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名古屋市 市章



おーいらみーさきの燈台守さ~,じゃなかった,すり替えられた明治天皇が千代田城で骨抜きにされちゃった事実にかんして僕マー君と弟のスー君は非常に憂慮しています。人間ってのはやはりパンツの中に問題があると最近理解した次第です。ご主人からのお話で中原中也の「汚れちまった悲しみに」が最近理解できるようになった二人です。ご主人からも汚れないで綺麗なままで最後まで生きるように,と言われています。弟のスー君は時々僕マー君のオカマを掘ろうとしますが厳重に注意しています。


http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2711.html

『家康の「慶長の禁教令」からキリスト教弾圧に転じた日本において足掛かりを失ったイエズス会は、反権力中枢の南朝方や部落勢力に軸足をシフトしていったのかもしれない。長州・田布施はその1つではないか? 山口県にはイエズス会系の教会が多いのもその現れなのだろう。
※長州・田布施は百済王末裔を自称する大内氏が毛利氏と政権交代の末に落とされた朝鮮部落であり、かの吉田松蔭も大内氏の末裔であった。

ただし、南朝も北朝も元を正せば百済系(烏垣系)の騎馬民族である後期大王族であり初期大王族ではない。初期大王族は扶余国直系で失われた10支族とも大いに関連があるが、百済系大王族に滅亡され黄泉国落ちした。この竜となった初期大王族に「999」の主の心が宿ったのがスサナル「八八八」なのであろう』

丸に八の字の意味は?

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1131643761

じゃあ丸に十字ってな~に?

封印された名古屋市 市章

http://utukusinom.exblog.jp/12725076

『東海地方は、一種 独特な地域であることは、誰もが感じていると思います。
では どう独特なのでしょうか。

秋葉山は 火災・火除けの信仰の元です。 すなわち、拝火教の民が 黒潮に乗って漂着した地なのです。( 説明は後日 )

南方から黒潮に乗って来た民を 『 八の者 』 または 『 えの民 』( = 日本の原住民 )と云います。( 説明は後日 )

海からの民・ヤの民たちは、藤原の公家たちからは賤民とされ、限定職に閉じ込められていました。

平安後期の 「 本朝 はちや由来記 」 には、『 洛中洛外から 畿内まで・・・荒らし回り・・・よって 八の者をよび、これに乱暴盗賊の防ぎをさせたところ、その効が現れて、以後 八の支配が広まった。』 とあります。毒を以て毒を制したのでした。

また信長は、今まで藤原支配下で 商売を禁止されていた拝火教の同族に、楽市楽座で商売することを認めたのでした。( 信長・秀吉・家康も同族です )

限定職で縛られていた、海からの民・ヤの民たちは、同族の信長のおかげで ある種、自由の身になりました。
ですから、江戸の人口が急激に増えたのは、後に彼らが 江戸に流入したためです。
徳川幕府は、江戸の町に増えた海からの民・ヤの民たちを取り締まるために、同族の親分衆に十手を与え 彼らを取り締まったのです。 後のヤーさんです。
商いをする人は、屋号を付けます。
海の男達のことを やん衆 と いいます。( 彼らは赤フンです。)

拝火衆の掟には、同族以外の火は受けない というものが あります。
八坂神社の 白朮祭(をけらさい)は、その典型です。
古代では、崇神朝の流れをくむ 景行天皇と ヤの民系の八坂姫の間に生まれた倭武尊をして、同族を 討たせました。
倭武尊が、倭姫から火打ち石を貰ったのにも、拝火衆の掟に乗っています。

また、同族とは争わないことを旨としていましたから、『 仁義 』 をきって、自分の出自を明かして、同族か そうでないか 確認しました。

此処まで読んでいただければ、(八)の字を市章にした秘密が お解りになりましたね。 でも、誰もこういう ホントのことを言いません。
明治40年に制定した人たちは、ちゃんと解っていて(八)を使ったのですが・・・・・。( 隠しているのでは? )

O 昔は、生ものは 彼らの所管でした。 だから寿司のことを「 やすけ 」といいます。
O 村八部の 八 も関係あります。
O 八瀬童子、蜂須賀小六、関係あります。

