
http://blog.livedoor.jp/rainbow_drop777/archives/2007-02.htmlより引用
関連記事:目次~情報戦としての靖国問題
http://blog.livedoor.jp/rainbow_drop777/archives/50699274.html
なぜ日本は戦わねばならなかったのか
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1623459.html
注:シオニストの言論の代理人であるデヴィッド・アイクやアレックス・ジョーンズがイエズス会に触れずましてやその総本山であるDVD・German Black Intelligence(Deutsche Verteidigungs Dienst)に触れないのは理由があるのです
アイクがのうのうとやっていられる理由
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/102.html
正義の味方デヴィッド・アイクの本から
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/103.html
彼らはControlled Oppositionと呼ばれています。私が2008年1月にはじめて使ったBalancerのことです。下記をクリックしますと名指しで出てきますがベンジャミン・フルフォードも当然入っています。彼はモルモン教徒でCIAです。最近ではJim Stoneもそうです。彼のHPの3.11の画像はすべてデビッド・アイクからのもので共にモサド犯人説をとっています。そうすれば奥の院までは高い壁が出来て入れなくなるのです。Jim Stoneはアレックス・ジョーンズ同様何回も逮捕されすぐに釈放されておりHPはいまだ削除されずにいるのです。殺されたJoe Viallsとは根本的に違うのですよ。
http://www.truthin7minutes.com/controlled-opposition-how-to-spot-a-fake-leader/
管理人注:Amy Goodmanは違います。Democracy Nowは中立性を保つために企業からの寄付を受けずに個人からに限っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%B3
シオン長老の議定書・第12議定書参照
.....一片の記事といえどもわれわれの検閲抜きには公表されることはない。現在ですら既にこのことは達成されていて、すべてのニュースは少数の通信社に世界中から集められそこから配付されるようになっている。通信社は追って完全にわれわれの傘下に入り、われわれが許可したものだけが一般に供給されるようになるだろう......最前列に位置するのは、政府機関紙の性格をもった新聞であろう。この種の新聞は、常にわれわれの利益を擁護するが、それゆえに比較的影響は弱い。第二列に位置するのは、半官半民の刊行物で、なまぬるい無関心層を惹き寄せるのが役割である。第三列に位置するのは、見た目には全くわれわれの反対者として設立されたもので、少なくともその紙上では、まさにわれわれとは逆の立場に立つように見える論説を掲載するであろう。そこでわれわれの本当の敵対者は、この疑似反対論を真説と思い込み、自分の手の内のカードを見せてしまう。(これは言論の代理人デヴィッド・アイクやアレックス・ジョーンズなどに共通するものである)
Don Nicoloffもいますがナチが米国に送ったスパイのドンでHungarian Black Intelligenceの一人
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/931.html
同じ穴の狢
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3162
どうやって彼らがレーニン式に誘導するかのヒントは以下の記事をみるように....これでも判らない方が拙稿を覗くことは大変危険です。
Operation Paperclip
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/931.html
記事を見ると聞き慣れた名前が沢山出てきます。彼らはミスリードすることによってメーソンのロッジから報酬を得ているのです。私はそのカラクリを元イルミナティ11位階の女性から聴いたことがあります。彼らを統括しているのはDVD・German Black Intelligence(Deutsche Verteidigungs Dienst)の下請けHungarian Black Intelligenceという組織です。これはロンドンで得た情報。
更に上位のControlled OppositionはWhistle Blowerと呼ばれる人たちです。例えばヘンリー・メイコウとかレオ・ザガミなどがそうです。
http://www.savethemales.ca/001870.html
オルタ通信が詳しいのはY新聞情報部の下請け
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-1917.html
関連記事:イルミナティと外交問題評議会
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/371.html
安部さんレベルではFEMAの本当の意味を理解していないのです。だから悲しいのですよ。暗くなりますね,毎日が。
http://beingtt.blog.fc2.com/blog-entry-32.html
国家の存亡を握る情報線にメディアゾンビが立ちふさがる~もはや毎日の生活に追われ自分だけがせい一杯の日本人ばかりになってしまった。もっとも昔からそうだけどね。以下の記事は全部読まれたし
http://blog.livedoor.jp/rainbow_drop777/
政府紙幣発行案 1~4
http://sekainoura.net/video/seifusiheihakkouan
●戦争犯罪宣伝計画(War Guilt Information Program)
http://blog.livedoor.jp/rainbow_drop777/archives/50647370.html
●WGIPの影響
http://blog.livedoor.jp/rainbow_drop777/archives/50675346.html
●この過ちは二度と繰り返しませぬから
http://blog.livedoor.jp/rainbow_drop777/archives/50684763.html
ビル・トッテンの米国批判
http://blog.livedoor.jp/rainbow_drop777/archives/51064146.html
ビル・トッテンで検索すると.....
