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ダンテ神曲ものがたり その1

         

 原題は神聖なる喜劇(La Divina Commedia)。一般的な知識は日本語のWikiで十分です。コピーをとるなり大切に保管しておいてください。英文の方は写真が少し違います。今まで拙稿で記事にしたヒエロニムスの『七つの大罪』とか基本的に聖書の知識がないと読み進むことが出来ませんので管理人の方で適時解説を挿入します。

 管理人は本分を格調の高い寿岳文章氏訳を使いますが三浦逸雄氏訳は有料ですが地獄篇第1歌には平易な文体でこう書かれています。現在平川祐弘東大名誉教授の本や矢内原忠雄元東大学長の本は推薦できますが矢内原氏の土曜学校講義を本にしたものは絶版になっており大変残念に思っておりますが恐らくそうではないかと思えるURLが一部残っており引用を併せて解説したいと思います。

 以下は三浦氏の解説より(写真,注は管理人)

◆「神曲」は地獄篇、煉獄篇、天国篇の三部からなり、ひとりの男(ダンテ)がこれらの場所を旅していく物語である。そこは死者の国であり、死者の魂がすむ場所だ。ダンテには二人のガイドがつく。地獄と煉獄のガイドはウェルギリウスであり、天国の案内役はベアトリーチェである。地獄は降りるにしたがって狭くなる漏斗状の地下世界で、そこではありとあらゆる罪に陥った魂の呻吟する姿が描かれる。好色、貪欲、浪費、吝嗇、激怒、怠惰、異教徒、さまざまな暴力、欺瞞、追従、聖遺物売買、占い、詐欺、偽善、盗み、不和、贋金つくり、裏切り……地底には巨大な姿をした魔王ルチフェロが半身を地に埋もれさせ、罪びとを口にくわえて噛み砕いている。
 ようやくにしてそこを出ると、ほの明るい世界で、それが煉獄だ。そこは浄罪の場所であり、山となってそびえ、旅人は山頂めざして登っていく。その過程で、地獄におちる原因となったあらゆる罪のつぐないの方法と手順とが示される。頂上に近い色欲の環道をはいったところが地上の楽園であり、アダムとイブの原罪の場所だ。知恵の木もそこにある。ウェルギリウスはそこまでダンテを導くと別れてゆき、ベアトリーチェが現れる。

エデンの園の物語は神と地と人の分離,神と人(親子)との別れ,というかたちで幕を閉じる。(神の命に背いて知識の実を食べたアダムとイブをエデンの園から追放する場面)「こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。<創世記 第3章24節>

 天国は九つの天とそれらを総括する至高の天からなる。九つの天にはそれぞれの役割をもつ天使がおり、神のメッセージを魂に伝える。最上部にある至高の天は、神と天使と、死を超克し、神とともにある歓喜を他者に伝えた至高の聖者の魂だけが住む「秘奥のバラ」とよばれる場所である。ダンテの「神曲」は壮麗な神学的秩序をなして完結する。

●作者 ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)
イタリア最高の詩人であり、ヨーロッパ文学の最高峰をきわめた作家の一人。1265年、フィレンツェの貴族の家柄に生まれ、早くから詩に才能を示した。1295年にはジェムマ・ドナーティと結婚したが、名門ポルティナーリ家の娘ベアトリーチェを恋して、その愛が終生を通して創作の源泉となった。1293年に書いた「新生」はその最初の成果だった。1295年ダンテは医薬業組合に加入して政治活動に加わった。しかし、フィレンツェではグエルフィ(ゲルフ)黒党とグエルフィ白党に分かれての内紛が勃発、ダンテの所属した白党は黒党に敗れ、そのときローマにあったダンテはかろうじて命はとりとめたが、フィレンツェからの永久追放と、逮捕されれば焚刑という判決を受ける。以後、ダンテは二度と生まれ故郷にもどることはなかった。イタリア各地の町や王侯の支持をえながら放浪の旅をつづけ、最後にはラヴェンナで死んだ。この間、ダンテは精力的な執筆活動をおこない、「俗語論」「帝政論」などを著すかたわら1307年から「神曲」の執筆にとりかかり、13年後の1321年の死の直前にこれを完成した。

立ち読みフロア

第一歌

ダンテは、暗い森の中にいることに気づく。彼の生涯のなかばの、三十五歳のときである。森は罪ふかい人の世の比喩《ひゆ》だが、その森を出て丘にかかると、豹《ひょう》と獅子《しし》と牝狼《めすおおかみ》に出会う。この三頭の猛獣も、やはり人生の罪の象徴である。進退きわまったとき、ウェルギリウスに会うが、彼はダンテに、地獄と煉獄《れんごく》へみちびいていくことを約束する。この第一歌は、『神曲』全体の序歌のようなもので、物語は、一三〇〇年の春、復活祭の木曜日の夜半から、その翌日の聖金曜日の朝にかけての出来事である。

