真実の目
エノク書を拙稿で検索すると
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/s/%E3%82%A8%E3%83%8E%E3%82%AF%E6%9B%B8
聖書ではなぜエノク書のエノクを宦官呼ばわりするのか?
「聖書ものがたり・ROMANS(ローマの信徒への手紙)からREVELATION(黙示録)まで」
http://web.archive.org/web/20170501232602/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/152.html
拙稿聖書と同性愛でも書きましたがいたるところで宦官がでてくる。
抜粋します
口語訳新約聖書
http://web.archive.org/web/20190331125014/http://bible.salterrae.net/kougo/html/index.html
ENUCHがEUNACHと明らかにある意図をもって改竄された使徒言行録。詳しくは拙稿「失われた時を求めて」参照。
管理人注:上の「失われた時を求めて」をクリックするとすぐ消えてしまいます。よほど読まれたくない文章なのでしょう。どこが圧力をかけたのかは明白です。
コロサイの信徒への手紙でグノーシス主義の異端に攻撃されていることを嘆き,エノクを宦官(去勢された人の意味)とすることによって表の舞台から消し去った(エチオピアがアダムとイブの舞台であることも含めて)。これによってパウロはキリスト教のスターとなった。木村喜一氏の著作にもこの指摘はないし,ありとあらゆる聖書の書評にENUCHをEUNUCHと改竄したいやらしさを批判した文章はない。
注:アダムとイブの世界は最下段参照
エチオピア語によって書かれたエノク書の終末
http://flamboyant.jp/eschatology/esc012/esc012.html
ETHIOPIANS.......COME TO JERUSALEM FOR TO WORSHIP
Now an angel of the Lord said to Philip,"Go south to the road-the desert road-that goes down from Jerusalem to Gaza.So he started out,and on his way he met an Ethiopian eunuch,an important official in charge of all the teasury of Candace,Queen of the Ethiopians......
さて,主の天使はフィリポに,「ここをたって南に向かい,エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。フィリポはすぐ出かけて行った。折から,エチオピアの女王カンダケの高官で,女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が,エルサレムに礼拝に来て,帰る途中であった。<使徒言行録8:26~28>
Book of Ethiopian Enuch(エチピア語エノク書)は偽典とされたが,あくまでEnuch をEunuch(宦官=去勢された高官)として位置づけている。第一エノク書,第二エノク書はキリスト教の正典であったが偽典とされた。それによってすべてダヴィデ崇拝に取って代わってしまった。ダヴィデの曽祖父ポアズは異邦人のモアブの女ルツからダヴィデの祖父オべテをもうけた。
マカベア書(聖書外典でアポクリファに収められている)のなかに伝えられている,あのおとなしい殉教者たち~老教法学者エレアザルや七人の兄弟とその母~がパリサイ派の精神的先祖であるが,このパリサイ・ファリサイ=ファリセー(Pharisees)というのは"分離する者”という意味であって,ラテン語系の表現に直せば”Seccessionists"とでも訳すべきか,彼らがみずから名のった名称である。このプロレタリアの"武装した力の人”がおさめた直接の物質的成功が,それは,後世の人びとの目を眩惑した。イエスにもっとも近い弟子たちでさえ,かれらの師が自分の運命を預言するのを聞いてあいそをつかし,その預言が事実となるに及んですっかり打ちのめされてしまったほどである。(管理人注:今日残っているパリサイ・ファリサイ派の中でも敬虔主義者のエノク書,ソロモン詩篇,モーセ被昇天はいずれも旧約外典となったが特にエノク書が外典になったため聖書はダヴィデ崇拝となってしまったのは残念なことです)
本物の十字軍。十字架は軍旗であり,キリストは総指揮官でもある。ローマ人への手紙6章23節「罪の支払う報酬は死である」と書き,2世紀の神学者テルトウリアヌスは軍隊用語に書き改めて,「職務怠慢の支払う給料は死である」とした。ローマ人への手紙6章23節には除隊のさいに,「金の賜金」をほうびとして与えられる。
キリスト教の創始者は「戦争は万物の父である」といった弁証法の父ヘラクレイトスからプラトンの曽祖父クリティアスからプラトンへ到るまでの仕上はパウロによってなされた。つまり対立物の統一は弁証法の進化には欠かせないという理論である。これは大変怖い考え方ですが事実でしょう。つまり戦争とは双方に金を出し戦わせ誰かが必ず儲けるという不変の構図がある。
ストア派の指導権は使徒言行録18章にあるようにGallioでありローマ帝国のアカイア総督でもあり,パウロに対する告訴を却下した。その弟で,聖パウロと同じ時代のセネカに指導権は移った。セネカの哲学的著作の中にはパウロ書簡と同一のものが随所に出てくるそうだが確認はしていない。(パウロとセネカの往復書簡は偽書とされているが果たしてそうでしょうか?)