◎ 信長は、楽市楽座で 藤原支配の限定職の 掟 を崩壊させ、また公家( = 京の寺勢力 )支配を終わらせようとしたのですが、志 半ばで 憤死。。。

◎ 秀吉は、公家の世界に入り込み、藤原へは 『 どうぞ、大陸へお帰り下さい 』 とばかりに、半島・大陸進出をしたが、失敗。

◎ 徳川は、三代以降、公家の血に壟断されてしまい、千代田城も朝廷化して しまった。

( 初めて、こういう話に接したり、読む人には違和感を感じたり、理解 できないかも 知れませんので、簡単に書きました。『 でも、そう言えば・・・』 という方も いるのではないでしょうか? )』

千代田城の朝廷化

http://bungetsu.web.fc2.com/



アナレンマの8文字

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/681.html

ストーンヘンジと天体運行

http://www.seiryu.ne.jp/~kankou-kanayama/kyoseki/index2.html

http://www.youtube.com/results?search_query=Secret+Mysteries+of+America

独立戦争時の5つの都市、ワシントン、ボルチモア、フィラデルフィア、ニューヨーク、ボストンは一直線に並んでおり、その先をずっとたどると、イギリスのストーンヘンジに行き着く(0:18:42から)。

ストーンヘンジ関連記事:お星様キラキラ

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/4.html

これらを結んでいるのはパワーの帯(アルフレッド・ワトキンスが「レイライン」(Ley line)と命名)であり、その上には古代の様々な遺跡がある。
ワシントンDCは、第77子午線に沿って造られている。オカルト主義者にとってこのラインは、「神の経度」と呼ばれ、神聖であり、そこに旗を立てることは特別な意味があった(0:25:12から)。

HITTITE=8=ハッティ

戦国時代はカカア天下?.....サンカは女尊男卑

カカア天下は江戸時代と思いきや実は戦国時代だった

http://d.hatena.ne.jp/kawasimanobuo/20130218/p1

サンカとゴシェン

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/303.html

名古屋地方出身の学者が、アッカドの遺跡を調査する際に訪れた地でアジア人に風貌の似た人々に出会った。しかし言葉が通じず、つい漏らした名古屋弁のボヤキが驚くことに通じたというのだ。
そこからこの研究者はシュメール人の子孫は、日本人とアラブ人だという発想を得たのだという。この人物は奇遇にもサンカ(定住せず漂泊して暮らしている人々)の子孫で、そのサンカはスサノオを穴抜けの神として信仰しているという。
これは恐らく、洞穴などの穴式住居から抜け出した遠い祖先の記憶が反映されたものであろう。この学者はスサノオ信仰については知らないとされているが、それでも名古屋地方のサンカは『八』と呼ばれていたという(八鏡文字?)。恐らくはハッティ(管理人注:紀元前2500年-紀元前2000年頃にアナトリア半島に居住していた民族で、ヒッタイトの先住民。「原ハッティ」「ハッティ人」などと呼ばれる。)のことであろう。だいたい出てきましたね結論が........サンカ(山窩)=ヒッタイトの先住民=創世記ヘテ人が祖先。

千代田城は遊郭だった

http://cosmo-world.seesaa.net/article/150443593.html

自民党清和会の源流。

「心に青雲」より引用。

鬼塚英昭氏の新著『日本のいちばん醜い日』(成甲書房)を読むと、日本国家の真相は、明治維新で長州藩田布施一味に国家を乗っ取られたということであることが解る。

 長州藩の田布施一味とは、山口県熊毛郡出身の政治家らのことである。熊毛郡の田布施町を中心にしている。
ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。

大室寅之祐=明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔である。

 小泉前首相の父・純也は、鹿児島の田布施(現在は加世田市金峰町)出身の朝鮮人である。
鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じ、朝鮮人部落である。

小泉純也は上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となって「小泉姓」を名乗り、日本国籍を取得したのだ。
小泉の次に安倍政権、そのいずれもが朝鮮人部落だった田布施の出身であることが偶然であるわけがない。