人のいのちの道のなかばで、
正しい道をふみまよい、
はたと気づくと 闇黒《あんこく》の森の中だった。

管理人解説)人の世の旅路の半ば(注:聖金曜日にあたる1300年の4月8日の夕刻に地獄への旅に立ち,凡そ一昼夜を費やし,復活祭前夜に当る翌9日の日没直後,再び地上の人となった),ふと気がつくと,私はまっすぐな道を見失い,暗い森に迷い込んでいた。(注:ペトロの手紙Ⅱ第2章15節には「彼らは正しき道を離れてさまよい歩き,ボソルの子バラムが歩んだ道をたどったのです.......」とあり,また箴言第2章13節以下に「彼らはまっすぐな道を捨て去り,闇の道を歩き.......」とある。訳は寿岳文章氏。

 聖書ものがたり:ペトロの手紙Ⅱ参照

 聖書ものがたり:詩篇・箴言参照

 黄色い部分の4月8日の夕刻に地獄への旅に立ち.......とありますが管理人が「Behold A Whitehorse」で記事にした2008年のX-DAYの予定は4月8日=地獄への旅立ちを意味していた。幸い我々はそれをとりあえず免れることが出来たが.......このダンテの神曲は(聖なる)喜劇が原題であるようにその筋が好む箇所が多く出てくる。米国の6~24の州を壊滅させる地獄への旅立ち=彼らにとっては喜劇なのです。ですからダンテを読むに際してこのことを頭に入れてお読みください。

 ついでなので嫌なことを書きます。イエズス会イグナチオ・デ・ロヨラの僕(しもべ)フランシスコ・デ・ザビエルが日本の薩摩に来着したのは8月15日のカトリックでいう「聖母被昇天」日にあたり奇妙なことに日本の終戦も8月15日に合わせた結果となった。これは偶然な出来事ではないのです。

ああ、荒涼と 棘《とげ》だって たちふさがる
この森のさまは 口にするさえ せつないことだ。
思うだけでも 身の毛がよだつ!
その〔森の〕苦しさは 死にまさるともおとるまい。
ただ、その森で おもわずうけた僥倖《しあわせ》にふれるためにも、
そこで見たくさぐさのことを わたしは語ろう(管理人注,以下注:ヴェルギリウスとの出会い)。

森へどうして入ったのか さだかにいうほどの覚えはない。
そのときはたしか 深い眠りにおちていて(注:ローマの信徒への手紙13章11~12節.....更に,あなた方は今どんな時であるかを知っています。あなた方が眠りから覚めるべき時が既に来ています......)
正しい道を わたしはすてていたのだから。
わたしは とある丘の麓《ふもと》にたどりついていた。:詩篇24章3節「主の山とあるもの」)
そこは、わたしの心が痛ましく怖《おそ》れになやんだ
あの〔暗い森の〕渓谷の尽きるところだ。
目をあげると、その丘の肩のあたりが、
正しい道を人びとにさし示す
あの太陽の光に はやくも包まれているのが見えた。
その夜は夜っぴて ひどい不安にすごしていたのだが、
こころの底にずっとわだかまっていたあの恐ろしい思いが、
そのときには いくらかおさまっていた。
あたかもそれは、荒れ狂う海からやっと岸へのがれついて
息づかいも荒い〔難破の〕人が、
あやうかった水面をかえりみて じっと目をやるように、
わたしの心も まだそのときは〔怖れから〕のがれ出ようと、
背をふりかえって、生きては人の抜けられない
あの森のあたりに まじまじと見入っていた。
ややあって 疲れたからだが休まると、
人気《ひとけ》もない丘の斜面を わたしはふたたび歩きだしたが、
しっかと踏みつけるのは いつも低い方の足だった。
とある坂にさしかかると、
まだら紋の毛皮をかぶった
すばしこく身の軽い豹が一頭そこにいて(注:エレミヤ書5章6節森の獅子はかれらを殺し,荒地の狼かれらをいため......。中世以降,豹は肉欲,獅子は高慢,狼は貪欲の象徴とされていた)
面と向きあっても避けるどころか
はったと行く手に立ちふさがろうとしたので、
もと来た道へかえろうかと わたしはしきりに背後をふりかえった。

