痛みがあれば霊は沈み込む。(箴言第15章13節)。いかに幸いなことか 知恵に到達した人,英知を獲得した人は。(箴言第3章13節)
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 ベツレヘムの典型的な女性。......箴言第31章10~31節「有能な妻」より。有能な妻を見出すのは誰か。真珠よりはるかに貴い妻を。夫は心から彼女を信頼している。儲けに不足することはない。彼女は生涯の日々夫に幸いはもたらすが,災いはもたらさない..........あとはご自分で。
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 動物たちに対する人間の愛は箴言の大きなテーマになっている。
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 窓から見たダビデ通り。様々な人々が異なった衣装で歩いている。「わたしが家の窓から格子を通して外を眺めていると.....」(箴言第7章6節)
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 Beershebaでのバーター取引。
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 アラブ人の血流は男子のみを数える。このべドウィンにとって自慢の男の子の孫である。「孫は老人の冠,子らは父の輝き。」(箴言第17章6節)
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 この雪山からの冷たい水を飲んでいる少年の壷は家族が使用するもので口をつけないで飲めるようになっている。「渇いた喉に冷たい水,遠い地からの良い便り。」(箴言第25章25節)

 

 

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