 ユダヤ国際金融権力は、こういう人間を使って、日本乗っ取りを支援しながら、連中の弱みを握って、思い通りに支配してきたのだ。
ユダヤは徹底的に日本の事情=弱点を探って研究しつくしている。
例えばとして、鬼塚氏は幕末に英国公使パークスは、外交官アーネスト・サトウを使って日本の被差別部落を調査させている。

 『日本のいちばん醜い日』に益田勝実氏の文章が引用されている。
 「天皇様をお作り申したのはわれわれだとは、明治以前に生まれた長州の老人たちによく聞かされことだったが、近代天皇制以前には、京都に天皇家はあったが、天皇の国家はなかった。

尊皇派が考えていた天皇の国家の考えは思想として獲得されたもので、現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものではなかった。
かれらが求めている天皇と現実の天皇と、いくらか融和出来るうちはよいとして、その矛盾が激化すると、……激化すると、天皇を取り換えてしまうほかなくなる。

 わが家に空襲で焼けるまであった孝明天皇使用の皿は、おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた、蜜月時代にもたらされたものだろう。

奇兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応2)の暮れには、孝明天皇は謀殺されてしまった。
もちろん、仕組んだのは江戸幕府ではない。
志士側で、天皇が倒幕の障害になりはじめたからである。
今日では、このことはもう公々然の秘密となっている。(益田勝実『天皇史の一面』より)」

 益田勝実は長州の国家老一族である。
だから田布施の住民を虐げた側というか、支配した(あるいは敵対した)側である。

その子孫である益田勝実が、「てんのうはん」、つまり、山口県熊毛郡田布施町麻郷(おごう)に生まれ、孝明天皇の長子睦仁の替え玉となり、明治天皇となった真相を突いたのだ。

 『日本のいちばん醜い日』では、「大室寅之助は田布施の生まれ、……伊藤博文(林家が伊藤家の本家)と「虎ノ門事件」を起こした難波八助は一族である。

また宮本顕治(日本共産党)も一族。
そして、木戸幸一も系図に入ってくる。
京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衛文麿に教えた河上肇も一族である。

そして、大室寅之助の生家の近くに岸信介一族の生家もある。
この地から代議士の国光五郎、難波作之助が出ている。
また、元外相松岡洋右も岸信介の一族である。
あの終戦内閣の最後内務大臣安倍源基も大室寅之助の生家の近くである。

……大室寅之助が南朝の末裔であるという説があるが、確たる証拠は私の調べた限りではなに一つない。
むしろ、北朝鮮系の被差別部落民ではないのか、と思っている。」(「日本のいちばん醜い日」より)
 明治維新から日本の国家中枢に君臨する一族には、このような真相があるのである。

 鬼塚氏も書いているが、瀬戸内海の沿岸や島々には被差別部落が多い。
そこからアメリカや中南米に移民として行かされた人も多い。
「家船漁民」といって、船上で暮らす人々も瀬戸内地方には多かった。

いずれも彼らはマレーシア方面から漂着した平家系の民であろう。
 源平の戦いがあった平安末期、貴族となって権勢を誇った平清盛一族は、(八切止夫によれば)マレーシア方面から比較的新しく紀伊半島に“鉄器を持って”漂着した部族であった。

その彼ら貴族化した平家を、それ以前に土着していた北条氏らの平家一族が源氏(頼朝や義経)という馬を扱える部族を使って日本国内から放逐したのがあの源平の戦いである。

だから清盛一族側の貴族化した平家は、海洋民族だったから騎馬戦は得意ではなく、義経に追われると瀬戸内海を下関(壇ノ浦)まで逃げた。

当然瀬戸内海には海洋民族である土着の平家系のいわば海賊もいたのだが、彼らは北条側の平家に就いて義経に協力したため、貴族化した平家らは撤退せざるを得なかった。
だから源平の戦いとは、本質的に“新来の平家”と“旧来土着の平家”との内ゲバであった。