時刻は朝もあけがたで、
太陽が星々をともなって昇っていた。
それは世の初めに、神の愛がそれらの美しいものを動かしたときから、
太陽とともに 空にかかっていたあの星々である。
この朝という時と さわやかな季節のことだから、
目もあやな皮をかぶったその獣を見たからとて、
わたしが何かいいことを期待するのも 無理からぬことだ。
だが、この〔豹の〕怖れを忘れさせたのも束の間のこと、
わたしの眼前には また一頭の獅子があらわれでた。
その獅子は わたしにあたりをつけている様子で、
頭をふり立てて 饑《う》えで狂わんばかりだ、
大気でさえ その獅子には怖れおののいているようだった。
するとまた、牝《めす》の狼が一匹、
痩《や》せこけた身に貪欲のかぎりをつめたと見えて、
すでに人びとにしがない暮らしをさせた奴《やつ》だが、
そのぞっとする面《つら》がまえから
わたしは胆《きも》をつぶさんばかりにおどろいて、
丘をのぼる望みなど とっくに棄《す》ててしまっていたのだった。
それはたとえば、物に執着して手に入れた者が、
やがて時がきて それを手放すはめになると、
胸かきくれて 悲歎《かなしみ》にしずむものだが、
身近にせまってくるその酷薄なけものに
わたしががっくりしたのも それに似ていて、
太陽の黙《もだ》す方へと わたしをじりじり後ずさりさせた。

まさに谷底へおちこもうとしたそのときのことだ、
長らく物をいわないためか 声のかすかすした人がぽつりと
わたしの眼の前に 姿をあらわした。
このすごく荒涼とした境涯でその人を見つけると、
わたしは大声で呼びかけた、「おあわれみください。
あなたは人の影ですか それとも なま身の方ですか」
その人はわたしに、「人間ではない、かつては人間だった者だが。
わしの両親《ふたおや》はロムバルディアの出だ、
生まれ故郷は ふたりともマントヴァ。
わしが生まれたのはユリウス(注:カエサル)の〔帝《みかど》の〕治下、いやその末期だ、
賢帝アウグストゥスの御代にはローマでも暮らしていた、
たばかりと邪教のはびこった時代だった。
わしは詩人だったから、おごるイリオン(:ホメロスの叙事詩によって不滅の名を残すトロイアの別名)〔の城〕が
焼けおちたあと、トロイアから来たアンキーセの
嫡子〔アエネアス〕のことを歌ったこともある。
ところで、きみのことだが、苦しみの満ちみちた谷へ引きかえすというのか。
神々のさちわいたもうあの山に(注:煉獄の山の頂上)なぜのぼらないのだ、
なべての歓喜《よろこび》の初めであり、因《もと》であるあの山を」

「さては、あなたはあのウェルギリウス(:ローマ最高の詩人で叙事詩「アエネイス」が有名)さまでしたか、
言葉をひろげたあの大河の源になられたお方」
わたしは羞《はず》かしい面《おも》もちで その人に応《かえ》した、
「ああ、詩人という詩人の名誉と光であるお方、
おたすけください、ひたむきな愛情から わたしの長い勉学をとおして
あなたのお作をひもどかせていただいたこのわたしを。
あなたはわたしの師です、わたしのための詩人です。
わたしが名を得たうつくしい歌のすがたを
学びとったただ一人のお方です。
あの獣をご覧ください、あれにわたしは逐《お》われていたのです。
世にひびく賢《さか》しいお方、あれからわたしをお救いください。
あれがわたしの血管も脈も ふるえあがらせているのです」