クリティアスはプラトンの曽祖父であるが,詩人であり,人民を「説得する」ために, すなわち脅迫して服従させるために宗教を作り出した賢くもずるい男を讃える(管理人注:讃えられているのは弁証法の父ヘラクレイトスのこと)。クリティアスの見解では,宗教とは偉大で賢明な政治家の堂々たるうそに他ならない, と。(カール・ポパー)
THEY WERE TENT-MAKERS.パウロの協力者プリシラ(Priscilla)とアキラ(Aquila)はともにテント張りを仕事としていた。「イエス・キリストに結ばれてわたしの協力者となっている,プリシラとアキラによろしく。」ローマの信徒への手紙16章3節
THE OLIVE TREE WHICH IS WILD BY NATURE.ローマの信徒への手紙11章17~24節参照
THEREFORE LET US KEEP THE FEAST.「正しい人の為に死ぬ者はほとんどいません。善い人の為に命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし,わたしたちがまだ罪人であったとき,キリストがわたしたちの為に死んでくださったことにより,神はわたしたちに対する愛を示されました。」ローマの信徒への手紙5章7~8節
写真は過越祭りの日に「約束の地を目指してエジプトを脱出した」ことを念頭に辛いハーブずけした山羊の肉を急いで食べるパレスチナでのサマリア人家族。
聖パウロは,カイサルとアウグストウスが帝国内部にもうけた植民地を飛び石として利用した。第一回伝道旅行ではピシディアのアンティオケとリュストラのローマ植民地,第二回伝道旅行ではToroas(トロアス・ダーネル海峡入り口にある海峡),Philippi(フィリッピはギリシャ東北部の町),コリントのローマ植民地にキリスト教の種を蒔いた。
それだけではなく,パウロの活動は,植民地だけに限られていたわけではなく,たとえば,古くからのギリシャの都市エペソに二年間腰をすえていたし,パウロが18ヶ月間滞在したコリントは,使徒時代以後の教会の生涯において大きな役割を演じた。後は皆さんで個々に興味をお持ちなら,ローマの植民地がキリスト教の布教にいかに役立ったか研究されるとよいでしょう。あるいはその後の解説でやるかもしれません。
ついでに言えば,かつてオロンティス川からティベル川まで進出した聖パウロは,パウロはもっと広い海つまりポルトガルの船に便乗し喜望峰を経て二度目のインド旅行を企て,また,さらに驚くべきことにマラッカ海峡を通って三度目のシナ旅行を企てた。(七世紀にネストリウス派が西安に根をおろした時を,キリスト教のシナ改宗の試みの第一回,13世紀および14世紀に西方キリスト教宣教師団が陸路派遣された時を第二回,16世紀に西方キリスト教宣教師団が海路派遣された時を第三回とみなす。)西安に根付いたネストリウス派のキリスト教は『景教』となり日本に入ってきた。


写真はパレスチナのアラブ人家族の割礼の儀式(Ceremony of circumcision)。「わたしは自分の望む善は行わず,望まない悪を行っている」ローマ7章19節。
だから,心に留めておきなさい。あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり,いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは,割礼のない者と呼ばれていました。エフェソ2章11節。
タルソスのパウロは,シリア社会に加えられたヘレニズムの衝撃が,回避することのできない時代に,ユダヤ人社会に生まれた。その生涯の前半には,イエスに従うユダヤ人を迫害した。しかし,その後半には別な方向へかわり「そこにはギリシャ人とユダヤ人,割礼(CIRCUMCISION)と無割礼(UNCIRCUMCISION),未開の人,奴隷,自由人の差別のない(コロサイ人への手紙3章11節参照)」新しい体制を説いて回った。ダマスカスに向かう途中で突然,光に会った後,パウロは「血肉に相談もせず」(ガラテヤ人への手紙1章16節),アラビアの砂漠に入っていった。それから三年半後にはじめて実践的な行動に入る。すなわちエルサレムに上り,最初の使徒たちにあった。(ガラテヤ人への手紙1章15~18節)
使徒言行録(行伝)17章16~34節)に出てくるアテナイ人とパウロとの出会いの記述は参照されたし。(アテナイでの説教は不調に終わった)

ヘロデ王を癒したとされる死海の温泉。死海の北東にあるモアブにはZerka Ma'in(古代Callirrhoeの温泉として知られる)の温泉がある。ヘロデは重い病気にかかっていた時エリコの宮殿からここへ連れられてきた。
使徒言行録 8
エチオピア語エノク書の終末論
http://flamboyant.jp/eschatology/esc012/esc012.html
セム族三千年前の資料はあまり多くない。が,エチオピアの家,教会はいまでも聖ガブリエルが守護神となっている。今後マヤの神フナブ・クからアトランティスまでの思索の旅が終わった時,現在の偽典とされているエノク書が本当の正典であるべきで,旧約・新約聖書がすべてまやかし,いんちきであるのか結論を出すのかはまだ分からない。