http://angel.ap.teacup.com/applet/gamenotatsujin/msgsearch?0str=%82%A0&skey=%83r%83%8B%81E%83g%83b%83e%83%93&x=0&y=0&inside=1
日米開戦のシナリオ・ライター アーサー・マッカラム
■1.ルーズベルトの裏口戦略■
管理人注:真珠湾に年式の古い艦船を配備して人員も 最小限の員数しか乗船させていなかったという事実はルーズベルトは事前に真珠湾攻撃を知っていたということで天皇も当然知っていたということ。
日本の中枢がユダヤ派(手先)だったということ
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/697.html
関連記事:真珠湾には老朽化した空母しか配置しなかった
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%81%8C%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%E3%81%AB%E9%80%81%E3%81%A3%E3%81%9F%E8%80%81%E6%9C%BD%E5%8C%96%E3%81%97%E3%81%9F%E7%A9%BA%E6%AF%8D&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=
「攻撃を受けた場合を除いて、国民を戦場に送る事は決してあり得ない。」 こう公約していたルーズヴェルトでしたが、内心は戦争がしたくて、戦争がしたくて、堪らなかったのです。そんなルーズヴェルトでしたから、日本に先制攻撃をさせる事に腐心したのは言う迄もありません。ラニカイ号を含む老朽船3隻に星条旗を掲揚させた上で、日本軍艦に接近させ、日本軍艦から先に砲撃してくるよう、挑発をしたりもしています。しかし、攻撃命令を受けていない日本軍艦は静観するに留まり、遂に先制攻撃を掛けなかったのです。(米国アナポリス海軍研究所『ラニカイ号の巡洋航海 ── 戦争への挑発』)
「いかに日本を操り、我々の損害は少なくし、いかにして最初の一発を撃たせる様にし向けるかが問題だ、とルーズヴェルト大統領は語った。」(スチムソン・米国陸軍長官の日記より)
そんなルーズヴェルトでしたから、「真珠湾攻撃」の一報が入った時には、さぞかし狂喜乱舞した事でしょう。しかし、それは「糠(ぬか)喜び」でした。「真珠湾攻撃」の1時間20分も前に、「宣戦布告」無きまま、米軍が日本潜水艦に対して「先制攻撃」をしていたのですから・・・。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/daitoasenso/tainitisenryaku_perl.htmより
昭和天皇の侍従が書いた本がある。昭和16年12月8日(ハワイは7日)真珠湾攻撃の後米国が宣戦布告したときに「天皇は小躍りして喜んだ」と。そして終戦は8月15日。イエズス会イグナチオ・デ・ロヨラの僕(しもべ)ザビエルが日本に来た日も8月15日,それはカトリックの聖母被昇天祭でもある。
関連記事:ローマ法王の僧兵団員だったザビエル
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2491
以下転載
フランクリン・ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って、ついに米国を日本との戦争にまきこむことに成功した。そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させるというルーズベルトの最終目的を達成させることであった。・・・ルーズベルトは、われわれをだまし、いわば裏口からわれわれをドイツとの戦争にまきこんだのである。
[1,p19]
開戦当時の共和党下院リーダー、ハミルトン・フィッシュ議員が自らの著書で語った言葉である。本誌96号「ルーズベルトの愚行」では、このフィッシュ下院議員やアメリカ陸軍参謀本部ウェデマイヤー大将の著書から、ルーズベルト大統領が「欧州の戦争には巻き込まれない」という選挙公約を破って対独参戦を果たすために、日本を開戦に追い込んだ、という根強い史観がアメリカにあることを紹介した。
真珠湾攻撃から55年、ようやく公開され始めた当時の公文書の山の中から、遂に日本を開戦に追い込むためのシナリオを描いた証拠書類が発見され、ロバート・B・スティネットの著書"Day of Deceit"[2]で公表された。
スティネットが明らかにした陰謀と諜報の世界は凄まじい。米国が押しつけた日本国憲法前文は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と謳うが、当の米国大統領が何をしたのか、スティネットの発掘した事実から考えてみたい。
■2.海軍情報部極東課長アーサー・H・マッカラム■
1940年夏、ヨーロッパ大陸を席巻し、英国をも打倒しようというナチスの勢いにルーズベルト政権は危機感を抱いていた。英国が敗北すれば、中南米諸国でもファシスト革命が起こり、アメリカはドイツから直接脅威を受ける恐れがある。しかし、国民の88%は、第一次大戦の反省から、欧州の戦争に巻き込まれるのを嫌っていた。
この秋の大統領選では、ルーズベルトは再選の立候補の際に、決してヨーロッパの戦争には巻き込まれない、という公約をして、かろうじて当選した有様だった。
1940年9月27日の日独伊3国同盟締結に、海軍情報部極東課長アーサー・H・マッカラムは絶好の機会を見いだした。日本を追いつめて、アメリカに宣戦布告させれば、自動的にドイツ、イタリアも対米参戦せざるをえなくなり、ルーズベルトの公約を破ることなく、アメリカはドイツと戦えるのである。