「この荒れはてた谷から抜けだすというなら、
きみは道をかえる方がいいようだな」
涙ぐむわたしを見て、その人は答えた。
「きみに声を立てさせたあの獣はな、
よそ者には自分の道をとおらせないばかりか、
さんざ痛めつけたあげくに、食い殺してしまうのがおちだ。
生まれついての酷薄無道、
すごく邪悪で 罪ぶかい性質《たち》で
がめつい欲を満たしたことさえなく、
食《くら》ったあとでも 食う前よりもがつがつするという奴だ。
あいつとつるむ獣も多いから、
ヴェルトロ〔猟犬〕が来て こらしめて殺すまでは、
さらにあいつらの仲間はふえるだろう。
ヴェルトロは 領地も金銭《かね》も食おうとはせぬ、
ただ 知恵と愛と徳だけを糧《かて》にするだろう。
その生国は フェルトロとフェルトロの間のはずだ。
そのゆえにこそ、処女《おとめ》カミルラが死に、
エウリアロ、トゥルノ、ニーソなどが傷ついたのだ。
みじめなイタリアは こうして救われる。
ヴェルトロが、もとの地獄へ追いもどすまで
奴らを町々から狩りたてることだろう。
それというのも、嫉妬が奴らをはじめて地獄からおびきだしたからだ。
そこでだ、わしはきみを思うて 手段《てだて》を立てているのだが、
ついて来るがいい。わしが導者になろう。
わしは永劫《えいごう》の場所〔地獄〕へきみを連れていくつもりだ。
そこではきみは、〔昇天を〕望むすべもない叫び声を聞くだろう。
口々に 第二の死を叫んでなげき悲しむ
そのかみの代《よ》の霊たちをも見つけるだろう。
さては焔《ほのお》の燃えるただなか〔煉獄〕でさえ 満ち足りている人を見るだろう。
ときあらば、至福の群れに入る望みをもつ人たちだ。
そのあとで、きみがさらに昇りたいところには、
わしよりもさらに気だかい霊(:ベアトリーチェ)がおられるはずだから、
別れるきわに きみをそのお方におまかせするつもりだ。
というのはな、天上をしろしめすおん皇帝《かみ》が
その国の掟《おきて》にそむいたからとて、
その府《まち》〔天国〕へわしの入ることをよろこばないからだ。
皇帝《かみ》は天上にいまして統《す》べておられる。
そこには その府《まち》と高い玉座《みくら》がある。
選ばれて そこにある者は幸福《しあわせ》だ!」
そこでわたしはいった、「詩人よ、おねがいです。
あなたが〔この世では〕ご存じなかった神のおん名によって、
どうかこの禍いと さらにひどい禍いとから のがれるために、
いまおっしゃった所へおみちびきください。
あのサン・ピエトロの門(注:煉獄の門~マタイ16章19節:私はあなたに天の国の鍵を授ける....)や あなたの仰《おお》せの
うらぶれた人たちをお見せください」

「シモン・バル・ヨナ。お前は祝福されたものだ。このことは血と肉によってでなく天におられる父によって示されている。わたしは言う、おまえは岩(ペトロ)である。この岩の上に私の教会をたてよう。死の力もこれに勝つことはできない。わたしは天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐものは天でもつながれ、地上で解くものは天でも解かれるのである。」マタイによる福音書の 16:18-19

そのとたんに、その人は歩きだしたので、わたしはそのあとに随《したが》った。』(管理人注:このように文語体でも口語体でも解説をしないと全く分からない)


『注 解(管理人注:矢内原氏の土曜学校講義と思われる文章を転載)

1-10

読者は「神曲」において第一人称の二つの使い方(「わたし」と「私」)の区別を最初から注意しなくてはならない。「わたし」は巡礼者としてのダンテを示し、「私」は詩人としてのダンテを示すのである。「わたし」は「私」によって考案された(捏造された)物語中の人物なのである。出来事は過去に起こったこととして表現される。すなわち詩の執筆とこれら出来事の記憶とが詩人の現在に起こったこととして述べられている。読者は過去と現在の両方の、そして巡礼者と詩人の両方の関連を見つけるであろう。

(例)10行目:どの様にしてわたしがそこに入ったのか私は正しく言うことができません。

「わたし」

:巡礼者としてのダンテ

:過去形

 「私」

:詩人としてのダンテ

:現在形

 1. 私たちの人生の旅路の半ば:中世において人生はしばしば旅のように、神と天国である目的地への巡礼として考えられた。そして「神曲」の第1行においてダンテは彼の詩の第一主題(モチーフ)を確立している――すなわち、人の、神に至る巡礼の物語である。(本書の)巡礼者の旅でなく全ての人のそれであることは「私たちの人生の旅路」の言い回しにほのめかされている(悔悟と贖罪へ至る罪を通してのわれわれの旅である)。

【聖】「イザヤの書」第38章第10節:

  私は思った、私は、生涯のなかばで、

  去っていく。

  のこりの年々は、

  よみの門の前で、とめられた。

   (ドン・ボスコ社版聖書、p.1453)

 詩の始まりの仮想日は1300年の聖金曜日の前夜である。それはボニファキウス八世BonifaceⅧ (680-755)によって布告された教皇職特赦の年(聖年)である。1265年に生まれ、ダンテは35歳であり、70年という聖書に言う一生の間の半ばであった。

[「初期のキリスト教共同体は、聖金曜日から復活祭の日曜日までの間イエスは死者たちのなかにいた、と考えた。・・・・・・この観念は、新プラトン主義のように天の層を次つぎに上ってゆくというのではなく、地下へ降るものとして表現された。地下の世界でイエスは死の軍勢に立ち向かい、うち破った」(J.B.ラッセル著『ルシファー――中世の悪魔』、野村美紀子訳、教文館1989/1993、p.114)。「人生の旅」に関しては、若山牧水が歌集『独り歌へる』(明治43、1910)の自序で「私は常に思って居る。人生は旅である。我等は忽然として無窮より生まれ、忽然として無窮のおくに往ってしまう」と述べている。「無窮」とは「果てしないさま、無限、永遠」である]