 それで勝った側の北条平家は、源氏系統=北朝鮮系を皆殺しにし、生き残った源氏系部族人間は別所などと言われる被差別部落に追い込んだ。

おそらく瀬戸内一帯に土着していた源氏系の部族も別所などの被差別部落に押し込めて、まともな活動ができぬように圧迫したと思われる。

その一つが山口県の熊毛郡なのであろうし、遠く鹿児島にも同様の田布施として源氏系部落を作ったのではないか。

田布施という所は「正直いって、住むのに悪条件だらけの土地であった」と鬼塚氏は書いている。

あるいは「やたらと寺の多さに気づく」とも書いている。
権力者が寺院を使って被差別部落を抑えつけたのだろうし、本来は白山信仰を持ち仏教には転向しない源氏系(北朝鮮系)を強引に仏教徒にしようとした痕が、田布施の寺の群れなのだろう。

 鬼塚氏は、田布施出身の大室寅之祐の家が漁業を営んでいないことを指摘している。

ということは大室家が平家ではないことを意味している。
平家系の庶民の職業は、漁民か百姓と決まっていたからだ。
鬼塚氏は大室寅之祐が北朝鮮系の被差別部落民ではないかと言っている。「週刊朝日」06年10月6日号に掲載された「家政婦は見た~安倍晋三研究」で、安倍家の家政婦の証言として、安倍晋三の父・晋太郎は、日頃から「自分は朝鮮だ」が口癖で、亡くなったときの遺骨を見ても韓国系の体型だったと言っている。

田布施(または熊毛郡)出身の一族郎党が国の権力を握っていることに変わりはないようだ。

安倍晋三は統一教会と縁が深いのだからまさに朝鮮半島勢力である。
明治天皇とその取り巻きが、なにせ田布施出身の朝鮮人系統なのだから、現実の政治はその流れに沿うのである。

 終戦時(と開戦時)に外相だった東郷茂徳は、鹿児島の朝鮮人部落出身である。
本名は朴茂徳である。
鹿児島ではあるが、田布施と同じ出自なのだ。
だから昭和天皇は終戦の大事な時期に、東郷茂徳を起用した。

東郷に外交ルートを使った終戦工作、すなわち天皇の身の保全と、天皇家の蓄財の隠蔽を命じたのである。

東郷はA級戦犯となり、服役中に病没しているが、おそらく真相を知る人間だから消されたのであろう。

 先に紹介したが、終戦時の安倍源基内務大臣は熊毛郡の出身で、安倍晋太郎・晋三との結びつきは不明らしい(家紋は同じ)が、大室家とは親族だという。

安倍源基は周知のように、戦前、警察権力を一手に握った男で警視総監をやり、特高警察で君臨した。

言ってみればゲシュタポかKGBの親分のようなものだ。権力者にとっては重要なポジションである。
これもまた朝鮮人系が握っていたのだ。

 さらに。鬼塚氏が指摘しているのは、終戦時の内閣では大分県出身者が多いという。

阿南惟幾陸相(竹田市出身)、梅津美治郎陸軍参謀長(中津市出身)、豊田副武海軍軍令部長(杵築市出身)、また重光葵(東久邇宮内閣外相)は国東半島出身。

大分県は瀬戸内海で田布施とつながっている。
この辺りは、先の家船漁民の活動範囲であって、その交流のなかで婚姻関係が結ばれていたはずなのである。

つまり昭和天皇は同じ朝鮮人関係者で、敗戦処理を行なったのであった。

 こうして見てくると、どうして明治権力が朝鮮半島に侵出したか、しかも朝鮮半島をいわゆる植民地化せずに“内地化”して、インフラ整備を徹底的に施し、“内鮮一致”を押し進めたかがわかる。

つまり日本が稼いだ富を祖国・朝鮮半島にせっせと注入したのだ。
また日本国内に在日朝鮮人を大量に残し、厚遇してきたかもわかる。

権力者どもにとっては同族だからだ。
わざと(ユダヤの指示で)日本国内に火種を残したとも言えるだろう。北による拉致だってわかったものではない。
総連や北の工作員だけでなく、こうした闇のルートが拉致に介在した可能性もあるし、現在も小泉や安倍という朝鮮系の人間が首相をやっているのだから、闇は深まるばかりだ。