3国同盟締結のわずか2週間足らずの後、10月7日付けで、マッカラムは8項目からなるメモを作成し、ルーズベルトの側近に提出した。日本に生まれ、育ったマッカラムは、どうすれば、日本を開戦にまで追いつめることができるか、知り尽くしていた。
■3.対日挑発のアクション・プラン■
マッカラムの提案した8項目とは、以下の内容である。
A 英国と交渉し、太平洋地域、特にシンガポールの英軍基地の利用許可を得る。
B オランダと交渉し、オランダ領東インド(現在のインドネシア)の基地および物資の利用許可を得る。
C 中国の蒋介石政権に可能な限りの援助を行なう。
D 遠距離航行能力を有する重巡洋艦一個戦隊を極東、フィリピン、またはシンガポールに派遣する。
E 潜水艦艦隊二隊を極東に派遣する。
F 現在、太平洋に配置している米艦隊主力をハワイ諸島近辺に維持すること。
G オランダが日本の経済的要求、特に石油供給に関して不当に屈しないように主張すること。
H 英国による対日禁輸措置と協力して、アメリカも日本に対する全面的な通商禁止を行なう。
このメモにはルーズベルト自身のサインはないが、その後の対日挑発はほぼこの提案通りに実行されていった。
■4.8項目の実行■
項目Aの通り、英国の太平洋における軍事基地の利用許可を米国は得た。項目Bのオランダとの軍事協力に関しては、日本軍の無線盗聴に関して緊密な協力体制が築かれた。項目Cの蒋介石への軍事援助は一段と強化された。
項目Dの極東への重巡洋艦隊派遣は、翌41年7月、豊後水道に2隻の巡洋艦を接近させるという形で実現した。ここは帝国海軍の練習海域であり、海軍の駆逐艦が発見して、日本政府は「国際法違反だ」と駐日大使グルーに抗議を行った。
項目Fの太平洋艦隊のハワイ駐留は継続され、項目Eの「潜水艦艦隊二隊の極東派遣」は、マニラへの潜水艦24隻の配備として、年明けに実行された。Gのオランダによる石油その他原材料の禁輸も原案通り実施に移された。
最後の項目H、米国からの完全禁輸は、1941年7月に実行された。しかし、この完全禁輸の前の時期には、ホワイトハウスは石油輸出を制限しつつも、日本への輸出許可を与えていた。これにより、7月時点では日本は2年分の石油備蓄をしていた。
1941年当時、日本の空母10隻に対して、アメリカの太平洋艦隊は7隻であり、当面日本の優位が続くと見られていた。しかし、2年後にはアメリカは100隻もの空母を建造して、反攻に移れると計算していた。日本に2年分の石油備蓄を許したのは、戦争を決意させるには十分だが、最終的な勝利を得るのは不可能、という周到な計算の結果であった。
■5.「おとり」の太平洋艦隊■
項目Fでの米艦隊ハワイ駐留は、日本に軍事的威嚇を与えると同時に、絶好の攻撃目標を与える事を狙いとしていた。太平洋艦隊は、日本軍の動きも知らされずに、「おとり」としての運命をたどらされる。
そもそも米艦隊の母港は真珠湾ではなく、西海岸であった。1940年4月に訓練のために、一時的にハワイに駐留したのだが、ホワイトハウスからは、そのまま当分ハワイに留まることを指示された。
リチャードソン提督は、ハワイには基礎的な訓練施設も、補給施設も、補修設備もなく、また兵員を家族から離しておく事による士気低下を考えて、西海岸に戻すことを要求していたのだが、ルーズベルト大統領はそれを許さなかった。提督は、直接大統領に会って、ハワイに留まることの不合理さを訴えたが、大統領は耳を貸さなかった。
提督は、さらに日本は軍人が支配しており、艦隊をハワイに置くことの軍事的意味を見抜くはずなのに、大統領と国務長官ハルはこの事を考慮に入れていない、とこぼしているが、実は大統領の戦略がまさしくこの点を考慮に入れたものであったことを、リチャードソンは気がつかなかった。
これはマッカラムのメモが書かれる前であるが、米艦隊を真珠湾に置いて、日本を威嚇しつつ、おとりにしようという項目Fのアイデアは、すでにルーズベルトも抱いていたようだ。
ルーズベルト大統領に逆らったリチャードソン提督は、41年2月の太平洋艦隊創設とともに更迭され、海軍少将ハズバンド・E・キンメルが後任に指名された。キンメルは何も知らされないまま「おとり」にされ、最終的には真珠湾攻撃の責任を追求されて降格される。
■6.筒抜けになっていた日本の動き■
帝国海軍の山本五十六提督は、マッカラム・メモの3ヶ月後、昭和16(1941)年1月には、日米開戦の場合はまず真珠湾の米艦隊を叩く、という戦略を固め、その詳細検討を始めていた。しかし、この情報はすぐに米大使館が掴み、1月27日には駐日大使グルーが国務長官ハルに、日本軍の真珠湾攻撃計画について情報を送っている。
ハルから情報を受け取ったマッカラムは、自らの対日挑発が予想通り進んでいることを確認したが、キンメル提督には「海軍情報部は、この『うわさ』には信憑性がないと判断する」という分析を送った。「おとり」には、そのまま真珠湾で日本軍の攻撃を受けて貰わねばならないからである。
同年3月からは、海軍のスパイ吉川猛夫が、森村正の仮名でハワイの日本領事館に駐在し、真珠湾での艦船の停泊位置、および陸軍飛行場での航空機の種類などを調べ、東京に通報していた。その暗号電文22通のうち、19通は傍受・解読され、真珠湾が日本の攻撃対象になっていることが確認されたが、ワシントンは森村を開戦2日前まで泳がせ、諜報活動を続けさせた。
9月末には、日本は陸海軍戦力を中国から引き揚げ始め、同時に世界中の商船を呼び戻し始めた。これは部隊や物資の輸送に備えるためである。無線傍受でこれらの動きを逐一掴んでいたマッカラムは、日本の開戦準備が新たな段階に達したと判断した。
11月2日の御前会議では、昭和天皇が「事態が謂う如くであれば、作戦準備も止むを得なかろうが、何とか極力日米交渉打開を計ってもらいたい」と憂慮の言葉を述べられたが、外交が行き詰まって開戦に至れば、劈頭に真珠湾攻撃を行うという山本提督の案が了承された。しかし、この情報は翌日にはグルー大使から、ハル国務長官に伝えられている。宮城にもアメリカの諜報の手は伸びていたようである。
■7.真珠湾の「受け入れ準備」完了■