 8-9. しかしそこで得た善なるものを明らかにしようとするならば:たとえこの「森」の記憶が自身の「過去の恐怖」を呼び起こそうとも、ダンテは「善なるものより他のもの」、すなわち巡礼者の学ぶ軌跡に貢献することによって最後の「善業」(神の救済)に至るもの(神の恩恵が啓示したすべて)を語らねばならないのである。

 13-15. しかしわたしが、とある丘の麓に、その森の根方に、そして下って谷に居るのが分かった時:私たちが一度第1章(「神曲」全体の導入部である)を離れてみると、地獄の何層もの地形図が念入りな注意深さで表現されていくであろう。しかし、この章ではすべてが不明確であり準備されていなく、背景は識別されない罪の地域としての「どこにもない国」に置かれているのである。突然巡礼者は「とある森」(罪それ自体を当てはめることができる言い回し、すなわち「この森は荒れ野であり、未開で手に負えないのである」(6)以外には言い表されていない)の中で目覚める。彼がその森をさまよっていると、突然「とある丘」がある;するとその森は「とある谷」になるのである。

言い回しの流れ:        「とある森の中で目を覚ます」


「突然、その森を徘徊している」 → 「そこはとある丘である」


「すると、その森はとある谷になる」
 
この夢のような雰囲気(現実には悪夢の雰囲気に違いない)の他の示唆はこの章を通して見つけられるであろう。

17-18. 朝の光線:その時は聖金曜日の朝である。

29.不毛の坂:原文では"piaggia diserta"であり、「見捨てられた坂」である。Musaは"barren slope"と訳した。煉獄編第1章130行の"lito deserto"「見捨てられた海岸」に対応する。Musaはそこでは"lonely shore"「物悲しげな岸辺」と訳している。

 30.わたしは強い方の足をびっこを引くようにのろのろと進んだのでした:すべてのダンテ批評家を悩ませているこの行の文字どおりの翻訳は「強い方の(ふらつかない)足はつねに下の方であるように」であろう。二本の足を人の愛に思い描いてみよう:偉大なグレゴリウスGregory the GreatがヤコブJacobの天使との格闘について注釈するとき、彼は神の愛としての一つの足と世の中の愛着としてのもう一つの足とを同一であると確認している(エゼキエルの書Homiliarium in Ezechilem, lib. Ⅱ, hom. 2,13;PL 76, 955-56)。「強い方の足」は、その時、この世の愛着を象徴している。なぜなら巡礼者の旅のこの段階ではこの愛着が他のものより明らかに「強い」のである。もし彼が神に対してよりももっとこの世の物事に強く引きつけられないとしたら、彼にとって旅をするという理由がほとんどないのであろう。(神へ)上るために巡礼者は彼の「強い方の足」(それは自然の傾向がいつも下向きであるためいつも下側である)を引き上げるために強い力を振り絞り、そして「暗い森」の中へ滑り戻ることから自分を防がねばならないのである。

32-60

初期の批評家たちは巡礼者の道を妨げる3匹の獣について三つの特定の罪を象徴していると考えた:すなわち、嫉妬(肉欲)、高慢そして貪欲である。しかし、筆者はむしろそれらの中に地獄の三つの主要な分割をみる。斑のある豹(32)は詐欺師(第16章、106-108参照)を象徴し、詐欺を行うことが罰せられるところの第8ないし第9連環に君臨する(第18~34章)。獅子(45)は激しい感情の形を象徴し、第7連環において罰せられる(第12~17章)。雌狼(49)は嫉妬(色欲)ないしは自制心のなさの異なった形を表し、第2~5連環において懲らしめられる(第5~8章)。どの場合においても獣たちは人間の罪の3つの主要な範疇(分類概念)を表象しているのであり、それらは詩人の人類の象徴である巡礼者ダンテを脅かすのである[訳者注:"circle"は日本語では多く「界」ないしは「圏」と訳されているが、後に出てくる"ring"を「輪環」と訳すことの対比で「連環」と造語し、同心円のイメージを強めた]。

 [J.B.Russell"LUCIFER"によると、「…神は物を、それらが光であり、霊であり、善であるかぎり、自身へ引き寄せる。ルシフェルの不合理で空虚な愚味性は真空と同じように、地上から生命と色彩を吸い込み、排出する。下界へ最初に降る前、まだ暗い森の中をさまよっているときに、ダンテは三匹のけもの――豹(ロンツァ、lonza:オオヤマネコ、ヒョウ)、獅子(レオーネ、leone)、雌狼(ルーパ、lupa)――嫉妬、高慢、貪欲、ルシフェル(Lucifer、イタリア語ないしはラテン語では三匹とルシフェルの頭文字は全て"l"で始まる)の三位一体の象徴であり、またルシフェルのもつ三つの顔をあらかじめ表している――に出会う(野村美紀子訳)。注解第3章35-42参照)]