 さらに鬼塚氏は興味深いことを書いている。
明治天皇の生母とされる中山慶子(つまり孝明天皇の種をもらった女性)の墓が東京・文京区の豊島ケ岡墓所にある。

ところがこの明治天皇の生母の墓を、明治天皇を始め皇族まで誰も参拝に行っていないのだという。

現在の中山家当主は、鬼塚氏の問い合わせに「生母に関しては箝口令がしかれていて、一切答えられない」と言ったそうだ。

 これはつまり、明治帝がやはり孝明天皇と中山慶子の子ではないことの証明である。

生前に明治天皇は生母に会ってさえいない。「この人間関係の冷たさがーーたとえ生母でなくても会えばいいではないかーー日本の暗黒をより深くし、日本を太平洋戦争へと突き進ませたと思えてならなかった」と鬼塚氏は書いた。

そのとおりである。昭和天皇も今上天皇もその他皇族も、孝明天皇の子孫と思うのなら、中山慶子の墓を粗末にするはずがないのだ。

 大正天皇はどうやら大室寅之祐の子らしいが、昭和天皇は大正天皇の子ではないからである。

西園寺八郎と貞明皇后のあいだの子とされる。
その事情を『日本のいちばん醜い日』で詳述している。
西園寺八郎は毛利家から公家の西園寺公望(元老でありフリーメースン)の養子になった人物で、宮中深く浸透した。大正天皇とは学習院で同級生だった。

その息子公一(きんかず)は、コミュニストでゾルゲ事件に連座したが、親(八郎)のよしみで釈放されている。

 明治天皇も伊藤博文も、大正天皇に子どもができないことを知っていたので、西園寺八郎を貞明皇后に近づけたとされる。

それを鬼塚氏は詳細に検証していく。
そして、大正天皇の子4人(昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮)はいずれも父親は別とされる。
みんな顔が似ていない。(浩宮と秋篠宮もまったく似ていないが…)

 鬼塚氏は、秩父宮が2・26事件の策を練り、終戦時の8・15宮城事件は三笠宮が策を練ったのだと断言している。どちらのクーデターもヤラセだった。

 貞明皇后(節子*さだこ)はしきりに世継ぎに介入したとされる。
秩父宮を溺愛し、裕仁より秩父宮を天皇にしようと暗躍した。
貞明皇后は長州が嫌いだったので、薩摩系の良子を昭和天皇の嫁にしようとして「宮中某重大事件」を起こしている。

 貞明皇后は五摂家のひとつ九条家から嫁したとされるがウソで、武蔵野のある大農家の娘だったという説と、彼女の本名は朱貞明だという説がある。

中国か朝鮮であろう。
朱貞明は、明治政府が徳川幕府から接収した皇居(千代田城)を、高級遊郭にしたのだが、そこに召し出された女性だという。

千代田城は「千代田遊郭」と呼ばれ、伊藤博文や大室寅之祐らが、維新で職を失った旗本の娘から美女を選んで囲ったもので、天皇と重臣の遊び場だった。

朱貞明が長州の侍に騙されたかして千代田遊郭に入れられ、後に大正天皇の嫁にさせられたとするなら、長州嫌いになったわけもわかる。

 貞明皇后は秩父宮の妃を迎えるにあたっては、わざわざ朝敵とされた会津藩松平家から勢津子を選んで、長州への面当てをやった。(ちなみに勢津子のかかりつけの美容師が吉行あぐりである)この会津から皇室への婚姻で、会津の人は喜んだというが…。

 今上天皇が堂々、天皇家の祖先は朝鮮から来たんだと記者会見で言って、驚かされたが、つまり今上天皇は、祖母の貞明皇后が朝鮮系であることを述べていたのだと思われる。

 いずれにせよ、かように日本上層部は、民族的怨念と覇権を巡っての暗闘を続けているのであって、現在の自民党や民主党ら政党の争いとか、霞ヶ関の官僚の争いも、そうした背景を知らねば解明はできないものと思われる。

南朝革命

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/636.html

鬼塚英明で検索すると25件ヒットします

http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%8bS%92%cb%89p%8f%ba&inside=1

旧約聖書とホツマツタエ

http://utukusinom.exblog.jp/21383010/

BBSに転載してありますが字が大きいので読みやすいです

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2569

全てはシュメールから始まったのでしょうね、きっと

古事記シュメール語訳なんてあるくらいですからね。

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E7%A5%9E%E8%A9%B1&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=1&oq=%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB

In the Sumerian epic entitled Enmerkar and the Lord of Aratta, in a speech of Enmerkar, an incantation is pronounced that has a mythical introduction. Kramer's translation is as follows:

Once upon a time there was no snake, there was no scorpion,
There was no hyena, there was no lion,
There was no wild dog, no wolf,
There was no fear, no terror,
Man had no rival.