11月25日、第一航空艦隊が真珠湾攻撃に向けて出発するのと同時に、ワシントンから米国、および同盟国のすべての艦船に対して、北太平洋の航行を禁じる、という指示が出された。キンメルは独断で「演習」と称して、日本海軍の動きを察知するために、ハワイ北方に偵察用の艦船を配置していたが、ホワイトハウスはこれを中止させた。
翌26日には、キンメルは空母2隻で航空機をウェーキ、および、ミッドウェイに輸送するよう命ぜられた。2隻の空母が19隻の新鋭艦に護衛されて真珠湾を出発すると、残るは第一次大戦の遺物のような老齢艦ばかりとなった。
ハワイに近づきつつある日本の第一航空艦隊は、所在位置を秘匿するため無線封止を命ぜられたが、実際には悪天候下での位置確認などのために無線発信を行っており、ワシントンは129件の無線を傍受して、時々刻々の位置を把握していた。
ワシントンの現地時間で12月6日午後3時、日本の宣戦布告文が14部に分割されて、順次ワシントンの日本大使館に送信されたが、それらは同時に傍受・解読されて、午後9時30分にルーズベルト大統領のもとに届けられた。大統領は「これは戦争を意味する」と語った。「先手を打って迎え撃っては」との側近の提案に大統領は頷きながらも「いや、それはできない。我々は民主的で平和的な国民だ」と答えた。
電文の最後に宣戦布告を翌7日午後1時(真珠湾では午前7時30分)と指定した部分は、その3時間前、午前10時に大統領のもとに届けられたが、ルーズベルトは別に驚いた様子もなくそれを読み、何のコメントもしなかった。
■8.リメンバー・パールハーバー■
ワシントンでのこのような動きをまったく知らされていなかったキンメル提督は、その日曜の朝9時30分からゴルフの予定をしていた。しかし7時45分に日本の潜航艇が真珠湾入り口で発見されたという電話があり、急いでオフィスに向かおうと自宅で運転手を待っていたキンメルの目の前で、帝国海軍の爆撃が始まり、戦艦アリゾナは巨大な火の玉となって爆発した。
7時52分に始まった攻撃は、9時35分に終わり、米太平洋艦隊は艦船16隻が大破、航空機188機が破壊された。ワシントンから何の情報もないまま、艦船に待機していた将兵達は予期しない空襲に、死者2273人、負傷者1119人という大損害を受けた。
「リメンバー・パールハーバー」の声は米国全土に響き渡り、従軍希望の青年達が各地の陸海軍の募兵所で長い列を作った。米国議会は翌8日に日本に対する宣戦布告を決議し、3日後にはドイツ・イタリアへの宣戦布告も行った。こうして日本を追いつめ、真珠湾をおとりにして、第一撃を打たせ、それによって、ドイツとの戦いに参戦しようというマッカラムが描いたシナリオは、ルーズベルトによって見事に演ぜられた。
著者ロバート・スティネットは、以上のような情報をワシントンが今日まで秘匿してきた事は批判しながらも、対独参戦のためにこのような決断をせざるを得なかったルーズベルトの困難な立場に同情的である。しかし、日本を挑発して、数百万人もの犠牲者を出さしめた戦争に引きずり込むという決定の倫理的正当性は、これから長年に渡って様々な立場から議論されていくだろう。本書ではこのようなジレンマを解決することはできない。
[1,p259]
と述べている。「リメンバー・パールハーバー」は、日本人の立場からも忘れてはならない言葉である。
以下はWGIPの話ではありませんがマクドナルドのハンバーガーから歯のような異物が見つかった理由......大変怖い内容なので注意してお読みください
http://beingtt.blog.fc2.com/blog-entry-36.html
関連記事:血のチョコレート~信じられないでしょうが事実なのです。これらが悪魔主義者のしていることなのです。
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/123.html
3.11と9.11
http://ameblo.jp/64152966/entry-11996334005.html
ついでですから.....
小和田家と日本ユニセフの闇
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%B0%8F%E5%92%8C%E7%94%B0%E5%AE%B6%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%82%BB%E3%83%95&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
国連のユニセフと日本ユニセフ協会は全く別物ですよ
http://owarai44.blog.fc2.com/blog-entry-693.html
日本ユニセフと創価学会の闇
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11138864776
核心は日本ユニセフ
http://rapt.sub.jp/?p=13398
日本ユニセフ協会の正体(必読)
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1064.html
管理人注:大口の日本ユニセフへの寄付の依頼書はかつて届いたことがある。しかも国連のユニセフの封筒を使いニューヨークから郵送されてきた。国連のユニセフと日本ユニセフ協会を同一と見せかける詐欺商法である。
管理人注:日本から世界皇帝が生まれる可能性はある
以下の記事は大変ショッキングな内容ですので読まれない方がいいと思います
南北朝秘史 その1
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/290.html
南北朝史 その2
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/291.html
上の記事を読まれて驚いたと思いますが元々皇室典範なんていい加減なものです。
おまけ......