 32-36. 一匹の豹が跳ねました:彩色の豹(ロンツァ)のまるでどこからとも分からないような出現に注意すること。それからそのこぎれいで、敏速な斑のある獣はある象徴、すなわち全ての場所での上方への移動を塞ぐある力となるように見えなくなる。

 40.その日神の愛が星々の美しい回転を決めたのでした:春分に太陽と協力する牡羊座がまた神(神の愛)が宇宙を創造したとき太陽と協力したと考えられた。

 46-50. 「見える(思える)」の三つの用途(原文の忠実な再現:「そう見えました」、「畏怖させるようでした」、「拷問にかけられたようでした」)が獅子と雌狼の姿をぼんやりさせ、心のながめの「どこでもないさま」に調和していることに注意せよ。

 55-60. ある人が、・・・・・・力尽くで戻したのです:この直喩がダンテの最高の表現の巧みさの一つではないことは認めねばならない。到達点へ向けてある場所を獲得してきた巡礼者が雌狼に力尽くで連れ戻され、このようにして彼が得てきた全てを失うのである。しかし、詩人により想像される類似点で、私たちは損失の言い回しに付き添われた報酬の言い回しを持つだけでなく、私たちはまた詩人の経験に対する犠牲者の感情的な反応として、すなわち事実上の物語の中に痕跡がないものとして知らされる。

 60.それはわたしを太陽が沈黙した場所へと力尽くで戻したのです:他の語句でいうと、2行目の「暗い森」へと戻ること。

 62.わたしの目はわたしに向かってくるある姿を見分けました:ベルギリウスVergilio, Virgil, Vergiliusの亡霊はダンテの前に奇跡的に現れる。ユリウス・カエサルJulius Caesarの時代(sub Julio)、紀元前70年に生まれたそのローマの詩人は、その詩としての寓意物語の中で、詩歌と絵画と同じように、理性と人智(人が神の特別な誉れなしに自身で目的を達成できる最高のもの)を表出している。巡礼者は彼の罪としての3匹の獣に打ち勝つまでは神の愛の光(山の頂)へと進めないのである。そして人が助けとならない獣と互角に対抗することが不可能なため、ベルギリウスが、巡礼者を導き、彼が理解し、のち縁を切る自身の罪に打ち勝つのを助けるために、一連の神の命令を通して呼び出されてきたのである。

63.成熟した、たぶんあまりの静寂からか、かすかにしか見えない姿を:ベルギリウスは詩の中で最初に「静寂」として姿を現される。字義的に言うと、ベルギリウスはかすかなものとして(巡礼者の目に)現れる。なぜなら彼はそれ程永く死んでおり(亡霊)、太陽の光を(彼は「太陽が沈黙した」場所にあらわれる、60)、そして神の光を奪われていたのである。この詩行は、この章の30行のように同一の範疇に置くべきだが(「わたしは強い方の足をびっこを引くようにのろのろと進んだのでした」)、他の水準の意味を持っている。例えば、理性の声はあまりにも永い時期巡礼者の耳に静寂であったということが暗示できる。

 73-75. 私は詩人でありかの正義の人物を詠った:「アイネーイス」Aeneidの中でベルギリウスはアイネイアースAeneas(アンキーセースAnchisesの息子)の陥落後の旅と功績を物語っていて、アイネイアースは神に導かれ、イタリアの地に国を築き、時の流れでローマ国王となるのである。第2章(13-21)、26章(58-60)参照。

 86-7.そしてあなたはわたしに誇りをもたらすべき高貴な形式を/わたしが獲得した唯一人のかたです:「神曲」の構想以前ダンテは彼が悲劇形式と呼び、有名な主要題材:英雄的行為、愛、そして道徳的美徳(「自国の修辞法について」De vulgari eloquentia Ⅱ,ii,iv)として蓄えておいたソネットとカンツォーネに専念していた。ダンテが巡礼者の導師としてベルギリウスを選択した理由(時の哲学者アリストテレスの代わりであろうが)はいくつかある:ベルギリウスは詩人でありイタリア人であること、アイネーイスの中で勇者の地獄への没落が物語られていることである。しかし主な理由は、中世において、ベルギリウスが、キリスト来臨を予言するFourth Eclogur(第四短詩)の中の疑わしき数行の解釈から生じる見解として、一人の預言者として認められていたという事実に確かに存在する。この点ではダンテはベルギリウスを皇帝と使徒(ローマ教皇)とのある種の中間として見ていた。更に、ローマ皇帝の最も重要な概念を反映したダンテの論文「帝政論」De monaruchiaには彼の導師の記述が見つけられる【資料1-1参照】。

