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全体主義の起源

 

http://kusagakubow.livedoor.blog/archives/23629921.html

4世紀の古墳と古代日本の王&全体主義の起源 : #マインドゲリラ

4世紀の古墳と古代日本の王&全体主義の起源 : #マインドゲリラ

EVISBEATS & Nagipan / Can you see it feat. J.Lamotta Suzume「#マインドゲリラ・西田町の鬼生田の町B遺跡」古墳がブームになりつつある昨今ですみなさん、いかがお過...

#マインドゲリラ

 

サタンの象徴としての稲妻

https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/d7a7fd78c8abf6f0491ce900d20f5ece

雷と雪とトーラス

https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/957f8f03b33ec882dd6914171e2a8690

ハンナアーレント

https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88

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全体主義の起原 1――反ユダヤ主義
 ハンナ・アーレント (著), 大久保 和郎 (翻訳)


「#マインドゲリラ・ルグルグルグ★ビラビラビラ(その2)」


第14回 「全体主義」こそ最凶最悪の政治
【CGS 藤井聡 政治の哲学】

「#マインドゲリラ・トマスによる福音書(その6)


ソクラテスの弟子プラトンが「多数決」
がどれだけクソな考えかを教える動画



荘子「お前らは固定概念に縛られてるからクソなんだよ」

老荘の言葉

https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/683753e6b9b9db5276551c3c481bf74e

1)利益というものを,人間の生き方の中心に置いた社会というものは必ず破滅する。

2)便利な生活というものを,最高の価値として,それだけをひたすら追いかけると冷酷非常な世の中になる。

3)世の中が乱れることの根本は,賢くなれといって頭のいいことを人間たることの第一の価値として強調することだ。

これは老荘の言葉です。心して生きられるよう。

https://nehan.xyz/majjhima-nikaya/

明日は明日の風が吹く

同じような文言が
古今東西いわれてきた

たとえば仏教ならばこうある

過去は過ぎて未来はまだ存在しない
だからいまこの瞬間のみ観察し続け
心動ずることなくただ為すことだ
(二カーヤ・中部)

また聖書ならば
明日のことを思い悩んではならない
明日のことは明日が自ら思い悩む
その日の苦労はその日だけで十分である
(マタイによる福音書6章34節)

つまり明日は明日の風が吹くわけで
いまだけをしっかり生きなさい
リアルタイムに在りなさいというわけだ

もちろん釈迦もイエスも
超越的な示唆をほのめかしているけども
いきなりそちらに飛ぶのではなく
もう少し”手前”から解釈しながら
その超越に到達してみよう

1.

仕事や人間関係で
こんな経験があるかもしれない

昨日はあれだけスランプだったのに
今朝になってみればスイスイと捗ったとか
あれほど不安に怯えていたのに
実際会ってみたら全然そんなことなかったとか

昨日の苦悩はなんだったのか

昨日と今日とで
違う世界が開いているみたいだ

つまりいま悩んでることが
明日には考えるまでもなく解決したり
いま窮地に陥っていることが
何でもなかったように流れたりするが
「なんでだろう?」ということだね

人は明日をいまの延長で考える
だからいま思い悩んで解決しておかないと
明日はまた大変だと考える

だけども釈迦やイエスは
そんなことをする必要はないという

明日は明日に任せておけ
その代わり今日できることを
精一杯やれとね

実際あなたも
翌日には解決しようとするまでもなく
ごく自然に解決していた経験があるはずだ

そればかりか
「人生のすべてがそうなのかもしれない」
ということに気づくかもしれない

「而今に生きる」
秋田県 源正寺 村松功英
曹洞宗大本山總持寺ニコニコ法話


私達は日々の暮らしの中で様々な出来事に出会います。悲しいこと、苦しいこと、愉快なこと、嬉しいこと、みんな一瞬のうちに時と共に流れ去る出来事の数々、在るときは仕事で、在るときは遊びで、在るときは家庭で、場所も時も様々です。
でもよく考えてみるとそれぞれの事柄と出会った瞬間、瞬間に自分はどのような反応をしているだろうか?嬉しいことに会えば笑い、悲しいことに会えば心を痛め、苦しいことに会えば自ら励まし、怒りには自重を心がけている。

大方の人々はそのように過ごすことを常としているが、少数ですが苦しみに負たり、怒りを抑えきれずに軽挙妄動する人が存在することは否めません。これら喜怒哀楽は感情を主体とした心の動きです。お釈迦様はこの世の(大宇宙の)真理を体得し、この悟りを行動の原点とした最初の人です。

その体系化されたものが仏教です。
感情とは生命原理から来る心の動きです。麗しいものもあれば醜いものもあります。麗しい感情の動きを大切にして、醜い感情の動きをコントロールしながら生きてゆくことが出来れば無上の幸せと云えるでしょう。

このような生き方の出来た人は世の中から人格者と呼ばれる人間となります。


私達はややもすると昨日の失敗を気に病み、明日の仕事の成否を心配する。過ぎ去った昨日を取り戻した人はいません。まだ来ぬ明日を生きることも出来ません。

だから、自分でどうにか出来るのは今現在だけなのです。ご本山の数代前の梅田禅師様の書に「而今に生きる」の言葉がありました。まさに今現在の自分を直向きに生きる。細心の注意を払い、全力を尽くして今現在を生きることこそ最善なのです。いたずらに過去を悔やみ、過去から心の借金をしたり、将来に不安を抱き、未来に失望することこそお釈迦様が最も嫌う生き方です。おおらかな心で自然と対話し、慈しみの心で生き物を見る、時として悪に出会った時は巡り合わせと腹をくくり、全身全霊で対処する。こんな生き方をしてみては如何でしょうか?

認知戦を理解してより良い世界を構築せよ

https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/7205bd06cc8db2bf36414fde34d60c14

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