ならず者国家
http://beingtt.blog.fc2.com/blog-entry-27.html
天皇の秘密を暴くと早死するみたいですよ
http://yasukuni.blog.jp/archives/2014-12.html?p=4
カダフィーのどこが悪い!!
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2805
管理人注:大正13年,孫文は日本に立ち寄り,神戸で「大アジア主義」と題した講演を行っている。いつの日か覇道を講じ功利強権を重んじる世界から王道を歩む世界に向かってゆくであろう,とは言いませんでしたが世界のリーダーが日本から生まれる可能性は本当にあるのです。その頃管理人は生きてはいませんが。
孫文の大アジア主義・演説全文
http://ameblo.jp/mojikakima/entry-11068094790.html
孫文の大アジア主義の演説全文
大正13年(1924)11月28日,神戸高等女学校で神戸商業会議所外5団体の主催による講演会「大アジア主義」を行った。
〔亜細亜復興の起点〕
我が亜細亜は最も古い文化の発祥地である。即ち数千年以前において、巳にわが亜細亜大は非常に高い文化を持ってゐたのであって、欧洲最古の国家、例へば希膿(ギリシャ)、羅馬(ローマ)等の如き国の文化は、いづれもわが亜細亜より伝へたものである。又亜細亜は昔から哲学の文化、宗教の文化及び工業の文化を持ってゐた。
これらの文化はいづれも古より世界に非常に有名なもので、現在世界の最も新らしい文化は、いづれも我々のこの古い文化より発生したものである。然るに最近数百年来、我亜細亜の民族は漸次萎痺し、国家は次第に衰微して来た。
一方、欧洲の民族は漸次発展し、国家は次第に強大となって来たのである。欧洲の民族が発展し、国家が強大となるに伴れ、彼等の勢力は次第々々に東洋に侵入し、わが亜細亜の民族及び国家を漸次滅亡せしむるにあらずんば、圧制せんとする勢となりて来た。
この勢がズツと続いたため三十年以前まではわが亜細亜には1国として完全なる独立国家はなかったのである。
この勢が続いたならば国際関係は益々面倒となったであらう。然し否塞の運命も極点に達すれば泰平となり、物極まれば必ず通ずとあって、亜細亜の衰微が斯くの如く極点に達した時そこに福の転換機が発生した。その転換機こそは即ち亜細亜復興の鷲をなすものだったのである。
亜細亜は一皮は衰微したが、三十年前に再び復興し来った。然らばこの復興の起点はどこにあったのか。
それは即ち日本が三十年前、万国と締結した一切の不平等条約を撤廃したことである。日本の不平等条約撤廃のその日こそ、わが亜細亜全民族復興の日だったのだ。
日本は不平等条約を撤廃したので遂に亜細亜における最初の独立国となったのである。当時その他の国家即ち中国、印度、波斯(ペルシャ、イラン)、アフガニスタン、アラビア及び土耳古(トルコ)等は、何れもまだ独立の国家でなく、欧洲より勝手に翌を割かれ、欧洲の植民地となってゐたのだ。
三十年前においては、日本も亦欧洲の植民地と目されてゐたのであるが、日本の国民は先見の明があり、民族と国家の栄枯盛衰の関係を知ってゐたので、大に奮発して欧洲人と闘ひ、凡ゆる不平等条約を廃除し、遂に独立国となった。日本が東亜の独立国となってからは、亜細亜全体の国家及び民族は、独立に対し大なる希望を懐いて来た。
即ち日本は不平等条約を撤廃して独立したのであるから、吾々も日本に倣はねばならぬとの考へを持つに至った。之より勇気を起して種々の独立運動を起して、欧洲人の束縛より離脱せんとし、欧洲の植民地たるを欲せず、亜細亜の主人公たらんとする思想が生れた。
三十年以前において、わが亜細亜全体の民族は、欧洲は逸歩した文化を有し、化学も非常に進歩し、工業も発達し、武器は精巧であり、兵力は強大である。然るにわが亜細亜は欧洲より長じたものは1もない。亜細亜は欧洲に抵抗出来ない、永久に欧洲の奴隷となる外ないと考へてゐたのである。
即ち非常に悲観的の思想だった。然るに三十年前日本は不平等条約を廃除して独立国となった。而してそれは日本と近接してゐる民族国家に大なる影響を与へたが、当時はまだ亜細亜全体に充分の反響はなかった。即ち亜細亜民族は全体的にはそれ程大なる感動を受けなかったのである。
然しながら其後十年をへて日露戦争が起り、その結果、日本は露国に捷ち、日本人が露国人に勝った。これは最近数百年間における亜細亜民族の欧洲人に対する最初の勝利であった。この日本の勝利こそは全亜細亜に影響を及ぼし、亜細亜全民族は非常に感謝し、極めて大なる希望を懐くに至った。
〔日露戦争と亜細亜民族の興起〕
