gooブログはじめました!

聖書ものがたり・ST.LUKE(ルカによる福音書)

『狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く,その道も広々として,そこから入る者が多い。しかし,命に通じる門はなんと狭く,その道も細いことか。それを見出す者は少ない』<ルカ:13:24>

ハルメンの笛吹きがフリードリッヒ・ヴィルヘルム王のプロシア声をまねると,それまでぼんやり立っていた大衆は,機械的ににわかに動き出す。このようにして大衆に行わしめる展開によって,ちゃんと大衆についてこさせることができる。しかし,大衆は近道をしなければ指導者に追いつくことができず,破滅にいたる広い道の上(ルカ13:24狭い門参照)に展開することによって,はじめて隊伍をととのえて行進する余地を見出すことが出来る。生命を求めるために,どうしても破滅への道を歩まなければならないとすれば,しばしば不幸な結果に終わるとしても,驚くに当たらない。




ルカ福音書Ⅰ・1~6章・イエスとは

ルカ福音書Ⅱ・7~13章・イエスの教え

ルカ福音書Ⅲ・14~19章・神の国に入るには

ルカ福音書Ⅳ・20~24章・精霊の約束

ルカ福音書の資料構成

幻のQ文書

パウロ三木・神の軌跡を求める旅


 イエスが洗礼を受けたとされる場所。パウロ三木牧師の資料より。

これはパウロ三木牧師の写真ではありませんが何か霊的なものを感じる

「17世紀以降,西欧キリスト教世界の中からキリスト教以後の西欧文明が発達してゆくにつれ,教会は<世俗主義の拡大と新異教への逆戻りを恐れたのは正当であったが,不当にも信仰と滅び行く社会制度とを同一視した。そこで,自由主義的,近代主義的,科学的誤謬に対して思想的防衛線を行うと同時に,軽率にも政治的復古主義に陥り,封建制度,君主制,貴族制度,資本主義その他の旧体制一般を支持し,共同の敵である「革命家」と同じように反キリスト教的な政治的反動主義者の同盟者となり,またしばしばその手先になった。近代キリスト教の政治的記録がかんばしくないのは,そのためである。19世紀には,自由民主主義を排撃するために君主制および貴族階級と同盟を結んだし,20世紀には,全体主義を排撃するために,自由民主主義と同盟を結んでいる。このようにキリスト教は,フランス革命以来常に政治的に1段階ずつ時世に遅れている観があった。

 以上は,言うまでもなく,近代世界におけるキリスト教に対するマルクス主義の批判の要旨である。これに対するキリスト教の答えはおそらく,解体してゆく文明のガダラの豚の群れが,まっしぐらに崖を駆け下りてゆくとき(マタイ福音書8章28~34節),群れの後に離れないようについていって,できるだけ多くの豚の目を坂の上の方に向けさせることが教会のつとめである,ということになるであろう。(歴史の研究原版,第七巻,457頁)


 ガダラの悪霊追放

 文明の町ガダラ

 マタイの記事の中で書きましたがある牧師からある記事に対して「イシスはマリアの育ての親ではないか」という内容のメールをいただいたことがある。いわゆるお叱りというか喧嘩腰口調の言葉なのですがこのS牧師は以下のように答えるべきである。


     イシスとホロス     マリアとイエス

 「聖書の諸書の中で採用されている歴史の扱い方という見地でみると,文明の存在理由について今までの仮定を改めなければならなくなってくる。第二代の文明が出現したのは自己の功業を成就するためでも,自分と同類の第三代文明を生み出すためでもなくて,完全に生育した高等宗教が生まれる機会を準備するためであったとかんがえなければならない。そしてこれら高等宗教が発生するのは第二代文明の衰退と解体の結果であるからして,第二代文明の歴史の末期~~それは文明の立場から見れば,失敗を意味するのだが~~こそ,文明が存在意識を発揮する時期とみなさなければならない。同じ考え方に従って,初代文明も同一の目的の為に出現したと考えなければならない。その後継者と異なり,初代文明は完全に成育した高等宗教を産み出すことが出来なかった。その内的プロレタリアートの萌芽的な高等宗教~タンムズ=イシュタル崇拝やオシリス=イシス崇拝などはついに花を開くに到らなかった。にもかかわらず,これらの文明は,結局その内部から完全に生育した高等宗教が発生した第二代文明を生み出すことによって,間接的にその使命を達成したことになるし,初代文明の産んだ萌芽的な宗教はやがて,第二代文明の産み出す高等宗教のインスピレーションの一つとなった。」と答えなくてはならない(歴史の研究サマベル版二巻465~466ページより要約)。


 不思議なことに新約では十戒で定められた安息日をイエスが否定する記述が多くみられる。

ダマスコ文書は何処で発見されたのか?文章は下の方にあります。大学院生によるもの。


イエスが幼少の時,両親(ヨセフとマリア)はイエスを見失ってしまった場所。「イエスが道連れの中にいるものと思い,一日分の道のりを行ってしまい,それから,親類や知人の間を探し回ったが,見つからなかったので,捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後,イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り,話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた........。両親はイエスを見て驚き,母が言った。なぜこんなことをしてくれたのです。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。すると,イエスは言われた。<どうしてわたしを捜したのですか?わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを,知らなかったのですか>
しかし両親はイエスの言葉の意味が分からなかった。それからイエスは一緒に下って行き,ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し,背丈も伸び,神と人とに愛された。<ルカ2:44~52>