In those days, the lands of Subur (and) Hamazi,
Harmony-tongued Sumer, the great land of the decrees of princeship,
Uri, the land having all that is appropriate,
The land Martu, resting in security,
The whole universe, the people in unison
To Enlil in one tongue [spoke].

(Then) Enki, the lord of abundance (whose) commands are trustworthy,
The lord of wisdom, who understands the land,
The leader of the gods,
Endowed with wisdom, the lord of Eridu
Changed the speech in their mouths, [brought] contention into it,
Into the speech of man that (until then) had been one.

かつて、蛇も、さそりも

ハイエナも、獅子も、

野生の犬も、狼も存在せず、

恐れも、恐怖もなく、

人間に敵するものはなかった。

かつて、シュブール(Subur)とハマジ(Hamazi)の国には、

王子の法によって治められる偉大なる地、シュメールと、

同じ言葉を話す人々が住んでいた。

また、ウリ(Uri:アッカドをさす)は、すべてがしかるべくあり、

マルトゥ(Martu:アムル人の国)は、安らかであった。

世界全体は、神エンリルのもとでひとつの言葉を話し、

調和のなかにあった。

そのとき、多産・豊穣の主であり、

知性の主であり、地を知悉する者であり、

神々の指導者である神エンキは、

エリドゥの主に知恵を授け、

ひとつの言葉を話す人間たちの

口から出る言葉を変えさせ、争いをもたらした。

シュメール叙事詩「エンメルカルとアラッタ市の領主」より。

神としてのアプスー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%BC

関連として:遠~い遠~い昔のお話....エヌマエリシュ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%8C%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A5

『エヌマ・エリシュ』(Enûma Eliš)はバビロニア神話の創世記叙事詩である。この文献は、マルドゥク神が中心に据えられ、人間は神々への奉仕のために存在しているといった、バビロニア人の世界観を理解するうえで重要なものである。

アッシュールバニパルのニネヴェ図書館(ニネヴェ)より発掘され、ヘンリー・レイヤードによって修復された。7つの粘土板にアッカド語で刻まれており、その文章量は7つを合計して約1,000行(1枚に115~170行)に及ぶ。第5板の大部分は欠落しているが、それを除けばテキストはほぼ原型をとどめている。第5板の複製は、トルコのハラン遺跡から発見された。他にもバビロニアやアッシリアにおいて、さまざまな翻訳・複製品が発見されている。

内容そのものは、バビロニア王ハンムラビがメソポタミアを統一し、都市神マルドゥクの地位が向上した、紀元前18世紀に成立したと考えられている。紀元前14世紀から12世紀に成立したという説もある。アッシュールバニパルの図書館のものは紀元前7世紀にさかのぼる。書かれた当初の目的は神話の記述にはなく、バビロンの都市神マルドゥクが他の都市の神に比べ優越していることを示すためであった。

管理人注:ハムラビ法典で検索すると3件ヒットします

http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%83n%83%80%83%89%83r%96%40%93T&x=0&y=0&inside=1