私はこれに関して親しく見たことをお話する。日露戦争の開始された年、私は欧洲にゐたが、或る日、東郷大将が露国のバルチック艦隊を全滅させたことを聞いた。この報道が欧洲に伝はるや、全欧洲の人民は、恰も父母を喪ったが如くに悲しみ憂ひ、英国は日本の同盟国でありながら、大多数の英国人は眉をひそめ、是がかくの如き大勝利を博したことは決して白人種の幸福を意味するものでないと思った。正に血は水よりも濃しの観念である。
帰途私はスエズ運河を通ると、沢山の土人(注・現地人)-それはアラビア人だつたがーは、私が黄色人種であるのを見て「お前は日本人か」と問ひかけた。私は「さうでない、私は中国人だが何かあったのか、どうしてそんなに喜んでゐるのか」と問ふと、彼等は「日本は露西亜が新に欧洲より派遣した海軍を全滅させたと聞いたが、それは本当か、自分たちはこの運河の両側にゐて露西亜の負傷兵が船毎に送還されるのを見た。
これは必定、露西亜が大敗した証拠だと思ふ。以前は吾々有色人種は何れも西方民族の圧迫を受け、全く浮ぶ瀬がなかったが、此度日本が露酉亜に勝ったといふことは東方民族が西方民族を打破ったことになる。日本人は戦争に勝った。吾々も同様に勝たなければならぬ。これこそ歓喜せねばならぬことではないか」といふのであった。
これを見ても日露戦争が亜細亜全体に如何に大きな影響を与へたかが判る。日本が露西亜に勝ったことは、東方にゐた亜細亜大はそれほど感じなかったかも知れないが、西方にゐて常に欧洲人から圧迫を受け、終日、苦痛を嘗めてゐる亜細亜大がこの戦勝の報を聞いて喜んだことは異常なものであった。
日本が露西亜に勝って以来、亜細亜全民族は欧洲を打破らうと考へ、盛んに独立運動を起した。即ち、波斯(ペルシャ・現在のイラン)、土耳古(トルコ)、アフガニスタン、アラビア等が相継いで独立運動を起し、やがて印度も運動を起すやうになった。
亜細亜民族は、日本が露国に勝って以来、独立に対する大なる希望を懐くに至ったのである。蘭来二十年に過ぎぬが、填及、土耳古、披斯、アフガニスタン及びアラビアの独立が相次いで実現したばかりでなく、印度の独立運動も亦漸次発展し来った。
これら独立の事実は、亜細亜の民族思想が最近進歩したことを語るものである。この思想の進歩が極点に達した時、亜細亜民族は容易に適合して起つことが出来、この時こそ亜細亜民族の独立運動が成功するのである。亜細亜の西部に居る各民族は近来相互に親密なる交際を続け、又真面目な感情を持つに至ったから、彼等は容易に連合するであらう。亜細亜東部の最大民族は日本と支那とである。中国と日本とはこの運動の原動力をなすものであるが、今まで両国とも相関せず焉の態度を採れるため十分の連絡がとれなかった。
然し将来吾々亜細亜の東部に居る各民族にも必ず相連絡するの気運が動いて来ることを信ずる。欧米は斯る趨勢を十分に知ってゐる。故に米国の或る学者の如きは、曽て一書を著して有色人種の興起を論じ
た。其の内容は日本が露国に勝ったことは、黄色人種が白色人種を打破ったことである。将来この現象が拡大さるれば、有色人種は連合して白色人種に刃向ひ来り、酷い目に逢ふから、白人は予め注意せねばならぬといふ意味である。彼は後に更に1冊の本を著はし、一切の民族解放運動は凡て文化に背反する運動なりといってゐる。
彼の主張によれば欧洲における民族解放運動は固より亜細亜の民族解放運動も亦文化に背反してゐるといはねばならぬ。斯る思想は欧洲における特殊階級の人々が何れも抱いてゐる所のもので、彼等は少数の人を以て欧洲及び自国内の多数の人々を制圧してをり、更にその毒牙を亜細亜にまで拡張し、わが九億の民族を圧迫して彼等少数人の奴隷と為さんとしてゐるものである。而してこの米国の学者が、亜細亜民族の覚醒を以て世界文化に対す
る背反なりといふ所から見れば、欧洲人は自ら文化の正統派を以て任じ、従って欧洲以外に文化が発生し、独立思想の起ることを文化の背反となしてゐるのである。
彼等は欧洲の文化は正義人道に合し、亜細亜の文化は正義人道に合致しないと考へる。最近数百年の文化に就いて見るに、欧洲の物質文明は極度に発達してをり、東洋の文明は何等大なる進歩をなしてゐない。従て、之を単に表面的に比較すれば、欧洲は東洋に勝ってゐる。然し根本的に之を解剖すれば、欧洲における最近百年来の文化は如何なるものであるか、彼等の文化は科学の文化であり、功利主義の文化である。この文化を人類社会の問に用ゐたものが即ち物質文明である。物質文明は飛行機爆弾であり、小銃大砲であって、一種の武力文化である。
欧洲人はこの武力文化を以て人を圧迫する。これを中国の古語では覇道を行ふといふのである。わが東洋においては従来、覇道文化を軽蔑し、この覇道文化に優った文化を有してゐるのである。この文化の本質は仁義道徳である。仁義道徳の文化は人を感化するものであって、人を圧迫するものではない。又人に徳を抱かしめるものであって、人に畏れを鞄かしめるものではない。斯る人に徳を抱かせる文化は、わが中国の古語では之を王道といふ。