 91. しかれども汝は別の道より下りて旅せねばならぬ:ダンテは別の道を選ばねばならない。なぜならば、神の光に到達するには、罪の本質を認め、それを拒絶しかつ悔い改めることがまず必要だからである。ベルギリウスは、ここでは理性ないしは人智の役割としてだが、当然のことだが人が罪の本質の理解に至るかも知れない意味を指す。彼の導者としてのベルギリウス的理性と共に、巡礼者ダンテは地獄を通過する旅で罪の理解に至るであろうし、また煉獄の山での悔い改めた罪人たちに負わせられた悔恨を見るであろう。

101-11.

未来の救済についての暗い予測は決して十分には説明されていない:俊敏な猟犬(ヴェルトルVeltro)の姿はヘンりー八世、チャールズ・マーテルそしてダンテ自身さえと同一視されてきている。ヴェルトルがヴェローナVerona(イタリア北部ヴェネト州の都市)の統治者(1308-1329)であるスカラのカン大王Can Grande della Scalaを思い描いていることはもっともらしく思われる;その生誕地(Verona)はフェルトル(Feltro)[地図上ではフェルトレFeltreという町がある]とフェルトル山の間にあり(原文は"sarà tra feltro e feltro")、彼の「智、愛、徳」(104)は確かにダンテにもよく知られていた。そのヴェルトルが何であれ、その予言は、大きな意味で地球での精神王国の建設と、「智、愛、徳」(これら三つの質が第3章に、三位一体の象徴として言及される)がこの世の野獣のような罪と取って代わるであろう現世の天国を指し示しているようである。

[悪魔は神の三位一体をまねて、善の三位一体を転倒・逆転した形である悪の三位一体を構成する(善と悪は鏡映対称の関係にあるからである)。たとえば、地獄編第6章における三つの頭を持つケルベロスは、まさに一にして三である地獄の三位一体を成している。地獄編第17章のゲーリュオーンは人・蛇・蠍(さそり)の三体合体動物であり、歪められ、転倒した三位一体を示している。じっさい、地獄編第34章の堕天使ルシフェルは三頭を有する悪魔であり、至高善である神の三位一体を反転させた悪の三位一体を象徴している。神はLと呼ばれることをダンテは説明しているが、反世界おける神である悪魔ルシフェル(Lucifero, Lucifer)も頭文字はLである。地獄編冒頭の三匹の獣は、地獄編の最後において、ルシフェルから地上に送り出された三悪の象徴であることが解き明かされる。すなわち"lonza"(豹)、"leone"(獅子)、"lupa"(雌狼)はいずれも共通の頭文字"l"を有しており、"Lucifero"の分身であることが分かるからである。Lの反神性を表すルシフェルの頭文字Lの中に神性の否定形が、三頭の獣の中に三位一体の否定形が象徴されている。これはまた、悪に対抗する猟犬(Veltro)との関係においても対をなすように構成されている。"Veltro"と韻を踏む言葉は稀な単語であるが、それらの単語の中には、"lonza"、"leone"、"lupa"を一つに結び付けられるものとちょうど反対の現象が見出されるからである。三頭の獣が頭文字を不変幹としているように、"Veltro"、"Peltro"、"Feltro"は語尾を共有し、語尾が不変幹となっている。つまり"lonza"、"leone"、"lupa"はまさに"Veltro"に敵対し、対立するアンチ・クリストであり、"Veltro"を逆転させたものが"lonza"、"leone"、"lupa"ひいては"Lucifero"に他ならないのである(白水社、文庫クセジュ「ダンテ」、マリーナ・マリエッティ著/藤谷道夫訳での藤谷氏の「悪魔的三位一体」の注p.133-4。"Peltro"は「白鑞、しろめ」(ピューター、すず、銅、鉛の合金)で、"Feltro"は「フェルト、felt」(羊毛などの獣毛を圧縮して作った布地)である]

 106.処女カミッラ:カミッラCammilla, Camillaは、トロイアとの対戦中に殺害されたメタブスMetabus王の勇敢な娘であった(アエネーイス, Book 11)。

 107.ツルヌス、ニースス、エウリュアルスが傷つき死んだ:ツルヌスTurnoはトロイアに対して戦争をし、単独の騎士アイネイアースAeneasによって殺されたルツリアンRutuliansの王であった。ニーススNisoとエウリュアルスEurialoはルツリアンのキャンプで夜襲で殺害された若いトロイア戦士であった。以後の文学では彼らの共通の忠義が誠実な友情の標準的基準であった。