 『キリスト教はヘレニック文明の衰退によってひき起こされた精神的苦悩の中から生まれ出た。しかし,それはもっと長い物語の一番あとの章であった。キリスト教の根はユダヤ教とゾロアスター教であるが,ユダヤ教とゾロアスター教は一時代前に起きた。他の二つの第二代文明,すなわちバビロン文明とシリア文明の衰退の結果生じたものである。ユダヤ教の発祥地であるイスラエルおよびユダの両王国は,シリア文明世界の互いに争いあう多くの地方国家の中の二つであった。そして,この二つの世俗国家の滅亡とそのすべての政治的野望の消滅こそ,ユダヤ教を生み出し,紀元前六世紀,すなわちアケメネス朝が樹立される直前,シリア社会の動乱時代の最後の苦しみの時期に作られた「苦しむしもべ」の悲歌(第二イザヤ書53章参照)のうちに最高の表現を呼び起こした体験であった』

イエスに「あの狐」と呼ばれたヘロデ王(HEROD Antipas)によって建てられた唯一の湖畔の町。........イエスは言われた。「行って,あの狐に,『今日も明日も,悪霊を追い出し,病気を癒し,三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい。ルカ13章32節。

ゲツセマネ(GETHSEMANE)を記念するオリーブの木。

 イエスの時代のパレスチナ。4BC-30AD

天使ガブリエルは天よりこの町ナザレに送られたきた。Church of the Annunciationはナザレの南に位置する。この建物は12世紀に十字軍によって建てられ,伝説的に聖処女マリアの家であり天使ガブリエルがマリアに祝福を送った場所でもある。ヨハネ1章14節,ルカ1章35節。

Church of Annunciation,フロントドア。

 ここの記事を読んでいる人は例えばドアの左中間部にあるのは何であるかすぐ分かりますね。これが教養です。

 ヨセフは起きて,夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り,ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは,「わたしは,エジプトからわたしの子を呼び出した」と,主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。(マタイ2章14節)

装飾が施されたベツレヘムバシリカ(初期キリスト教教会)の聖飼い葉桶。

 マリアがイエスにしたようにこのべドウインの女性は生まれたばかりの子どもをしっかりと布に包んでいる。「初めての子を産み,布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊る場所がなかったからである。ルカ2章7節。

 そして,手に箕を持って,脱穀場を隅々まできれいにし,麦を集めて倉に入れ,殻を消えることのない火で焼き払われる。ルカ3章17節。

 これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し,総立ちになって,イエスを町の外へ追い出し,町が建っている山の崖まで連れて行き,突き落とそうとした。しかし,イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。ルカ4章29,30節。

 ガリラヤ湖のサンセット。「日が暮れると,いろいろな病気で苦しむ者を抱えている人が皆,病人達をイエスのもとに連れてきた。イエスはその一人一人に手を置いて癒された。ルカ4章40節。

 ルカ5章4~10節参照。

 盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。弟子は師にまさるものではない。しかし,だれでも,十分に修行を積めば,その師のようになれる。ルカ6章39,40節。

LORD,TEACH US TO PRAY.エルサレム近郊にあるPastor Noster教会の35のタブレットには主の祈りの言葉が書かれている。イエスはあるところで祈っておられた。祈りが終わると,弟子の一人がイエスに,「主よヨハネが弟子たちに教えたように,わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。そこで主は言われた。

祈るときには,こう言いなさい。
『父よ,御名が崇められますように。御国が来ますように。わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。わたしたちの罪を赦してください。わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたし達を誘惑に遭わせないで下さい』ルカ11章1~4節。


HE WENT INTO A CITY CALLED NAIN。背後に見えるのはMount TABORそれから間もなく,イエスはナインという町に行かれた。ルカ7章11~16節参照。

そこでイエスは次のたとえを話された。「あなたがたの中に,百匹の羊を持っている人がいて,その一匹を見失ったとすれば,九十九匹を野原に残して,見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして,見つけたら,喜んでその羊を担いで,家に帰り,友達や近所の人を呼び集めて,『見失った羊を見つけたので,一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが,このように,悔い改める一人の罪人については,悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」ルカ15章4~7節。

SAMARITAN......BROUGHT HIM TO AN INN,AND TOOK CARE OF HIM.おそらくCrusaders' memorial Church(十字軍を記念する教会)跡と思われる民宿でエルサレムからエリコ道へ行く途中旅人を向かいいれた。

紀元70ADにエルサレムが破壊されてから何度も補修された小道で「Lane of the City」と呼ばれる。ルカ14章16~24節参照。

 重い皮膚病を患っていた10人をいやした場所として知られるナザレの南に位置するjenin(現在はムスリムの住む町)のKhan.ルカ17章11~19節参照。

TO A VILLAGE CALLED EMMAUS(エマオ)。クべイべ(Kubeibeh)の村からの光景で左手にFranciscan Churchが見える。「ちょうどこの日,二人の弟子が,エルサレムから60スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら.........ルカ24章13節。

"Fear not,from henceforth thou shalt catch men"。シモン(Peter・ペテロはイエスに会う前はSimonという名であった)、するとイエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後,あなたは人間をとる漁師になる。」そこで彼らは船を陸に引き上げ,すべてを捨ててイエスに従った。ルカ5章10節。

 絵はA.V.SOORD.物語は百匹の羊で説明した。Rejoice with me,for I have found my SHEEP.

オリーブ山の頂上付近にあるOctagon Chapel of the Ascension.

And it came to pass,while he blessed them,he was parted from them,and carried up into the heaven.ルカ24章51節,マルコ16章19~20節,使徒1章9~11節。天に引き上げられる。


 ガリラヤのCANAでの結婚式風景。ヨハネ福音書2章1~11参照。カナでの婚礼。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事