亜細亜の文化は王道の文化である。欧洲において物質文化が発達し、覇道が盛んに行ほれてより、世界各国の道徳は日日に退歩し、のみならず、亜細亜においても亦道徳の非常に退歩した国が出来た。近来欧米の学者中、東洋文化に多少とも注意してゐる者は、東洋の物質文明こそ西洋の物質文明に及ばないが、東洋の道徳は西洋の道徳より造かに高いことを漸次諒解するに至った。
〔覇道文化と王道文化の相違〕
覇道の文化と王道の文化と結局何れが正義人道に有益であるか、私はこゝにー例を挙げて説明する。今より吾年前より二千年前まで二十年余の問、中国は世界における最強の国家であった。
現在における英国及び米国と同様の位置にあった。英国も米国も現在の強盛は列強であるが、中国の昔の強盛は独強であった。然しながら独強時代の中国は、弱小民族及び弱小国家に対し如何なる態度を取ったか、当時の弱小民族及び弱小国家は中国に対し如何なる態度を執ったか。
当時弱小民族及び弱小国家は何れも中国を宗主国となし、中国に朝貢せんとするものは中国の属藩たらんと欲し、中国に朝貢することを以て光栄とし、朝貢し得ざることを恥辱とした。当時中国に朝貢した国は、亜細亜各国のみならず、欧洲西方の各国まで、遠路を厭はず、朝貢した。当時の中国はこれら多数の国家、遠方の民族の朝貢に対し如何なる方法を用ひたか。
陸海軍の覇道を用ゐ彼等の朝貢を強制したであらうか、否、中国は完全に王道を用ゐて彼等を感化した。彼等は中国に対して徳を感じ、甘んじて其の朝貢を希ったのである。彼等が一度中国の王道の感化を受くるや、二代中国に朝貢したのみならず、子々孫々まで中国に朝貢せんとした。これらの事実は、最近に至っても尚証拠がある。
例へば印度の北方に二つの小国がある。三はブータンであり一つはネパールである。この二つの国は小国ではあるが、其民族は非常に強く、又非常に精博で、勇敢に戦ふ。中にもネパール民族は殊に勇敢である。現に英国は印度を治めるに当り、常にネパール民族を兵士に採用して印度を服従せしめてゐた。
又英国は印皮を滅して之を植民地とした程の力がありながら、ネパールに対しては容易にかゝる態度を取り得ず、毎年多額の補助金を送り、たゞ政治監察の官吏を駐在せしめてゐるに過ぎない。英国の如き現在最強の国家が、尚且つネパールに対して、斯の如く愚慰な態度を取ってゐるのである。即ちネパールも亦亜細亜における一の強国といへるであらう。
然るにネパールは今英国に対して如何なる態度を取ってゐるか、英国に朝貢せぬばかりでなく、却って英国から補助を取ってゐるのである。然るにネパールは中国に対しては如何なる態度を取ってゐるか、中国の国際的地位は現在二落千丈して、植民地にも及ばぬ有様であり、しかもネパールから極めて遠く且つ両国間に非常に大なる西蔵を挟んで居りながら、ネパールは今以て中国を宗主国としてゐるのだ。
即ち民国元年には西蔵を経由して朝貢した。その後、四川の辺、疆交通不便となった為め、遂に朝貢を見なくなったが、斯く中国及び英国に対するネパールの態度は異ってゐる。諸君はこれを不田議と思はぬか。
単にネパールの態度を以てしても、中国の東方文明と英国の西方文明とを比較することが出来るであらう。中国は数百年来衰微してゐるが、文化は尚存在してゐる。それ故にこそネパールは今以て中国を宗主国として崇拝してゐる。然るに英国は今非常に強大で、且立派な物質文明を以てゐるに拘らず、ネパールは「同これに対して頓着しない。中国の文化は真の文化であり、英国の物質文明は文化でなくして覇道であると見てゐることが解るのである。
今私が大亜細亜主義を講演するに当って述べたことは、これを簡単にいへば文化の問題である。東洋文化と西洋文化との比較と衝突の問題である。東方の文化は王道であり、西方の文化は覇道である。王道は仁義道徳を主張し、覇道は功利強権を主張する。
仁義道徳は正義公道によって人を感化するものであり、功利強権は洋砲大砲を以て人を圧迫するものである。感化を受けた国は仮令宗主国が衰微しても数百年の後まで其徳を忘るゝものでないことは、ネパールが今日尚中国の感化を庶幾ひ、中国を宗主国として崇拝せんとしてゐる事実に依って明かである。
之に反して、圧迫を受くれば、仮令圧迫した国が現在非常に強盛であつても、常にその国より離脱せんとするものであることは、英国に対する竣及及び印度の関係が之票してゐる。彼等の独立運動は英国から大なる圧制を受けてをるから急には成功すまい。
然しながら、もしも英国が一度裳徹したら、印度は五年ならずして英国の勢力を駆逐し、独立の地位を恢復するであらう。吾々は今斯る世界に立ってゐる。故にわが大亜細亜主義を実現するには、わが固有の文化を基礎とせねばならない。