『エヌマ・エリシュ』は、 インキピット(文書の冒頭の数語をさす言葉)であり、「そのとき上に」を意味する。第1板は以下の言葉から始まる。

e-nu-ma e-liš la na-bu-ú šá-ma-mu
上にある天は名づけられておらず、

šap-lish am-ma-tum šu-ma la zak-rat
下にある地にもまた名がなかった時のこと。

ZU.AB-ma reš-tu-ú za-ru-šu-un
はじめにアプスーがあり、すべてが生まれ出た。

mu-um-mu ti-amat mu-al-li-da-at gim-ri-šú-un
混沌を表すティアマトもまた、すべてを生み出す母であった。

A.MEŠ-šú-nu iš-te-niš i-ḫi-qu-ú-šú-un
水はたがいに混ざり合っており、

gi-pa-ra la ki-is-su-ru su-sa-a la she-'u-ú
野は形がなく、湿った場所も見られなかった。

e-nu-ma DINGIR.DINGIR la šu-pu-u ma-na-ma
神々の中で、生まれているものは誰もいなかった。

― 『エヌマ・エリシュ』冒頭部

冒頭で、真水を司るアプスー、塩水を司るティアマト、そしてその息子で霧を司るムンムといった原初の神が登場する。続いて、エアとその兄弟たちなど、さまざまな神々が、ティアマトの巨大な体から生まれた。彼らは非常に騒がしかったため、アプスーとティアマトは不愉快に思った。アプスーは彼らを滅ぼそうと企て、ムンムも同意したが、ティアマトは反対であった。ティアマトは、計画の実現を阻止するよう、当時神々の中で最強であったエアに命じた。エアは、魔法でアプスーを眠らせて殺し、ムンムを追放した。エアは後に神々の首領となり、妃のダムキナとの間に、マルドゥクが生れた。マルドゥクはエアよりはるかに強大な力を持っており、戯れに嵐を呼び起こしたりした。彼が起こした嵐によりティアマトの塩水の体はかき乱され、ティアマトの中に棲む神々は眠ることができなくなった。

ティアマトはこれらの神々の説得に応じ、アプスーの死への復讐を企てた。ティアマトは力を強め、これらの神々も力を合わせた。ティアマトは戦いに勝利し、2番目の夫キングーを神々の最高位にすえるため、11の怪物を創り出した。この後、本文では長い戦いの描写が続く。最終的にマルドゥクがティアマトに勝利し、ティアマトの遺骸を用いて世界を形成する。続く約500行が第5板から欠落している。

ティアマトに味方した神々は、マルドゥク側の神々のために働くことを強いられた。後にマルドゥクがキングーを滅ぼし、その血から人間を創造したことで、これらの神々は労働から解放された。主たる神々の住み家であるバビロンの建設には、人間がたずさわっている。神々はマルドゥクに王の権威を与え、50の名で彼を讃えた。ここにおいてマルドゥクが、初期メソポタミア文明において神々の王とされていたエンリルの地位を超越したことが注目される。

読者の方よりBBSに投稿がありました.....

ホツマツタエ
投稿者:桃太郎 投稿日:2014年 3月 3日(月)21時48分4秒 返信・引用
こんばんわ
下記記事を拝見して、思い出しました。

以前、当ブログコメント欄でご紹介しました「耀姫の日記」ですが、耀姫様は、葛城氏(一言主命)の末裔とおっしゃっています。http://d.hatena.ne.jp/mayumi_charron/20100218/1266474872

一方、ホツマツタエには、素戔嗚尊と櫛稲田姫の間には、五男三女の子供がいたとなっています。
(八坂神社の掛け軸にも記載あるそうです)

1.大屋彦命
2.大屋姫
3.妻津姫
4.事八十命
5.奇杵命
6.大年倉結命
7.★葛城一言主命★
8.酢芹姫


耀姫様とのブログコメントのやりとりで、姫様は幼少のころ「姫社神社」(総社市秦)にお参りし ご先祖を弔われたとありました。

天日矛・耀姫の一族は、「秦氏」であり ご先祖は、「素戔嗚尊」ということになります。

◇霊界物語(出口王仁三郎)
霊界物語の主人公スサノオの本拠地は、フサの国のウブスナ山の山頂にあるイソ館という場所です。フサの国というのは現代のイランのあたりです。
ある人が霊界物語のウブスナ山というのは、どの山に相応するのか調べてみたところ、イランの首都テヘランの東にあるダマバンド山ではないかということが分かりました。ダマバンド山の標高は5671メートルなのです。「みろくのはじまり」と読めます。

スサノオとユダヤが、どこかで交わり 日本へ天の日矛・弓月の君などの集団で渡来したということなのでしょうか?
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