 111. そしてその時みが始めて人類にその束縛を解くのである:[「悪魔の本質は善である。悪魔の悪は自由意志を無知によって悪用した結果である。その動機は神と人類への妬みである」(LUCIFER、p.28)]

 117.かつそれらの悲鳴より、第二の死が何たるかを知るであろう:第二の死とは魂の死であり、それは魂が地獄に落とされた時に起こる。

 122. 私よりも価値がある魂が:ベルギリウスのような異教徒のローマ詩人は、キリスト誕生の前に生存したため、キリストの天国に入ることが出来なく、またキリストの救済の知識に欠けている。そのため唯一理性が巡礼者をある地点へ導くことが出来るのだ。天国へ入るためには、巡礼者の導者はベアトリーチェの姿としてキリストの恩恵と啓示(黙示)であらねばならない。

 124.なぜならば激しく思案した皇帝は:ベルギリウスの神との関係の異教徒の専門語に注意せよ。それは、できるだけ、彼の最高権威としての啓蒙されていない概念が、彼の精神にとっては、皇帝であるしかないと表現されている。

 133-35.あなたが話された場所へお導き下さい:この3行は困惑させる。多くの批評家たちには「聖ペトロが守る門」が天国の門(「天国篇」ではいかなる門も認められない)に関連するのではなく、煉獄の門に関連する、なぜなら「煉獄篇」の第9章でその門がペトロから鍵を持たされた天使によって守られていると語られているのである。このようにして巡礼者は「わたしが煉獄においてと地獄において見るかも知れないようにあなたがちょうど言及された二つの場所へお導き下さい」と言っているのだろう。

 しかし「聖ペテロが守る門」が煉獄の入り口に関連するというのは信じがたい。なぜなら、巡礼者も彼の導者も第1章においては煉獄の入り口についてなんの知識もないのであり、また二人が天国での門の不在についても知っていることはあり得ないのである。確かに巡礼者のそれとない言及は天国の門が聖ペテロによって守られているという一般的な信じ方を反映しているかも知れない。しかし134行が天国に関連するならばそのときは巡礼者の言葉を理解することは困難である。134行における天国への関連づけは私たちが2行の意味を次のように明らかにするならば133行から完全に導くことが出来る:「あなたがちょうど今言及された二つの場所へわたしをお導き下さい、地獄と煉獄へ、そうすれば最後にはわたしは天国へと行けるでしょう」しかし、そのときは135行での関連はどう理解できよう? 「わたしが(天国だけでなく)地獄を見るかも知れないように地獄と煉獄へお連れ下さい」は何の意味も持たないのである。

 ペテロあるいはペトロに関しては拙稿:またお星様きらきら参照ください

 しかしたぶん133行は「あなたが言及した両方の場所へお導き下さい」を意味しているのではなく、むしろ「あなたが最後に言及された場所へわたしをお導き下さい」を意味している。すなわち、煉獄へである(イタリア語の字義通りの翻訳では「あなたが述べた場所へわたしを導き賜え」である)。その場合は、巡礼者は「わたしを天国を見るために煉獄へとお導き下さい、そして(不幸にも必要ならば)地獄へも」と言うべきであろう。こういうことは少しばかりの混乱と動揺を誘うかも知れないが、巡礼者がちょうど今自身の旅を始めようとしているとき、何がこの段階でもっとも自然であろうか?

★  ★  ★  ★

 全体の「神曲」を読むことなしに最初の章でののすべてを理解することは不可能である。なぜなら、第1章は(注:ダンテ地獄篇第1歌のこと)、ある意味で、全体の小画像であり、ダンテがここで紹介する主なテーマは作品全体の主要なテーマであるかもしれない。このように、この章はたぶん全体のもっとも重要なものである。

 第1章の精神的な風景は3部からなり、「神曲」それ自体の構成を反映している。「暗い森」は巡礼者ダンテが自分自身を見つける罪の状態を暗示し、そしてそれゆえ、地獄(第1頌歌の主題)と類同語である、ダンテがまもなく旅しようとしていることを通して。「不毛の坂」(29)は悪と善の中間の場所を意味し、そこは人々が愛の「陽の光」と山の頂での至福に至るまでに通過せねばならないのである。それはすなわち煉獄との類同語であり、「神曲」の第2の部分の主題である。太陽の光に注がれた「至福の山」(77)は至福の状態で、それに向かって人が常に奮闘し、第3の頌歌すなわち「天国編」の中に描写されるのである。』 

地獄の門 

ちょっとだけ煉獄篇

ちょっとだけ天国篇
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