固有の文化とは仁義道徳である。仁義道徳こそは大亜細亜主義の基礎である。斯の如き基礎を持つ書がなは欧洲の科学を学ばんとするは、以て工業を発達せしめ、武器を改良せんがために外ならない。欧洲に学ぶは決して他国を滅したり、他民族を圧迫することを学ぶのではないのである。
亜細亜の国家で欧洲の武力文化を学んで完全に
これをコナしてゐるのは日本のみである。
日本は軍船の建造操縦、必ずしも欧洲人に頼るを要せず、陸軍の編成運用も亦自主的に行ふことが出来る。日本は極東における完全なる独立国である。わが亜細亜には、欧洲大戦当時、同盟国の一方に加入し、敗戦するや忽ち分割されながら、現在では一個の独立国となった国がある。それは土耳古(トルコ)である。現在では披斯、アフガニスタン、アラビア等も欧洲に学んで武力を備へて居り、欧洲人も敢てこれら民族を軽蔑しない。中国は只今非常に多くの軍隊を有してゐるが、一度統一さるれば非常な勢力となるであらう。亜霊民族の地位を恢復するには、仁義道徳を基礎に各地の民族を適合し、亜細亜全体の民族が非常なる勢力を有するやうにせねばならぬ。
〔功利強権文化の粉砕〕
只欧洲人に単に仁義を以て感化を計ったり、亜細亜在住の欧洲人に平和裡に権利の返還を求めるのは、恰も虎に食物を与へて其皮を取らうとするもので、到底出来ない相談である。
故に吾々の権利を回収せんとするには之を武力に訴へなければならない。日本は早くより完全な武力を有してをり、土耳古、アフガニスタン、アラビア各民族も昔から戦争に強い民族である。
中国四億の民族は平和を愛する民族ではあるが、生死の境に立てば奮闘して大なる武力を発揮する。若し、全亜細亜民族が連合して固有の武力を以て欧洲人と戦ったならば、必ず勝ち、敗けることはない。欧洲と亜細亜との人口を比較すれば、中国は四億、印度は三億5千万、タイ、安南(ベトナム)等は合計数千万、日本は一国で数千万、その他弱小民族を合すれば・亜細亜の人口は全世界の二分の一に当る。
最近少数ではあるが、英国米国等に仁義道徳を説く者が出て来た。これは西洋の功利強権の文化が東洋の仁義道徳の文化に服従せんとする証拠である。(中略)
結局問題は、わが亜細亜民族は如何にせば欧洲の強盛民族に対抗し得るかである。簡単に言へば、被圧迫民族のために其の不平等を除かうといふのである。被圧迫民族は亜細亜ばかりでなく、欧洲にも居る。
覇道を行ふ国は、他洲と外国の民族を圧迫するばかりでなく、白洲及び自国内の民族をも同様に圧迫してゐる。大亜細亜主義が王道を基礎とせねばならぬといふのは、これらの不平等を撤廃せんが為である。米国の学者は、民族の解放に関する一切の運動を文化に反逆するといふが、吾々の主張する不平等排除の文化は、覇道に背反する文化であり、民衆の平等と解放とを求むる文化である。
日本民族は既に一面、欧米の文化の覇道を取入れると共に、他面、亜細亜の王道文化の本質を有している。
今後日本が世界の文化に対して、西洋覇道の犬となるか、或は東洋王道の干城となるかは、日本国民の慎重に考慮すべきことである。
(参考―外務省調査部訳編『孫文全集. 第6巻』第一公論社 昭15年 「孫文選集」1966年)
Wikiにはこうある.......
講演は中国語で行われ、随行した戴季陶によって日本語に通訳された。
この演説は東洋の王道、西洋の覇道を区分し、東洋の王道をたたえ、その先端を行く日本の近代化への賞賛と行き過ぎによる覇道けの傾斜を非難したものとらえる見解が従来有力であった。しかし、近年では、この演説で収容所国家化しつつあったソビエトを、自身への援助開始のゆえにおべっか的に礼賛し、反面自身への支援をためらった日本への嫌味をつらねた孫文の独りよがりの見解にすぎなかったとする指摘もあらわれている(渡辺望『蒋介石の密使 辻政信』祥伝社新書 2013年)
今の日本は戦争ができない国ということらしい.....なにせ4千兆円以上の借金があるし。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150309-00062639-toyo-bus_all
新年に際してという記事を書きましたが時々読み直しして内在する神と対話するように....そして自分の心の命じるままに生きるのです。
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/915.html
『ヤーウエと蛇の遭遇の後に起こるアダムとイブの追放は,人間の堕落にほかならず,新約聖書におけるキリストの受難は人間の救済にほかならない。どの場合も物語りは完全な陰の状態からはじまる。ファウストは知識において完全であり,ヨブは善行と幸運において完全であり,アダムとイブは罪のなさと安楽さにおいて完全である。しかし,陰から陽に移行させる場合,もう一人の役者が必要になる。苦悩や不安や恐怖や反感を注入する敵を登場させなければならない。』......これが蛇の役割であり人生なのです。